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最近、ネットでたまたま「」という言葉を知りました。
似たような意味の言葉で「」もあるようです。

・この2つは、差別を受けてしまっているようなのですが、なぜ、差別を受けているのですか?

・の歴史はどのようなものなのですか?

最初に、「最近という言葉を知った」と書きましたが、以前「「えた」「」の子孫がだ」と聞いたような気もします(確かな記憶ではありません)

気になるので、知っている方がいたら教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

江戸時代以前については知りませんが



エタとは皮革等の職人集団で経済的には(地方ごとの差は有りますが)、潤っていたそうです。
(東日本で皮革職人が足らず西日本から移住させた等の記録もあるらしいです)
立派な、皮革等の職業を独占していた職能集団と言えるでしょう。
(近い記憶では、昭和天皇の崩御?の際、我々こそ棺を担ぐ権利が有ると主張していた方々がいらっしゃいました)
エタ頭の車弾左衛門は大名並の処遇を江戸幕府から受けてもいました。
一方、差別として町民は才覚、金などで侍の身分を買えるなど他の職業に就く事が出来ましたがエタには許されませんでした。

対してヒニンとは、色んな理由で社会から追放された、或いは落伍した人々です。
例として、経済的困窮者、障害者、犯罪者など。
彼等はエタに使役される立場にありました。
エタの下部組織といえるでしょうか。
(エタは「チョーリ」とも言われ、ヒニンはの棒「チョーリンボウ」と言われていたようです)

彼等に対する差別は江戸期より、四民平等が成された、明治、大正期に激しくなったようです。経済的な問題も職業が自由に選択できるようになったこの頃から発生したという見方もあります。(職業を独占する事が不可能になった、その上、他の職種に就きづらい)

そして1960年代頃、在日問題と共に差別問題が取り沙汰されたと記憶しています。
現在でも差別は色々な形であるようです。
(警察の発表によると、暴力団構成員の約7割が被差別民、3割が在日その他の方々だそうです。就職差別の結果でしょうか?)
地方によっては、被差別と特定され辛いように集落名を変えたり、集落の位置(範囲)を変えたりしているようです。
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学術的根拠の無い話をします。



問題は、人種差別でしょうね。
大和民族は肉食をタブー視していました。
おそらく大和民族に征服された人々や、大陸から渡来した肉食の習慣のある人々が神道の教義的に「穢が多」であるので、「」として差別されたのでしょう。
つまり「」とは、「大和民族に非ざりき人」ではないかと思います。(ユダヤ教のゴイムみたいですね)
徳川家康の旗印(馬印)は「厭離穢土欣求浄土」でありますから、当然として「穢」は「離」します。
それが徳川家康の思惑と離れ、政治的に都合よく利用されて「」政策になり、民衆の不満のはけ口の対象として位置付けされたのではないでしょうか。
今の世の中は、ほとんどの人が肉食をタブー視していません。
つまり、明治以降の日本人は「穢が多」で「大和民族に非ざりき人」になっており、皆等しく「」だと思います。
特に大戦後は「」度が桁外れにアップしています。
これを良いと見るのか、悪いと見るのかは個人の判断に任せますが、「」が「」を「」と言って差別している状態なんですね。
どっちもどっちの状態です。つまり、個人的なレベルの高い人が勝利するんです。(狭義的にですが)
腕力や脅しなどで同和政策の甘い汁をすすっている人がいるのも、地域に住んでいるから差別されている人もいるのも、それが今の現状です。
別の見方をして「」を「日本人」とはめ変えて見ましょう。
「日本人」が「日本人」を「日本人」と言って差別している状態って、可笑しいでしょう。
明治政府が四民平等などするからいけなかったんです。人類平等にすれば良かったんではないかと愚考します。(無理でしょうが)

白土三平の諸マンガや峰隆一郎の小説などがお勧めです。
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「」と「」という言葉について補足しますと、


は明治時代や昭和初期に使われた「細民」「特殊」や
現在でも使われる「被差別」の略です。
携帯電話を携帯と略すようなものです。
ネットで検索すると東日本では本来の集落という意味で普通に
使われるとよく書かれていますが、私の地元の鳥取県でも
郊外や郡部では部落会とか部落長という言葉が時々使われています。
それぞれ自治会、自治会長という意味です。

「」は同様に「地区」の略です。
これは同和対策事業が行われた地区を指す行政用語です。
2つを合わせて俗に「」と言ったりすることもあります。

また、現在残っているとされる差別ですが、
非科学的な迷信は既に消えていると思います。
の人は穢れているとか、地面を掘ったら血が出てくるとか、
本気で信じる人はまずいないのではないでしょうか。
また、生活や経済状況は同和対策で相当改善されました。

おそらく現在の差別の実態は、直接的な差別というより2次的なものだと思います。
具体的には、は差別されているという風評が広まっているために、
自分がの人間と同一視されると自分も差別されるのではないかという不安です。

残念ながら、少なくとも我が鳥取県に関しては
そういった風評を広めているのは少なくとも人権啓発を行っている行政や、
解放同盟といった運動団体と言わざるを得ません。
これは紛れもない事実なので書きますが、
教職員や運動団体が教育や啓発活動の場で、具体的なの場所や
誰が民であるかを明らかになるようなことを
公の場で教えている実態があります。
また、鳥取県に限らない話であれば民に対しては
あなたは民であると教える教育が行われています。
これは実際に私が地元で幼い頃から目にしたことです。

地域によってはさすがに地元の反発が強くて
このようなことは陰をひそめつつあるようですが、
我が鳥取県については、今すぐなくすことは難しいでしょうね。
同和対策が行われた頃に教育だけでなく、公共事業など行政のあらゆる制度に
誰が民かそうでないかを分けるしくみが組み入れられてしまっていますから。
もっと具体な話があるのですが、とりとめなくなってしまうのでこの辺で。
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といっても、地域によって起源は異なります。


おそらく最も多いのは江戸時代以前に「えた」や「」身分の人が集められた集落です。
江戸時代に飢饉などの理由で他の地域から流れてきた人が集まった、今で言えば「難民キャンプ」のようなところもあります。
あるいは、そのような集落から開発等のために他の地域に移住した人で作られた集落が、移住先の地域から被差別とみなされることもあります。

では、なぜ差別の対象となったか言えばいくつか理由があると思います。
1つは江戸時代の政策的な差別の名残です。
「えた」や「」身分の人々は、政策上他の身分とは隔離されていました。
もう1つはの生活環境や経済状況によるものです。
歴史的経緯から生活、教育、経済の面においても非常に状況が劣悪だったことです。
その結果として犯罪に走ったり、ヤクザが多かったために周辺の住民からは評判がよくありませんでした。
もう1つは、よそ者に対する排斥です。
例えばある地域のがその地域にある移住者のをさらに見下すといったことがあったようです。
都会の方にはピンと来ないかもしれませんが、
田舎に対する悪いイメージを想像すれば、少しは理解できますよね。

この質問に対して様々な回答があるのは、
実際のところ、の歴史や差別の起源について定まった学説というのはないからです。
地域によっても違いますし、奈良時代からの歴史があるとも言われているので
はっきりとしたことは分かっていないことが多いのです。
なので、差別があるとされる地域でも、
理由はよく分からないまま、あたかも都市伝説のように
あそこはだと陰でささやく人がいる、というのが現状です。

ただし、はっきりしているのは1960年代に開発から取り残されていた
のインフラを整備するため、あるいは差別をしないよう
地域住民を啓発するために、法的に「地区」としての場所を
行政が把握していたことは事実です。
これが同和行政というもので全国レベルでは2002年まで行われていました。
以降も、条例を制定して同様のことを行っている自治体が多いです。
参考URLをご覧ください。

同和行政は地区の開発のために費用の2/3を国が出すというもので、
この予算を獲得するために地区のある地方では何でもあり状態で
時には不正も行われました。
それが大阪の飛鳥会事件や、奈良市の病欠職員という形で明るみになってきたわけです。

現在も差別が続いている、というのは同和行政に一部失敗した部分があるためだと私は考えています。
そのことを大っぴらに主張しても当事者の方々が真剣に受け止めようとしないし、
同和行政とあまり縁のなかった地域の人々に理解されないことが歯がゆいところですけどね。

参考URL:http://blhrri.org/kenkyu/data/jourei/jourei.htm
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私の母方の田舎のほうにも、その名称でよばれる地域がありました。


町よりすこしはなれた場所に、そのはありました。

都会の人間の目からみると、ある程度大人になったら、東京とか大阪にでてしまえば、素性もそれほど問題なくなるようにみえます。
ただ、この問題を扱う番組をみていると、
・その地域の人々の意識の中にその出身であるという意識があり、それがくさびのように土地と結びついている
・親もその意識のためか、職業もそれなりの職業になってしまう
・収入も高くなく、住んでいる地域が離れているため、子どもの学習や意識もなかなか改善しない
など、悪循環にはまってしまうようです。

例えはよくないですが、私はその番組をみていて、会社にもこのような部署や、せかっくのチャンスをつかまず向上心も学習心もない社員がいるが、にてるなあ、と思いながらみていました。
そして、これは社会にはどうしても存在する影の部分であると同時に、自分たちでは這い出せない、社会も改善しにく、不思議な空間にも映りました。
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>なぜ、差別を受けているのですか?



中国から入ってきた律令制度が引き金になったのではないかと思えます。


>の歴史はどのようなものなのですか?

民俗学の方から研究をした人がいます。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81 …

もののけ姫の映画を作った宮崎監督も恐らくこれを読んだと思えます。

もののけ姫の映画の中に、ある集落があり、そこには女たちや全身包帯に巻かれた人たちが暮らしている描写があります。
彼らは何者なのか。



身分制度ができて差別されることになる前は、何者だったのか。

昔、日本列島は一つの権力が全体のトップにいたわけじゃなかった。
各地に豪族がおり、民族が違い、それぞれのグループにはリーダーがぎて、その元に暮らしていた。

大和朝廷というものが大きくなりだし、地方のグループを吸収していった。
そかし、大和朝廷を奉わないグループもいた。
この大和朝廷を奉わない人々の総称が<蝦夷>。
蝦夷人ってわけじゃないんですね。

大和朝廷に奉わない人々は、大和朝廷と戦い負けて吸収されていったわけです。


NHKで、日本人の源流みたいなものを観たことがあります。
日本列島にはいくルートからも人々が移り住んできた。
南方より来た人々、ロシア方面から来た人々など。
北の方から来た人々は、針葉樹林が多い場所で、自然界の恵みを受け、取れるものを食べていた。
そこに大陸から来た鉄の文化を持つ人々がやってきて、その鉄製品を使い、木々を切り倒すことがそれでできたので、開墾していった。

ところが、先住民がいて、小競り合いになるわけです。
鉄を武器にもできる相手ですから、戦っては勝ち目がない。
しかし、自然が守ってくれる。
彼らは、鉄製品を使っても開墾が困難な場所に身を隠すわけです。
すると住み分けが起こるわけです。

しかし、人々が増えていくと、領土拡大が必要になり、また畏怖する何者かが森林に潜んでいることが心を乱すため、討伐したりしていた。

人々が集まると村ができ、町ができ、それらの人々を統率する豪族ができ、やがて大和朝廷という大きな国家みたいなものができる。

しかし、大和朝廷に服従しないグループはいくつもいた。

http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/kisoc …

http://www.ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku …

もののけ姫に登場する少年アシタカ。
彼は大和朝廷に奉わかなった集団の子孫として描かれている。
http://www.ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku …

サンを育てたモロたちのグループは恐らく山神一族とされた人々を当てはめているのではないかと。
犬じゃなく人間。

乙事主をリーダーとする一族はの九州の一族。
動物のイノシシじゃなく、人間。


アシタカの村を襲った蜘蛛もやはり人間。


日本の風習は穢れを忌みますよね。
大陸と貿易などをしていたグループもおり、人が流れると病気も一緒についてくる。
タタラ場にいた包帯グルグル巻きの人々は、病気にかかり、グループから排除された人々。

エタという言葉がどこから来たのかと思いましたが、
<ここでは神聖な泥水に浸かった男が、里に降りて幸福をもたらすと言う。その泥水を「ニタ(ニッジャ)」と呼ぶ。ニタとは、古来、猪が虱を取るために浸かる(「ニタをうつ」と言う)場所を指す言葉である。>
のニタが変化してエタになったのでしょうか。


タタラ場の女たちは恐らくこの映画では、とされた元権力者として描いているのではないかと。
   ↓
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81 …


古代の人々のほとんどは農民だったとされるが本当にそうなのか。

http://www.amazon.co.jp/%E7%95%B0%E5%BD%A2%E3%81 …
などを読むと、兼業だったと思える。
農業を専業とせず、農業の合間に商業もしていた。
それが律令制度により、仕事を分けられ、身分というものが権力者から押し付けられ、庶民はここで仕事による人を差別をするようになった。


つまり行政により大きな差別問題がひきおこって、現代まで後遺症は残っているわけです。

その一つが蝦夷討伐で、何度目かで成功し、彼らを一定の地域から出ないように留め置いたんですね。

遊女もそう。
各地を自由に旅行できていた帝すらものいいできないほどの権力者だったが、律令制度により身分を落とされていき、果ては遊郭に閉じ込められるまでになった。

といっても、彼女らはだと偽って踊って稼いでいた偽者だったのかもしれませんが。


差別される側にまわらずうまく成功したと思えるのは歌舞伎。
が行っていた芸術をうまく使い、権力者に取り込んでいって保護されていったわけです。


このように差別されるに至った人々は一種類じゃない。
卑しいとされた仕事をしていたからじゃない。
大和朝廷に服従しなかった人々が悪い人だったからでもない。
神と人の間に座する仲介者とされた人々が、穢れた人々だったからでもない。

制度により、差別が起こったわけです。
豪族が統一しようとし、他を排除していくか吸収していくかしていき、負けた方が差別されるものになっていったりもした。

つまり勝った方が負けた方を差別しただけで、悪いことをしていたから差別されて当然だったからじゃない。
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この問題は歴史の暗部に属する問題です。



古代から血を汚れと見なす風俗から発している部分もあり、死体を扱う業を特殊視するようになりました。
さらに流動的生活をして定職を持たない人々(狩猟民族や散民)も含まれるようになりました。  大和民族以外の蝦夷、隼人、などの渡海人の子孫も含まれました。  
その流れが歌舞音曲に従事する人(出雲のお国や歌舞伎役者の一部)にまで広がったのです。

中世にはこれらを特殊視するまでには至りませんでしたが、これらの人々が次第に集団化し一定の地区に定住するようになると周辺から区別が生まれるようになったのです。
楠木正成がの民の首領であったとする説もありますが、彼が功績抜群なのに冷遇されたのはその為ではないかという説もあります。

一般人と区別するようになったのは江戸時代からで階級制度で人にあらずという階級を作りだしたからです。
ある種の職業に従事する人をとして区別した習慣が定着してしまいました。  彼らとの婚姻を避けるように成り、その結果血族結婚が増え、遺伝学的なリスクも増加しました。

これらの総合的な結果が現在に残ってしまったのが現状です。
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私は関西出身なので学校の道徳の時間に習いました「にんげん」という教材があったのを覚えています。


東日本ではこの様な教育がなされていないこともあっての存在自体を知らない方も多いし、在日朝鮮人・韓国人への差別と混同されている方も多いようです。
まずは江戸時代からとの間違った説が流布しているのも認識不足が原因と思います。江戸時代は士農工商○○・●●と制度化されただけで、発祥は中世以前にさかのぼります。
(○○、●●は放送禁止用語で漢字変換しても一発変換は不可能です)
さておき、このような所で聞いても本質の1%もわからないでしょう。ネットで情報収集する、書籍を読む等で幅広い知識を得られることをおすすめします。

関係するキーワードとしては
・陰陽師・安倍晴明
・歌舞伎・歌舞伎者
・破戒(島崎藤村作)
・橋のない川(住井すゑ作)
・ 野中広務 差別と権力(魚住昭著)
・手紙/チューリップのアップリケ(岡林信康詞曲)
・鶴の恩返し(民話)
・信太の狐火(民話)

・解放同盟(解同)

・士・農・工・商・○○・●●
・狭山事件
・八鹿高校事件
関連する、政治・思想・利権団体が複雑に絡んでいます、迂闊に関係者に近づかず、ご自分の目と耳で調べてください。
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この回答へのお礼

関西では小学校からこのような問題を取り上げているのですね。
それだけ身近な問題ということでしょうか。
江戸時代からの問題とばかり思っていたのですが、中世までさかのぼるとはビックリです。
本当に歴史のある問題なのですね。

やはり自分で調べた方がより多くの知識を得られるようですね;;
たくさんのキーワードも挙げていただいたので、それを参考に調べてみようと思います。
自分は安倍晴明とか結構好きなのですが、問題に関わりがあるとは驚きました。
他にも歌舞伎とか、島崎藤村とか、民話とか、聞いたことのあるキーワードも多く含まれていて、身近な問題だと感じました。

有り難うございました。

お礼日時:2007/12/22 15:13

1:非科学的な迷信。


江戸時代は非科学の時代ですから。

2:江戸時代に置ける都市部での政府御用達の3K業務。
現代でも3K職業は嫌われますね。
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この回答へのお礼

迷信から出来てしまった身分・・・みたいな感じでしょうか?
江戸時代は今よりも神様とかを信じていたみたいですから、ありそうな話ですよね。

3Kというと、危険・キツイ・汚いとかの3Kでしょうか?
確かに今でも進んで就きたい職業ではないですね;

有り難うございました。

お礼日時:2007/12/22 15:09

質問内容から、勝手にお若いかただと想像して・・・



まずは、「橋のない川」という映画をご覧になってみて下さい。

重いテーマですが、渡部篤郎さんや中村玉緒など、よくお見かけする役者さんが出演されているので、入りやすいと思います。

映画を突破口に、その後、深く掘り下げた書籍などを読まれると理解しやすいのでは?
http://www.cine.co.jp/works1/bridge/index.html
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この回答へのお礼

まだ大学生なので、若い人だと思います。
ご紹介いただいた映画も知りませんでしたし・・・

「橋のない川」見てみようと思います。
確かに映画なら見やすそうですね。
URLも載せていただき、有り難うございます。

映画を見てから、詳しく書かれた本で調べてみようと思います。

有り難うございました。

お礼日時:2007/12/22 15:01

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