準・究極の選択

フランスのルイ14世が王権の権力の頂点にたったと聞いたんですが、この時代なぜ王の権力があがってきたのですか?

A 回答 (3件)

ご質問の主旨が、なぜ絶対王政が成立したのか?


なのか、ルイ14世が絶対主義を行使ではたのはなぜか?
のどちらかなのか理解できませんが。

フランスの王権は、非常に弱い状況からはじまりました。
フランス王権が強化されだすのは、フィリップ2世(1180年~1223年)からです。
フィリップ2世により、フランス最大の貴族プランタジネット家の所領を併合した事にはじまります。(ジョン欠地王の領土)
さらにアルビジョワ十字軍により、南フランスの有力諸侯であるツールズ伯やフォワ伯などを臣従させる事により、一挙に王権が強化されます。
これらの事により、フランス貴族は、王権に寄生する事になってゆきます。
その後ユグノー戦争(1562~98年)、フロンドの乱(1648~53年)などにより、さらに有力諸侯が没落し、王権に対抗できる勢力が全くなくなり、フランス国内において、国王の絶対性ができあがります。
また、ルイ13世時代の宰相リシュリュー、その後を継いだマザランによる政策により、フランスの国力がヨーロッパ最強となった事で、特にフランスでの王権の強化が目立つ事になります。
リシュリュー、マザランの時代、それまで最強を誇っていたスペインが財政的に破産状態で、国力を落としていましたし、イギリスはピューリタン革命から名誉革命の時代で、全く外に影響力を与える情況ではありませんでした。
ドイツにおいても、三十年戦争のために国力が尽きていた時期にあたります。
有力諸侯の没落、競合国の国力低下、有能な宰相によるフランス国力の向上が、ルイ14世の絶対主義の基礎となったのです。

ちなみにイギリスにおいての絶対王朝は、チューダー朝で、これはバラ戦争によりイギリスの有力諸侯の勢力が低下した事によります。
スペインにおいてはハプスブルク朝で、イサベル(イサベル1世)とファナ(ベルトラネハ)との抗争、反ハプスブルク派の反乱などにより、やはり有力諸侯の没落と、新大陸からの銀により絶対王政が成立しています。
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大貴族がつぶし合ったからです。


日本の戦国時代が、トーナメント戦を戦って、信長ー秀吉ー家康と権力が強くなり、前時代の室町将軍とは比較にならないほど、徳川将軍は強い権力を握りました。
フランスでは、
1453年のボルドー陥落で百年戦争が終わりますが、これは言い方をかえると、フランス王よりフランス内で領土を持っていたイギリス王家を追い出して、フランス王が領土を確保したことになります。

カソリック・プロテスタントの争い、三アンリの争いなどで、各勢力がつぶし合い、最後にブルボン朝のアンリ四世が1589年に即位します。
時代的にも、徳川家康の将軍即位1603年に近いですが、フランスでも、ブルボン朝がトーナメント戦を勝ち残ったわけです。
で、そのアンリ四世の孫がルイ14世、1643年に即位するわけです。
ちなみに徳川三代目、家光が1623年に将軍になっています。
祖父や父親ががっちり固めた土台で、やりたい放題できたのが、ルイ14世という事になります。
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主に宰相のリシュリューのおかげです。


彼の才能のおかげでフランスは
中央集権化が進み、王権が強化されてのです。
彼の遺産を受けついで、度重なる戦争で
食いつぶしたのが太陽王ルイ14世です。
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