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なぜ、ジーコは、1991年に日本の日本リーグ2部の住友金属に入団したの?

ブラジルの10番をつけてワールドカップに出場したジーコが、1991年当時、世界的には、南米、欧州とか・・サッカー先進国ではなく、サッカー後進国の日本になぜ、来たのか?・・それも日本リーグ2部の住友金属に???

教えてください。

A 回答 (4件)

 これについては、ジーコ本人がTVで話していたので間違いないとおもうのですが


当時ジーコの元にはいくつかのオファーが来ていたそうです。 しかし、どれも選手としてのオファーばかりでチームづくりから参加して欲しいと言うオファーは、住友金属だけだったそうです。 銭金ではなく情熱の問題のような発言をしていたように記憶しています。
 
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プロ化を目指していた当時の住友金属はチーム改革ができる人材を捜していました。

ジーコの価値に似合うだけの年俸を払えるだけの資金は無かったようですが、ジーコもその頃はもうすでに一度現役を引退した後だったので、彼自身も納得し、それなりの条件で契約したようです。もうひとつはジーコは「プロリーグのための日本サッカーの発展と改革」なるテーマの要請を受け、当時プロチームのなかった日本の選手にプロの精神を教える意識改革の役目も果たしていたと思います。よってプレーイングマネージャーとして選手と指導者の二足のわらじを履いて活躍しました。住金は鹿島の前身ですが、弱体チームが日本の頂点を極めるまでに躍進したのは、ジーコの改革があったからだと言われています。今回代表の監督に選出されたのも、このような実績を日本のサッカー界に明確に残したことが評価されたためだと思います。
余談ですが、
Jリーグができてからは、各チームが海外の名の売れた選手達をこぞって入団させましたが、それでも30歳を越えるような選手達が多く、海外メディアからは、彼らは皆、選手としてのプライドを捨て、お金のために日本へ行くという、Jリーグは年寄り外国人選手のための「年金リーグ」などと、その当時は最大級にバカにされていたものでしたよ。
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すでに引退してしまった選手にビッグマネーを提供したのが住友金属だったんじゃないでしょうか。



そんで、ジーコもJリーグなんかを経験しているうちに、彼の日本における使命みたいなものを感じたんじゃないでしょうか。
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当時ジーコは現役を引退してブラジルのスポーツ大臣に就任していました。


しかし、サッカー後進国の日本をレベルアップして欲しいと言う願いをかなえる為に、大臣のポストを辞めて日本に来ました。
個人的に思うのは、引退はしたものの多少の未練があり日本ならばまだトップレベルでのプレーができると言う考えも少しはあったのではないかと邪推しています。

住金を選んだ理由は覚えていませんが、少なくとも正式にオファーを出したのが住金だったのでしょう。
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