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目に見えるものの認識というのは必ず以前の認識に規定されているので瞬間的なものではなく連続的なものであると思います。しかし直観的認識というのは以前の認識に規定されることのないという意味で感覚与件と同義であると思います。
つまり認識には既成の概念が必ず含まれているので直観的認識というものは在り得ないということになると思いますがどうなんでしょうか。

A 回答 (14件中11~14件)

直観的認識と言われるものに既成の概念が必ず含まれているからと言って、その存在が否定される理由にならないでしょう。


認識論と話がずれるかもしれませんが、もし、そうであるなら人間の発展的創造的思考の源泉が見あたらないように思えます。既成の概念は不可欠とはいえ、既成の概念だけではメルヘンは出来ませんし、芸術も生まれないんじゃないでしょうか。
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直観は存在すると思いますが、誰もが理解できるように説明する能力が低いという点で、概念より劣る認識方法だと思います。



人間の感覚器は目だけではありません。例えば、医学的知識のない人が、右脇腹に痛みを感じた場合、これは概念把握ではなく直観であり、しかも過去の体験がないだけに以前の認識に規定されることはありません。この事象は、十分に「認識」の範疇に入るため、直観は存在するということになります。
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追記、



思い込みとか誤謬ってそういう観点で考えると極めて創造的ですよね。
たとえば、普通は思わないことを真剣にそうに違いないと深く思い込むと
現実そのものがそういう状況に流れていく経験ってありませんか?

例えば、まったく些細なきっかけで、恋人の行動に不審な影を感じ
なんとはなしに、後をつけたり・・なんて行為そのものがもはや
自分が寝取られ男の筋書きを自作自演しちゃってますよね。

いや直感的認識で、これはヤバイと思った・・・ってのはあとから
つけた言い訳で、完璧にマイナーなシナリオを自分が選択しちゃっている。

ネガティブな思念って本当にすぐに現実にかわりやすい。
直感的に当たると感じて買った宝くじはおろか馬券だってあたりゃしない。
今が買い時と買った株が2倍になるのは、ビギナーズラックか
百戦錬磨の経験の賜物かどちらか。
過去を参照しない、経験則にたよらないから現実が素直に現出する
という見方も正しいのかも。

たとえば、ある日出口なおとかいうおばちゃんが、自動筆記をはじめるとか
モハメッドさんが,神の啓示で教祖になるとかいうのも、それが思いつきや
誤謬から起ったことであっても、何かの連鎖と深い思い込みでどんどん
実現していくとしたら、そりゃ極めて創造的な生き方であります。

文学作品のいくつかは、本人が書いたというより、ユングの言うところの
集合無意識によって書かされたと作家自らが言うものが少なくないですね。
浅田次郎 蒼穹の昴  荒俣宏 帝都物語  ちばてつや あしたのジョー

外界の現象が自分の意識の創造物というのは唯識論の世界観で
これは仏教の根底にも流れている考え方でもありますが、
直感的認識とは、実は二種類あって、自分が創造した自分の意識の結果
としての現実からの刺激によってスパイラル的に想起される認識と
まったく別のところから汲み取ってくる概念としてのそれと二種類わけて
考えるべきかもしれません。
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知覚、感情、意思という概念で私は考えています。


知覚(感覚与件)で得たデータは、不安、喜びなどの感情を想起させ
意思という行動につながる段階に至ると思います。
その過程を総合的に認識と呼ぶのだと思います。

カラコロと餌箱のなる音
先に条件反射として摂食中枢が刺激・・・しっぽを振って喜ぶ
急いで台所に駆け寄る犬。
犬には経験則で得た反応以外、天啓のようなひらめきはあまり
なさそうです。

見えるものの認識は過去の知覚から意思にいたる過程で一定の
カテゴリが与えられています。
みたことのないものにも実は憶測類推が働いて、何らかの反応・感情の
想起につながる。
しかし、人には記憶が蘇って嫌な気分になったり、思い出し笑いをしたり
ということがある。全く過去の経験則とは無関係に、一つの刺激、あるいは
思考の発展から急に不安になったり恐怖心に襲われたり、逆に楽観的に
気分がよくなったりします。

世間一般でいう直感的認識は、たとえば人とすれ違った2秒間でその人が
かって会った事のある人であるということを識別して思わず立ち止まるという
ようなケースをさす言葉で、単なる思い付きや天啓というようなレアケースの
話ではないように思います。
一流シェフの料理の火加減、ソムリエの味覚と嗅覚による瞬間的識別
ベテラン刑事の被疑者を見る目。どれも過去の研鑽のたまものだったりします。
経験にうらうちされない直感的認識はありえないでしょう。

ですから直感的認識は過去の経験知の総和の生み出すもので、経験なしに
直感的認識はありえないという表現が正しいと思います。

逆にいうと認識というのは生ぬるいうだうだした思考の結果行き着くものでなく
常に、瞬間的に想起されるものと言うべきかもしれません。
実際、人にとって、思考を2分以上集中させることは難しく、常にあらぬことを
思い浮かべながら考えたふりをしているのだと思います。
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