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北京五輪を契機として、チベット問題に関心を持つようになりました。

調べてみたのですが、現在、パンチェン・ラマ11世という方は二人同時に存在しているようです。

一人はダライ・ラマ14世が正式に認めた方ですが、中国政府の策略なのか、両親ともども行方不明になっているようです。

で、もう一人は胡錦濤政権が正式に認め、現在チベットで活動中の方です。

表面上は後者の方は何となく中国政府の傀儡のようなイメージがあるのですが、実際はどうなんでしょうか?

例えば、ラサやシガツェ市内のチベット人たちはダライ・ラマ14世の写真を極めて大切に扱っていますが、パンチェン・ラマ11世の写真に対してはどうなんでしょうか?

それと外国人特派員に対して命懸けで訴えをしているチベット僧たちは、パンチェン・ラマ11世に対してどんな思いでいるのでしょうか? やはり崇敬の念で接しているのでしょうか?

もしかしてダライ・ラマ派とパンチェン・ラマ派で、チベット仏教界が分裂しているという可能性があるのでしょうか?

パンチェン・ラマ11世に関しては、日本では全く報道されないので、質問してみました。

A 回答 (1件)

仰るとおり、パンチェン・ラマが二人存在するという事態になっています。



パンチェン・ラマとは、ダライ・ラマに次ぐ地位にある人で、ダライ・ラマと同様、前任者の「生まれ変わり」と認定された人が、その地位に就くことになります。
で。ダライ・ラマが死去したりして空位になったときに、チベット族を導き、新たなダライ・ラマを認定するための重要な役割を担うことになります。
ダライ・ラマもパンチェン・ラマも、幼年の頃に即位するので、まともに政治できるまでは後見人が必要となります。
なんで、ダライ・ラマ>パンチェン・ラマの二人三脚で政権運営をしていると捉えれば良いかと思います。(ダライ・ラマが空位や幼い間は、パンチェン・ラマが代理を務める)

中国はこの事実に目を付け、自分の意に適ったパンチェン・ラマを認定しておき、その後、ダライ・ラマ14世が死去したときに、傀儡政権としてのダライ・ラマ15世を作り上げるのに利用しようとしてるんでしょう。

というのも、毛沢東政権の時に、徹底してチベット仏教を弾圧した結果、逆に反発を強めたため、逆にパンチェン・ラマ10世を使って懐柔政策をとろうしました。
その結果、ダライ・ラマ14世は亡命せざるを得なくなりました。
しかし、パンチェン・ラマ10世が中国の完全な言いなりか?と言われるとそうでもなかったようです。
心境の変化か、彼は後年に「ダライ・ラマ14世こそチベットの指導者」と発言したりして、結局中国側に身柄を拘束されたようです。
その後、解放されたもの、パンチェン・ラマ10世は、1989年1月28日、まれなチベット訪問中に心臓発作で死亡しました。

彼の死によって、空位となったパンチェン・ラマの後継を探しが始まったとき、またもや中国政府とチベット亡命政府側との駆け引きが始まりました。
もちろん、中国側は中国政府に忠実なパンチェン・ラマを、チベット亡命政府側はチベット亡命政府に忠実なパンチェン・ラマを。

つまるところ、チベット支配には「ダライ・ラマ」の存在が欠かせないことに遅まきながら気付いた中国政府は、なんとか傀儡となる「ダライ・ラマ」が欲しいといったところでしょう。
そこで、まずはパンチェン・ラマから・・・という遠大な政治戦略なようですね。

http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl.html
http://cruel.org/economist/tibet.html
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この回答へのお礼

有難うございました。
ダライ・ラマ14世の年齢を考えると、このパンチェン・ラマ11世という方が、今後のチベット情勢を左右する大きな存在になってきそうですね。
ただ、11世が本当にチベット仏教の最高指導者となった時、内部で争いが起こる可能性はないのかなと心配になります。
外部から見ると、11世はどうも中国政府の傀儡のように見えて仕方ありません。
本当にチベット人民、チベット僧の尊敬の対象になっているのか、知りたいところですね。

お礼日時:2008/04/15 10:54

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