プロが教えるわが家の防犯対策術!

戦死した祖父の、亡くなった場所に行きたいと思っています。
兵籍簿を取り寄せて、亡くなった病院と年月日までは分かったのですが、その病院のあった場所が分かりません。

兵站病院を調べたところ、テント貼りの野戦病院だったようで、移動していたようです。
亡くなった日は敗戦直後の8月20日で、湖南省衡陽県橡皮塘第七十二兵站病院というところです。
(橡皮塘という箇所は見間違いがあるかも知れません)

祖父は祖母が私の母親を妊娠中に出征し、敗戦の日にこの病院に入院して、わずか5日後に亡くなっています。
私も人の親となり、子供の顔も見れずに亡くなった祖父の無念さや母親の父を思う恋しさの気持ちが分かる年齢になり、母親がまだ動けるうちに連れて行ってあげたいと思っています。

第七十二兵站病院が8月20日の時点でどこに所在していたのか、情報をお持ちであればぜひお願いします。

A 回答 (2件)

>第七十二兵站病院が8月20日の時点でどこに所在していたのか‥



 ということですが、同病院(桜第1366部隊・院長川端軍医中佐)は終戦時、確かに湖南省衡陽県に所在していました。ただ、その地名については、かなりの年月が経過していますから区画整理等ですでに消滅しているかもしれません。
 
 同病院については、在院者の回想録が出版(非売品)されています。

 http://www.kosho.or.jp/list/311/05889416.html

 わたしは、以前福岡県立図書館で読んだことがあります。まだ蔵書として保管されているなら、取り寄せて閲覧することが出来ます。最寄の公立図書館を通じてなさってはいかがでしょうか。

 
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この回答へのお礼

兵站病院って地区ごとに通し番号が付いているようですので、「第七十二兵站病院」は沢山あるものと想像していたのですが、違うようですね。
川端軍医中佐か、その部下の軍医さんにお世話になっていたのでしょう。

NO1の方に記載しましたが、手記を注文しました。
届く日が楽しみです。
書き込み有難うございました。

お礼日時:2008/04/21 20:20

『隊員の手記, 第七十二兵站病院』


という関係者が書いた戦記があるようです。
また、防衛研究所に行けば部隊の行動記録と解散場所などが記録保存されているかもしれません。
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この回答へのお礼

お礼を書き込んだつもりが書き込めていませんでした。
申し訳ありませんでした。
『隊員の手記, 第七十二兵站病院』に付いては、早速注文しました。
手がかりがあれば良いのですが、仮に無かったとしても同じ病院におられた方の手記ですので、不思議な懐かしさがあり、後悔はしません。
防衛研究所に付いては、全く知らないことでしたので、情報に感謝しております。
今年の命日(仕事の都合で2週間ほど前になりますが)には靖国に連れて行くつもりですので、寄ってみます。
書き込み有難うございました。

お礼日時:2008/04/21 20:24

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