下関戦争における日本からアメリカに支払った賠償金について、アメリカのアーサー大統領は、明治16年その金額が不当に高価すぎるとして、日本へ返還決定しました。
しかもその経緯は、アメリカフィッシュ国務長官が自分から、日本の森有礼に状況を伝えてのことだとか。
当時のような帝国主義が当然のような情勢の中で、しかも弱小国日本に対し、アメリカがこのような決定をするなんて、あまりにも殊勝な感じがして違和感を覚えるのですが。
このような決定がなされた経緯には、なにか特殊な事情があるのでしょうか。
それともこのような「正義」は当時の国際社会でも当たり前になされたことなのでしょうか。
※今日、21日に先に私が出した質問とは無関係の質問です。
質問連発で申し訳ありません。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
質問者さんの先の質問に対し、下関事件も日本開国の大きな理由の一つと答えた者です。
下関事件の賠償の返還はアメリカ政府の好意やフィッシュ国務長官の義憤によるものと言うよりも、南北戦争で北軍の総司令官を務め、後にアメリカ合衆国第18代大統領になった、ユリシーズ・S・グラント将軍の尽力と言われています。 北部を勝利に導いた英雄も、大統領になってからは、相次ぐ汚職事件にまみれ、政治家としての評判は芳しくありませんでしたが、日本との関わりは深く、日本のよき理解者として知られています。 大統領退任後の1879年(明治12年)に世界視察旅行の最後の訪問地として日本に立ち寄り、明治天皇にも拝謁しました。 日本が国際社会の一員として独り立ちするにあたり、多大なる助言を与えたとも言われています。グラントは日本滞在中,各地で熱烈な歓迎を受け、東京の増上寺にはグラントの植樹した松「グラント松」が今も残っています。グラントは利権に血まなこになるヨーロッパ列強が融資を通じて支配をもくろんでいることを警告すると共に、米国を含む諸外国との間で結んだ不平等条約の改正について天皇に進言しました。 更に自らも、下関事件で日本が支払った賠償金が実費を大きく上回った強奪であったと認め、それを日本に返還する運動を熱心に推し進めました。 そして、グラントの努力で返還された賠償金は横浜築港費用に充てられました。 当時半農半漁の小村であった横浜が大桟橋を持つ立派な港を築くという巨大事業を行い、近代都市の仲間入りができたのは彼のおかげであると言えます。 日本政府はこれに感謝し、赤坂の土地を米国に貸与しましたが、これが現米国大使館の誕生です。
グラントが日本に興味をもったのは、大統領時代に横浜港から旅立った岩倉使節団と会見したのがきっかけと言われています。 使節団には岩倉具視(47歳)をリーダーに、木戸孝允(39歳)、大久保利通(42歳)、伊藤博文(31歳)など新政権の中枢をになう明治維新の豪傑たちがいました。 更に、留学生として、後に民権思想のリーダーとなる中江兆民や、後に津田塾大学を創設する津田梅子もいました。彼らの堂々とした態度や礼儀正しさ、新生日本の国造りへの強い思いがグラントを始めとする米国民の胸を打ち、日米関係の礎になりました。 当時は、日本にも立派な政治家や優秀な人材がおり、アメリカにもそれを素直に評価できるまともな人たちがいたという、今は昔のお話です。
先の質問にも大変参考になる回答をいただき、今回もまた大変詳しくお答えのお時間を割いていただき心からお礼申し上げます。
お察しの通り、先のご回答を契機に下関事件のあたりをwikiで読んでみて、今回の疑問が派生質問として出てきました。
それにしても、お話しを伺い、アメリカの偉人の中にそのように日本に好意を示してくれた方が居たこと。
そして、そのような理解者をわが国にもたらしてくれたきっかけになったのが、多くの偉大なる先人たちの若き日の情熱や行動ひとつひとつであったこと。
これらに感謝というか、ある種の感激を覚えました。
またこのようなお話を知ることで、あらためてこの日本という国にとって、若き優秀な人材の育成というものがいかに重要であるか。
さらにはその若き人材を育成する我々大人たちの責任と言うものを思い知らされた気持ちです。
それにしても、このお話しが現在の米国大使館の土地にまで話しがつながっているとは。
本当に興味深いです。
まさに歴史は綿々と現在の我々につながっているのですね。
今までこの「教えてgoo」をやっていて、ためになること、楽しいこともあれば、不快な思いをしたり、また私自身が恥を晒したり、ひと様に不快な思いをさせたりと色々なことがありました。
それでも時々、本当に「教えて」をやっていて良かったと思うことがあります。
今回の質問に、あなたからお答えいただいたことも、本当にやっていて良かったと思えるご回答でした。
本当にありがとうございました
No.3
- 回答日時:
No.2です。
過分のお礼を賜り、かえって恐縮です。 恥ずかしながら、先の回答は ”「横浜港の父グラント将軍」田中祥夫、日本経済新聞文化欄(2002.05.30)”を参考としたブログをほとんどパクったものです。 私自身下関事件の賠償返還の裏に掛かる話があったとは知りませんでした。 やはり、国の発展には優秀な人材と手を差し伸べてくれる諸外国の助けが不可欠と言うことでしょう。 仰る通り、人材の育成、しっかりとした外交が日本の未来を切り拓くのでしょうが、今の政治家や役人たちにそれを望めないのが日本の悲劇です。いえいえ、情報のソースはどうあれ、ためになるお話しをうかがえたことには変わりはありません。
本当にありがたかったです。
>今の政治家や役人たちにそれを望めないのが日本の悲劇です。
現状情け無い政治家や役人の話に落胆することが多いのは私も同様です。
しかしながら、我が日本国民に絶望したくないという気持ちも捨て切れません。
これからの若い世代に大いなる期待を持ち続けたい気持ちです。
No.1
- 回答日時:
以下のURLを参考にしてみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2% …
長州藩との講和談判によって、300万ドルもの巨額の賠償金は幕府に請求されることになり、幕府は150万ドルを支払い、明治維新後は新政府が残額を明治7年(1874年)までに分割で支払ったようです。日本から分割金を受領するたびに国庫に納めず国債として保管していた。その実情を明治5年(1872年)、フィッシュ国務長官(Hamilton Fish)が森有礼公使に伝えた事から、日本側では機会をとらえては返還の要請をしていたようです。国務長官としては、国庫に納められず裏金になっていることに義憤を覚えていたのではないでしょうか?正義と言えば正義ですが、どちらかというと責任逃れのように思います。
せっかく回答いただいたのに、申し訳ありません
実はそのwikiを読んで出てきた疑問なんです。
フィッシュ氏の義憤によるものというのは、歴史上言われている通説なのでしょうか、それとも回答者氏の推測ですか?
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