アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

企業に電話した時目的の相手が不在の為帰社時刻を訊ねた場合のことですが、応対した事務員さん等から『わかりかねます』と言われることがあります。
 自分の認識では『解ることが出来ません』と言う意味に思えるのですが…
 事務員さんは『解りません』を丁寧に言ったつもりなのだろうと思うのですが、釈然としません。正しい言い回しなのか、教えて下さい。

A 回答 (14件中1~10件)

「…(し)かねる」のような、他の動詞の連用形に付ける用法には、次の三パターンがあります。


(1)「…しようとして、できない。」、「…することがむずかしい。」の意味。
用例:「納得しかねる」、「何とも言いかねる」
(2)「…するかもしれない。」、「…しそうだ。」の意味。
用例:「反対意見を言い出しかねない」
(3)「断る。」、「拒否する。」の意味。
用例:「ご提案には同意しかねます。」

しかし、「わかりかねます」というパターンは聞いたことがありません。間違った用法です。

この回答への補足

丁寧で解りやすく、自分の認識と一致します。

補足日時:2008/06/16 00:05
    • good
    • 1
この回答へのお礼

自分では、おかしいと思いながらもうまく説明がつかなかったことなので、大変スッキリしました。有り難うございます。

お礼日時:2008/06/16 00:09

また追記です ( ^^



社員の帰社予定を尋ねたのに対し「わかりかねる」(理解不能/困難)ではとんちんかんな受答えだという点は前回お話した通りですが、これは要するに “話しが噛み合わない”(的確な回答でない)ということに過ぎません。

その問題とは別に、「~しかねる」では聞き手に違和感を与える ─ つまり回答内容自体は的確であっても、なおその表現が不適切だと感じさせることもあります。その点について少しお話します。

- 例 -
A: 来週の土曜日に家でパーティーをやるのですが、Bさんもいらしてくださいますよね。
B: いえ、残念ですがお伺いいたしかねます。

人によって受止め方に差異はあると思いますが、この答え方は単に都合が悪くて行けないというより、むしろ “行きたくない(参加拒否)” というニュアンスが漂います。

「~しかねる」は、辞書を見る限り単に不能や困難の意味と説明されていますが、実際の会話や文書において敢えて「~できない」の代わりにこの表現を使う場合、上記のように「物理的不能(困難)」(単にできない)よりも「心理的不能(困難)」(~したくない)のニュアンスを意識的に込めている場合が多いのです。

「お伺いいたしかねます」は、本音としては「行ってたまるか!」とか「行きたくなんかねぇ!」などと言いたいところを、そう言っては身も蓋もなくなるので、グッと抑えて婉曲に表現しているわけす。さもなければ、「いえ、残念ですがその日はお伺いできません」と言えば足りるわけですし、その方が「~かねる」と言うよりもむしろ感じの良い受答えです。


もう一つ‥
これは私の経験からですが、金融機関の融資担当者が顧客の借入申込を謝絶する場合、その理由は担保不足や財務内容悪化など様々ですが、いずれにしても普通は「今回はご希望に添うことが出来ません」などと言います。
「ご希望には添いかねます」と答えるのは、ネガティブな理由(過去に度々返済遅延実績がある等)によることが多く、この場合は「貸せる・貸せない以前に、あなたには貸したくない」との意を遠回しに伝えるのです。

以上のことから、良好な関係にある人から「パーティーに来てください」と誘われた際に「行きかねます」と回答するのは好ましくないと思います。そう答えた場合、言われた側は「私、何か彼女の気に障るようなことを言ったかしら‥?」と当惑する可能性があります。

以上ご参考まで ( ^^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

理解力に乏しい私の為に何度も追記していただき本当に感謝しています。併せて多忙にかまけてお礼の投稿が遅れましたこと、お詫び申し上げます。今後とも宜しくお願いいたします。

お礼日時:2008/07/12 11:20

補足ありがとうございます。



”「難しい」という意味で使われる「かねる」が単独で使われることが殆どなくなってしまっている上”などと書いてしまいましたが、
こういう場合の「かねる」は、昔から、もともと単独で使われるような言葉ではなかったようですね。
一般動詞と連ねないと使えない英語の助動詞と同じようなものらしいですね。
こういう場合の“かねる”は、“can't”や“can hardly”に相当しそうです。
>『わかる』+『かねる(難しい)』ではなく『わかる』+『かねる(不可能だ)』と考えると やはり文意が伝わらないと思うのですが。
――『わかる』+『“can hardly”:hardlyにできる(※) →極めて難しい →ほとんどできない =実質的に不可能だ』と考えればいいのではないでしょうか?
(※ Nobody knows =0人が知っている.can hardly =およそ0%の確率でできる.肯定文で否定を表すいかにも英語らしい表現。)

「極めて難しい、ほとんどできない」と「不可能だ」では意味が違うはずだから、それを混同した言い方などあるべきではない、という思いがあるかもしれません。
一つの単語なり言い回しなりの成立というものは、一つの絵画や一つの音楽作品の成立に似たところがあると思います。一つの絵画は言語や音楽には直せません。また、他の絵画にもできません。一つの音楽作品も言語や絵画には直せません。これもまた他の音楽作品にできません。「アレンジできるではないか」と言われそうですが、アレンジされたものは既に別の作品です。ある絵画なりある音楽作品なりは、他の方法では表現しようがないから、その形をとって表れたのです。ある一つの言い回しも、他の言い回しでは表現しようがないから、ある気分を表現するよう役割を担わされて成立するわけです。「極めて難しい、ほとんどできない」でもなく、「不可能だ」のどちらでもないが、そのどちらの意味も兼ねている言い回しとして、成立した当時は切実に必要とされたので、「…しかねます」が成立することとなったのでしょう。
言葉は論理学ではありません。“can't”と“can hardly”が実質上同じ意味をもっているからといって、“can hardly”を廃してしまえというのは些か乱暴であるようです。(*)
(言葉が論理学でないこと、言葉には厳密性を期待できないことの例として、例えば、…「いま」って、いつなんでしょう? 「い」を言った時でしょうか? 「ま」を言った時でしょうか? 「いま」を言う直前でしょうか? 「いま」を言い終わった後だとして、言い終わってからいつまでが「いま」でしょうか?)
次の質問の6番目の回答を参考にしてください。きわめてすぐれた回答です。
http://qanda.usfl.com/qa3970484.html 「“99%確定”って言葉おかしいですか?」

(*「…しかねる」は先述したように、私としては、日常的な言い回しとしてはなくなっていってしまったほうがいいと思っています。ビジネス上の会話で「ござりまする」などという言い回しを使われてしまったら、「何の意図があってこんな言い回しをするんだろう?」と、無駄な注意力を使わされてしまって、肝心の話している内容の方を把握しにくくなってしまうのではないでしょうか? 「…しかねます」も、「ござりまする」ほどではありませんが、既に擬古的な雰囲気を漂わせつつある言葉になっていると思います。「釈然としない言い回しだなぁ」というような思いを抱かせて、意思伝達に障碍を生じさせてしまうぐらいなら、「わかりかねます」ではなく、「申し訳ありませんが、わかりません」と言ったほうが良いだろうと思われるのです。)

また、「知る」という意味で「わかる」という言葉を使うのはおかしいではないか、という指摘があるようですが、次はそのことについて。

帰社時間というものは考えてみて答を導きだせるようなもの、「解る」ものではない; 既に知っているか、これから知るか否かのものだ; 帰社時間を『知ることが出来ません』と言うのなら得心できるが、『解ることが出来ません』とは何なのだ!ということなのでしょうが、それについては、「知る」と「わかる」の境界が曖昧なのだ、とお答えします。

英単語の“see”も、「見る」「分かる」「知る」「知っている」という意味があります。見ることで――分かるようになり、見てわかったということは――真に知るということなのだ; 九九や天動説や進化論を暗記させられたり刷り込まれたりして「知識を得る[得させられる]」知り方とはまた別の知り方だ、…という発想があるのだと思います。

「あの人の名前、知ってる?」の代わりに「あの人の名前、わかる?」と使っても違和感はないと思います。人の名前なんて計算したり考えたりして「わかる」ものではないのに、「わかる?」ときくのはおかしい気もしますが、「頭の中にデータがある、それを照合して名前が判明する、すなわち“判る”」という意味などでの「知る」は、「わかる」の守備範囲なのでしょう。

実生活での言葉の使用においては、言葉に染み込まされているもの、言葉から想起させられるものをどれだけ多くの人と共有できているのかということが重要なのだと思います。(「…しかねます」や「おいしゅうございました」は、大多数の現代人の間では、実感に沿う言い回しとしては殆ど共有できなくなっている。)

「わかる」を「知る」の代わりに使うことについては納得いただけたとしても、
「じゃあ、なぜ“知りかねます”とは言わないのか?」という疑問もあるかと思います。

言いたいことの重要度や相手に表したい敬意と、言葉の音節の長短には関連があるように思います。重要なものを言い表したい場合や、相手に敬意を表したい場合は言葉の音節が長くなる傾向があるように思います。「知る」よりは「わかる」のほうが、音節が長く、発音もイ行の鋭い響きがなくて耳に心地よく響くように思います。(こう書きながら、あまり説得力のない説だと感じております。音節の短い、発音の鋭い言葉のほうが敬語表現で使われることもあるんじゃなかろうか、むしろそちらのケースのほうが調べてみたら多かったなんてこともあるんじゃなかろうか、と。)
また、あらたまった場で使う言葉が、たまたま尾籠な言葉と同音になってしまう場合はそれを避ける傾向があるということも、「知る」が使われず「わかる」が代用されることの原因ではないでしょうか?
「それを知りたいのですか?」ということを敬語表現で言わなければならない場合、私はいつも困ってしまいます。「それをお知りになりたいのですか?」の“お知り”が“お尻”のことを言っているみたいで言ってて恥ずかしくなってしまうのです。
「尻」を想起させてしまう「知りかねる」も、こういったことから忌避されるのではないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もご説明下さり本当に有り難うございます。ご説明の内容は元より、実はその説明の表現にも感激しております。今後とも宜しくご教授願います。
※多忙にかまけ、お礼が大変遅くなりました。お詫び申し上げます。

お礼日時:2008/07/12 11:26

ANo.6のjo-zenです。

再考しましたので、その部分を述べさせていただきます。

「わかる」と似たことばに「理解する」「知る」があります。

「理解する」「知る」の場合は、目的語を伴い「○○を理解する(知る)」の形で使われますが、「わかる」は、「おれの立場をわかって欲しい」などという一部特殊表現はなくはありませんが、一般には主格に接続し「○○がわかる」という使い方をします。この場合の「わかる」は「別々になる」から派生し、「物事の区別がつく。内容・事情などが了解される」という意味に転じたものです。「理解する」とはニュアンスが違います。

したがって、「わかりかねる」の場合は、わかるの否定形ですから、

 「(私には、彼の帰社時間が)わからない」

ということになり文法的には間違ってはいないと思います。

「わかりかねます」ということばに違和感を持つとすれば、「かねる」のもう一つの用法である「…しそうだ。…するかもしれない」という「ほぼ確定的と思われる推測(あっても不思議がないということ)」の意(「彼ならやりかねない」など)が、「…することができない」の意よりも多く一般的に使われているため、「かねる」に否定のニュアンスを感じられなくなっているということのような気がします。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

はじめにお礼が遅れたこと、お詫び申し上げます。多忙にかまけて全くパソコンを開いていませんでした。
 私の期待に違わぬ的確なご説明感謝いたします。今回皆様からの多数のご回答を拝見し更に自問自答してみたり致しましたが結局日本語の奥の深さを再認識し、1.言葉の使用法に注意しよう2.出来るだけ平易な言葉を使おう。3.日本語(古語を含め)を楽しもう。
というのが私なりの結論となりました。
 今後とも宜しくお願いいたします。

お礼日時:2008/07/12 11:38

#7です。

質問者さんの
> 本来通用する日本語なのか?やはり疑問です。
について:
私には「通用する日本語」の定義がよく分かりません。文化庁では「正しい/正しくない」という議論をなるべく避けて「多くの人が使っているかどうか」だけを価値基準としています。私も、この基準を支持します。
その意味で、「わかりかねます」を考えれば、

(1) 文法上問題ありません。
(2) 成立過程もしっかりしています(乱用造語ではありません)。
(3) 多くの人が使っています。
(4) しかし、一部では「古い」「冷たい」と感じる人もいます。
(5) このような「意識」は変化しますから、現在の動向を数字で把握するには、学問的な調査が必要でしょう。
    • good
    • 1

ANo.9を補足します。


一応実例があった方が解り易いと思いますので‥ ( ^^

------------------------------
【松尾委員】
外部燃料タンクの剥離については、剥離対策が不十分だったと書かれていますが、あれは結果論として言っているのですか、それとも心当たりがあるということですか。

【山浦推進室長】
ちょっとそこははかりかねますが、NASAとしてはやるべきことはやったということで打上げに臨んでおりますから、結果として事実を認めたというふうなことだと私は理解しております。
------------------------------
* 宇宙開発委員会議事録(下記URL)より抜粋
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/gijiro …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

補足説明ありがとうございます。ご説明の部分は100%納得です。

お礼が大変遅れまして申し訳ございませんでした。

お礼日時:2008/07/12 11:41

> ごもっとだと思います。

文法としてはおっしゃる通りでしょう。
> ただ、本来通用する日本語なのか?やはり疑問です。

なるほど、そういうことだったんですか。やっとご質問の趣旨が見えてきました ( ^^

顧客 「ちょっとあなた、私の言っていること、解る?」
社員 「申し訳ございませんが、解りかねます‥」(理解できない)

先ず、これは問題ないと思います。
しかし、訪ねた相手が不在と知り、

顧客 「お帰りのご予定は?」
社員 「申し訳ございませんが、解りかねます‥」(理解できない)

これでは回答になっていない ─言葉の使い方の正しさ(言葉自体の正しさではなく)に問題がある ─ ということですね。それならば私も同感です。このやり取りで「~かねる」を使うとすれば、次のようになると思います。

顧客 「お帰りのご予定は?」
社員 「申し訳ございませんが、測りかねます‥」(見当がつかない)

これは、実際言いますね。もしかするとkyouhama さんに「わかりかねる」と答えた人も、そういう言うつもりで言い間違えたのかも知れません。
あるいは、kyouhama さんの方が聴き違ったか‥? ( ^^;
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼の投稿が遅れ大変申し訳ありませんでした。
 わざわざ私の補足に対しご返答いただき、大変有り難うございました。

お礼日時:2008/07/12 11:45

正しい使い方ですが、すたれていくと思われる言い回しです。

(「すたれていくべき」、「すたれさせていかなければならない」とさえ私は言いたい。)

「分かりかねてしまうんですよ」などと言っている人がいますが、これは明らかに間違っています。そう言いたい気持は「分かりかねます」でじゅうぶん言い表せているのです。
こういう誤用を誘発してしまうのは、現代の人の感覚にもうフィットしなくなっている言い回しだからでしょう。

わからないなら「わかりません」となぜ言わないのか? 「わかりません」ではぶっきらぼうすぎるから、というのなら、最初に「申し訳ありませんが」をつけて「申し訳ありませんが、○○の帰社の時間はわかりません」と、そう言えばそれで十分ではないか、というのが私の感覚です。

「わかる」ことが「かねる(難しい)」ということで「わかりかねる」なのでしょうが、
・「難しい」という意味で使われる「かねる」が単独で使われることが殆どなくなってしまっている上、
・「かねる」が「兼ねる」に通じ、その雰囲気を漂わせてしまって、「分からないこともないんだけど、教えられないんだよねー」とでも言われているようでムッときてしまう人が多いのではないかと思います。
(なぜ、「わかり難い(わかりがたい)」という言い回しは普及していないんでしょうね?)

蛇足になりますが、「おいしかった」を目上の人に報告するような調子で言うとするとどうなるでしょう?
「おいしかったです」でしょうか? 「おいしいでした」でしょうか? どちらも正しい言い方だとNHKラジオで聞きました。「おいしいでした」は、私には違和感があります。理想的な正しい言い回しは「おいしゅうございました」なのだそうですが、今どきこんな言い方をしたら、失笑を買ってしまったり、丁寧すぎて「馬鹿にしてるんじゃないのか?」と思われてしまったりするのではないでしょうか?

道路で誰かが転んだとします。やさしい人であれば、それが自分の上司だったにしてもホームレスだったにしても、駆け寄って大丈夫かどうか尋ねるかと思うのですが、上司に対しては「大丈夫でございますか?」で問題ないでしょうが、ホームレスに対してまでそんな言い方をするのはどうでしょうか? 頭がおかしくなっていないかぎり、ホームレスの人は自分が王様でも社長でも、まともな暮らしが送れている者でもないことを自分自身でよく知っています。そんな人に馬鹿丁寧な言い回しで応対するのは・・・実は、結構残酷なことではないでしょうか? 逆説的ですが、そのホームレスの“自尊心”(正統的な自尊心ではないので“”に括って記します。)を傷つけてしまうのではないでしょうか? (こういう感覚、他の人にも分かるかなー? 志賀直哉の「小僧の神様」は、このあたりの心の機微について書いているんじゃないだろうか?)
こちらが問い合わせる側で、ヒラの社員である場合、あまりにも仰々しい敬語を使われると、「そんな大層なお言葉づかいで応対される程のモンじゃないんですけど…」という気にならないでしょうか? 更に丁寧さの度合が強い…どころかヒドイと言ってもいいような場合は、「ふざけてるのかな?」「馬鹿にしてるんじゃないのかな?」という気が起こってこないでしょうか?

【総括】

・「わかりかねる」は正しい言い回し。

<「わかりかねる」と言われてなぜ釈然としない気持になるのか?>
・「分からないこともないんだけど、教えられないんだよねー」と言われているようなので、何かひっかかってしまう。
・度を越した敬語、既に擬古的な“実用語の鬼籍”に入りつつある言い回しが、却ってこちらの自尊心を傷つけるようである。こちらの身の丈に合わせた言い回しをしてくれることこそが、最上の敬意の表し方ではなかろうか、という気持が無意識的に起こっている。

この回答への補足

総括のところで私の期待した結論でなかったのですが、全般的には非常に解りやすく回答をいただいたことに感謝しています。

『わかる』+『かねる(難しい)』ではなく『わかる』+『かねる(不可能だ)』と考えると やはり文意が伝わらないと思うのですが。

補足日時:2008/06/17 00:23
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧に回答をいただきありがとうございます。蛇足…も非常におもしろく読ませていただきました。

お礼日時:2008/06/17 00:34

文法としては、間違っていませんし、使っている本人は、丁寧な表現と思っているようです。


しかし、場合により、とても冷たくて不愉快な感じを受けることがあります。銀行とか「お堅い」商売に多いようです。
「申し訳ありませんが、分かりません」のほうをお勧めします。本来は分かるべきなのに、分からなくてすまない、という気持が出たほうが良いと思います。

この回答への補足

ごもっとだと思います。文法としてはおっしゃる通りでしょう。
ただ、本来通用する日本語なのか?やはり疑問です。

補足日時:2008/06/17 00:14
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お答え感謝いたします。

お礼日時:2008/06/17 00:18

以下のURLを参考にしてみてください。



  http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/torii012.html

この回答への補足

上述のURLは事前に拝見しておりました。このサイトでたびたび登場されるjo-zenさんの回答に期待しておりました。

補足日時:2008/06/17 00:05
    • good
    • 0
この回答へのお礼

疑問を持っている日本語が多いので、また教えていただきたいと思っております。ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/17 00:13

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!