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終戦後の1950年から1999年までの早稲田大学と慶應義塾大学について,
皆様はそれぞれどういう印象がありますか?

早稲田でしたら「個性の集まり」「吉永小百合の母校」
「今ほどの高レベルではなかった」「野球とラグビーと駅伝」など,
慶応義塾でしたら「坊っちゃん学校」「経済学部が著名」など
いろいろ各校で印象があるでしょうが, 聞かせてください!

後慶應義塾大学についてはIII部(通信教育)の法学部政治学科で
どのような教育が現在なされているかも分かる人がいたら教えてください!

A 回答 (2件)

70年代は、意識として官学至上主義が根強かったし、何よりも、片や国立授業料年間18,000円、私立30万以上。

比較になりませんでしてね・・。そういうこともあって、金沢大、岡山大クラス以上の国立とW合格した場合、大半は早慶を辞退したはず。新潟大、熊本大クラスでも、逡巡したと思います。今は授業料の差があまりなくなったこと、就職活動でのOBの存在を重視すること、都会の高い利便性を求めて優秀な受験生のみならず教員までも首都圏志向があることなどが背景となって今日の難関化があるように思います。
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この回答へのお礼

なるほど, そうなんですか。

有難うございます!

お礼日時:2008/06/22 14:06

難易度は今ほどではないというより、皆貧乏で、庶民は5教科勉強していたので受けなかったか、勉強の負担が楽だったのではないでしょうか??必然的によほどその学校に憧れた子か、東京の子か「故郷を堂々と離れ東京に行ける経済・文化的環境、価値観」の人が多かったのでは??早稲田は貧乏バンカラ、慶應はクールな都会大というのは今も昔も変わらないようです。



公私の学費格差はあったようですよ。国立の学費が馬鹿みたいに安く、本当に優秀で、お金に困っていたら、教授の家にご厄介、みたいなものもあったようです。
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この回答へのお礼

他の方が回答されていましたが, そんなに1960年代は国公立大学と私立大学の学費の差があったんですか--。
でもこの時代に両大学を卒業した人は, 個性豊かな人も多いですね?

有難うございます!

お礼日時:2008/06/22 14:05

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