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こんにちは。

30代既婚です。
専業主婦をしています。

実家の母と会う度に、気になることがあります。

母もずっと専業主婦をしてきた人で、
自分の友人や子供関係の付き合いに関わる事はあっても、
結婚以来(30数年間)、会社で働き幅広い人々と接すると言う様な
社会との接点がなかった人です。

仕事の有無に関係なく、
育ててくれた両親の事は、心から尊敬・感謝はしていますが・・・


昔は、機敏で頭の切れる母だったなのに、しかし、もう母も60代。
一時期は特技を生かし、お教室を開いていた事もありましたが、
最近は、年老いたせいか、物分りが悪く、疎いのです。

殆ど、家庭内だけで生活し、
自分の世界を成立させて来た様なものです。

母は、自分は自分の子供より、自分の方が世間を知っているし、
自分の方が長く生きている分、勘も働くし、
世に精通しているし、何より「私は正しい」と思っている様ですが・・・

会社など社会の事(仕組み・動き)がわかっていないというか、
感情的と言うか、人間的と言うか・・・ 世間の動きから遠のいている・・・そんな気がします。


例えば、
病院に行っても、
昔はもう少し人情みたいな物もありましたが、
最近は、何事も「ビジネス」(法や契約)で割り切られる世の中。
契約書の内容でばっさり割り切られます。

厳しい契約書の少ない時代(?)を過ごしていた母は、
それを飲み込めず、ずっと愚痴を言っていたりします。
今後母がこう行った流れについていけないとなると、
世間に付いて行けなず、母が落ち込むので、心配で仕方ないです。


昔は、子供の為に外に出なかったり、
世間や親戚の目で(←実際親戚がうるさかった)
働けなかったりしたので、
母が悪い訳ではなく、
それはそれで家の事をしっかりやってくれたので良いと思うのですが、
結局世間が狭かった為か、
社会との接点も少なく、自分の世間 と 社会 が離れすぎ、
今になって残った物は、社会性や 楽しい思い出や 充実感ではなく、
その社会についていけず、感情的で、愚痴ばかり言う母の姿。

愚痴は聞いていても、解決法がないので、疲れてしまいます。

義母も専業主婦で、やはり同じ様に、社会性がなく、
周りの空気を読めないまま、
ひとりでいつまでも話をしているような人です。

他の方々(母親世代)をあまり観察していないので、
何ともわからないのですが・・・

今、社会と接点のない主婦の将来はどうなるのでしょうか?

やはり、どんどん社会と離れ、社会性は欠如し、軽蔑されるのでしょうか?

(実際、私自身、このめまぐるしく変わる社会に、
 どれ位いついけていないのかも?わからないです。)

私も専業主婦をしているので、
同じ様に社会性のない人間になって行きそうで怖いのです。
実際、友人と会う機会も減り始め、非常に非常に世間が狭いです。


やはり、社会についていくには、働くしか解決策がないのでしょうか?


専業主婦の批判ではなく、
公正なご意見を、宜しくお願い致します。

A 回答 (11件中1~10件)

お子さんはいらっしゃるのでしょうか? でしたら子ども関係の役員につくとか、ボランティア団体に参加してみるとか・・・世の中見回専業主婦でも役にたてる環境がありますよ。

友人つながりで探してみてはいかがでしょう? 習字を習ってみたり、ギターに挑戦したり、いままでやってこなかったことにチャレンジしてみてください。パートに出てみるのもひとつの手ですが、それはそれで拘束されますから一長一短ですね。
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No.5です。

 再投稿致します。

>今、社会と接点のない主婦の将来はどうなるのでしょうか?
>やはり、どんどん社会と離れ、社会性は欠如し、軽蔑されるのでしょうか?

会社で働く【視野が広いはずの人】の中にも「軽蔑する人」はいるでしょうね。
やれ「ニート」「暇人」「専業主婦」は「家に閉じこもって~」とやたらと「叩きたがる」人もいますし。

でも「叩く人」も本当に「ごく僅か」だと思いますよ。
「叩くこと」でストレス発散せざるを得ないほど「心の余裕がない」のかもしれません。 本当にお気の毒。

私は「専業主婦」を通じて「一番良かった」と思える点は、
社会的に非生産的・非効率的とみなされがちな
「育児、闘病患者、介護、ハンデ持ち、その他諸々の弱者」の
「存在、痛み」に気づかされたことです。

いまどきの小学校には「車椅子の子」が登校してきて、一般教室でクラスメートと助け合って学ぶ時代です。
私自身、自閉症の子供を持つ親の大変さを「数時間のボランティア」を通じておぼろげに理解できましたし、
先日娘がガラスで下校中に手を切り血だらけになったとき、見ず知らずのおばあちゃんの自宅で手当てしていただいたご縁で、
菓子折りがてら懇意になり、ご老人関係の会合の世話役を引き受けたり(面倒といえば面倒ですが)。

これらの事柄は「偏見の目を持つ人」にはしょせんたわいもない「侮蔑の対象」なのでしょう。
もはや「考えが固まってしまった人」は「一生変わらない」でしょうから、
「社会的弱者の痛み」は子供達に教えていくしかないですねぇ。

そりゃあ「夫の甲斐性があって働く必要がない専業主婦」でも「バリバリ働く垢抜けた女性達」を見れば、
結婚前のわが身と照らし合わせて憧れることもあるでしょう。
私もそうですよ。

でもね、人それぞれ「何らかの事情」で「一時的、または長期に渡って」自宅で育児・介護・静養・療養を迫られたり、
自宅が勤務場所となるケースもあると思うのです。
「専業主婦」「兼業主婦」「暇人」「ニート」を問わずそれに準じた人も少なからずいるのではないでしょうかね。

当然の如く生まれる「自分のゆとりある時間」を他人が勝手に「暇」と決め付けて糾弾して追い回すのもどうなのかなぁ。
ここは質問・回答をやり取りする「互助会的意義」が存在すると思いますし、何が気に入らないというのでしょうね。

ですから、専業主婦でも「外で働きたい、働けるうちは働きたい」と思う人は
「時機をみはからって個々のペースにおいて」働けばいいですし、
「専業主婦で過ごしたいと思う人」はそれを大いに前向きに考えたらいいと思うのです。

但し私自身としては「家庭内外における時間の使い方」においては確かに反省点があるな、
日々勉強せにゃいかんな、人に感謝せねばならない謙虚であるべき身分なのだな、
と常に痛感しておりますがが、少なくとも
【「家庭、地域社会中心に過ごす人」に対する「一方的」な「偏見の目を持つ人」だけにはなりたくない】ですね。

ま、言い訳がましいですが「痛み止め薬」を飲まずにやり過ごす時にネットでの交信は大変便利だと思い、重宝していますよ。
海外とのやりとりも本当に楽ですし。
医師からの「安静」の指示を守りつつ、何とかパートの仕事との兼ね合いを調整している私の立場は、
しょせんは「家庭に閉じこもりがちな者の遠吠え」なのでしょうが、
少なくともネットの向こうで「執拗に」質問されている方々を非難する気にはなりません。

だって、「人の何十倍もの甲斐性ある夫」と「成績不振だけど理解ある娘たち」と幸せに暮らしているわけだから
「人を叩く暇」も「余計なストレス」も感じるわけないですしね。
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>今、社会と接点のない主婦の将来はどうなるのでしょうか?


やはり、どんどん社会と離れ、社会性は欠如し、軽蔑されるのでしょうか?

そうだと思う。
あのさ、たぶん皆年をとって時代についていけなくなる時がくると思う。
それは誰も同じかなと。
たださ社会と離れ、社会性がなくなるのは専業主婦だけじゃない。
例えばニートとか暇人とか♪
正直、ネットに朝から晩まで入り浸っているような人間だと社会性は酷く狭くなっていく。
どんな形でもリアルな人間社会で人と繋がって行こうとしないとダメなんだなと思うよ。


>(実際、私自身、このめまぐるしく変わる社会に、
 どれ位いついけていないのかも?わからないです。)
それは誰も不安があるよ。
自分はテレビみてもわからない芸能人が増えたりそんなことから時代から離れてるなあと思うんだ。
>私も専業主婦をしているので、
同じ様に社会性のない人間になって行きそうで怖いのです。
実際、友人と会う機会も減り始め、非常に非常に世間が狭いです。
やはり、社会についていくには、働くしか解決策がないのでしょうか?

できればそうしたほうがいいよ。
ちょっとした仕事でもして外と繋がっていようとしていればだいぶ違うしこういった悩みもネットで吐露することなく自然に友達に、知人に話していけるような環境作りが必要じゃないのかな。
まあ、とにかく社会性は現実社会にしかないです。
一人で考え込んだりネットとかでアドバイスもらってもソレはソレ。
とにかく日々、外に出ることから初めてほしいです。
ちなみに働くってすごく大事。
家にいるより、少しのお金でも働く尊さを、素晴らしさを味わうほうがいいと思う。
何故って人間いつか働けなくなるときが必ず来るから。
それに今は働いている人のほうが多いじゃん?
スーパーのレジをしてても社会性は広くなる人はなる。
偉そうな仕事しててもヒッキーじゃ社会性はなくなる。
そーゆーコトです。
まあ、惨めな人間にならないようお互い頑張ろうね~。
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このあいだまで専業主婦だった、50代バイト主婦です。



ご心配されていることと同様のことを私も感じています。

専業主婦は社会の風に揉まれないから、わがままな所がありますよね。

バイト先で、お客様に専門店ではないので「できません」と言うと、「よくこの仕事をやっているわね」とか「お店変えましょう」とか言われるのは50代以上の主婦です。

嫌な思いをあまりしたことがないから、他人に優しくできないし、周囲の空気を読もうとしないのですよね。

そんなふうに年をとりたくないのなら、苦労をすればいいのだと思います。

自分のちっぽけさや、他人のありがたさを身にしみてこそ、優しくて大きな心を持てるようになるのではないかなと・・・。

少なくとも、そんな不安を持っていることはいいことだと思いますよ♪
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67才 結婚以来の年月のほとんどを 専業主婦として過し 


今また 子供世帯の手伝いをしています
これから 何か世間の役にたてるかなと思うと 主婦仕事しかありません。
健康でいられる限り 介護の手助けを必要としている人 
乳幼児を抱えている方の 手伝いをしようと思っています
若い方達が忙しい時は 元気な年寄りが 家事 育児 地域の仕事で役立ちたいと思っています
世の中には お金で評価できない 面倒で細かい仕事が沢山あることを分かってくだされば充分です

久し振りで 気持ちが救われるような質問と回答を拝見しました
いつも不倫などの 人間関係の悲しくなるような質問ばかりで もうこのサイトにはかかわりたくないと思っていました

回答者の皆様の 確かな視点と考え方に 私も励まされた思いです
老人といわれる世代は 非常に個人差があって その人が40才を越してどのように生きてきたかで 違ってきます

常に社会に目を開くこと
よく本を読み 人の話を聞くこと
見聞きしたことを 文章にまとめてみること
相手が何才であろうと 自分の知らないことを教えてもらうのにためらったり 偉そうにしないこと
(秘かに 負けず嫌いであること)
こんなことを心掛けただけでも 人生面白くいきていけますよ

どなたかが 書いておられましたが 大きな会社で長いこと管理職をしていた人は 
リタイヤすると看板を下ろしたトタン 駄目になります
周囲に気を遣わせるだけの存在にならぬよう自戒するのは 男女 仕事を問いません
私も まだまだ がんばります
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私の母は専業主婦でしたが、家庭の事情で50歳近くから仕事を始めました(フルタイム)。


仕事は大変だけれど、やりがいもあるらしく、65歳を過ぎた今も現役です。
母はもともと商店の娘で、嫁いだ先(私の実家)も商店でした。
そうした環境だと仕事上人の出入りが多いのもあって、とても社交的です。
今は仕事をしているので余計に生き生きして見えますが、もし専業主婦のままだったとしても母ならばあまり変わることなく生き生きと過ごしていたのではないかな、と思います。好奇心がある、というのが母の明るさの秘訣のように思います。
一方で義母も専業主婦で、働いたのは結婚するまでの数か月だけ、という人です。社会性はあまりありません。もっぱら話題は自分の健康上のこと(怪我した、病気した)です。
私は思うのですが、専業主婦というのは、確かに仕事で社会にもまれている人よりも刺激は少ないです。でも、どう生きるか、過ごすかはその人次第なのだと。専業主婦で家にいても、たとえば教養をつけようと思えばテレビ番組もごまんとやっていますし、図書館に行けば豊富な本を無料で借りられます。家事だって大変な労働ですが、自分の裁量で時間を配分できるのが大きなメリットですから、時間の使い方で可能性もいろいろあると思うのです。ただ、それをやるかやらないかなんだなと。何となく時間を過ごして、子供が独立してから、はたと何をしたらいいんだろう、と思うのはその人の興味が子供以外にむけられていなかった結果なのだろうと思います。それから何か見つけてもいいと思うのに、どうしていいかわからないと内にこもっているのは、その人の性格(もしかしたら怠慢も)によるものと思います。

私も結婚した時に一番怖かったのは、主婦として自分が埋もれていくような脅迫感でした。ですのですぐに仕事を始めました。私の場合は、仕事というのが一番自分に刺激を与えてくれるツールだったんです。でも別に仕事がなくても毎日充実して過ごせる人もいます。結局その人次第、考え方次第なのでしょうね。アンテナを社会に向けて、いるかどうかで全然違うことなのです。
私はこの先子供ができて、もしも仕事を中断する時がきたら、今できないあれしよう、これしよう、と考えていることがあります。そうやって、いつもなにか面白いことを見つけようと考えていたら、いつも思いきり生きていけるだろうな、と楽観的ですが考えています。仕事でもそうでなくてもいい、あなたにとっての生き方を見つけてみてください。人に与えられるものではなく、自分で見つけるものです。だから大丈夫。好奇心を持っていてね。
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おはようございます。


先月より7年のブランクを経てパートに出始めた主婦です。
といっても、ほとんど稼ぎがないわけですが(笑)

>私も専業主婦をしているので、
>やはり、社会についていくには、働くしか解決策がないのでしょうか?

私の独断と偏見ですが、「世間が狭くて社会性がない」と悲観的になるくらいなら「別にいいじゃない、これが私の生き方だから♪」と開き直ってもいいと思うのです。

ただ、これだけはやってはいけないこと。 それは「愚痴ること」。
これは「社会に出ているはずの会社勤めの人」でもストレスから愚痴る人は愚痴るでしょうし、
逆に専業主婦で「視野が狭い」はずなのに愚痴らず明るく前向きに生きる人もいますしね。
また対人関係において「あの人に愚痴は言うけど、この人には聞き役に徹する」など、
微妙な力量関係や経年化にもよるところが大きいので難しいところではありますが。

私はパートに出る前と後とでは「視野の幅」に変化が全くないどうしようもない人間です。
「初めてのお給料(数万円、笑!)」で「養い手の夫」に感謝の気持ちを込めてネクタイを買って先日プレゼントしました。
受け取ってもらうとき馬鹿にされるかな~笑われるかな~と不安でしたが、
「ありがとう、嬉しいよ♪」と言われて思わず涙が出そうになりました。

ま、実はその金額の数倍もするワンピを当日勝手に買ってるので、
我ながら卑怯者なのですが、それとこれとは別問題ということで(笑)。

要は歳を取っていっても本人が「自活するべく」「狭い世界でも」自己研鑽に励み、
家族や友人・知人たちと仲良く幸せに暮らし、あかの他人の手助けを施してもらえるときは
心から感謝の気持ちを伝えられる「素直な人間」であればいいのかなぁ、と思います。
今のまま「将来を悲観する」よりは、ね。
だって、老人ホームにいるおばあちゃま達でも「ありがとう~ありがとう~」
と感謝する女性は「可愛らしい」けれど、「愚痴ってばかり」の女性は
憎たらしいでしょ(笑)。 
アレのことです。 

やっぱ私って「疫病神」なのかしらん(笑)
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「○○だから○○だ」って言い切れることって、世の中にはほとんどないんじゃないでしょうか。


職業や置かれた状況が同じでも、社会性や視野の広さはひとそれぞれに異なると思います。
専業主婦であっても、PTA活動や趣味などを通じて、よき友達をつくることや世界を広げていくことは充分可能だし、もちろん、社会とのつながりを求めて仕事をしてみるというのも、それはそれでいいことだと思います。

専業主婦には偏見はないのに、なぜか「スーパーのレジ」という仕事に偏見を持っているひともいらっしゃるようですし、本当に世の中はひとそれぞれだなぁと感じます。
専業主婦であってもなくても、質問者さんは質問者さんらしく日々をお過ごしになればよろしいのではないでしょうか?
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50代前半、30歳の時に某上場企業を退職し、小さな会社を経営しています。


そういう僕の目から見た「感覚」について書いてみたいと思います。

この年になると、同窓会に出席し始める同級生が急に増えてきました。
出席者を見ると、女性は若々しく話題が豊富で、社交的で魅力的な女性が多いです。
これは、仕事を持っているいないに関わらず、総じて言えるような気がします。
一方、男性は、大企業勤務が多いのですが、妙に疲れていて狭い会社の話しかできない、話題に乏しい人間が少なくありません。

■今、社会と接点のない主婦の将来はどうなるのでしょうか?

主婦に限らず、社会との接点のいう「人生の引き出し」の数が少ない人間は、加齢と共につまらない人生を送りやすいと感じます。
しかし、僕が心配しているのは、むしろ同性である男性の友人達であって女性じゃあないですね。
今の主婦って、僕の妻を見ても、相当に人生の引き出しの数が多い方が少なくない。
僕の妻は仕事もしていますが、職業は間違いなく「主婦」です。

■やはり、社会についていくには、働くしか解決策がないのでしょうか?

働き方でしょうね。
以前、物議を興しましたが、わずかばかりの金のためにレジのおばさんして社会に対する目が養われると僕は思わない。
逆に言えば、職業が主婦であっても、社会と接点を持つことは、優秀な女性には容易なことだと思う。

40年間超一流と呼ばれる企業で働いても、全く社会性のない60代の男性もいます。
案外、そういう男性の妻が、社会性豊かなのを見ると、一般的な意味で言う「働く」って、それほど大したことじゃあないような気もします♪(笑)

僕の妻は、ほとんどを専業主婦として過ごしてきましたが、ある意味で僕よりも世間も広いし、社会性ありますよ♪
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40代兼業主婦です



まず 老化現象は 専業主婦、兼業主婦の別に関係なく訪れますよ
老化に伴う 思考、認知、感情などの精神機能の衰えは
どなたでも 仕方のないことと思います

それから 働く立場から 申し上げますと 
「社会で働く」=「会社で働き幅広い人々と接すると言う様な社会との接点」というのは、誤解です

社会性の維持・・つまり人との関わりは、
働く、働かない、という切り口とは必ずしも一致しないと思います

働く、ということは、社会的任務を負うことですので、
その任務が、幅広い人々と接することを要求されるものであれば、
確かにそのような感性が養われていくでしょうけれど、
そのような機能が期待されない場合、極めて狭い人間関係の中で、求められる成果を発揮することになります

ですから

>私も専業主婦をしているので、
>同じ様に社会性のない人間になって行きそうで怖いのです。
>実際、友人と会う機会も減り始め、非常に非常に世間が狭いです。

とのことですが、必ずしもそうではないと思います

これはあくまでも、私の考えですが、
幅広い人々と接触する機会の自由というのは、
任務に縛られない専業主婦の方がむしろ機会を得やすいような気がしますよ

働くことが苦手でなければ、もちろん働いてみてもよいと思いますが、
もしも責任を負うのが苦手というタイプでしたら、
趣味を広げるだけでも人との関わりは増えるでしょう、大学の研究室や生涯教育プログラムに参加されれば、友と学ぶことができるでしょうし、地域の活動やボランティアに参加して、人の役にたつ活動を行ってもよいでしょう。いくらでも、人と接触したり社会活動に参加する選択肢があるのではないかと思いますが、いかがでしょう?

>今、社会と接点のない主婦の将来はどうなるのでしょうか?
>やはり、どんどん社会と離れ、社会性は欠如し、軽蔑されるのでしょうか?

機会は開かれていますので、
社会との接点を持つのが苦手、出不精、というのは、あくまでも個人の性格的な影響によるところが大きく、「主婦」だから、ではないと思います

むしろ「xxxだからできない」という気持ちがわいてきた時というのは、実は、努力しない自分自身への言い訳、努力しないことを正当化する理由を探しているという場合が多いですよ 

その点はいかがでしょう?もしも、人とのかかわりが面倒・・と思っている自分がいて、でも、このままではいけないと思っている自分もいて、けれど、「主婦だからできないんだ」と、思おうされてはいません?

社会に出て働くということは、社会の求める価値観で、社会の要求に応えて役割を果たすことですから、そうした、自分ダマシの言い訳が通用しないという点は、専業主婦では直面し得ない厳しい面だとは思います
けれど、そのような社会的責務の厳しさという点と、人との関わりや社会性の維持の問題とは別ですので・・・、専業主婦だから社会性が得られにくいということはないでしょう、いささか論理が飛躍しすぎている気がします

あくまでも個人のパーソナリティに起因すると思いますよ

人と譲歩しあったり説得し合ったりすることの面倒くささを嫌わずに、身近なところから、人との関わりを持ち、人と共感することの楽しさや人と協働して何かを成し遂げることの充実感を味わってみてはいかがかと思いますよ。

 
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