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こんにちは。以下の2つの例文でなぜ仮定法過去、仮定法過去完了になるのか、根拠を教えてください。
1.A happy man or woman is a better thing to find than a five-pound note. He or she is a radiating focus of goodwill; and their entrance into a room is as though another candle had been lighted.(男でも女でも幸福な人を見つけるのは5ポンド紙幣をみつけるよりうれしい。その人は善意を放射する商店だ。そういう人が部屋に入ってくると、もう一本ろうそくに火がつけられたようだ。)
as though以外が現在形なので、as thoughに導かれる節は仮定法過去が
妥当だとおもうのですが、なぜ仮定法過去完了でしょうか?

2. Seeing Evan the Japanese gave the small, twitching smile which always made it appear as if he were a small boy bravely fighting back tears.(エヴァンを見ると、その日本人は小さな、ひきつるような微笑を浮かべた。それはいつも、小さな男の子がけなげに涙をこらえて奮闘しているかのような様子に見えた。)
この場合は、as if 以外は過去形ですから、as if 以下は仮定法過去になるとおもうのですが・・・・

よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

こんにちは。

6/4のご質問ではお返事を有難うございました。

ご質問1:
<as though以外が現在形なので、as thoughに導かれる節は仮定法過去が妥当だとおもうのですが、なぜ仮定法過去完了でしょうか?>

これは、「現在完了形」を仮定法過去にすると、たまたま仮定法過去完了と同じ時制になっただけのものです。

1.この部分は元々、
another candle has been lighted
(直訳)「他の蝋燭が照らされている」
→(意訳)「他の蝋燭にも灯りがともされている」
という現在完了の「完了」→「継続」の用法として、「完了した動作が継続している状態」を示す用法になっています。

2.それを仮定法過去にすると、一つ前の時制になりますから、
has been lighted → had been lighted
になっただけなのです。

3.直訳の意味は、
「まるで別の灯りが今までともっていたかのように」
となり、完了の継続のニュアンスが出るような訳になるのです。


ご質問2:
<この場合は、as if 以外は過去形ですから、as if 以下は仮定法過去になるとおもうのですが>

おっしゃる通り、as if 以下は仮定法過去になっています。

1.このas if以下は仮定法過去の用法です。これは動詞にwereが使われていることからも明白です。直説法ならwereではなくis、wasなどになるからです。

2.as if 以下は仮定法過去になる理由は、as ifの比喩内容が「不変の恒常的な事実」だからです。この恒常的とは、話し手の主観によってという意味でも使われ、ここではその用法になります。

3.つまり、「彼が涙をけなげにこらえている少年のように見える」のは、話し手にとって不変の恒常的な事実として存在するのです。それは、その前に使われているalways「いつも」という副詞からも明瞭です。

4.「いつもそう見える」不変の事実なので、時制の影響を受けないのです。

5.従属節になっても主節の時制の影響を受けない用法に

(1)仮定法
(2)不変の真理
(3)過去の歴史
などがありますが、話し手の主観による恒常的事実・習慣も(2)の「不変の真理」の項目に分類されます。

6.ここでは「仮定法」だからではなく、話し手にとって「不変の恒常的事実」なので、主節の時制の影響を受けておらず「現在の事実と反する事実=仮定法過去」で使われているのです。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。No.1では、時制は仮定法過去でも形は仮定法過去完了になってしまうこともあるのですね。as if やas thoughの場合、主節に時制がひきずられないルールを覚えておきます。

お礼日時:2008/07/22 08:42

#2です。


一点だけなのですが、
The small, twitching smile always made it appear as if he were a small boy bravely fighting back tears.

のas if以下は、やはりただその当時の作者のイマジネーションだった、という以上の解釈はできないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/23 23:43

ご回答を拝見し、1.A happy manについては私も同じようなことを#1で申し上げてたかと思いますが、2. Seeing Evanについては私の知り合いのネイティブがどうも違うような私には要領の得ないことをいっているのでもう少し良く聞いてみようと思います。

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この回答へのお礼

ネイティブさんの御意見、興味があります。
よろしくお願いします。

お礼日時:2008/07/22 08:43

時差がない限り、過去完了は使わない。

これが as if 仮定法のルール。これで済むと思いますけど。まあ、#1さんのいってることと同じです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/20 20:43

再び、#2です。



さきほどの回答の冒頭の言葉がバグってました。
>>補足のご質問は意見しました。

「補足のご質問拝見しました。」の誤りです。
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この回答へのお礼

御丁寧な解説をありがとうございました。
わたしの補足回答内の誤りは御指摘どおりです。
フォローをありがとうございます。

仮定法の時制はかなり主観に左右されるのですね。
ストーリーのあるものでは、筆者の意図をつかむヒントともなりそうですが、日本語に訳す場合、慎重になったほうがよいとわかりました。
英語でもたくみに仮定法を使いこなして表現できるように
なりたいところですが・・・

お礼日時:2008/07/20 20:49

#2です。


補足のご質問は意見しました。

>>この場合、事実は小さな男の子ではない=事実に反する=仮定法となると思います。

おっしゃるとおりだと思います。私の完全な早とちりでした。ただ、ご質問の本文に、

>>as if 以外は過去形ですから、as if 以下は仮定法過去になるとおもうのですが

とありますが、これはまさしく仮定法過去なので、ご質問は「as if 以下は仮定法過去完了になると思う」の間違いでしょうか?

という前提で話を進めますと……

ご存知かと思いますが、仮定法は時制の一致に引きずられません。本文のwhich節の中を現在形にしてみると、

The small, twitching smile always makes it appear as if he were a small boy bravely fighting back tears.
「その~な微笑は、常に彼がけなげに涙をこらえる少年であるかのように見えるようにさせる」(直訳)

これが過去形になると、
The small, twitching smile always made it appear as if he were a small boy bravely fighting back tears.
「その~な微笑は、常に彼がけなげに涙をこらえる少年であるかのように見えるようにさせた」(直訳)

となり、"as if he were"の部分は変化しません。この場合、彼と少年の人格は一致していない、少年はあくまでも作者の頭に浮かんだ任意のイメージだ、と思われます。

もしas if以下に過去完了を用いると、
The small, twitching smile always made it appear as if he had been a small boy bravely fighting back tears.
「その~な微笑は、常に彼がけなげに涙をこらえる少年であったかのように見えるようにさせた」(直訳)

となり、これはどちらかというと、彼自身が少年時代にこのような少年だったのではないか、という想像が作者に働いていて、ここでは彼と少年の人格が作者のイメージの中で一致している、と考えられます。つまり、この場合は、仮定法ではなく、直接法であり、時制の一致が行われていると解釈するほうが自然ではないでしょうか。

ストーリーを知らないので断言はできませんが、この日本人が実際には子供ではないとすれば、その微笑の中にまるで少年のような仕草を彷彿させるものがあった、と言いたいのでしょう。


最後に、
>>仮定法になる喩えと、直接法のままの喩えは、何をポイントにみきわめればよいのでしょうか。

というご質問ですが、確かにas ifなどでは、直接法か仮定法かを判断するのが難しいケースがあります。私も二番目の文章では、その日本人が大人であるという前提を知らないがために、せっかく"he were"とある大ヒントも見逃して、間違った解答をしてしまいました。特に時制にずれがあるときの解釈は慎重にしなければならない(一番目の事例のように)と思います。文法的な解釈だけで判断できるケースがほとんどでしょうが、そうでない場合は文脈で判断することになると思います。ただ出版物になったもので、どっちつかずのものはないはずなので、かならず文法か文脈かで何らかのヒントがあるはずです。

以上、回答になったかどうかわかりませんが、疑問があればまた質問してください。
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こんばんは。



後者は仮定法ではなく、直接法のas ifで、喩えというよりは、見たままの描写だと思います。

前者は、まず人物の入場を蝋燭の灯りに喩えているので、まずは仮定法である、と言えます。問題は作者が抱くbe lightedのイメージが過去なのか現在なのか、ということです。「幸せな人が家に入ってきたときに、ぱっと灯りがともったように明るくなった」のか「もともと灯りがついていたのか」のイメージの違いでしょうが、文中にanother candleとあるのに注目すると、この文章の時代背景はよくわかりませんが、蝋燭数本の灯りで夜の生活をしていた頃の話だと仮定すると、実際に一、二本の蝋燭だけでほの暗かった家に、幸せな人が入ってきて、「もう一本の蝋燭が初めから点っていたかのように」彼らの入場はこの家の中(雰囲気)を明るくしてくれるほどのものである、と言っているではないでしょうか。

この回答への補足

No.2は、仮定法ではないとのご指摘ですが、
事実に反することではなければas if以下も直接法になるのはわかるのですが、この場合、
事実は小さな男の子ではない=事実に反する=仮定法となると思います。
仮定法になる喩えと、直接法のままの喩えは、何を
ポイントにみきわめればよいのでしょうか。

補足日時:2008/07/20 09:24
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この回答へのお礼

ありがとうございました。仮定法過去か、仮定法現在は、
文章を作成した人の微妙な感覚を、感じられる表現なのですね。

お礼日時:2008/07/20 09:19

A happy man or woman is a better thing to find than a five-pound note. He or she is a radiating focus of goodwill; and their entrance into a room is as though another candle had been lighted



こちらは、「まるで(今まで)ろうそくがつけられていたような」という意味で

Seeing Evan the Japanese gave the small, twitching smile which always made it appear as if he were a small boy bravely fighting back tears

こちらは、現在の時点から「小さな男の子がけなげに涙をこらえて奮闘しているかのような」ということを思いだして言っているのではなく、エヴァンを見た時点、あるいはその日本人が微笑を浮かべた時点で「小さな男の子がけなげに涙をこらえて奮闘しているかのような」ということを考えているので、時差がない。
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この回答へのお礼

さっそくのご返信、ありがとうございました。
ただ、Seeing Evan~のas if以下の捉え方は、No.2さんの
ご意見をとろうかと思います。

お礼日時:2008/07/20 09:29

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