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本好きの高校生に古典的名著を薦めるべきでしょうか?

漱石、鴎外、三島由紀夫、康成、トルストイ、スタインベック、スタンダール・・・親である私自身さえ名前を思い出せなくなっている古典的作家の作品。
読書好きの子ですが、ほとんど読んでいない(坊ちゃん、くらい読んだかなぁ、という程度)ようです。

ファンタジー系SF系が好きで、ロマンス系・哲学系ジャンルには興味がないようです。強要するつもりは無いけど、クラシックな文学にも触れて欲しいな、と思います。
いわゆる教養としても読まれてきた、古典文学。
いつの時代でも青春時代に読む「意味」があるのか、それとも、もうそういう時代ではないのか。新しい時代には新しい文学だけでこと足りるのか。

皆さんのご意見、お聞きしたいと思います。

A 回答 (10件)

おはようございます。



ええと、古典的名著・・ですか。確かに残っているだけのものはあると思います。
読まないよりは読んだ方が良いとは思いますが
青春時代に読む「意味」があるのかどうかは判りません。
まあ、読んでおけば後で再読して、
物の見方が年とともに変わるのを実感できるかもしれませんけど。
(あの時は解らなかったけど~とか、あの時はつまらなかったけど~とか)

ただ、普遍的なものは新しい文学の中にも漫画やゲームの中にもありますよね。
そういう要素が多い少ないは物にもよりますし、
自分で新しい物を手に取るとなると
ハズレ(と言っては失礼ですが)も多くありませんか?
古典的名著がお勧めなのはハズレが無いというところなんじゃないかと思います。
ただ、読んで解らなかったら、あんまり意味は無いかもしれませんが・・・。
時代背景とか分らないと本当の意味は解らなかったりすることもあるし・・
それを調べたりするのも楽しいかもしれないですけど個人差はあるでしょうね。

薦めるべきか否かについては、少なくとも自分が忘れてしまっているような状態で
他人に勧めるのはどうかと思います。何の為に勧めるのでしょうか?
「教養として読んだ方が良い」というお題目だけなら
読むように勧められた方も嬉しくないと思います。
まずご自分で読みなおしてからの方がいいのでは・・・。
それと、古典的名著なら図書館にあると思うので
借りて読むとコストがかからないし後で置き場に困らなくて良いと思いますよ。
気に入れば買えばいいですしね。(論点がずれてますが・・・)

それと、興味がなければ、薦められても読まないと思います。
私も学生時代、父親に薦められた本とかありましたが、
途中で積ん読になっているものが少なくありませんし・・・。
名著だから~と思って自分で読み始めて放り出したものも(笑)
スタンダールの『赤と黒』。未だに読破してません・・・。
そのうち、再チャレンジしようかなと思いつつ、つい他の本に目が・・・。

なんだか長くなってしまいましたが、参考になれば幸いです。
役に立たなかったらすみません~

この回答への補足

答えてくださった皆さんへ

アドバイスありがとうございました。
皆さんの回答を読みうちにだんだん自分の考えがまとまってきました。
ご意見に優劣をつけることなど到底できませんので、今回はポイントをつけるのは見送らせていただきます。よろしくご了解ください。
もう一度、御礼もうしあげて、質問を締め切ります。
ほんとに、ありがとうございました。

補足日時:2003/01/22 21:26
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます、嬉しいです。
お礼が遅くなって、ごめんなさい。

>薦めるべきか否かについては、少なくとも自分が忘れてしまっているような状態で
他人に勧めるのはどうかと思います。何の為に勧めるのでしょうか?

ほんとにそうですね。最近は子供が面白いという本を借りて読むことばかりです。私が過去に読んだ本って何の役に立ったのかという思いもあります。
それでも「名作を」というのは、受験対策とか、教養的効果とか、など打算かもしれません。かつての自分と好みが違うので、押し付けようとしてるのかもしれません。
「今時の高校生」にしては本を読む方なのに、もっと「文学を!」と言うのは自分の子供に完全を求める親の欲ですね。エンターテイメントでも純文学でも映画でもゲームでも、そこから何を見つけ受け止めるかは人それぞれで、優劣など無いのですよね。
それを忘れて「純文学は高級」みたいな古い観念に取り憑かれてたのですね。良かれと思ってのことだけど「子を思う闇」にはまっていたみたいです。

お礼日時:2003/01/18 11:09

読書が趣味なら、他人に聞かれたとき恥ずかしくない答えができるような作品のひとつやふたつは読んでおいて欲しいですよね…。



ファンタジー系SF系ってコバ**やX〇庫のあたりでしょうか?
話し言葉の文体に慣れてるってことですよね?
だとするといきなり古典は拒否反応かも・・・

ただ、古典は読まないよりは読んでおいた方が良いと思います。
古典が生き残っているのは、変わらない真実を描いているためだと思うからです。
(普遍性ってやつですね)

非現実の世界で遊ぶことと
非現実の世界で学ぶこと、は
読書好きでなければできないお得な経験(笑)ですから、
しておいて損はないはずです。

お子さんにお気に入りの作家がいるなら、その作家が好きな作家を読むように勧める、とか、
作品の中に出てきたものを読んでみる、とか。
だんだんに頭を硬めの文体に慣らしていく、ということで、
ロマンス・哲学に興味がないのであれば
村上龍「KYOKO」・栗本薫「時の石」からではいかがでしょう?
宮尾登美子や有吉佐和子も意外と読みやすいですし、五木寛之・北杜夫も良いですよ。
ここまで来たら芥川龍之介や樋口一葉まではあと三歩くらいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ファンタジー系SF系ってコバ**やX〇庫のあたりでしょうか?

そうです、そうです。電○文庫とかって、書こうとして止めたんです。
そうした本の中で私の愛読書もありますので、決して否定してるのではありません。

>その作家が好きな作家を読むように勧める、とか

そういう手がありますか、なるほど。
そういえば、好きな本に出ていたとかで、小学生の頃、泉鏡花を借りてきて難しくて困っていたことがありました、早すぎたんですね。

>村上龍「KYOKO」・栗本薫「時の石」

私も読んでいないので、まず私が読まなくちゃいけませんね。
宮尾登美子以下はかつての私の「大好き系」です、いざ薦めようとするとなんか気恥ずかしい^^;
漱石、トルストイ等「大御所系」って薦めるのに安心だから、薦めちゃうのかも。

お礼日時:2003/01/16 11:07

名作か、はたまた「迷」作か。


迷作……わけのわからない作品、迷惑と言っていいほどにつまらない作品、解釈はいろいろありますが、どちらかといえばマイナスのイメージがあるように思われます。
名作と迷作をわける基準は何でしょうか。マスコミに取り上げられたから? 「文壇」の権威が褒め称えたから?
質問を見る限り、かなり本を読まれた方とお見受けしますが、それなら思い当たる節があるはずです。世間でいい評価を受けているあるいは友達が絶賛した作品が、おもしろいとは限らない。自分にとって。
面白いか否か、だけでなくためになるかどうかという観点でも、同じように思われます。あなたと私と彼・彼女らはまったく違う人生を歩んできたはずだからです。これから歩む人生はまったく違うものであるはずだからです。
いずれにせよ、重要なのは他人がなんと言っているかではなく、「本人にとって、どうか」であると考えます。

読む・読んだ意味が生じうるのは常に「本人」――ある特定の個人の中でしょう。ファンタジー文学の中ではありません。古典文学の中ではありません。
本の中ではありません。意味(価値)は、本にあるのではなく、それを読んだ人の中に生まれる。――そう私は考えます。
よって、
いつの時代でも(古典文学)は青春時代に読む価値があるのか。それともそういう時代ではないのか。
に対する私の答えは否であり、同時に是でもあります。意味のあるなしを「決める」のは時代ではなく、私でもあなたでもない「その本人」であると。
「本人」にとってはファンタジー系SFこそが「意味(価値)のある」ものかもしれません。それがどんな「意味」かはわかりません。たとえば、そのおかげで将来小説家になるかもしれませんし、あるいはすでに現実の苦難を乗り越えるための考え方を身に着けているかも知れません。直接的には役に立たなくても、長い目で見れば「楽しめた」こと自体が何らかの役に立っていた、ということも考えられます。
そして、「興味のあるものから」の方がえてして得るものは多いように思われます(調査・統計したわけではありません。あくまで個人的経験に基づく実感として)。というより、興味がなくかつ必要もなく(試験に出る、仕事上知識が要るなど)、かつ他に読みたい本ないしはしたいことがあれば、「積ん読」(読まずにどこかに積んでおくこと)になって終わりでしょう。強要するつもりがないならなおさらです。読まれなければ、あるいは読んだフリをされたのでは、そもそも「読む・読んだ意味」など生じようがありません(「フリがうまくなる」、という意味でなら、意味はあるかもしれません)。
 >新しい時代には新しい文学だけでこと足りるのか
についても同じように考えます。「その本人」次第でしょう。そしてそれが本当に役に立ったかどうか判断できるのは将来の「本人」だけであり、そして今現在の「本人」にとって、興味のない本を仕方なく読むのは苦痛でしょう。

「べき」かどうかはともかく、興味のないものにそれを薦めることは、本に限らずあまり効果的ではないと思います(あなたがどんな状態を効果的と判断するかにもよりますが)。
ただ、
 >興味がないようです 
とありますが、本当に興味がないのでしょうか。読んでいないように見える、ということは、(本人に)まったく興味がない、ということではありません。
 >クラシックな文学にも触れてほしいな 
と「思っている」だけで実際に薦めたことがないなら、一度薦めてみてもいいでしょう。「食わず嫌い」という可能性もありますし。

「本人」にまったく興味がない、とわかっていてなお薦めたいならば、興味を起こさせることです。ニンジンが嫌いな子にニンジンを食べさせたい場合、「食べろ。お前のためだ。いいから食べろ。口答えするな。殴るぞ」と言っても(極端な例ですが)反発し、さらに嫌いになるだけです。好きにさせるにはどんな方法があるでしょうか。
たとえば、みじん切りにしてキャロット・ケーキにしてしまいます。子供は知らずに食べ、そのようなことを繰り返しているうちにニンジンに対する”抵抗感”が減少し、食べれるようになります。別のアプローチとしてはさもおいしそうに食べる、等の方法もあります。「ニンジンはまずい」という先入観を「おいしそう」に転換させるだけですが、それだけで本当においしく感じるということがあります(いずれにせよ100%成功するわけではありませんが)。
これらは本のケースにも応用できます。
たとえば、あなたが読んで面白いと思った「名作」をさも面白そうに話して聞かせてやるわけです。本当に面白い本は粗筋を語られたくらいで面白さが減じることはありません。その際、物語の展開どおりに、順番どおりに話す必要はありません。むしろ、面白いと思った、印象に残ったシーンから、物語の背景説明をなんらしないまま話し始めたほうが、相手に「おや? 何だろう」と思わせることができます。つまり、興味です。気を引いたわけです。まあ、「紹介してやろう」と身構えずに、(読んだ際の感情のままに)好きなところから好きなように話してやればよいわけです。そうすれば相手に「面白いんだ」ということが言葉でなく態度として伝わります。
じゃあ、キャロット・ケーキの方は?
この方法は「ケーキという甘くておいしいもの」をだしにする方法であるといえます。本の場合は(かつあなたのケースでは)「ファンタジー系SF」ということになります。一口に「ファンタジー系SF」と言っても、個々の具体的作品は千差万別です。タイムスリップものであったり、妖怪が出てきたりと。
利用できます。
つまり、「ファンタジー系SF」を構成する設定、またはそれらに通ずる雰囲気、キャラクター、話の展開の仕方、文体……etc. などのうち、「本人の興味を引きうるもの」をだしにするわけです。そこを攻めるわけです。いきなり「古典文学」ではなく、ワンクッションおくことで「本人」がその世界に入り込みやすくしてあげるわけです。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

具体的なアドバイスをありがとうございます。

>「本人」にとってはファンタジー系SFこそが「意味(価値)のある」ものかもしれません。

そうですね。「私にとって意味のあるものが、他のすべての人にとっても意味のあるもの」では決してないですね。そういう押し付けは私自身拒否してきました。それなのに親って、つい自分の価値観を「文化遺産の伝承」のごとく子供に押し付けようとしてしまう^^;
子供は、自分の好きな本がどんなに楽しく素晴らしいかを話してくれます。それを聞いて、私も同じ本を読んだりします。そういうことができるのはとても幸福なことです。

>直接的には役に立たなくても、長い目で見れば「楽しめた」こと自体が何らかの役に立っていた、ということも考えられます。

それこそが読書が人に与える大切な「善きもの」ですね。
それが解っていたはずなのに、つい「そういう軽いものばかりじゃなくて」と思ってしまうのですね、口には出しませんけど。でもなんとなく伝わる時もあるようです。いけないですよね、これは、反省反省。

お礼日時:2003/01/16 10:54

小説を書く勉強をしていて改めて認識したのですが、世の中の小説は、「エンターテインメント」と「純文学」の2つに分けられます。


趣味としてだけではなく、教養としての効果を読書に期待するなら、お嬢さんには、古典にこだわるより、古典でも現代ものでもいいから、「純文学」を奨めるといいと思います。
現代にだって、純文学はあります。村上春樹とか、芥川賞作家の作品とか。
一方、古典にだって、エンターテインメントもありますしね。江戸川乱歩とか。
ちなみに私はどっちも好きです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「純文学を読ませたい、それもクラシックな」。こういえば解りやすいんですね。で、「どうしてクラシックなのか?現代物では不満なのか?」私自身の望みがようやくはっきり解って来ました。

子供は乱歩は好きです。龍之介も「杜子春」などは何度も読んでいるようです。純文学とエンターテインメントの境界は良く解らないのですが、子供が読んでいるものを思い出してみると、現代物の純文学は量は少なくても読んでいるのですね。村上春樹あたりは私自身が今ひとつ打ち込めないのですね、感性の違いなんでしょうか。で、子供に進められない・・
私自身の好みを押し付けようとしてるだけなのかなぁ・・これは・・

お礼日時:2003/01/16 10:41

本人の意思が一番大事ですが読んだほうが絶対にいいと思います。


しかし、古典文学とよばれるものは一般的にはとっつきにくい。また、読む力が無ければまったく意味が分からないものが多いものと思われます。
「トルストイやゲーテを読んでもさっぱり分からない」
これが読書嫌い(古典文学嫌い)の一因になっていると思います。
ピアノを自由自在に弾けるようになるためには一生懸命に練習をしなくてはならないように読書も古典を読むためにはある程度の努力、挑戦、忍耐が無いと出来ません。
このような場合は読みやすい本から始めないと読書嫌いになってしまいます。

読書によって何百、何千のほかの人生に触れることが出来ます。
良書には夢や希望、生きる力の源があります。
テレビや映画、他の書物(漫画、SF小説)にも人を感動させたりするものは当然ありますが簡単に手に入れられる分、簡単に忘れてしまいます。

古典の良書は古くはありません。
良書を読むことは自分自身の命を啓発することにつながると思います。
けれども、これだけインスタント食品のような簡単に何でも手に入る世の中に古典を読めというのはなかなか難しいと思います。
(学校の先生さえ本を読まなくなっているから)
古典文学の素晴らしさを上手く伝えられる人がいないと厳しいかな?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>古典文学の素晴らしさを上手く伝えられる人がいないと厳しいかな?

私自身は学校の図書館にある本を片っ端から読んでいて、いつの間にか自分の好みが出来ていたので、人に伝えるのは苦手です。

>読書によって何百、何千のほかの人生に触れることが出来ます。
良書には夢や希望、生きる力の源があります。

そうですね。古典と呼ばれる作品はそういう面でも選ばれてきたものだと思います。もちろん現代の本にも優れた本はたくさんありますが、古典のもつ
洗練とか品格のようなものに触れてほしいと、親としてそう願ってしまいます。

お礼日時:2003/01/16 10:29

名作とよばれている文学書には、やはりそういわれるだけの理由があり読んでおくことはとても意味のあることだと思います。



自分ではチェックしていなかった本を他人に薦められて読んでみたら意外に面白かったというのは良くあることです。
ただ、「古典だから」「名作と言われているから」と読んだことも無い本を薦めるのはあまり好ましくありません。ご自身で読んで、本当に薦めたいと思う本を薦めるべきです。「この感動を分かち合いたい」と思えるくらいの本を。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>名作とよばれている文学書には、やはりそういわれるだけの理由があり読んでおくことはとても意味のあることだと思います。

そうですね、そう言われて育ちましたし、そういう気がしてます。
ただ、今の時代、新作で面白くいい本もたくさんあります。
古い名作を網羅的に読んでおくことが心の成長に必要だというのは、古くさい教養主義にすぎないのかな、とそんな迷いが私の中にあるのです。
「本当に薦めたいと思う本」となると、さらに難しいです。
私が少女の頃大好きだった「赤毛のアン」などは、まったく路線が違ってて、面白くないようなんですね。
「アンナ・カレーニナ」とか「戦争と平和」なんてタイトルをいう気にもなれません^^;

お礼日時:2003/01/15 22:56

たまに自分で買わないジャンルの本を友人に借りて読むと


案外面白かったりしますが、友人の感想を聞いて読んでみたいと
思うから借りているわけです。
登場人物の会話でストーリーを進行させ、
マンガを読んでいるように簡単に読み進められる本を読んでいると、
古典を読むのは時間が掛かり、すぐ読むのを止めてしまいそうな気がします。
ご自分が読んだときの感想を話したり、感銘を受けた文を話して
聞かせてはいかがでしょうか?
親がどういう理由で、この本を勧めるのかを理解させることが大切です。
ただ古典に触れて欲しいだけでは読みたいと思いません。
まずは興味を持つきっかけ作りが大切だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>マンガを読んでいるように簡単に読み進められる本を読んでいると、
古典を読むのは時間が掛かり、すぐ読むのを止めてしまいそうな気がします。

その点が親として気がかりなのです、ギャグ系,大好きですから。
宮部みゆきや星新一、沢木耕太郎、ファンタジー系のハードカバーもちゃんと読んでいるのですけどね。
私自身の感想とか感銘、となると何しろ古い記憶だし、手当たりしだいの乱読だったので、読んでるときは夢中で読んでるのですが、まとまって話せるような内容があまりないんですね。
それだけに、クラシックを読むことがホントに大切なのか、必要なのかと迷ってしまうんです。

お礼日時:2003/01/15 22:45

読書が好きな高校生なのであれば、自然とそういった作品にも興味がでてくるのではないでしょうか?


私の経験からも「読書感想文」が目的の古典的名作はしんどかったですねえ。
やはり自発的な興味がないといかに名作であっても、面白さは伝わってこないような気がします。
ただ、「坊ちゃん」は教科書にでていた一部分だけでは物足りなくて、自分で買って読んだことがありますね。面白かったです。
いろんなきっかけで古典にはまる時期もくると思いますので、いまは好きなジャンルをかたっぱしからで良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>自然とそういった作品にも興味がでてくるのではないでしょうか?

私もそう思っていたのですが、今は出版物の量が多いので、自分の好きなジャンルを読み漁るだけで、相当な時間とお金を喰うのです^^
読書感想文は大の苦手です。もうほとんど悲惨といっていい状態で泣き泣き書いてる状態。好きな本が題材でもダメです。「本を読む」と「文を書く」はまったく別の能力だってことが良く解ります。
好きで読んでるのに、感想を公表しろなんて心の中を覗かれるようでイヤだって言ってました。たしかに、納得できる理由だと思うのですが、学校の先生にはわかってもらえませんね^^

お礼日時:2003/01/15 21:57

参考までに私の場合を書きます。


どのようなタイミングで薦めるかが問題ですが、受験対策としてなら私は薦めます。
なぜなら、大学入試の問題で、割と近現代の古典から出ているからです。

それ以外の場合ですと……もしも私が薦めるとしたら、「近現代の歴史に興味がある」「近現代の思想に興味がある」
「古い小説を読んでみたい」という風に明確に目的のある人なら薦めます。

ちょっとmeikosanさんに質問します。何故「クラシックな文にふれてもらいたい」とお思いになるのですか?
私は、文学を通して、上の世代の考え方について理解が深まるからだと思っています。
それは書いてある中身だけではなく、文体にある、微妙に古い言葉がちりばめられている
うまく表現できませんが、「古語の味」みたいなものの理解にもなると思います。
ただ、古典作品は長編が多いので、無理に薦めることはおすすめできません。

もし、meikosanさんにその気があれば、子どもさんがお読みになっている小説を読ませてもらうのも
面白いかもしれません。そこで「お母さんはどんな小説を読んでいるの?」ということでお互いに小
説を通じての理解ができるかもしれません。(ちょっと空想が膨らみすぎましたが。)

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>何故「クラシックな文にふれてもらいたい」とお思いになるのですか?

正直言って受験対策も気になっていますね。^^;
それはこういう経験があるからです。

子供の頃、私は自分が読みたい本を読んでいました。高校生までは西洋文学や、古文の授業に出てくるようなのばかり。日本の近現代物は漱石が以外はほとんど読まないという偏り方でした。
本をほとんど読まなかった兄は高校3年の時、まさに「受験対策」として100冊くらいの文学書を読んだのです。当然私が読んでない本もたくさん含まれており、兄はそれを機に読書という趣味も手に入れました。
「受験のための読書」という不純な動機を少し軽蔑していた私は、そういう開眼の仕方もあるのだと驚きました。

子供が好きな本に、私がハマることもよくあります。結構いいセンスをしてると思っています。
それでもなお「名作文学」も読んだ方がいいのでは、と思うのは
うまく言えないのですが、「時代を超えた」「普遍的な」「人の心を育てる善きもの」がそうした文学にはあるのかな?と思うからです。
そのように言われて育ちましたしね、私も。
でも、「確かにそうだ」と断定できないので、皆さんにお聞きしたのです。

補足日時:2003/01/15 21:42
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本って、強制されて読むものではないでしょう。


また、本当に必要なら国語の教科書に載っているでしょう。
古典的名作というのは、案外、意味不明のものが多いですね。えらい先生が「名作」と決めたのかも知れないけれど。
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この回答へのお礼

素早い回答、ありがとうございます。
お昼には時間がなくて、お礼を書くのが遅くなりました。

>古典的名作というのは、案外、意味不明のものが多いですね。
子供の頃からたくさんの本を読みましたが、思い出してみると、
意味不明もものありました。
でもそれをものともせず、読み狂っていたのが私の読書スタイルでしたね^^;

お礼日時:2003/01/15 21:10

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