アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

12/22 に発表された2013年度から実施の英語指導要領では,英語で英語を教えるのだそうです.
このこと自体は正しいと思います.日本語で英語を教えることによる弊害として,英語を話せない教師が文法偏重に逃げ込み,堅固な日本式英文法の世界が構築されてしまったということがあります.日本の英語教育が進歩しなかった根本原因だと考えています.

ところで,英語で英語を教えるとなると,いろいろな問題があると思います.
たとえば,英語で英文法を教えられる日本人教師がいるでしょうか?英語を話せるからと言って,外国人教師に英文法教育を期待するのはさらに困難でしょう.なぜなら,一般のネイティブ英語教師は英文法に疎いですから.
その他,いろいろな問題が出てきそうですが,思いつく方は教えてください.

A 回答 (27件中1~10件)

>たとえば,英語で英文法を教えられる日本人教師がいるでしょうか?



 なかなか難しいでしょうね。文科省も「難しい文法については日本語でも構わない。」と認めています。

 この掲示板の回答者の中には「自分は英語が堪能だ」という自覚を持っておられる方もいるようです。試しに、そのような方にここでの回答をすべて英語でしていただくと(冗談ではなく)大変面白い実験になるのではないかと思います。

 ここでは単なる文法だけでなく内容の解釈や単語の微妙な違いなど様々な質問が見られます。質問者(や回答者)のレベルも様々で、初心者の方や高校レベルの方もいらっしゃれば(自称?)達人レベルの方もおられます。実験にはもってこいでしょう。

 実際の教室とこの掲示板とでは少し状況が異なりますが、英語に関心のある人が集まるこの掲示板において「英語による回答」がどれだけの効果的であるかということを示すことは今度の指導要領の効果を測る試金石となるかもしれませんね。(英語表現を標榜する人の中から、それくらいの矜持を見せる人が出てきても良いのではないかとは思いますが・・・。・)

>日本語で英語を教えることによる弊害として,英語を話せない教師が文法偏重に逃げ込み,堅固な日本式英文法の世界が構築されてしまったということがあります.日本の英語教育が進歩しなかった根本原因だと考えています

 上記のご質問について考えてみました。「学校英語は文法中心だ」という昔からの批判精神をお持ちの方も多いかもしれません。そのような批判は30年前であれば違和感はないのですが、時代は進んでいます。ここ10年ほどの教科書では、驚くほど「表現」に関する内容が増えています。

 今の中学・高校で「文法中心の授業」をしている学校は珍しいと思います。特に中学校では、私が前回示した(1)と(2)の指導くらいは普通に行なっているでしょう。高校でも「文法」の検定教科書はもう存在しません。文法は「Reading(読解)」の中で補足的に触れられるようになっているからです。

 過去のイメージに基づいた批判では進歩はありません。亡霊を追いかけるようなものです。もちろん大学受験を目指すレベルになると「訳読中心」や「英作文」中心の授業にはなるでしょうが、いまどき「文法」にこだわる指導者は少数派でしょう。それは最近のセンター試験や難関大学の二次試験の問題をみればすぐに分かることです。現在、生徒に問われているものは「文法」ではなく「読解力+表現力」です。

 では、教科書で「表現」の分野が増えているのに相変わらず英語を使える人がなぜ増えないのかという疑問が出てきます。その答えは簡単です。1つは、「英語を使う必要がないこと」です。二つ目としては「時間数の不足」と「クラスの人数の多さ」です。

 今の日本に住んでいて英語を使う必要がある人がどれだけいるでしょう。単に「カッコイイから」という理由ではモチベーションとしては不十分です。確かに英語は世界の共通語と言われています。英語が使えなければ困る社会も確実にあります。しかし、おそらく日本の90%以上の人が英語が使えなくても困らない社会に住んでいると言えるでしょう。高いモチベーションを持ち続けることが出来るのは一部の人だけでしょう。

 また、現在の週4単位という時間や1クラス35~40名の生徒数では、いくら英語での表現活動の活性化を目標にしてもそこには自ずから限度があります。

 教員の質を原因に挙げる人もいるかもしれません。しかし、教員の意識やレベルも依然とはかなり変わっています。上記の(1)や(2)くらいのことなら今でもありふれた風景となっています。高校でも実施しているところは一部(レベルの高い学校)ですが存在します。

 ただし、高校レベルでは、英語の歌や英語のビデオ(DVD)などのような単純なことでは物足りません。といっても前回示した(3)(4)(5)のようなことをやるにはかなりの指導力・計画力が必要です。日常の英会話ができるくらいのレベルでできることではありません。

 そこで求められるものが指導者としての「専門性」です。生徒の理解力、表現力を見極めながら英語による適切な問いを発することによって生徒の力を引き出していく指導力こそが文科省の新しい指導要領を生かすためには必要なものです。

 すべての教員がその「専門性」を身につけることが必要です。その意味において指導者は「専門家」にならなければなりません。しかし、それを最大限に生かすためには環境を整えることが必要です。

 今回の文科省の指導要領改訂の志は評価したいと思います。しかし、それを効果あるものにする環境はまだまだ不十分です。現在の状況では英語難民を増やすだけではないかと思います。

 時間や人数の問題はこれから時間が経てば解決されるかもしれませんが、「必要性」の問題はたぶん早急に解決されることはないでしょう。したがって、「話せる英語」を取り入れて、しかもそれが効果あるものにしたいのであれば、まずは対象人数を絞ることが最も必要なことでしょう。

 意欲と能力のある対象に絞って「英語を用いた授業」を実践すること。これだけは、すぐにでも変更してもらいたいものです。ご参考になれば・・・。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たいへん参考になるご意見ありがとうございます.
ご指摘のように,様々な批判や反省があり,たしかに日本の英語教育も改善はされてきました.しかし,根本的には変わらないのでしょう.

やはり必要性の議論になりますかね.
逆に,歴史的には英語が必要でない世界,つまり,英語の情報を何でも翻訳したりして日本語の世界に取り込んでしまって現在があると思われます.
一見便利な英語不要の世界に見えます.しかし,通訳や翻訳者が介在していることを忘れがちです.また,ある種のカーテンで隔離され閉ざされた世界になっているかも知れません.社会的なコストにもなっていますがやむを得ないとされています.
直接のコミュニケーションが必要な人だけに英語を教育すればよいとする考えもあります.しかし,今でも,必要な人なのにコミュニケーションできない現実もあります.
程度の差こそあれ,国際社会では外国をその言語で理解した方がよいはずですね.文化の相互理解は必要と思います.
近い将来,実際にはすでにそうなっていますが,否応なしに人口減による外国人の流入が増えます.やはり英語は日本人の誰にとっても必要になるのではないでしょうか?

お礼日時:2008/12/24 19:10

> ちなみに,英語を公用語にしている国が多いし,公用語として使っている人々も世界で最も多いし,なお増大しているのです.


ですから、英語の優位性に関しては否定するつもりは毛頭ありません。日本人ももっと英語に力を入れて、いきなり全部は無理ですが、
特に名門校から手始めに大いにネーティブ英語教師を導入して英語で英語を教えるのは大いに結構だと思います。ただ、極論を言えば、漢文を勉強するんだったら少しでも中国語でも勉強した方がよっぽど役に立つのではないかと。そもそも日本人が漢文をレ点とか返り点で読み下していた悪習が英語にも引きずっているのではないかと思います。

>また,世界に影響を及ぼす状況になっています.
これについては少し面白い現象があります。日本が世界に誇れるアニメや漫画は英語よりも、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語などに訳されることが多く、日本の漫画も英語圏の国にはやや浸透しにくいようです。

>今や,無駄があるから楽しいというレベルでは教育を論じられないと考えています
教育を語るには英語だけでなく、もっとマクロな視点で考える必要があります。花と団子のどちらを選ぶか、色んな価値観が絡んできます。
skytrain2005と私では価値観が違うし、他の人はまた別の価値観を持っています。従ってどれが一番正しいとかは一人の価値観では決められないと思います。

>携帯電話も日本が世界で最も進んでいるという誤解が一般にありますが,実は携帯電話について日本は鎖国状態なのですね.
技術に関しては日本は非常に優れていると思います。しかし、携帯電話は外国では使えないという不便さがあります。これは技術だけでなく国際的な規格化とか別の要素が絡んでくると思います。いずれにせよ、アメリカが携帯電話の分野では日本よりも遅れているのは認めてらっしゃいますね。

>むしろ,英語を知らないことによる損失が増大している状況です.
これは私が前回回答したことと関係していますね。つまり、英語圏の国は元々プライオリティーを享受しているので、非英語圏の国はその点では不利なわけです。しかし、フィリピンやインドは日本より英語力がはるかに高いのに、日本より国民の生活は貧しいです。その点に関してはどう説明しますか?また、「英語を知らないことによる損失」は私は少なからず認めますが、現状ではそれほど大きいとも感じていません。skytrain2005さんにとっては「大きい」と捉えてらっしゃるようですが、具体的にはどんな事でしょうか?

>文科省の危機感もそこから発しています.
これは短絡的過ぎるような気がします。

>譲っても,英語しか話せない人々よりも,英語も話せる立場に立つ方が絶対に有利だと思います.
こういう視点に立てば、アメリカは不利になりますね。いや、でもアメリカはスペイン語の学習も盛んなので「英語も話せる立場」にある人も多いことになるでしょうか?

>文化の多様性が奪われるという説には同調しかねます.
これもフィリピンを見ると、独自の文化ってあまりないですよね。東南アジアでもタイやインドネシアとは大きく違います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

皆さんありがとうございました.
そろそろ締めようと思います.

示唆を受けたことで印象的だったのは,すべての日本人が英語を必要としているわけではないことから,選択的教育をすべきというご提案です.
必要とする人,やる気のある人,などには上級の教育機会を与えるということです.不要と思う人(親が子について判断する?)は英語を一切学ばなくてよいという選択肢を残すことです.
これは日本人の一億総中流の意識や,横並び願望,不平等への強い嫌悪,などの歴史的な束縛から解放される契機になる可能性があります.このことは,小学校での運動会でゴールは手をつないで同時に着くという発想を根本的に否定する流れを作るのかも知れません.
また,同時に,従来タブーだった日本人英語教師のランク付けにも影響が及ぶことになるでしょう.

お礼日時:2009/01/07 21:16

>「在日外国人で英語をロクに話せない人」達も,なんとか英語位は話したいと思うのではないでしょうか.


そう簡単には行きませんよ。外国人の中でも英語を公用語としていない国の人が日本で暮らすとしたら、必要なのは英語よりも日本語でしょ。しかし、日本語だって一朝一夕で身に付くものではありませんしね。

>英語が世界共通言語になってきているのは否定しにくいですね
航空管制用語に関しては英語が共通語になっています。しかし、国連の公用語は色々政治的な問題も含んでいて英語に統一出来ないのが現状で、英語他に5カ国語が公用語として認められています。

>英語だけの方が,無駄が減る面があります.
これも確かにそうですが、現実はそう思うように行かないのではないでしょうか? でも、人生って何でも無駄があるから楽しいんですよ。
例えば、結婚だって役場に婚姻届を出せば正式な手続きは完了しているので、結婚式とか新婚旅行って「無駄」以外の何物でもないのでは?

>あるきっかけと環境条件が後押しして市場で最大シェアをとったものには,他にマイクロソフト社のウィンドウがありますね.
これなんですが、多くの日本人にとってパソコンより身近な機器である携帯電話に関しては、アメリカが開発に大きく出遅れているんですよ。

>英語はザメンホフのエスペラントを現実化したようでもあるし,すでに歴史的に最大のマジョリティ言語になったようです.
これも少し違います。このように英語が最大にマジョリティー言語に立ってしまうと、色んな面で英語圏の国がプライオリティーを享受していまい、地球レベルでの格差を増大させやすくしてしまいます。つまり、色んな国が互いの国の文化を尊重するのではなく、アメリカを中心に英語圏の国が非英語圏の国を従えて、その結果、世界の文化の多様性を奪っていく可能性もあります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます.

たしかに,住んで仕事をする国の言語を学ぶというのは第一ですね.
それは外国人が日本に来ている場合の彼らはその例になりますね.日本人も海外に飛躍したり,来日外国人とコミュニケーションをとる場合も同様です.
しかし,現在の世界は,日本に住んでいる日本人にとっても,居ながらに世界中の影響を受け,また,世界に影響を及ぼす状況になっています.
ちなみに,英語を公用語にしている国が多いし,公用語として使っている人々も世界で最も多いし,なお増大しているのです.国によっては国ごとの方言のような英語を使っていますが,英語としては共通ですね.
http://japan.wipgroup.com/useful-information/ref …

今や,無駄があるから楽しいというレベルでは教育を論じられないと考えています.携帯電話も日本が世界で最も進んでいるという誤解が一般にありますが,実は携帯電話について日本は鎖国状態なのですね.北欧(スウェーデン,フィンランド)その他,が最先端です.アメリカは遅れています.

英語は,今や,イギリスなど原産国の影響から離れてしまっていて,アジア地域を含めて,欧米の英語人口より非英語圏の使用者の人口が多くなっているそうですよ.むしろ,英語を知らないことによる損失が増大している状況です.文科省の危機感もそこから発しています.
譲っても,英語しか話せない人々よりも,英語も話せる立場に立つ方が絶対に有利だと思います.文化の多様性が奪われるという説には同調しかねます.

お礼日時:2009/01/02 10:58

>外国語として英語と決めるのは自然です.


私も第1外国語として英語を勉強することに意義はありません。しかし、英語オンリーなんですよね。現在でも在日外国人で英語をロクに話せない人は半分を超えているし、これから日本も非英語圏の国との経済交流がますます活発になることを考えれば、英語だけでは間に合わないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

多言語による社会的コストという観点もありそうですね.
「在日外国人で英語をロクに話せない人」達も,なんとか英語位は話したいと思うのではないでしょうか.英語が世界共通言語になってきているのは否定しにくいですね.英語だけの方が,無駄が減る面があります.
英語はザメンホフのエスペラントを現実化したようでもあるし,すでに歴史的に最大のマジョリティ言語になったようです.
あるきっかけと環境条件が後押しして市場で最大シェアをとったものには,他にマイクロソフト社のウィンドウがありますね.一つの流れが勢いで主流になるという例でしょうか.

お礼日時:2009/01/01 22:22

wy1ですか、前の書き込みと矛盾する所がありましたら、ご容赦願います。


現在の英語教員云々の問題の元は、旧文部省にあるので、それを新指導要領に副える教員養成制度を作らねばなりませんね。現在の教員はどうするかも、文部科学省の責任でしょう。その辺りがはっきりしないと、教員側も、教員養成機関も対応の仕方が判らないのでは。ただ外国人教員を増やせば、、、と言う訳にはいきません。現行の教員免許制度との関連から見て、彼らには資格が無いことになりますね。その点は如何のように考えたら良いのでしょうか。正式に採用試験に合格した教員でなくても、現行では教員免許を持った人でなければ正規の授業(単位認定の)は出来ないと思っていますが、如何なんでしょうか? もし外国人
を正式の英語教員として採用するならば、それこそ英語と教育に関するきちんとした試験を課すべきだと思います。ただ英語を喋る、間違いが無い英語を使えるだけでは、学校で教えるのには充分ではないと思います。それは、我々一般の日本人が、そのままでは日本語教育を行う力が無いことと同じことだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

新しい視点,ありがとうございます.
従来の教員養成制度は,大学の英語担当の教職教員も含めて元凶でしょうかね.
ただ,英語に関して言えば,教員免許制度を強化するのは,逆効果になるような気もします.免許の基準を誰が作るのかという問題ですから.
一般に試験・免許制度は,最近話題になるように天下り先の新設になるだけで,せっかくの新しい試みも硬直化しそうに思えます.
教員免許制度にかかわる大学の英語教員は教員免許が要りませんしね.

お礼日時:2008/12/30 21:39

こんにちは。


新英語指導要領(仮)についての問題点という事ですが、思いつく点がいくつかあるので、回答させて頂きたいと思います。
まず常に議題に挙がる「人材」の問題、これは必ず解決しなければいけない問題です。
具体的には「現在の高校英語教師には、英語を英語で教えるといった実践的な授業ができる人間が少ない」という問題ですが、今もう既に英語教員で、対応出来ない人には研修や再教育等を受けて頂くしかありませんよね。ただここで問題になるのは教員側の反発でしょう。
いくら必要だと上から求められても、喜々として受け入れる方が多いとは思えません。明確に反対の意思を示さなくても、嫌々研修を受けている人間が多くては教員の質が何時までたっても改善されないでしょう。
又、「これから教員になる人」についてですが、そこを改善するには、英語教員志望の方たちが学ぶ「大学」という場を変えなければならないので、これも五年そこらで出来るとは思いません。

そこで次は優秀な外国人教員を増やすという案についてです。
その案には賛成です。しかし、、、短期間で外国人教師を大勢集めるのも、また困難だと思います。日本という全く違う文化の国住んで、英語を教える、これは当然大きな決断を有する行動です、そこまで日本に情熱を持っている方がアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなどに多いとは思えません。「とにかく日本人の彼女が欲しい!!」みたいなアルバイトを増やしても全く意味がないので、集まりが悪ければしっかりと英語教授法の訓練をした人間を高給で引っ張るという手も考えられますが、、そんな予算はどこにある!?という問題に行き着きます。
第一、別にこの用途以外にも、本気で英語教育を改革しようとすれば多大な予算と手間がかかるのは明白です。不況にあえぎ、増税が避けられないといわれている今、そこに予算を割いている経済的余裕が、さらには国民の精神的余裕があるのでしょうか? こんな事を書くのは非常に嫌なのですが、経済が少しは安定してからで無いと、英語教育の改革をやっている余裕が無いのではと思うのですが、中途半端な予算と熱意でやっても結局中途半端な結果しか生まないでしょう。しっかり経済がまとまり、国民にも少し余裕が生まれ、十分な予算が出来てから全力で取り組んでも遅くは無いのでは? 「いや遅い!」といわれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、日本人はそのくらいの巻き返しが出来ると思っています。

それから大きな問題の一つは「生徒のモチベーション」ですよね。
英語がそれまで嫌いで嫌いで仕方が無かった人が、仕事でどうしても必要になり目覚しい進歩を遂げた、良くある話ですが、このモチベーションを学校でつくるのはやはり難しいですよね。せめて短期の交換留学制度等を小学校くらいからガンガン作るという手はあると思うのですが、外国に行く人間も、外国人を迎える人間もいい刺激を受けられるでしょう。それに一週間くらいからの短期交換留学は既にある程度の頻度でやっている事ですから、比較的簡単に実現可能では?
英語教育の改新に関しては、どんなに手を尽くしても最終的に生徒が興味を失えばまったく意味が無いと思いますよ。日本人の特に学生にとっては英語を日常で使う機会なんてほぼありませんよね、、無ければ上記のような手で作ればいいんです!ここはどう生徒達に英語を勉強したい!と思ってもらえるかが勝負だと思います。子供達は優秀です。英語を勉強したいと本当に思えば、たとえ今の英語教育のままでも英語能力は伸びます。そしてその気持ちを作り、応援するために英語教育はあるのでは?
すみません、このような質問は珍しいもので、言いたいことが沢山ありすぎてかなりの長文になってきてます。お許しください。

あと英語力の発展に伴って、子供達の活字離れはやはり問題でしょう。私は英語圏での英語の勉強の経験で、いかに英語の上達に読み書きすることが大切か学びました。本を沢山読み、沢山文章を書く。これってやっぱり英会話能力上達の為にも必要なんだと思うんですよね。しかし日本語ですら本を読まない方に、英語で本を読めというのは酷な話です。基本的な言語能力が不足してきているのは問題です。
同じ事がコミュニケーションにも言えるのでは?人と話すのが嫌いな人がいくら英語を憶えても、「英会話」上手くなりませんよね?昨今問題として頻繁に提訴される「コミュニケーション力の不足」これはそのまま英語学習にも響くでしょう。そこの教育も当然必要になるでしょうね。 
最後に、個人的に気になるのは、英会話産業業界の反発と妨害です。本当に日本人の英語教育の質が向上したら、最終的に業界が無くなりますから、こちらはかなり積極的に妨害するかもしれませんね。大手は政治家との癒着もありそうですし、こちらの問題も調整が必要そうですね。

とこんな感じです。ちょっと他の回答者様方とは違う切り口で回答してみました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たいへん興味深く拝読させていただきました.ありがとうございます.
いくつかポイント毎にコメントしたくなりました.質問者の特権のようですからご容赦ください.

>現在の高校英語教師には、英語を英語で教えるといった実践的な授業ができる人間が少ない

その通りですね.教える人材をどう育てるのか.大きな問題です.
外国人教師を大量に呼ぶ.これはある程度可能ではないかと思います.全員がたとえばESL教育の有資格者でなくともよくて,レベル毎の教育があってもよいと思います.イギリスでは英語教育は大きな輸出産業ですから喜んで出してくれるでしょう.

>短期の交換留学制度等を小学校くらいからガンガン作る

選択制にして,意欲のある小中高生を国費や私費で外国に送り込むということも考えるべきでしょう.

>気持ちを作り、応援するために英語教育はあるのでは?

その通りと思います.教育の本来の目標はモチベーションをいかに育てるかですね.英語以外の科目でも逆にディスカレッジするような詰め込み教育になっていないのか,これはゆとり教育の時でもあった問題でしょう.ゆとりがあっても「やる気」が育つかは別ですから.
面白いと感じる英語教育を提供することこそ重要なのですね.

>人と話すのが嫌いな人がいくら英語を憶えても、「英会話」上手くなりませんよね?

これも重要なご指摘と思います.外に表現することの意義が教育の中であまり認識されていないと思います.言い換えると,個性的な意見を持つことの重要性ですね.冷たい視線のなかであえて自己主張するにはかなりの抵抗を感じる状況があります.KYと称して,他に同調することこそが良いとする傾向は感心できません.創造やブレークスルーを抑えるからですね.

お礼日時:2008/12/29 23:32

wy1です。

私は高校時代から大学一年ぐらいまで、アメリカ人の宣教師のところで、英語で聖書を読む集まりに通っい、そこで自分が喋った英語を理解して貰えるようになりました。大学ではドイツ語を/ドイツ文学を学びましたが、ドイツ人の友人にはドイツ語を始めてから、英語が上手くなったね、と言われました。幸い、ドイツ語はネイティーヴに徹底的に音声を鍛えられましたよ。実際に英語を仕事で使うようになって、実際文章を理解し、得意先(主に英語国の大手電機メーカー)の担当者に理解してもらえたのは、高校までに覚えた文法に沿った文章と、彼羅からの文書を参考にして書いたものでした。実際、学校で習い覚えた”英語”の文法は大いに役に立つものだと今でも信じております。
だたし、音を聴いて理解する、音を出してまた相手に理解して貰う力は私が受けた中学/高校の授業では、付かないと思っています。何しろ、
LPもCDを無い時期でしたから。
仕事で英語を使う立場になかったら、恐らくそんなに勉強しなかったでしょうね。定年になってから10年経ち、既に仕事で使っていた、電子/電気/機械関係の表現/単語は忘れておりますね。

実際には、英語もドイツ語もその国へ行って、迷子にならない程度ですが、ある時期に必要性があったから、今でもある程度は使っているだけです。ただ、チャンスがあってもアメリカなどへ行かず、ドイツの方を選ぶでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

必要は母ですね.

お礼日時:2008/12/29 22:51

こんにちは!



 日本人が英語コミュニケーションが苦手であるためずいぶん損をしている面があるのは確かで、もっとごく自然に英語で言いたいことを言えるようにする方向に教育を持っていくのは賛成です。

 そのために英語ばかりを使った授業を実施するというのも、大きな方向としては間違っていないような気がします。ただ、あまりに文法を敵視して、まったく教えなくなるというのも、却って危惧が増えます。

 私はかなり多種多様の(英語母語者が教える)語学学校に通ってみた時期があり、そこでは当然ながら、文法が、文法用語を使って教えられていました。過去形というのが past tense に変わるだけの話しで、break の過去形が broke というのはどうしても覚えなければなりません。past participle は broken ですね、とどうしてもなるでしょう。これを避けて教えないというのは、私には無茶な話しだと思います。

 Could be worse! という日常よく使われるフレーズがありますね。この意味をつかむには、かなりの文法力が必要になります。な~に、そんなのは、丸ごと覚えちゃえばいいのさとタカはくくれますが、Couldn't be better! となって現れると、サッパリ分からないでしょう。応用力に欠けるのです。帰納的に知識を拡充していくには、日本に住んでいるかぎり絶望的です。

 どうもそうした文法の基礎を英語でやるのは時間的には非効率かな、と感じたのを覚えています。特に、英語母語者の教員を増やすのならともかく、現在の日本人教員が英文法を英語で教えるというのは、どんなものかな、と首を傾げます。

 生徒は、教員が英語母語者であれば、その人が話すいろいろなことから、生きた自然な英語の感覚をあれこれ吸収できるでしょう。明治時代の「お雇い外国人」の先生たちは、人間的にも優れた人が多く、そういう人たちが、数学も科学も英語も教えていたわけですから、英語を学ぶ環境としては理想的だったわけですね。(夏目漱石がこのことに言及しているのはご存知でしょう。)しかしそれは、文化的植民地じゃないかという反感を当然生みますので、しだいに日本人教員が肩代わりするようになってきて今に至っているわけです。今度は振り子が逆に振れようとしているのですね。

 現在の英語教育を見て、一番気になるのが、例文の硬直性です。まるで使い物にならない例文がガラパゴスの爬虫類のように生き残っていて、それを暗記してしまいますと、やはり毒が脳に回ると思います。あれこそ、英語母語者の知恵を入れて、かなり一気に、日本人が使えるフレーズに変えていくべきでしょう。塾などで使われている教材や市販の問題集など、どれを見てもこの病弊から免れていません。

 とにかく若い人は言いたいことがいっぱいあるはずです。ならば、それをどう英語にするのか、が問われなければなりません。しかしここには難しい問題が横たわっています。本当に言いたいことは日本語で考えますので、結局は翻訳の問題に帰着するからです。和英翻訳は、予想以上に難しいものです。

 例えば「私の住んでいるところはとても自然が豊かです」と言いたいとしましょう。何とかカタコトで言ったとして、英語母語者は、まず確実にその意味をつかみかねる(natureという言葉と、自然は必ずしも重ならない)でしょうし、日本人教員なら、とても自然な英語にしてはあげられないからです。

 明治の英語教育は、学問分野における英語が中心でした。しかし今後は日常生活や文化の問題もコミュニケートされねばなりません。このことは、プロの翻訳家も時間をかけて協議して、やっと近似的な答えを見つけられるくらいの難題です。

 ですが、もうそれをやらなければならないときに来ています。日本人からのメッセージは世界に発せられたほうがよいし、価値のある考えも豊富にあって、私は常々、もったいないことだと思っているのです。現状では、日本人の声を世界に届かせる現実的なメディアは英語です。ああした考えが、自然な英語にどうやったら乗るのだろう、と時々考えます。(私にはその能力はまったくないです。念のため...。「専門家」を名乗っていますが、多くの回答に意地の悪そうな批判がありますように、何も本当には分かっていません。言葉の領域は広大深甚で、とても何もかも分かるのは不可能です。正解を3割出せることを目標にしている「専門家」と、自嘲交じりで名乗っているとお考えいただければと思います。)

 もしこの案が実現すれば、問題は続出するでしょう。ですが、そういうゴタゴタの中で、いろんな知恵も生まれてくるはずです。前向きに考えていくことには大賛成です。しかし、風呂水といっしょに赤ん坊も流してしまわないこと――それだけを留保としてつけておきたいと思います。

 以上、ご参考になれば幸いです!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たいへん参考になる,また示唆に富むご意見をありがとうございます.

文法は必要であることは,どなたも否定できることではないと考えます.言語を学ぶ上で遅かれ早かれ認識されることですね.ただし,コミュニケーションの為には主ではなく従だと考えています.それが日本の教育では,典型的にはこの掲示板で文法が主になった回答が少なくないように,文法が教育の現場で英語教師が教える基本になっているように思えるのです.

具体的な例をあげると,日本人が独りで外国(英語国)に行った場合,一般的には,サバイバル精神で必死に習った英語をカタコトでも話そうとします.その場合には文法など気にしてはおられません.
ところが,そこに日本人が一人参加すると,とたんに文法を意識するようになり,口ごもったり黙りこんだりする現象があるとか.また,ある場合には自分の英語力を他の日本人に誇示するため,わざと難解な表現を使いこなして見せたりするということです.点数主義が原因なのか,文法中心の教育を受けたからなのか.

英語で英語を教える場合に,やはり第二外国語としての英語であることは崩せないはずなので,一部には日本語を使った方が効率的な場合はあるはずです.
日本で育つとそれなりの事物の知識や経験をすでに持っていますから,英語を勉強する場合に,日本ではどうかという意識をもち比較することで納得し定着させるという方法は効率的と思います.ただ,その場合に,日本語の側から学ぶのではなく英語の側から学ぶ必要があるのでしょう.

お礼日時:2008/12/29 22:46

そうですね、これで終わりにしましょう。

ただ、誤解されているようなので「米国嫌いなんですね?」ということにお答えしたいと思います。私も仕事の研修で3か月ほどアメリカに滞在したことがありますが、英語が話せなかったために目的を果たせたのではなく、英語の話せるか否かとは関係なく、怖い思いをしたというか、嫌な思い出が残っているというのもあります。というか、英語が少しでも話せたので命拾いしたのかもしれませんが。私は英語は小学生のうちからみっちり習っていて日常会話程度は話せたし、大学を出てからも英会話の練習をしていましたので、英語が話せないので目的が果たせずアメリカ嫌いになったわけではありません。

また、私は英語嫌いというわけでもありません。私は小さい頃からイギリスにとても興味があり、今でもビートルズとシャーロックホームズが大好きです。中学2年生の時、最初に不思議の国のアリスを原文で読みました。今でも好きな作品ですね。その他、SFではH.G.ウェルズなんかも大好きで読みました。

韓国語・中国語については日本でもメジャーな外国語になりつつありますが、英語より重要性が高いとは思いません。ただ、高校で第2外国語としてもっと教えるところもあってもいいんじゃないかと思います。
勿論、英検1級とかTOEIC900点までは行かなくても、英語の得意な生徒を対象に選択できればいいかなあとも思います。英語は世界で最も通用する外国語ですが、日本でさえ英語を満足に話せる人は少ないのに、特に中南米、イスラム圏、東欧・ロシアなどは日本よりも通じにくい地域が広範に広がっているので、まだ「世界共通語」とは呼べないと思います。

>日本でも「無差別殺人、両親撲殺、小学生が同級生殺傷」というニュースが毎日のように流れる今日、未だに「米国の方が日本よりも治安が良い、悪い」と比較している方がいるとは驚きました! 
日本も随分物騒になりましたね。しかし、こんなのはアメリカではもっと頻繁に起きているのではないでしょうか? 私が記憶しているのでは小学生が銃で同級生を撃ったという事件がありました。そう言えば、私がアメリカに滞在していた時、牛乳パックに子供の写真が印刷されていて、Missing Child とか書かれてあるのをよく目にしました。アメリカでは子供の誘拐事件が日常茶飯事化していて、一件一件をニュースで毎日大きく取り上げることもないほど多いんでしょうか? 更にアメリカは銃社会ですから恐ろしい限りです。私がアメリカに滞在したのはもう10年位前になりますが、その後 同時多発テロは起きたし、今は治安はよくなったんでしょうかね。

>「自分から半径50M以内に何事も起こらなければ「安全」だと言い張る」というのはまあ何とも「平和」で、反対に僕が羨ましいですわ。
それがそうでもないでんすよ。私の住んでいる町は去年の4月に政令指定都市になったんですが、人口規模ではもう少し大きい仙台市や広島市よりは治安が悪いのではないかと思います。やはり、中国人、韓国人、ロシア人の出入りも多く、殺人事件までとは行かなくても 何かとトラブルを起こし犯罪にまで発展することもあります。東京や大阪ほどの大都市ほどではなくても、外国人がらみの犯罪も少なくありませんね。
間近に見ているだけに国際化の負の部分も感じてきています。
ただ、もともと平和な人間が他人はもっと平和だと羨むのも滑稽な話ですが。

まあ、自慢するつもりはないと言って置きながら自慢話をひけらかしたり、謝ると言って置きながら激しく反論するようなこと(ということは自分から止めようと切りだしても止めないかもしれませんが)を繰り返しても duosonicさんが仰るように質問者の迷惑になりますので、これ以上の不毛な議論はこれで最後の最後にしましょう。

この回答への補足

ビジネスでどの程度のTOEICスコアが欲しいかの調査があります.ご参考まで.
http://www.toeic.or.jp/info/img/003/summary.pdf

補足日時:2008/12/28 08:59
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答者同士の会話は程々にお願いします.

ある報告によれば,2007年のTOEICの平均点で,小学校教員は582点,中学校教員は682点,高校教員は745点だったそうです.また,小学校教員の点数が急に伸びているそうです.
これらの教員は,英語担当の人が多いと考えられますから,その他を入れると点数は低いでしょう.高校で英語を教えるなら,少なくとも900点は欲しいところです.

必要性と教員がキーポイントとするなら,前者には能力別クラス,後者には

お礼日時:2008/12/27 23:37

「僕が謝りますので、質問者さんの迷惑になるからとにかく止めましょうよ」とお願いしたのに、まだ分かって頂けない方がいるようですね。



他の質問への回答を拝読させて頂いたところ、その理由が分かりました。回答者さんは要するに米国嫌いなんですね?  「治安は悪い、貧富の差は激しい、アジア人に対する偏見もあるアメリカってそんなにいい国?」と、これだけの見聞をされた上で回答されているということは、渡米の経験がおありなのでしょう。しかし英語が話せなかったために目的を果たせず、逆に英語嫌いになったと、こういうことなのですね?  なるほど、それで「韓国語、中国語云の方が大事だ」と言及されていたのにも納得がいきます。お隣の国の言葉をできるようにするというのは僕も大賛成です。是非やるべきです。しかし、まあそれもまず「世界共通語」がある程度実になってからじゃないですかね。

日本でも「無差別殺人、両親撲殺、小学生が同級生殺傷」というニュースが毎日のように流れる今日、未だに「米国の方が日本よりも治安が良い、悪い」と比較している方がいるとは驚きました!  「自分から半径50M以内に何事も起こらなければ「安全」だと言い張る」というのはまあ何とも「平和」で、反対に僕が羨ましいですわ。

或いは米国にて初の黒人大統領が選出されたのをご存知かも知れませんが、今日「偏見、差別」云々も国単位で大きな転換期を迎えており、先日同氏は「退役軍人長官」に日系三世を任命したんですよ。とにかくもう、偏見やら差別やら云々と言っていられる世の中の状態じゃないですから。

イタリア語がおできになるとはすごいじゃないですか、だったら嫌いな英語の話はせずに、そちらのカテへ行かれたらいかがです?

質問者さん、本当にお邪魔いたしました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まあまあ......!

お礼日時:2008/12/27 23:17

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!