プロが教えるわが家の防犯対策術!

アメリカ人クリスチャンの彼氏がいます。私は、現在シングルマザーですが、結婚後、今から4年前、神様との出会いがありました。洗礼はまだ受けていませんが、いずれ必ずと考えています。再婚の場合は、出来れば、クリスチャン歴の長い方をと期待していました(自分がまだまだ未熟なものですから)。
彼は、母親のみがクリスチャンというクリスチャンホームに育ち、彼の言動が、聖書をベースに行われている事に、感動と尊敬を覚えます。

同じ神様を信じる者と言っても相性がありますが、今現在のところ、私たちの相性は、ほどほどに良く、知り合ってからの期間が短いので、お互い焦らず慎重に行こうと言いながらも、結婚を前提とした、具体的な話を沢山します。

そこで今回の悩みなのですが、お互いの罪(恋愛関係)について、大まかな事は知っておきたいと言う事で、話し合いをしました。実際、彼にも数回だけですが、過ちを犯した事が分かり、少し嫌な気はしました。問題は、彼の側が、私の過ちに対して、非常に過敏で怒ったり落ちこんだり激しくて、正直楽しい時間ではありません。私に対して特別な想いを感じるから、一生懸命赦し忘れるよう努力してくれているそうです。

ほとんど全て、彼に打ち明けました。すでに数回の危機がありましたが、祈りの結果、続きました。彼は恋愛関係の話題だけは、気持ちが制御できず、すぐに怒り出します。治す努力をしてくれてますが、こういう話は、この先2度と聞きたくない、まだ受け止めるだけの自信がないから、と言いつつも、今の内に、話しておかなきゃいけない事は、1年後に聞かされるより、今まとめての方がベターだから言ってくれ!とも言われ、困惑してます。少しだけ言っていない事がありますが、
でも私にだって言いたくない忘れたい、神の前にだけ告白した罪だってあります。結婚を真剣に考えているのですが、全てを言わないこと=彼に対する誠実さの無さになってしまうのでしょうか。個人的には、これ以上彼を刺激したくありません。また彼の過ちも私は詳細までは聞いてないし、もしかして聞いてないことがあっても、そこまで白黒ハッキリさせたいとはおもいません。

出来れば、同じプロテスタントの信者の方、まじめな回答してくださる方のみ、お願いいたします。

A 回答 (4件)

私の感じですが、二人とも本当に救い主キリストと言う意味、癒されると言う事が理解されているでしょうか?キリストはおのおの罪を許された中でお互い裁くのをやめて(自分の意思で)いる感じです。

告白されるのはいいと思うのですが・・・もう一度本当に祈り悔い改めて新しい人になってほしい。
>一生懸命赦し忘れるよう努力してくれているそうです
>私にだって言いたくない忘れたい。
お互いに苦い根を持ちながら自分の努力で忘れようとしてませんか?
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こんにちは。


私もプロテスタントです。国際結婚をしました。

さて、罪について告白ですか…。
うちでは、わざわざ改まって告白しあう、ということはしませんでした。
だって、ゆるすのは、誰なのでしょう。
神様は、何度でもゆるしてくださる心の広い方ですよね。
でも、私たちは、人間なのですよね。
あなたも、彼も、わたしも。
聖書には、「七回の七十倍ゆるしてあげなさい」とかかれているけれど、それを私たちは目標とするけれど、
人間だからこそ、
怒れてしまうこともあるし、
悲しくなってしまうこともあるし、
傷ついてしまうこともあります。

愛は、
憤らず、すべてを耐える。
コリント人の手紙にそう書いてある通りです。
でも、
なかなか、そうはいかず、
私たちは、日々間違えては反省するのですよね。それが、「日々、悔い改める」ということですよね。

思うのですが、罪をパートナーに告白することに、何か意味があるのでしょうか。
聖書に、パートナーには、互いの罪を告白しなさい、と書いてありますか?そんな箇所ありましたっけ??

偶然知ってしまったこと、話の流れで知ってしまったこと、については、
私たちはゆるす努力をするべきだし、何度でも、ゆるすべきですよね。

でも、わざわざ、過去に犯した過ちを聞く…?なぜ…???

以前、牧師から聞いた話ですが、神様がゆるす、というのは、どんなイメージかというと、
「あれ?それ何のことだったっけ?」と事実そのものを忘れてしまうくらい、なのだそうです。
自分が過去に神様に祈っていて、すでに平安が得られていることであっても、パートナーには、すべて告白しなければいけないのでしょうか。
(たとえですが)神様でさえすでに忘れてしまっているほどのことを、パートナーが、俺がゆるしてやっている、と思うのは、人間の傲慢ではないかと思います。

人間は、誰でも罪を持っているものです。
聖書にかいてある通りに生きている人間なんて、一人もいません。
聖書の通りに生きられないから、人間なのです。
それをわざわざ、根掘り葉掘り聞く必要があるのでしょうか。

過去に付き合った人の話や、どんな付き合い方をしたかなど、そんなこと聞いて気分がいいわけがありません。
しかし、それを「ゆるす」というのは、お互いの過去に対して、負の気持ちをもつ、ということですよね?
「この人は、間違ったことをしたんだ」と。

つまり、相手を裁いているのではありませんか?

自分が犯した罪について、祈るのは、自分自身です。
自分が必要としているのなら、パートナーや教会の友に共に祈ってもらうのも良いでしょう。
でも、相手の過去について、「それは、間違った行為だ」と思うのは、
知らず知らずのうちに、相手の行為を裁いているのと同じなのではないでしょうか。

姦淫するなかれ、そう書いてありますね。
たとえば、彼に、あなた以外に、過去に深く付き合った女性がいたとします。それは「罪」でしょうね。
でもそのことに対して「祈る」といいながら、実は嫌な気持ちになっている。けんかしてしまうこともある。
それでは、聖書に出てくる、姦淫を犯した女に石を投げる村人たちと変わらない行為だと思います。

私たちは、お互いの罪を告白したりはしませんでした。
でも、話の流れで一部知ってしまったときに、私から彼にお願いしました。
私はこれ以上詳しくは聞かないし、聞きたくない。
でも、二人で神様にお願いしよう。と。
私たちがお互いに言わなくても、神様は、私たちの過去に起こったことはすべてご存じだ、と。

その祈りとは、つまり、こうです。
これまでの恋愛関係の過去について、神様がすべて切り離してくれるように、
私たちの記憶から消してくれるように、
私たちがそのことで、けんかしたりしないように、
私たちの関係を唯一強固なものにしてくれるように、
そう二人で祈りました。
夫など、「(過去が)腐ってなくなってしまえ」とか、無茶苦茶なことを言っていました(苦笑)

実は、それまで私はものすごく嫉妬深かったのですが、夫とそうやって二人で祈ってから、
とても気持ちが落ち着いて、あまりむやみやたらと嫉妬しなくなったのを、今でもよく覚えています。

罪、罪、とおっしゃいますが、
あなたや彼が感じている「憤り」「不和」「平安の欠如」これは罪ではないのですか?

人間は、知らなくてもいいんですよ。だって、神様は全部ご存じなんですから。
ただ、過去を切り離してくれるように、祈れば十分だと思います。
彼にも、そう提案してみてはいかがでしょうか。

私は、聖書の中で、愛について書かれたコリント人の手紙13章が一番好きです。
愛と、希望と、信仰。
この中で、一番大切なのは、愛なのですよね。
愛がなければ、いくら信仰にしたがって、罪を犯さないようにしたって、意味がない、そうではありませんか?

…ところで、「話していないこと」って、具体的にはどんなことですか。
子どもがいることを隠しているとか、離婚したことを隠しているとか、そういう大きなことだったら、
今のうちに、言った方が良いかなとは思いますが。

もし差し支えなければ。
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この回答へのお礼

とても丁寧なご意見をありがとうございました。感謝です。
そうなんですね、私達はお互いに裁きあうために存在してるのではなく、理解し愛し合うためにですよね。
私も、これは何度も彼に説明してきました。
彼も分かってくれたし、その為に一生懸命祈ってくれているようです。今までの彼は、恋愛関係の事になると、非常に短気で、相手に少しでも、恋愛における罪があると、切れてしまって別れて来たようです。
今始めて、私との関係において、赦し忘れる事を課題として祈ってくれているそうです。

一番基本の「祈り」を忘れていたのかも知れません。
何とか彼をこれ以上傷つけないよう、何とかしなくちゃ・・・と自力でもがいていたかも知れません。
まず祈り、できたら2人で祈ってみたいと思います。一番大切なのは愛でしたね。彼と一緒に読んだ個所なのに、改めて、再認識しました。

子供が居ること、シングルであること、どんな経緯を至って、今があるかということ、大まかな私なりの重要なことは全て話してあります。結婚前提ですから、相手に理解してもらうためには、ある程度のバックグラウンドを伝えるのは最低限、必要かナと思いまして。(罪の告白というよりは、お互いの理解のためです)。
ただ、過去の異性との関係についても、段階的にどこまでとか、やはり気になるようです。「過去の話は、二度と口にしないでくれ!」と言いながら「今の内に話しておくことは言ってくれ」と言われます。
まだ少し迷いがありますが、今の時点で、彼はその手の話題に、非常に敏感なこと(自分の欠点の1つと認めてます)、私の過去なので、全てを伝える義務は無いこと、神様との関係で清算することである、との2点から、やはり、言わない方が良いのでは、と考えています。

もう一つの彼の弱点で、過去の話を少しでもすると、もの凄く不機嫌になるので言わないで欲しい!と頼まれていますが君のことを説明する上で必要であればOKと境界線が微妙で、その件で、すでに何回も彼を怒らせてしまいました。
彼の過去の苦い経験から、過去の話を聞くことで、相手の気持ちが信じられなくなるという、思考回路が出来上がってしまったようで、十分理解しているので、言わない約束をしたのですが、つい・・・・を繰り返してしまいます。
この2点以外では、今のところ、大きな相違点はなく、お互いの相性もそこそこではと、理解しています。
当事者同士にとっては、深刻な問題で、お互いが本当にこの事で一喜一憂してしまい、何とかしないと、と感じています。

お礼日時:2009/02/22 15:10

>個人的には、これ以上彼を刺激したくありません。

また彼の過ちも私
>は詳細までは聞いてないし、もしかして聞いてないことがあっても、
>そこまで白黒ハッキリさせたいとはおもいません。

ご自分がして欲しいと思うことを、彼にしてあげたら良いのではないでしょうか?
(黙っていることで、欺くことにならないような内容で、
自分なら聞きたくないし、彼も聞きたくない筈だと思うことなら
言わない方がよいのではないでしょうか。)


マタイによる福音書 / 7章 9節
あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。


マタイによる福音書 / 7章 10節
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。


マタイによる福音書 / 7章 11節
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。


マタイによる福音書 / 7章 12節
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。


※的外れと思われましたらスルーしてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。そうですね。自分がして欲しいと思うこと、それを相手にもしてあげれば、良いのですよね。それと、欺く内容でないかどうかの見極めが大切ですね。
もう少し考えてみます。勿論、祈りながら・・・

お礼日時:2009/02/22 15:10

クリスチャンであろうと仏教とであろうと、お互いの過去の事は関係のないことと思います。


私の場合、相手の過去に多少の好奇心はあっても、聞いて気分が良くなることはありません。基本的に昔の事は、自分の内に秘めておくことではないでしょうか。
昔誰とどのようにお付き合いしたかは報告の必要がありませんが、こういうことは避けたいと思うことがあるなら、それだけを受け入れてもらうようにします。
多分、貴女が罪に思っていることは、普通の人はそれほど重要なことと考えてないと思います。
彼とのことは、将来のことをたくさん話してそれで、胸や頭の中が満たされれば良いのではないでしょうか。
誰にでも(多分)ほのかな恋愛、強烈な片思いなど、千差万別の経験があるはずです。
貴女方は少し生真面目に考えすぎではないでしょうか。
日本一の無責任男として名を馳せた、植木等さんは敬謙な仏教寺院の子息で、亡くなるまで自分の心と役柄のギャップに悩んでいたそうです。
しかし、彼はあくまで目の前にいる人たちを明るく楽しく感じるように努力して生きていました。
プロテスタントの方がどのように過去を精算しなければいけないのかは知りませんが、大切なのはあくまでも将来のことではないでしょうか。
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