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ロシア革命で処刑されたはずのアナスタシア皇女が、実は殺されていなかった…という話はよく聞きますが、実際はどうなんでしょう?

A 回答 (3件)

こんにちわ。



その類の本によると、確たる証拠がないみたいです。
彼女の一家全員が殺された後に本人を名乗る女性が現れて、彼女を知る多くの人が、本人と認めているようです。
(中には違うと言っている人もいる)
しかし、ちゃんとした証明(DNA鑑定とか)がされず、本人が死んでしまい、結局わからずじまいのようです。
アンナ・アンダーソンと名前を変えて、アメリカに渡り、そこで結婚静かに暮らし、死んだそうです。
しかし、1979年に殺された一家全員の遺骨が発見されて(これも本当かどうかは、?)、
DNA鑑定の結果、この遺骨の一体がアナスタシア皇女に間違いないと言われています。
これも本当のところはどうなんでしょうかね?
もうチョット詳しい人の回答を待ちましょうか。
では。
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こんにちは。



アンナ・アンダーソンについては彼女が亡くなった後で、病院に保管されていた彼女の血液をDNA鑑定した結果、ニコライ2世のものと一致しない事が判明しています。
彼女の正体については当初から、1920年に失踪したポーランド女性フランチィスカ・シャンツコウスキーである、と言われていました。これは耳の形の一致など解剖学的な鑑定からかなり確度の高いものであると言われています。
第一次大戦中に交戦国だったドイツから大公が極秘に訪問していたという、当事者でなければ知らないだろう事実を彼女が話したと言われていますが、これについては、
(1)ドイツ大公の秘密訪問は当時から「うわさ」としてある程度広まっていた。
(2)ロマノフ家の遺産相続にまつわる諍いに利用され、何者かに教唆された。
という見方が強くなっています。

では皇女アナスタシアは1918年7月16日にエカテリンブルグで確かに死んだのかといえば、その確証もありません。
皇帝一家の最後については殺害者の一人であったピョートル・エルマコフの証言以外にまとまったものがありません。1998年に行われた発掘調査では9人程度の大人の骨が見つかっていますが、数も構成もニコライ一家とは一致せず、鑑定の結果もほぼ確実と思われるのは皇后の指の骨のみでした。エマルコフの証言ではガソリンと硫酸を用いて完全な灰になるまで焼き尽くし全て貨物車の荷台から撒いた事になっていますから、これとも矛盾します。

これは全くの推測ですが、アナスタシアを含め何人かの皇女は命を永らえて密かに余生を送ったのではないでしょうか。
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#2です。


ロマノフ一家の遺骨鑑定について、おもしろいページがあったのでお知らせします。
参考URLを参照して下さい。

参考URL:http://www3.kmu.ac.jp/~legalmed/DNA/romanov.html
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