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なぜ江戸時代の武士は名前を変えるのですか?
例えば
西郷吉之助→西郷隆盛
桂小五郎→木戸孝允
伊藤俊介→伊藤博文

といった感じで名前が変わります。
ちなみ上記は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」に出てくる一部の人物です。
他にもたくさんの人が改名しています。
どなたか分かる方いらっしゃいますか?

A 回答 (2件)

武士には「元服」と言う制度があったんです。


これは「一人前」として認められる儀式でもあります。

そのときに名前を変えたそうです。
その時には「烏帽子親」という親以外の実力者から一文字頂くのが通例だったそうです。
そして烏帽子親は親に成り代わりその子供の行動を見届ける役割をし、子供は烏帽子親の名に恥じないように、努力する事をほとんど義務付けられるそうです。

それ以外にも役職が変わったり(出世)すると呼び方が変わったり、色々変わる要素が有ったようです。

それが明治の戸籍制度の関係で、農民や町民は性を名乗れるようになり、武士は勝手に改名することを禁じられたそうです。

http://www.yo-in.net/i/kaimei_way.html
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日本を含めた東アジアの文化には、元々「本当の名前を教えてはいけない」という文化があり、本当の名前を教えてしまうと、呪いをかけられたりしてしまうと考えられていました。



この本当の名前を諱(いみな)といい普段使用する名前を字(あなざ)といいます。また元服により名前を変える前の名前は、幼名(ようみょう)といい、これを使う理由は兄弟の数が多い割りに元服するまで生きる子供が少なかったために、幼名を番号(一郎・二郎)などでつけ、元服したらちゃんとした名前を与えたということと、先ほどの呪詛的な理由で、子供が呪詛で命を落としそうになっても、本当の名前(諱)を知らなければ、鬼でも悪魔でも命を取る事が出来ないと考えられていたからです。
(千と千尋の神隠しで、神の国に迷い込んだ千尋がユバーバに名前を盗られて、千(セン)になってしまい、本当の自分を忘れてしまうというのも名前=自分という考え方があるからです)

ちなみに西郷隆盛の諱は「隆永」で、西郷隆盛が生まれたときに父母が名付け西郷さんも知っていたのですが、明治維新後の苗字の使用が始まった時に、戸籍登録(つまり名字・名前の使用開始)する際、西郷さんの知人が諱を知らずに、西郷さんのお父さんの名前で届けてしまったそうです。
また伊藤博文は諱を自分の氏名としたようですし、桂小五郎も氏名のうち名前の孝允は諱、苗字の木戸は維新前に藩主から木戸姓を賜っていたものを使用して、木戸孝允だったそうです。
明治の偉人でも、板垣退助などは、諱ではなく字である退助を戸籍に登録し使用したようです。

ちなみに明治維新では氏名を国民全員が使用するようになりましので、このような改名(というか諱・字の選択)が必要でしたが、それ以前の武士は、生まれた時に諱と幼名をつけ、元服すると字をつけて使用し、お墓に入って墓碑に書かれるのが諱だったのです。
今の私たちが知っている織田信長とか徳川家康とかは諱であり、当時は誰も「ノブナガ君」とか「イエヤス様」とは呼ばなかったのです。
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