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同じ状況でも退屈を感じる人と逆に興味を感じる人がいることがありますが、このような違いを心理学の立場からはどのように説明するのでしょうか。

A 回答 (10件)

再度、hk0105です。


>退屈はなにも感じていないというより逆に退屈感というのはかなり強烈な精神活動の結果なのではないでしょうか。

言われて見ればそうですね。なにも感じていてないことってないですよね。


>現在の日常生活において退屈はあまり問題とされていないとお考え

辞書で調べてもあいまいな表現なので、言葉の意味としては、あまり使いたくない言葉だなって思っていました。


>同じ状況でも退屈を感じる人と逆に興味を感じる人がいること

なかでも仕事は、取り組み次第で、だいぶ心境が違ってくるんでしょうね。
ただ、与えられた仕事をしても飽きるので、自発的になにか工夫したいと
思ってくると、おもしろさを見出せるから、その点では、意識の持ち方で
差がでてくるのではと思います。

この回答への補足

>辞書で調べてもあいまいな表現なので、言葉の意味としては、あまり使いたくない言葉だなって思っていました。

このことと、私が心理学的にと申したこととは同じ意味だったと思いました。心理学の用語を使って退屈を定義すれば退屈の本質が明確になるかと考えていました。仕事に対する取り組み方に関しては与えられた仕事を受動的にこなしていると前頭葉がやることがなくいやだいやだと思うのが仕事になってしまうことが鬱あるいは退屈の本体なのかと理解させていただきました。こういう場合、自発的に工夫することの方が退屈であると思うことより楽ではないと錯覚されているのかもしれないと思いました。

補足日時:2009/06/02 02:48
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この回答へのお礼

再び大変有り難いご感想を聞かせていただきましてありがとうございます。

お礼日時:2009/06/02 03:03

NO.9です。


>退屈かどうかは対象にあるのではなく頭の中にあるということになるように思われます。
これは当然ながら貴質問中の
>同じ状況でも退屈を感じる人と逆に興味を感じる人がいることがありますが
に対応してそういえるということになります。
NO.1 回答者のかたが権威ある専門的論述をされています。
ご参考まで
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この回答へのお礼

御親切なご教示ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/03 17:58

>同じ状況でも退屈を感じる人と逆に興味を感じる人がいることがありますが


音楽会で同じ演奏を聴いても一向に感激にいたらないひとと、感動して涙を流すひとがいますよね。これはそのひとが「面白くも無い」と刺激に対して心を閉ざしてしまうか、逆に全部取り込みたい、それによって快感を得たいと活性化しているとの違いなのでしょうね。
それまでの各自の経験にもとづく期待感の差なのだろうと思います。
多趣味の人は無趣味の人に比べて周囲の刺激によく反応するはずだし、それだけ退屈しにくいのではないでしょうか。
何の刺激もない闇の防音室の中で長時間居ると人間は正気ではいられないといいますが、そんな状況では違いが出るのでしょうか。私は出ると思います。比較的退屈に弱い人はやはりそうでない人に比べて長時間耐えられないだろうと思います。多趣味の人はいわゆるひとり遊びが得意な傾向があるだろうし、内面のさまざまな記憶と対話することで退屈しにくいということが言えるのではないでしょうか。
一素人の雑感です。ご参考になれば。

この回答への補足

過去の体験によって作られた神経回路が目の前の対象からの刺激によって活動するかどうかということが退屈かどうかを決定するということでしょうか。そういう意味では退屈かどうかは対象にあるのではなく頭の中にあるということになるように思われます。自発的とか主体的にという言葉の意味は防音室に入ってみるとよく実感できるのだろうと納得いたしました。

補足日時:2009/06/03 03:31
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No.4です。

もう一度考えてみました。

自分の期待に見合った成果や反応が見られないと退屈と感じるのだと思います。

同じ状況でも退屈を感じる感じないの差は、学習や刷り込みといった、受け手側の下地の差もあると思います。
色んなものを見聞きして予め予備知識があれば、引き出しの広さから同じ様な物事からでもそこから発展して、何かひらめいたりする楽しさを感じる人もいるだろうし、また、もともと真っさらな状態にあればその物事自体を新鮮に感じることでしょう。

同じ状況でも、相手や出来事に期待しすぎる人ほど退屈を感じるのかもしれません。

自分から何か変えてみたいと思う人の方が、退屈を感じないのではないかと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。自発性(前頭葉?)が健全に働かないことが重要な意味を持っているように思います。御回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/02 20:52

退屈って、鬱そのもですね。


自分が何をしたいのか見出せない状況
退屈は、心の死そのもの。
なにも感じていない。普段からなにも思っていないってことは、
ありえないから退屈っていう言葉そのものが、死語ではないでしょうか。
意味不明な言葉

この回答への補足

退屈というものが鬱そのものというご見解には全面的に共感いたします。またそれが、自分が何をしたいのか見出せない状況であって退屈は、心の死そのものということにもなるほどという感じがいたします。しかし退屈はなにも感じていないというより逆に退屈感というのはかなり強烈な精神活動の結果なのではないでしょうか。普段からなにも思っていないってことは、いわゆる無気力ということで、無気力は退屈と違ってあまり苦痛にはならないように思います。最後の方の、退屈は死語というのは現代では退屈という言葉は使う人がほとんどいないというような意味になるのではないかと思いました。現在の日常生活において退屈はあまり問題とされていないとお考えなのでしょうか。
意味不明な言葉

補足日時:2009/06/01 02:54
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この回答へのお礼

補足の最後のことばはよくわかりませんでしたが、ほかのところは大変有り難いご指摘でした。どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 19:55

こんにちわ。

3番です。
ご返信ありがとうございます。

退屈自体が苦痛なのではなく、
退屈と戦おうとすることにパワーを使う、
そのことに苦しみを感じるのではないかと思います。
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退屈とは、思考が停止することだと思います。


停止とまでは行かなくとも、創意工夫を見いだせない状態だと言えると思います。
そこから先が見えていたり、発展する情景を思い浮かべることが出来ない、心が満たされない状況だと思います。

また、見限ると言うことと同意義なのだと思います。
何の可能性も無いと判断したり、価値を感じないと退屈になるのだと思います。


>同じ状況でも退屈を感じる人と逆に興味を感じる人がいることがありますが、このような違いを心理学の立場からはどのように説明するのでしょうか。

自分の欲求と無関係にあるもの、魅力を感じない事柄や状況には退屈に感じるものだと思います。つまり無関心と言うことです。
以前は関心があったことでも、満たされたり、繰り返し経験して飽きてしまうと必要と感じなくなり、退屈になるのではないでしょうか。
感動や喜びと言った刺激が脳に伝わらない状況だと思います。

また、自分の能力では推し量れない、攻略できないと判断すると、回避として退屈という感情が生まれることもあると思います。
いつまで経っても攻略できないゲームを投げ出すのと似ていると思います。
人は自分の成長を実感できると、その物事に対して好奇心が湧くのだと思います。
でも、何も手応えがないと自尊心を守ったり、疲労することを避えるため、他に関心を向けるのだと思います。他に関心が向かったときが、ある物事を退屈と感じたときと言えると思います。


つまり、「感動や喜び」を見いだせなくなると、退屈になるのだと思います。
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こんにちわ。



退屈とは、
欲望が無い状態、つまり、
「不足」と「欠如」が無いか、
あるいはあっても気づいていない状態だと思います。

仕合せの古くなったのが苦しみ、ということですが、
その少し前、という感じでしょうか。
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この回答へのお礼

退屈はやはり苦痛のようにも思いますが、そういう見解も可能ですね。どうもありがとうございました

お礼日時:2009/05/30 17:22

こんにちは、



本人の状況に対する態度(積極的or消極的)と“意味の発見”です。

例えは、同じような日々平穏な人生でも、そこに“人生の意味”を見出している人は
退屈とは感じませんし、ひとつの過程だと捉えることが出来ます。
その意味で、“意味”見出すことは、“希望”を持つことと、同義です。

人はトンネルの向こうに、(希望という)光が見えたとき、
そこに向かって歩くことは意味と方向性を持ってきますし、積極性も芽生えてきます。

そして、同じ作業でも、積極的に関わっている人は、
その作業に“面白さ(刺激)”と“意味”を見出します。

最初に、“意味”を見出して、積極的に関わる人もいれば、
嫌々ながらも、作業しているうちに、面白さを見つけて、積極的に成ることもあります。

逆に言うと、私たちが“退屈”を感じる時は、進行中の作業に意味を感じられない時、
やらされている(自分が積極的に関わっていない)時、終りが見えない(希望がない)時、です。

参考文献です。
http://www.amazon.co.jp/%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81 …
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この回答へのお礼

意味はすなわち希望であるということですね。御回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/30 12:25

こんにちは。


退屈とは「無報酬刺激に対する嫌悪反応」です。
そのときの気分にもよりますので一概に割り切れませんが、我々の脳は環境からの入力が報酬と判定される場合は接近行動を選択しますが、無報酬の場合は嫌悪刺激と判定され、不快や回避行動が選択されます。
このような反応は大脳辺縁系の情動反応として発生する「心の動き」であり、個人差といいますのは「生後学習の違い」によって現れます。
「大脳辺縁系(偏桃体)」といいますのは環境からの入力情報に対して「利益・不利益」の判定を下す中枢です。ここで過去に利益という結果が学習されていればそれは報酬反応となりますが、不利益という体験があれば嫌悪感が発生します。また、まだ未体験のひとには新奇刺激ですが、体験済みのひとに好奇心は発生しません。このように、与えられた状況に反応の異なるのはそれぞれの生後の学習結果によるものであり、それが個人々々の性格や価値観の違いとなって現れます。
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この回答へのお礼

報酬すなわち利益ということですね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/30 12:28

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