激凹みから立ち直る方法

皆さん、度々お世話になります。
私は20代後半の中卒の人間です。
もう30代に近いのですが、取れる資格の幅を広げるために
定時制か通信制高校に通って高卒を目指そうと思ってた
時期がありました。

ただ、私には精神面に問題がありまして、机に向かって
何か作業をしようとすると、足の裏がムズムズして落ち着かなく
なり、椅子から立ち上がって部屋の周りをうろうろ歩かないと気が
済まなくなるのです。
おかげで勉強はおろか読書すら満足にできない状態です。
そういう訳で、今は高校への進学は見送ってます。

そんなデスクワークに難点がある私でも、自動車免許を取るための
学科の勉強だけはまっとうすることができました。
何故かと言いますと、私の地域は車社会でして、仕事に就こうにも
免許と自家用車が無いと苦労するのです。
若かった頃の私は経済的な事情で免許を取ることができなくて、
自動車を乗り回している周りの人達と無免許の自分を比較して、
すごくみじめな思いを抱いてました。
その時のみじめな気持ちがあったからこそ、免許を取れるだけの
費用ができた時、「自分にもチャンスが来た。
生きやすくするためにも絶対に免許は取ってやる」という
強烈な動機が生まれ、技能講習で悪戦苦闘しても最終的には
免許を取ることができたのです。

それを考えると、物事をまっとうするためには強烈な動機が
必要なのだなと思いました。
少なくとも理屈では中卒よりも高卒の方が生きやすいということは
わかってるつもりです。ただ、なんと言えば良いのかわからなくて
申し訳ありませんが、理屈がわかっていても、高卒を目指すこと
に対して、免許を取ることを目指していた頃のような「なにが
なんでもやってやる」という強烈なエネルギーが無いのです。
自動車免許を取ることと学歴を得ることでは、必要な年月が
違いますので、両方を同じレベルで考えること自体、
間違いだとは思ってます。
ただ、一つだけ言えるのは、理屈がわかっていても、
物事を成立させるまでの粘り強い行動力が伴ってないと、
いつまでたっても目標に辿りつくことはできません。
ですから、最近の私は自分に対して「お前は本当に高卒を目指したい
と思ってるのか?最後までやりとげようと思ってるのか?」
と自問自答をして考え込むことが多いのです。

皆さんはそんな私の考えについて、どう思いますか?
皆さんからのご意見をお待ちしております。

A 回答 (2件)

勉強は社会で働くための準備であり、卒業という目的のためではありません。


結果として、卒業という肩書きが必要であっても、大事なことは学んだことを理解しているということであり、
高卒という肩書きではありません。
仮に資格を取って入社しても、仕事ができなければ解雇されます。
スタートラインに立つことも大事ですが、失格になっては意味が無いです。

机に向かえないというのは、精神的に未熟か、弱いか、それとも障害があるか、そのどれかではないかと思いますが、どうでしょうか。
そのどれであっても、就業するにはマイナスでしょう。
もっとも、知的障害であってもある作業にはもの凄い集中力を発揮し、健常者の1.7倍もの仕事量をこなせる人もいるそうです。
自分の能力を活かせる環境を見つければ、劣等感は感じないでしょう。

生活するには働いて収入を得なければなりません。
高校を卒業しようという意思があるか判らないということは、現状でも食べていける環境にいるのではないですか?
どの学校を出るか、どの資格を取るかということは、どうやって生活の糧を得るかというその人の生き方の問題であり、
生きるということは、その裏には死があるということです。
あなたには、その危機感が無いのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2009/08/01 04:41

年をとって気力が無くなった分、


追い込まれないと、動かなくなっている状態。

本当にやりたいなら、逃げ道を断つ事。
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この回答へのお礼

全く仰るとおりです。
私は行動力が無いくせに言い訳だけは長々と述べてしまう。
これでは進歩はありません。
ご回答ありがとうございました

お礼日時:2009/07/31 21:14

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