プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私はものすごい心配症なので、いろんなことを不安になります。

例えば、ときどきこんなことを考えます。
電車の手すりに、猛毒が塗ってあったとしたら?
硬貨に、猛毒が塗ってあったとしたら?
こっそり空き巣に入られて、物はとらずパソコンに変なソフトをインストールされたのでは?

もちろん、私だって「きりがないよ」と諦めてますが、すべて可能性がないことではないですよね?

そういう事案に「きり」をつけるとき、あなたはどんなふうに考えますか?

A 回答 (9件)

NO1です。



私ですか・・
世の中、大抵の事は信用できる・・のではと考えています。
例えば、電車は定刻どおりに来ますし・・
混んだ電車に乗って吊り革を掴んでも、毒には現在まで触っていません。

もし、毒が塗ってあって死んでしまったなら、それは運命・・・
諦めるしかありません。
本当は諦めるもなにも、死んでしまえば何もありませんが・・
生きているから諦めなどの言葉もある訳で・・

毎日食べるものにしても、大勢の人の手を経て届きます。
今の所は生きていますので、毒など入ってはいなかったのでしょう。
時々(ウン十年に一度とか)間違って・不注意で毒になる物が混じっていたなどもあります。
これは不運としか言い様がない・・ですね。

昨年は、食料に適さない米を販売していた、とんでもない輩もいました。
まあ、疑えばきりが無い・・・

しかし、現実問題として、自分が毒を盛る気がなければ、自分も盛るられる事も少ない・・のではとは考えています。
もし、通り魔的なことに会うのなら・・・それは運命。

人は信頼しても良い生き物・・と私は思っています。
しかし、どの様な世界に生きても、多少のリスクは伴います。
で、最低限の備えはします・・
が、アクシデントも付き物・・その時には運命を受け入れるだけ。
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この回答へのお礼

そうですね、最後は運命なんでしょうね。

ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/01 06:25

今まで、心配して得なことは何がありましたか?


例えば、カギをかけ忘れたかもしれないと思って、戻ってみたらやっぱりカギをかけ忘れていた、なんてこともごく稀にあったかもしれません。

しかし、ほとんどのことは、心配するだけ無駄なことばかりだし、心配したからどうにかなる訳ではないし、心配するだけ精神的にも疲れるし、ストレスが溜まるだけだし、何も良いことはないのではないでしょうか?

だから、心配しないようにしています。
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この回答へのお礼

確かにそうですね
ありがとうございました

お礼日時:2009/08/01 15:50

猛毒が塗ってあったら死ぬだけやん。



そんなの防ぎようがないよ。


変なソフトがインストールされてたら、
削除すりゃいいだけだし。


心配は結果というか、悪影響がでてから心配したらええんちゃうの。
とずぼらでええ加減な私なんかはそう思っています。

その心配症を半分、分けてもらえたらいいんですけどね。。
心配症自体は悪いことではないんですよ。
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この回答へのお礼

へへへ・・・わけてあげましょうか。

はい、どうぞ(笑い)

ありがとうございました

お礼日時:2009/08/01 15:51

・・・・きりがないことにきりをつける?


屁理屈ですが、「きりがない」んですから、文字通り考えても「きりがない」訳で考えても無意味ですね。

あなたの例えも「?」です。
手すりや硬貨に「猛毒」ですか。
じゃあ、この心配に私が「きり」を付けます。「一生、猛毒を塗られる事はありません」「可能性は皆無です」。私が保証します。
どうですか?。

多分、それでもあなたは「心配」でしょう。

別の視点で。(やや脱線ですが)
猛毒は無いにせよ、「ばい菌」はあるかも?

日本人が東南アジアに旅行などする際、食生活で心配なのは「肝炎」です。
この肝炎、日本人は心配していますが、なぜ(東南アジア)現地の人は「予防接種」せずに平気なのでしょう?それは、自然に「免疫」を身に付けているからです。日本人はわざわざ「注射でばい菌を」入れ、免疫を作ります。
もう一つ、昨今話題になった「豚インフルエンザ」ですが、「ワクチン」は出来たのでしょうか?この新型インフルエンザは、日本人の中にも「抗体」(抵抗力)を持つ人が結構いるんです。それは、現在90歳以上のご老人です。彼らは、この新型に感染しても基本的に平気なんです。
肝炎にしても豚インフルにしても、日ごろから雑菌に接していた人たちは、自ら抵抗力を備えます。もちろん「心身ともに」です。

まだあります。
日本人の大発明、トイレのウオシュレット。大便のあと、紙で拭いただけでは数億個ばい菌がいます。しかし、ウオシュレットを使うとそのほとんどを洗い流せます。「ぢ」の人にはありがたいですね。しかし、良い事ばかりでもないんです。肛門はもともと汚い場所。それだけに、雑菌に対する抵抗力を備えています。それをウオシュレットを多用すると、きれいになる分、抵抗力が弱まります。よって、ちょっとした事で「ぢ」になるかも知れません。

人間の生活は、ばい菌や雑菌に触れなければ生活できません。それがゆえに、抵抗力も備わっています。
これは精神的にも同じです。過保護に育つと、逆境に「弱い」人間になってしまいます。
上記例文は、こじつけかも知れませんが、普通に人が気にしないことを、気にする人と言うのは、「世間知らず」なんです。「世間擦れ」していないっとでも言うのでしょうか。
物事や時には人も含め、疑いだしたらきりなどありません。では、なぜ信用できないのでしょう?
お母さんが作った朝食に毒が入っているかも?とは、思わないでしょ。
世間とあなたは信頼関係がまだ希薄なんです。自分の親に接するようにもっと世間と触れ合ってください。(いろんな経験を積んでください)自然に馬鹿げた疑いはなくなります。もしも、疑いが晴れないのなら、毎朝、朝食も毒見してください。バカバカしくなりますから。

辛らつでごめんなさい。(^^)
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この回答へのお礼

>辛らつでごめんなさい。(^^)

いいえ、とても説得力がありました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/01 06:24

わたし・・・


窓を開けっ放しで外出する。
バイクのキーを挿しっ放しで離れてしまう。
自分の食器を洗うスポンジで猫の食器も洗っちゃう。
考えるときりが無いので・・・

>猛毒が塗ってあったとしたら?
たぶん質問者さんが触る前には他の人も触っています。
電車の中でぶっ倒れている人がいなければOKOKですよ。
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この回答へのお礼

>電車の中でぶっ倒れている人がいなければOKOKですよ。

いや、そういう問題ではないような・・・。
まぁ、いいです。ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/01 06:14

私も心配性の塊です(;_;)



キリが無いのは分かっているのに何でも用心深く、深く深く考えてしまいますよね。
そんなとき私は「私だったら」で乗りきります。
「私だったら猛毒なんか塗らないし」とか。
「私だったら」でなくても「普通はこうだよね」で考えます。
「○○なのかな…いや普通は○○で○○だろ。」と考えます。
あくまで常識的にはこんなことないだろうと決めつけて進みます。

大丈夫。そういう可能性はありますが、
「そういう可能性がない可能性」のほうが
一般的には勝ってるんですから(^^)

参考にしていただけたら幸いです。
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この回答へのお礼

>キリが無いのは分かっているのに何でも用心深く、深く深く考えてしまいますよね。

そうそう!!

大変参考になりました
ありがとうございます

お礼日時:2009/08/01 04:28

猛毒に触れてしまい、それが原因で死んだらそれが運命だと受け入れる。


とても簡単です。
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この回答へのお礼

確かに簡単ですね
ありがとうございます

お礼日時:2009/08/01 04:29

そういう益のないことは考えないことにしてます。


つまり「可能性があっても実際はない(実行する人間はいない)」と。
要人でもないし平凡な一市民にそんなことする人なんていないと思いますけどね。
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この回答へのお礼

ははぁ、そういうきりのつけかたもありですね。
ありがとうございます

お礼日時:2009/08/01 03:50

二つの方法がある様に思います。



一つは、とことん疑って、その疑いに基づいて行動をすること。
中途半端はいけませんよ・・トコトンです。

一つは、人を出来るだけ信用してみて行動すること。


どちらを選んでも・・あなたの自由。
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この回答へのお礼

そうですね。
ちなみに、heisei-100さんはどっちですか??

御回答ありがとうです

お礼日時:2009/08/01 03:49

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