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喪が明ける、ひあけになるまで、神社に参拝はだめと
聞いてますが、どうしてなのですか?
又、喪中でも、お寺のお札はいいけど、神社は駄目でしょうとか聞きます。

なんとなくは、子供の頃から認識はありましたが
いざとなると、詳しい内容がわかりません。
神様は、喪中の間は、鳥居をくぐられたくないのでしょうか。

近所に、和む神社があって、癒されるので、行きたいのですが、
おこられますか?
いつも、前を素通りして、会釈だけしています。
怒ったりしないような気もしますが、何で喪中は
参拝はだめなのでしょう。
気にしなくてもいいのでしょうか。

知ってる方教えていただければ嬉しいです。

A 回答 (7件)

こんにちは。

papapikoさん。
いくらか気持ちの方は落ち着いてきましたか?
大切な方を失った喪失感というのはしばらく続くかと
思いますが、早く元気になってくださいね。

神社は喪中の時は行ってはダメだと言いますが、
詳しく言うと、忌中の時がだめなのであって、
その忌中の期間というのも、私に言わせれば「?」です。
でも昔からの言い伝えというか、しきたりでこうなって
しまいました。

近親物が死亡した時に一定期間、喪に服する期間を
「忌服」と言って、これは
明治七年に太政官布告によって「服忌令」というのが出て、
故人との関係によって忌中と喪中の期間が細かく決められた
のです。でもこれは今となっては昔の決まりであって、
今は現代の社会に合うように修正されて、
「四十九日までを忌中,一年間を喪中 とする」というのが
一般的になっています。が、

服忌の期間に関しては
 父母・夫・妻・子については五十日
 祖父母・孫・兄弟姉妹については三十日
 曾祖父母・曾孫・甥・姪・叔父叔母については十日
 その他の親族については三日
 特に親しい友人知己については二日程度

というように期間が決まっているのですね。

なぜ神社は喪中の参拝がだめなのか・・・なのですが、
お葬式でも神道で行う場合がありますが、
決して、神社では行いませんよね。これは、
「死は穢れであり、忌み嫌うべきこと」であるので、
神聖な場所とされる神社はその立場上、こういうふうに
なってしまったのです。

また、鳥居をくぐってから先の神社の参道の真中
(拝殿に向かって)は、神様の御通りになるところなので
歩いてはいけません。端を通ります。
鳥居は神社の神聖な場所としての境目となります。
だから不幸があった時、鳥居をくぐれない・・・と
いうことになるのです。しかし、
忌中さえ過ぎれば、通れます。でも、不幸があったことで、
とがめてしまう気持ちも起きてしまいますし、回りの方々から
「喪中なのでいけない」とも言われてしまうでしょう。
だから、せめても鳥居の横から入って行こう・・・と
いうことになるのですね。

お札をもらうのも、(やむをえない)自分のためや自分の家
のためなら、忌中でももらって大丈夫です。
もちろん、忌中の期間を過ぎたら、堂々といただいていいのです。
神様は、守ってくれるものなのに、そのお札も不幸が
あったからもらえないなんて、おかしいです。
そもそも、言い方が悪いですか、神社にとって、
亡くなられた方が「穢れのある忌み嫌うべき存在」であって、
その家族や親族、知り合いの方が、
「穢れのある忌み嫌うべき存在」なのではありません。

忌中の期間も、今の時代に合わせたからと言っても、
やはり少し長いですよね。

ですから、papapikoさんが、和む神社にどうしても
お参りしたいと思うなら、神様はわかってくれていますよ。
きっと嫌な風には思っていないでしょう。
もしだめだったら、
その神社に参拝する前に何か雰囲気も違う気持ちが
するはずです。

もし、そんなことを感じてしまったら、しばらくは
遠慮かもしれませんが、
きっと大丈夫な気がしています。

たくさん神様にお話ししてみてください。
きっと、こころが安らかになるはずです。

参考URLをいれておきますね。
意見的にふたつは違うものなのですが、
大筋では合っています。
今の時代は昔の時代の「喪に服する」という考え方は
かなり変わってきているようですね。

http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/index.htm
http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/index.htm

参考URL:http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/index.h …

この回答への補足

okoaさん

喪に
服す


言う言葉は、亡くなった
愛する
人の為にある程度、
裂きなさい
あなたの時間を
と、
言うものかもしれませんね。

明治の時代まで、ほかの
方の意見も含め帰ってしまいますね。

少し前に夢を見ました
神様と仏様のご依頼引渡し所の夢です。

ここから先は、神へと
と、仏がお渡しする交換所の夢です。。
たくさんの
お地蔵様がいらっしゃいました。
きっと神様もきらいませんよね。

今、ご神仏に、手を合わせれません。
私も、ご利益主義だったみたいです。
汚い心かもしれませんね。
時間をとり、ゆっくり、春の神様の樹にあいに
いきますね。


では。
また。

補足日時:2003/04/15 01:36
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この回答へのお礼

okoaさん こんにちは、丁寧でわかり易く、又、ご自身の見解も踏まえたアドバイス、ありがとうございます。

そうですね、ほんの少しだけ、消化しました。。。
ご心配ありがとうございます。

>ですから、papapikoさんが、和む神社にどうしても
お参りしたいと思うなら、神様はわかってくれていますよ。
解りました、肌で感じるものを信じますね。
多分、okoaさんのおっしゃる通り、雰囲気で掴めると思います。

参考のところもとても詳しそうですので、これから勉強してみます。

今は、そこの神社にお願い事とか、ないし、お礼を言いたいのと、そこのご神木や、木々の作る風や空間が好きなので
そこに行きたいんです。でも、もうちょっと時間がたってからの
方がいいかも知れませんね。
沢山、いろいろ詳しい事を、教えていただきまして
ありがとうございました。
少し、普段笑えるようになりましたよ。

皆様のお陰です。ありがとうございます。

お礼日時:2003/04/14 19:10

おはようございます。


今回のご質問の参考になるかと思います。よろしければ,参考URLをご一読下さい。

個人的見解としては・・・

「死の穢れ」については,古事記にも数多く見られ,「死」そのものを穢れとしております。故に,皆様おっしゃるように故人や遺族が穢れではありませんし,「喪」という時間の隔たりを置いて,「穢れ」が故人・遺族から離れていくのを待つのではないかと思います。また,この穢れが離れるまでは,世の悪いもの(悪鬼,魍魎rtc..)が死にまといつき,これとともに,鳥居という結界内の神域へと侵入するのを防ぐためにも,「神社に参拝はだめ」ということではないでしょうか。
因みに女性の月経期も血を流すということから鳥居をくぐってはならないと言われてますね。

参考URL:http://www3.justnet.ne.jp/~tanahara/odake5-4.html
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この回答へのお礼

moonroseさん、ありがとうございます。
参考の方も、読ませていただきます。面白そうですね。

「死の穢れ」穢れなのでしょうか。
魂だけになって、一生を全うした人がけがれなのでしょうか。

>因みに女性の月経期も血を流すということから
鳥居をくぐってはならないと言われてますね。
そう聞いた事もありますが、お世話になった稲荷系の
指示を受けられている、尼様は、
神様はそんな事くらいで、きらったりしないと
おっしゃってました。
心配しないでお参りしてよいと、月経時に関しては
おっしゃてました。

月経に関しては、昔教えてくださった尼様の意見に沿います。

神様は、死をやっぱり、嫌うのですか。
まだ解りません。
考えてみます。
色々教えてくださったところも参考にしてかんがえてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/04/15 14:47

>亡くなられた方が「穢れのある忌み嫌うべき存在」


神道においては亡くなれた方は神様になります。
従って、穢れているのは死後まもなくのことであり、その間を服喪としたわけです。
>何で喪中は参拝はだめなのでしょう。
やはり身近な人が亡くなると悲しみの心がどうしても出てしまいます。神様にお参りするのに邪念があっては失礼ですので、その間はお参りは止めましょうということです。神様にお参りするにあたっては悲しみの心でさえ、邪念であり穢れなのです。その穢れ(悲しみの心)の根源といえば亡くなられた方ということになります。よって死=穢れとなるわけです。
決して神様が拒むようなことはしませんが、人間としてのモラルとして受け継がれてきたものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

table_1969さんご回答ありがとうございます。

>決して神様が拒むようなことはしませんが、
そうですよね?私はそう思うんですが。

>人間としてのモラルとして受け継がれてきたものではないでしょうか。
なんとなくわかる気もします。。。
神社に参拝する人は常に、すがすがしさのような気を
求めにくる人が多い気がします。。
その人たちに失礼なのかもしれませんね。

でも、悲しみは愛するものを失ったからで(まだ私の中にいきてますけど)
ご神仏が下さった、感情なんですよね。

まだ、境内に入れない気がするので、少し時間置きます。

お礼日時:2003/04/15 14:35

よく聞きますが、変な風習ですね。


個人的には全然問題ないと思います。

きっと、明治政府になってからできた風習だと思います。
明治以前は、神仏習合(しゅうごう)とか神仏混淆(こんとう)
とかいって、ほとんどの神社やお寺で神道の神と仏教の仏を
同時に祀っていました。

小さなところでは同じお堂に神と仏を祀っていたし、
大きなところでは同じ境内の中に、
神社は神宮寺(じんぐうじ)というお寺を、
寺院は鎮守(ちんじゅ)社という神社を設けていました。

佛僧が神の前でお経を読んだり、
神職が仏の前で祝詞(のりと)をあげるなどは
日常茶飯事でした。

明治政府となったとき、神道を国家的な宗教としようとした
政府の役人たちが、寺院と神社を廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)=神仏分離
という活動をし、神社から仏教色を取り払ってしまったのです。

そのときに、歴史的な文化財の多くを破壊するといった
おろかなことまでしています。

ですから、歴史的に見ても、変な話だと思います。
日本に仏教が伝来して以来の長い歴史の中で、
僅か百数十年前からの風習など、
無視できると思っています。

今でも、鳥居のある寺院も存在しますし、
(大阪の有名な四天王寺の西参道に大き石鳥居があります)
寺院の境内に、小さな祠やお稲荷様が祀ってあるのは
よく見かけます。

神社の中に仏塔があったり、山門があったり
鐘楼(鐘撞き堂)があることも
注意してみると見かけるものです。

ダメだとは絶対にいえないですし、
周りがどうこう言うのなら、
それに従うのもひとつの手かもしれませんが、

歴史的に見て、問題のないことは覚えておいて頂ければ、
アドバイスしたかいがあると思います。

ご参考になれば
群馬県の榛名神社のHPを紹介しておきます。
ここには、仏塔(三重の塔)や山門があります。

参考URL:http://www.haruna.or.jp/
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この回答へのお礼

70633さん 詳しいお話をありがとうございます。
明治のお役人って、何だか酷い方がいたのですね。
神仏分離 令は、去年知りましたが、そんな経緯があったのですか。

そうですよね、神様は別に心でお話にゆくのを
いやがったりしないですよね。
それより、きっと心配して下さるでしょうね。
何度か、病状が良くなるように、お願いに行ったから
お礼を言いにいかなきゃ。
鳥居をくぐったりはわかりませんが、取りあえず、
神様にお礼を言ってきて、境内に入らせていただきます。

もうちょっとしてから。かな。

お礼日時:2003/04/15 14:26

行くだけなら、怒んないとおもいますよ。



神社の参拝は、祝い事が多いからじゃ無いかしら。
(七五三とか初詣とか…あと 願掛け?)
参拝はダメという解釈ではなく、お参り(祝い事)する側もきがすすまないだろう。というのが基本的な考えなのだと思います。

それに、最近では喪中は(一親等で)50日と聞いたことがあります。
喪中に参拝(行事に参加)する為のお祓いもあるようですよ(人づてに聞いた話)。
つまり、いろいろ抜け道はあるという事だとおもいます。

どうしても気になるのなら、神社の人は、人当たりの柔らかい人ばかりだから、素直にきいてみては如何ですか。
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この回答へのお礼

1511さん ありがとうございます。

>行くだけなら、怒んないとおもいますよ。
そうですか。良かったです。


>どうしても気になるのなら、
>素直にきいてみては如何ですか。
わかりました。そうしてみようかな。ありがとうございました。

お礼日時:2003/04/14 14:41

こんにちは。



私も喪中の神社参拝は控えていましたが、知人から「鳥居をくぐらず、横から入って参拝すればいいよ」なんて言われてそのようにしていました。

最近の傾向としては全く意に介さないようです。

詳しくは、下記URLをご参考にどうぞ。

参考URL:http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/arakalt04-0.htm 
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この回答へのお礼

maron-kuriさん ありがとうございます。

鳥居をくぐらずですか。参考のページもゆっくり見せて
頂きます。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/04/14 14:09

宗教や地域によって違う可能性があるので自信無しですが



神社が喪中の方の参拝を嫌うだけで、仏教的には参拝しても問題ないと思います。

鳥居をくぐらずに参拝する方法もありますが。
結局気持ちの問題なので、私は気にせず参拝しましたが。
私の家は浄土真宗本願寺派ですが。
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この回答へのお礼

plussunさん ありがとうございます。
あまり気にすることでもないのでしょうか。
別にお願いする事はないのですが、お礼とただ
そこの場所の雰囲気がいやされてすきなのです。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/04/14 14:08

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