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実はこの質問に適当なカテゴリーが見つけられません。
このカテゴリーの回答者には外国に住んでおられる方や英文を多く読んでおられる方が多いので、回答が得られるのではと期待しました。
日本人だけなのかどうか、日本人には「子供は純真だ」という信仰に近い思い込みがあります。先日小学校の先生とある問題で議論になったのですが、非常にずる賢いある1年生(6才)の生徒のことを「純真」だと思い込んでいて、私が私の知識と経験を動員して説明しても、信じられないという風でした。子供だけではなく、大人に対しても「あいつは純なヤツなんだ」というと、それはその人間が聖なる人間で、非難するのは余りにも恐れ多いというのと殆ど同じ意味になります。
私は日本人論とか比較人類学とかに興味があって、その種の本を読んで来た結果でしょうか、日本人の純真信仰というのを確信しています。
フィリピン人のことはよく知っていますが、時に「子供は天使」と口にすることはありますが、あくまで知識としてのそれで、日本人のように気持ちにまでなっているというのではありません。
欧米人はどうなのでしょう?「彼はナイーブだ」は日本語では最大級の褒め言葉ですが、英語では確かむしろ見下げる言葉だったですね?
innocentというのはどういう場合に使いますか? He is innocent.と言えば褒め言葉になりますか?
子供が純真であるという表現は英語にはよく出て来ますか?
欧米人の意識の底に「子供は純真である」という信仰のようなものはありますか?
相手が学校の教師ということもあるのでしょうが、3才の幼児のずる賢さを私が説明すると、日本人一般に戸惑いや反感を感じられているのを感じます。欧米人ならどうでしょうか?
適当なカテゴリーがなくここで質問させていただきました。
参考になること何でも結構ですから教えて頂けたらありがたいです。

A 回答 (8件)

難しいご質問なので、ピントがずれた答えになるかとは思いますが、参考までにと書かせていただきます。



日本に住むアメリカ人の多くの友人達が、日本で公共の場での子供の態度、そしてその親や周りの大人の反応に、いつまでたっても慣れる事ができないと言います。
「子供だから」とか、「子供が先」など、この考え方に納得できないようです。

例えば、立食などのパーティーがあったとします。さぁ料理を取って食べましょう!となった時、日本では当たり前のように「子供が先」です。子供が先に料理を取るために並んだりします。
これ、アメリカではあまり見ない光景です。「大人が先」。

公共の場で子供がはしゃいで若干うるさく感じた時、「何故日本では当たり前のように誰も何も言わないのか?」と、何度も聞かれます。
「子供だからしょうがない」と答えようものなら、まさしくNo.1さんも書かれていますが「教えないと(教育しないと)動物と同じ。」と、厳しく返されます。このような社会生活のような(学校や友達、大人との生活)シーンでは「子供は純真」という感覚は殆ど無いと思います。

「子供は純真・無垢」と良い意味で使われるシーンは、才能の分野の方が多いように思います。(これは私個人が感じる事なので、みんなそうだとはなりません。軽く読んで下さい。)
新しい事を取得する時(絵や音楽、勉強、スポーツなどなど)、純真だからこそあっという間にテクニックを取り入れ、更に発展させるなど、そんな時に使われているように感じます。

>「彼はナイーブだ」は日本語では最大級の褒め言葉ですが、英語では確かむしろ見下げる言葉だったですね?

私の感覚では、彼はナイーブ=彼はマイナス思考 と受け止められることが多いように思います。見下げるというか、まぁ明るいとらえ方ではないように感じますし、好きな人を語る時に「彼(または彼女)、とってもナイーブなの♪」とは、絶対言いません。印象悪いですから。

>日本人一般に戸惑いや反感を感じられているのを感じます。欧米人ならどうでしょうか?

日本人家庭で、アメリカで「子供は後」と言う経験をした家族などは、「子供に先に食事を与えた方が静かになって良いに決まってる!」と、戸惑いや反感を持つ方もいます。

子供は純真と考えるか、教育しなければ悪魔と考えるか、どちらが正しいのか解りませんが、ご相談文書にあるような教育現場にいる先生たちは、せめて固執した考えは捨てて欲しいとは思いますね。
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この回答へのお礼

貴重な情報ありがとうございます。アングロサクソン、ゲルマンでは子供に対する態度は厳しいと聞いていますが、色々な場面でそれは現れて来るのですね。子供に対する大人の意識が違うということは、それがどのように違うのかというのが、今度は興味の対象になって来ますね。

お礼日時:2009/10/29 23:19

>日本人の大半は子供が悪魔であるのはあるのは相応しくない思っているように見受けられます。


それはその通りです。
でもそれは私の回答の最後にもありますように、日本人に限らず万人すなわち皆の願いだと思います。
日本に子供を悪魔にした出版物があるかどうか把握はしてはいませんが一時子供の犯罪、それも猟奇的犯罪が多くあった事は確かです。
私が言いたかったのは、【子供は悪魔である】という短絡的、独断的主張では無く、【子供も決して純粋無垢ではなく、悪の要素も隠し持っている】ということです。
そして、その考えは欧米にも日本にもあると言うことです。

欧米人には、こどもばかりではなく大人でも人間そのものは本来悪であるという考え方があります。
彼らが自身の生き方の標とする宗教の祈りも「罪人なるわれらのために」とか「主よ、~~赦したまえ」という言葉はいたるところにでて来ます。
また、イザヤ・ベンダサン(だと思います.昔に読んだので定かではありません)は、スーパーなどで、今では無くてはならないレジスターも元々は人間は悪であるという発想から開発されたものである、というような事を書いています。
まあ、もし欧米人と日本人との考え方に差異があるとすればその辺にあるのでは?
欧米と日本では、人間が絶対的に持っている悪の部分を認めて、その上でその対処方法を模索するのと、現実から目を逸らし、希望的観測の下に思考を発展させるのとの違いはあると思います。(何度も言いますがすべての人がそうだといっているのではありません。傾向という意味です)
この事は子供に付いても同じだと思います。
何も考えず大多数の支持する、子供=無邪気、を信じて疑わない人もいれば今まで書きましたように、自己の深い洞察の結果、「イヤ、そうで無い面も併せ持つ」と考える人もいるでしょう。

ご質問者が「欧米では」とお聞きになりましたので以上ふたつの回答になりましたが、日本にも欧米と同じような出版物が無いとは断言できないと思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
イザヤベンダサンの「人間教」に確か、日本人の純真信仰のことが書かれていたように思います。それから、私も日本人の純真信仰のことを、気をつけて観て来たのですが、矢張り、日本人に特異なものという結論を抱くに至っています。田舎の人は純真であると日本人がよく言うのもそのバリエーションの1つだと思います。そして子供純真願望が日本人に非常に強いように感じたので、この場で質問となったわけですが、
今回は参考意見ありがとうございました。私の場合、どうしても民族差に興味があるので、他民族のことを知りたくなってしまうのです。

補足日時:2009/11/06 14:59
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#6にいただいたレスポンスを拝見しましたが、念のために申しますと、私は「純真さという観点から言っての子供に対するイメージ」に限って差異を感じないと書きました。

また、日本でも国外でも、人には皆、差異があると書いたつもりです。

この回答への補足

ucokさんの回答を再度読んでみましたが<<日本でも国外でも、人には皆、差異がある>>とはどこにも書いてません。しかしながら、どんな物事に対しても必ずどこの国でも複数の考えがあるわけですから、こう考える人もいるが、こう考えない人もいる。だから一概には言えない。だからどこの国でも同じだという論法では全ての結論が同じになってしまいます。
大半の人が同様の考えを持てばそれが、その国を特徴づけます。「大半」でいいのです。単純化して言いますと、ある国ではAという考えの人が90%でBという考えの人が10%、別の国ではAが10%でBが90%とします。貴方の場合この90%と10%の違いを無視して論じるので、とにかく両方ともあるので、ある国も別の国もどちらも両方の考えが存在しているので、どちらの国も同じということになってしまうのです。これは、観察の不足であり、怠慢ではないでしょうか?時々お目にかかる論法ですが、貴方の投稿も最初から最後までそういう論法ですよ。ズケズケ書きましたがこれで終らせて頂きます。失礼しました。

補足日時:2009/10/29 23:38
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日本で生まれ、子供の頃に米国で暮らし、のちに欧州西側諸国全域およびアジア諸国を旅しましたが、純真さという観点から言っての子供に対するイメージは、どこへ行っても大して変わらないと感じています。

子供が純真だというイメージはあるし、実際にはそうとも限らいないと感じている人は多いし、また、そもそも純真さとは何ぞや、ずるいのも純真ゆえではなかろうか、という議論があるのも、私の知る限りではですが万国共通です。そもそも日本でだって、子供が「やんちゃ」であったり「ずる賢いガキ」だというのは周知の事実なわけで、だからこそ「しかし大人は冷静になって、彼らを天使と思おう」という理屈になるのが、私の知る限りではですが一般的です。

>「彼はナイーブだ」は日本語では最大級の褒め言葉ですが、英語では確かむしろ見下げる言葉だったですね?

それは単に「ナイーブ」という和製英語と「naive」という英語が別の単語であるというだけです。語源は同じですが、意味や用法はかなり違います。

>He is innocent.と言えば褒め言葉になりますか?

「He is innocent.」は一般的には「彼は無実だ」という意味です。「あの子は純真だ」と言いたい場合には「He is an innocent child.」などと言います。褒め言葉だと解釈するのが一般的です。

>子供が純真であるという表現は英語にはよく出て来ますか?

"an innocent child"で検索してだけでも無数にヒットしました。詩、子供を保護する親の言い分、虐待防止関連の記事、などが目につきます。"innocent children"でも、もちろんたくさんヒットします。
http://search.yahoo.com/search;_ylt=A0oGki8xZelK …

>欧米人の意識の底に「子供は純真である」という信仰のようなものはありますか?

日本人と同等程度にはあると感じています。

>相手が学校の教師ということもあるのでしょうが、3才の幼児のずる賢さを私が説明すると、日本人一般に戸惑いや反感を感じられているのを感じます。欧米人ならどうでしょうか?

私の経験では、日本人も欧米人も同じです。私の(日本人の)祖父などは、子供たちのことをむかしから「ったく、けしからん」と言っていましたし、英国か米国の誰の短編小説だったか忘れましたが、(母国)の女主人公が、近所の子供を純真と思って好きにさせていたら、盗みや横暴などで生活をめちゃめちゃにされたという設定のものがありました。

ただ、純真云々はさておき、子供がずるいことをした時と、大人がずるいことをした時とで、同じ対応をとって効果的かというと、そうではないし、人間のずるさを「純真さがないゆえ」ととらえていいかというと、必ずしもそうではないので、そのあたりで議論がかみ合わないということは、どんな国や地域でもあり得ると思います。ご質問にある、その6歳児や3歳児について、どんな議論が具体的に展開されたのかを補足していただければ、問題の本質が見えてくるかもしれません。

余談ですが、英語圏は欧米のほんの一部であり、欧米は世界のほんの一部であるのは言うまでもありません。

この回答への補足

回答ありがとうございます。同じように世界のあちこちに住んだ人でも、人間は所詮同じだと思い込みたがる人に時々会いました。私にとっては著しい違いでそれ故異国を旅する喜びがあるのですが、その手の人にとっては世界中の人間の違いが余り見えないのか、差異に興味がないのか、兎に角人間は皆同じという方向に持って行きたがります。実際、インドやアラブ圏は度肝を抜かれるほど、日本人とは考え方・感じ方が違うし、欧米人と日本人の差異は見えにくいですが確かにあります。私は僅かな差異でも顕微鏡で見るように拡大して見たい方ですが、貴方の投稿を見る限り、差異は無視したい意思を感じます。
最後の、余談ですがの文章にしても、ホントに余談なら書く必要がないのにワザワザ書く意図は何でしょう?ここまで、差異はないないと主張して来て最後のダメ押しです。差異がないのは欧米だけではなく、全世界中差異はないのだという、貴方の潜在欲求がこの文章を追加させたものと見受けられます。従って、そのような欲求を持っておられる方は何を見てもそのようにしか感じることが出来ませんから、折角回答していただいて誠に申し訳ないのですが、私は興味が湧かないのです。

補足日時:2009/10/29 21:30
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この回答へのお礼

何でも結構と言いながら、補足では失礼なことを書いてしまいました。
お許し下さい。
ゴリキーが違いの見えないおばあさんにイライラとした気持ちを抱いたように、私もついイライラとしてしまいました。済みませんでした。

お礼日時:2009/10/29 22:28

欧米で子供は、「まだ人間(つまり大人)になっていない、半人半獣の状態、きちんと教育としつけを施すべき存在」です。



欧米のきちんとしたレストランは「子供お断り」です。つまり、マナーと教養を身につけ、その場にふさわしい行動を自主的に取れる大人だけ食事を楽しむことが出来る、のが欧米の考え方なのです。

面白い現象に、「ドラえもん」をどのように感じるか?という質問があります。
日本では当たり前に子供が楽しむドラえもんですが、欧米では
「子供がロボットに助けてもらって危機を乗り切るのは教育上よろしくない」
というのが一般的で、あまり人気がありません。
ところがアジアでは、日本と同じように受け入れられています。
クレヨンしんちゃんも同様なところがあり、ヨーロッパでもイタリア・スペンなどのラテン系および南米(同様にラテン系)では受け入れられています。西洋といっても、子供に厳しいのはゲルマン系(フランスの北部。ドイツから北・アメリカ移民の源流など)のような気がします。

ところで子供は事実とても純粋だと思います。ただそれは「ずる賢い」ことをしないと言う事ではなく、「ずるい」ことをするぐらい自分の欲望に素直だということです。
これを、人間の欲望に素直なのだから(大人は様々なしがらみ・世間体で我慢して自分の本来を忘れているから)子供は純真である、とアジア的に捉えるか、社会は個人のわがままを許していては成り立たないので純真さによる欲望の発露は抑えるべき、と西洋的にしつけを施すかは個人的な意見が分かれるところでしょう。

ちなみに古来からアジアでは、このような「純真さを失った大人(新しい事象に順応できない)」と「純真さを失っていないが、社会規範をよく理解していない子供」という対立する両者を上手く社会の中に融和させ新しい時代に対応していく方法としてして、若集宿などの制度がある地域も数多く存在しているようです。

さて英語でinnocentというのは、大人対子供の構図から出てくる「純真・素直」という意味ではなく、キリスト教的な「(原罪に対して)罪が無い」というところから来ている言葉です。
それが転じて、悪意が無い・悪いことをしていない、という意味になりますので、ほめ言葉というよりも「(何かがあって)正しい・間違ってない」という意味になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ドラエモンとクレヨンしんちゃんを受け入れる国の話、大変興味深いですね。ゲルマンはアジア人とは対極にある民族ですね。しかし、嘗てはドイツ人と日本人は勤勉、律儀さなど似てるとかいう議論もあったんですけどね。現在の日本人の大半は勤勉さも律儀さも無くなってしまいましたからね。

お礼日時:2009/10/29 23:08

仰るように、He is innocent は「彼は潔白だ」「彼は純潔だ」という意味になります。


innocent は他にも「~の無い」という意味があります。
そういうところから「無心な」「罪の無い」「無罪の」というような意味に使われ、一般的には無邪気=子供 と言ったイメージが定着している事は事実です。
しかし、それはあくまでも一般的なイメージであって世界全体が考える絶対的普遍的なイメージでは無いと思います。
物事には何でも多面性があり、少数意見であっても無視する事の出来ないものがあります。
欧米でも日本でも、子供は大人が考えるほど無邪気ではない、と考える人はたくさんいます。
私はこの質問を見て、ふとジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」を思いだしました。
彼はこの小説に出て来る子供たちを「天使」というよりは「堕天使」すなわち悪魔と考えています。
彼に限らず、そのように考える欧米人はたくさんいると思います。
だからこそ、子供を題材にしたオカルト映画がたくさん出来ているのではないでしょうか?
ただ、子供は純真であって欲しいというのは万人の願いではあるでしょうね。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
ケンタッキーフライドチキンが日本に進出してきた時、店頭にお爺さんの像があるのでびっくりしました。日本人だったら、日本人のお爺さんの像は絶対に使わないだろうなと思いました。日本人がお爺さんに抱いているイメージはカッコよくない、むしろ不潔といったイメージだからです。日本の食堂の店頭に日本人のお爺さんの像を置いたら、入ろうとしていた客まで逃げてしまうのではないでしょうか?
同様に、日本人は奇を衒ったものは別にして、通常なら子供をお化け(悪魔としての)に仕立てた映画などは作らないだろうと思います。
それとも、日本にも子供を悪魔にしたドラマや映画、昔から沢山作って来ているのでしょうか?最近の日本人は奇を衒って、今までとは逆の物を作ってやろうという気持ちを持った人が割合出て来ているように思います。ですから、日本人の大半は子供が悪魔であるのは相応しくないと思っているように見受けられます。

補足日時:2009/10/29 22:33
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「子供は天使」というのは日本では「子はかすがい」とか「子は宝」に近いと思います。

これは親から見た子供に対しての愛情を表現するものだと思います。内面を物語ったものではないと思います。
だから「子供は純粋だ」というのとは少し違うかと思います。

ちなみにかなりずる賢い小さい子供はいますよね。
3歳4歳位なのに「なんでこんなに荒んでいるんだろう」「人に嫌がらせをするんだろう」という子供をよく見かけます。

では1歳、2才の時はどうだったのでしょうか?
たぶん、no.1さんが答えているようにイノセント状態だと思います。
これは純粋とは少し違って無垢に近いですね。
純真をピュアと表現するならば欧米ではこの表現は使いません。

ちなみにこの場合私は「性善説」「性悪説」の話ではないかなと思います。(違うかな)

性善説の考えで言えば「子供は純真だから」といえますよね。
そして、環境、成長によって、悪い事を覚えていくと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2009/10/29 22:30

むちゃくちゃ難しい問題なので,ろくなお答えはできません。

雑ぱくな箇条書きで。

・日本でも「ナイーヴ」は最大級の賛辞とはいえないと思います。「世間知らずの坊ちゃん」ふうの響きもあります(英語を使える人が増えたためか?)。

・「イノセント」はどうでしょうね。第一義的には「無垢の」でしょうし,法王の名前にもイノセント何世とかありますね。第二義的には「無知な」もあるでしょう。純真と馬鹿は紙一重ということでしょう。

・欧米とひとくくりにしていいかどうかわかりませんが,「子供は教育しないとただの野蛮人」という考え方があることを,たしか教育原理か何かの授業で習った記憶があります。ぼく個人も,この見方には賛成です。

・欧米でもカソリックには,聖母・御子信仰があり,家族関係もねちっこいですから,ちがうかもしれません。

・キリスト教徒一般で「純真」の象徴は,アダムとイヴかもしれませんね。失楽園以降,子孫であるぼくらは罪を生まれながらに背負っているわけです。
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この回答へのお礼

欧米でもラテン系は大分に違いますね。ラテン系は何かにつけて、日本人に近いことが多いですね。
インドで狼に育てられた人間の子供を人間が育てた記録を読みましたが「子供は教育しないとただの野蛮人」どころか、正しく野獣ですね。
只、そういう意識が日本人には殆どなく、欧米人には強いのかも知れません。

お礼日時:2009/10/29 22:19

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