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源氏物語に、右近という女房が(私の記憶では)二人出てきます。
・夕顔、玉鬘に仕える女房
・浮舟付きの女房
         です。

小倉百人一首にも、右近という作者がいます。

女性の本名が使われることの少なかった平安時代、「右近」とか「侍従」とかいう呼ばれ方は、何か女房の役職などによって決まっているのでしょうか?
質問分かりにくくてごめんなさい。
ご存知の方いらっしゃったら、ぜひご回答お願いします。

A 回答 (6件)

浅井虎夫氏の「女官通解」(講談社学術文庫)によれば、「局を賜るものを女房といい、その間にも位によりて高下あり」と述べています。



「すなわち上臈・中臈・下臈これなり。このほか大上臈・小上臈などいえる格あり。」ということのようです。上臈は官でいえば典侍(ないしのすけ)、位は三位で大臣の娘や大・中納言の娘であり、大上臈は官では尚蔵(くらのかみ)や尚侍(ないしのかみ)で摂家の娘たちということのようです。

ただ、その名称に関しては、明確に決まっているわけではないようです。たとえば「禁秘抄」には上臈に小路名なしと書かれているようですが、後代には小路名や地名も多くなります。また、「女房官品」には「大納言局、中納言局、左衛門督局、帥、按察使、衛門督、これらは上臈の付け字(あざな)なり。このうちにも按察使などは、いささか心ありてさがりたるなり」というような説明があります。

中臈は侍臣(四・五位の殿上人)の娘、諸大夫の娘、名家の娘、医官(和気、丹波)の娘、陰陽官(賀茂、安倍)の娘、そして差法寺、新差法寺、八幡別当の娘もこの格とされていたようです。中臈の中でも中将、少将、左京大夫、佐などの名は格が高かったようです。また、小宰相、小督、小兵衛は特に格が高く、小上臈とも言われていたようです。

下臈は女蔵人の格といわれ、上記以外のものの娘たちです。ただ、侍従や小納言は格が高く、中臈なみだったようです。また、国名(伊予、播磨など)の名前も格が高かったといいます。

名前自体は、侍名、国名、殿名、小路名、召名、おさな名、方名、向名、対名に分けられるようですが、個々に絶対的な制度や決まりがあったようではありません。

あまり、参考にならない回答で申し訳ない^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考になららいだなんてとんでもない!また新たな知識を吸収できました。

なるほど。
女房にも、大きく上・中・下と分かれていて、身分によって女房名も決まってくるということですか。
>個々に絶対的な制度や決まりがあったようではありません。
やはり当時から少し曖昧だったようですね。

尚侍!源氏物語の朧月夜の姫君ですね。
尚侍は高い位の女官だということは知っていましたが、源氏物語では、朧月夜の君は男と過ちを犯した姫であり、玉鬘は何といっても田舎育ち、入内するとき、大臣の娘でも女御としてではなく女官として宮中に上がるのは世間から少し軽く見られている姫なのかな、と認識しています。そのところはどうなのでしょうか。

侍従、少納言、中将…!それぞれ、格があるとは…!
また物語が楽しくなりそうです。

お礼日時:2009/11/01 18:32

No.5です。

お礼ありがとうございます。

「源氏物語」は意識的に避けて生きてきたもので^^;、、、詳しくありません。的外れなことになると思いますが、ご承知おきください^^。

尚侍(ないしのかみ)・典侍(ないしのすけ)・尚蔵(くらのかみ)などは、女官としては高官であり、摂家、門閥家の娘しか任じられなかったよです。「源氏物語」当時の常識としては、摂家は藤原氏以外はなく、門閥家も橘氏や菅原氏もおりましたが、多くは藤原氏です。よって、尚侍は藤原系の娘でしょうね。

なお、命婦についてお話されていたようですが、女子にして四位、五位の位階を有するものを命婦といいます。正確には自ら四位、五位の位階を有するものを内命婦(ないみょうぶ)といい、四位、五位の妻を外命婦(げみょうぶ)と呼びます。浅井虎夫氏によれば、若紫に登場する王命婦について「王氏の命婦と解せり」と述べています。

氏の解釈が妥当かどうかは、私にはわかりません。あしからず^^。
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この回答へのお礼

>尚侍は藤原系の娘でしょうね。
本当ですか!そういえば、朧月夜も、玉鬘も藤原家の姫でした。

命婦には位が与えられているとか。
なるほど。そういえば源氏物語の王命婦も藤壺の宮のいちばん側近で重く見られていましたね。

(この場をお借りして)
…源氏物語はあくまで導入でしたが…
物語にハマるつれて平安上流階級のことにも興味が出てきた次第です。
どこを調べても解明できなかった疑問を、教養深くいらっしゃる皆さんが親切に教えて下さったおかげで満足に理解できるようになりました。
ご回答くださった方、本当にありがとうございました。
以上で質問を締め切ります。
代わりに、今度はお役に立てるようなことがあれば、と願っています。

お礼日時:2009/11/02 15:37

追加です。



日本の朝廷の後宮全体の歴史については
角田文衛(この字じゃなかったかも・・)さんの
『日本の後宮』(限定出版だったので探しにくいですが・・)、
それをある意味発展・簡略化した
『後宮のすべて』(どちらも學燈社)
という本に詳しいです。あと、須田春子さんというかたが
『平安時代後宮及び女司の研究』『律令制女性史研究』
(どちらも千代田書房)という本を出しています・・
ほかにも平安時代の女官・妃にかんして書いている人はいた
気がしますので、探してみてください。たぶん、歴史系の人が
多いと思いますが。
ただ、たとえば清少納言や紫式部はどういう待遇で、誰に
雇われていたのか?朝廷が雇っていたのか、それとも定子や彰子の
実家か? とかいまだわからないことも多いみたいですね。
貴族の家の女房、となるとさらにわからないでしょうね。

当時の文書とか、残ってないでしょう・・。
1000年前ですし。記録とか保存管理の中心は、男性
ですから、必要ないと思ったら残さないでしょうし
京都も何度か戦乱に巻き込まれてますしね・・・。

>さすがに中将の娘が源氏に仕えている…などということは考えにくいですものね

どうでしょう?人に仕える身分というと、すごく身分が低い人の
ように思えますが、源氏より身内の官職が低い、または血筋が
よくない家の娘であれば、源氏に仕える身分としておかしく
ないのでは・・?

藤壺女御の側近に「王命婦」という人がたしかいたのですが
「王」とつく ということは、その人は皇族の血をひく
「女王」であるということ(天皇から数えて何代後かはわかりませんが・・)。皇女から帝のキサキになった藤壺に仕えるのは
ある意味おあつわえむき?とも思えますが、本来は人に仕える
身分ではないでしょう。たぶん、実家の事情で出仕したのでしょうが
女官としての身分は「中」または「下」といったところです(命婦は中~下くらいの身分の女官ですので)。

身分や血筋がよくて、おきさき候補になれるくらいの人も
ちょくちょく宮仕えにでてたみたいなので、主人との関係では
複雑な気持ちになる人も多かったかと思います。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答、ご丁寧にありがとうございます。

そうですか、こういうことに関して書かれた文書はあったのですね…
機会があったら探してみようと思います。


>どうでしょう?人に仕える身分というと、すごく身分が低い人の
ように思えますが、源氏より身内の官職が低い、または血筋が
よくない家の娘であれば、源氏に仕える身分としておかしく
ないのでは・・?

そういえば、確か宮の御娘が宮仕えに上がる…という話も、宇治十帖にありましたね。
「宮の君と呼ばれ、なみの女房よりは特別に扱われるものの、人前に出るとき、裳など着けているのは気の毒なことであった」
とあったような気がします。
やはり実家の事情でよんどころない…というのはよくあったことなのでしょうか。
また宇治十帖ですが、
「匂宮には、たいそう身分高い姫がたくさんお仕えしているという噂ですよ…」
と誰かが言っていたような気もします。
やはり、身分が高いと言ってもその時の威勢で世間からの扱われ方が大きく違ったのでしょうね。

「王命婦」というのは私も気になっていました。
以前天皇に仕えていたことのある人かしらなどと思ったりしましたが、皇族というのは驚きです。

平安事情も色々あったようですね。
源氏物語を重ね合わせるからか、やはり平安時代には、尽きぬ魅力を感じます。

お礼日時:2009/10/31 20:50

女房名


女性公務員としての役職名や
親族の役職であることが多かったみたいですが
一方で、女房のランクに応じて
(出身階級にあわせて上中下みたいな・・または女官としてどういう
役職についているか・・○○という役職の人は「近江」とか・・)
大体こういう女房名をつける というのもあったみたいです。
とくに平安時代よりあとの貴族社会だとそういうかんじに
なってるので、この時代もそういうのが少しは
あったかもしれません。

げんに清少納言の「少納言」はいまだに誰の役職なのか
わかってない・・だれか身内にいた可能性もありますが
あるいは清少納言の女房の「格」に応じて付けられた
名前かもしれないです。

貴族の家の女房も宮廷の形式に準じていたでしょうね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
やはり女房名は出身階級や役職に応じてつけられるようですね。

しかし、同じ女房名の人が何人もいる、ということは、少納言程の身分の娘が女房に上がる、ということも不思議ですし、父親でなくとも親戚に高官がいた場合、その役職も女房名に使われるのでしょうか。
源氏物語にも、「中将」とかいう名の女房もいますが、さすがに中将の娘が源氏に仕えている…などということは考えにくいですものね。
あるいは、父親が中将に仕えていたりするのかしら。

想像は膨らむばかりです。
それにしてもこういうことについて記述された文書は見当たらないのが不思議です…

お礼日時:2009/10/30 22:52

「右近」や「侍従」は、父親や兄弟の役職名から取ったものです。


「右近」だったら、近い間柄の人に右中将とかがいたのでしょう。

また、「宣旨」や「典侍」といった女房名は女房本人の役職名です。
他に地名で呼ばれる場合もありますが、(「相模」等)こちらは父親の任国に由来します。受領階級出身の女房の多いようですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「右近」だったら、近い間柄の人に右中将とかがいたのでしょう。
すごいですね。すごい勘です。あくまで推量でおっしゃっているとは思いますが、なんだか感動してしまいました!

お礼日時:2009/10/30 23:04

紫式部は、藤原北家の出で、女房名は「藤式部」。

「紫」の称は『源氏物語』の作中人物「紫の上」に、「式部」は父が式部省の官僚・式部大丞だったことに由来する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BC%8F% …

清少納言、「清」は清原の姓から、「少納言」は親族の役職名から採ったとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B0%91% …

このように、女房本人の役職ではなく、父親・兄弟等の役職が「女房名」になっているのだと考えられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうこざいます。

なるほど。
親などによるもの+自らを示すもの
のふたつで名前が付いているのですね。納得です!

お礼日時:2009/10/30 23:06

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