3年前に洗礼を受けたプロテスタントのキリスト教徒です。
教義に疑問を抱き、1年半ほど教会を離れたあと、3ヶ月ほど前からまた教会に通うようになりました。
ですが、教会や牧師の教えに、100%頭から同意するという気持ちは、今もありません。
たとえば、自分は輪廻転生はあると思いますし、他の宗教の教えにも興味はあります。他の宗教を否定する気持ちは全くなく、共通するところや、互いに学べるところがあると思います。
聖書に関して曲解もあるような気がしてなりません。
つまり、イエス・キリストのことは大好きなのですが、
人間のつくった教義に対しては、不信をいだいてます。
聖書を読みつつも、精神世界の本や、ヒンズー教、仏教のことも少し勉強しています。
聖書以外にメインで読んでいるのは、パラマハンサ・ヨガナンダ氏の著作です。彼の設立したSRFなる団体にも顔を出しましたが、すでにヨガナンダ氏の理想とは離れた集団になっていると思われたため、行くのはやめました。
自分がこのように考えるのは、
信仰への興味が薄いのではなく、信仰を真剣に考えた結果です。
しかし、このような考えを持っていることは、教会の人には言えないまま、申し訳ない気持ちを抱えつつ、少し距離をおいたつきあいをしています。
本当はもっと仲良く付き合いたいのですが、このように隠し事をしている状況では、居心地も悪く感じています。
また、隠したままでいるのが心苦しいだけでなく、自分の考え・状況を理解してくれる人がほしい、と思います。
自分の状況を、クリスチャンの人に話してみるか、
キリスト教会とは別に、またスピリチュアルな集まりなどに、どんどん顔を出してみるか・・さらに秘密が増えてしまうわけですが・・
一人で信仰を求めようとして教会を離れたこともありますが、
うまくいかず、自分は一人でやっていける段階にはない、ということもよく分かりました。
信仰の仲間といえる人が欲しいのです。
うまくまとまっていない質問文ですみませんが、
アドバイスをください。お願いします。
No.3
- 回答日時:
kanakyu- さん こんにちは。
はじめまして。わたしは 聖霊によるバプテスマを受けたと自称するキリスト者です。水による洗礼は受けておらず 教会ともかかわっていません。その者の考えですが まづ イエスの言うことをそのままこの世でおこなうことは無理ですよ。
すべてを投げ打ってかれについて行くことは 生活が成り立ちません。あらゆるひとに対して隣り人になることは とうぜん――実質的にはイエスもそう言っていると考えるのですが――身近な家族からでしょう。親をほったらかして 信仰に打ち込むといった生活は考えられません。
ひととして生まれて来て うそを言ったことのない者はいないでしょう。税金を多少はズルをして少なくしたいと思うのは ほとんど誰にもある経験ではないでしょうか。
たとえば いまの政治家がどうであるか分かりませんが 昔は おそらく金の出入りは表と裏とに分かれて 都合よく処理されていたでしょうね。そのときにも 一応の規律はあったのです。精神的には私心の無いこと 具体的にはわたくしの事柄には使わない すべて公共の政治活動(と言っても派閥の子分のためといったところでしょうが)のためにその裏金と言えども使うのだという暗黙の了解事項です。それなら 法律に違反していても 大目に見るということを互いに誓い合っていたのではないでしょうか。
罪 ということばで認識することがら。社会に生きていくには 罪ではないかとおそれる人間関係上のふるまいにおこない。これらから自由になるのは 無理です。人間わざでは無理です。
▲ その罪がおおわれる者はさいわいなれ。
☆ です。自分では――自分ひとりの能力と努力とでは――罪をまぬかれるように生きるのは それこそラクダが針の穴をとおるようなことです。
このあいだ引用するによいと思った文章は 《かの人がそのあふれる恵みによって われわれの犯した悪と罪とを 犯したあとからあとから 滅ぼしている》(アウグスティヌス)というものです。
これは 読みようによっては いわゆるモラル・ハザードを起こしてしまう内容ですが きわめてありがたい歴史観であるとも考えます。
《霊によって――つまりは 無根拠によって――前へすすみましょう》というのですから 《罪は ありがたいことに知らず知らずのうちに おおわれてしまっていた》という日々の生活なのではないでしょうか? 日々死んでいますとも パウロは言っています。
日々死んでいるなら 日々生きていることでしょう。これは誰が生きているのでしょう? ここに生きているのは 誰でしょう?
まづ真っ先にあなたに かの人が隣り人になってくれるのではないでしょうか。すでに成ってくれているのではないでしょうか。仲間はそのあたりから出来てくるのではないでしょうか?
どうでしょう?
bragelonneさん、ご回答ありがとうございます!
>イエスの言うことをそのままこの世でおこなうことは無理ですよ。
そういう話じゃない・・と思いましたが、
ある意味そういう話ですね!
教会の言うことを100%信じよう、という気持ちがなければ
教会にいてはいけないのだ、という思い込みがありまして。
他の人もそんなそぶり見せないし。
>無理です。人間わざでは無理です。
私は自分に完璧と強制を求めていたようです。
どうも完ぺき主義で、しかも自分を強くコントロールしてしまうので困ります。
菜食主義を一年ほどやってみたことがありますが、バランスの欠いた完璧菜食主義をしたため、体調も悪くなったことがあります。
>自分ひとりの能力と努力とでは――罪をまぬかれるように生きるのは
>それこそラクダが針の穴をとおるようなことです。
なるほど。
まるで、泥水の中にあって真水でいようとするようなものですよね。
自分をゆるしたいと思います。
その後の部分は、よくわかりませんでした。
>まづ真っ先にあなたに かの人が隣り人になってくれるのではないでしょうか。
慰められました。ありがとうー
No.2
- 回答日時:
>>たとえば、自分は輪廻転生はあると思いますし、他の宗教の教えにも興味はあります。
他の宗教を否定する気持ちは全くなく、共通するところや、互いに学べるところがあると思います。そうですね。世界の宗教の根元はひとつですから。
>>聖書に関して曲解もあるような気がしてなりません。
曲解は当然ありますね。権力支配、男性優位の考え方に反するような教典は外典として排除されたり、そういうキリスト教の一派は、同じキリスト教徒から皆殺しにされたりしましたからね。
>>つまり、イエス・キリストのことは大好きなのですが、
人間のつくった教義に対しては、不信をいだいてます。
真摯な信仰者なら、それが普通だと思います。
>>また、隠したままでいるのが心苦しいだけでなく、自分の考え・状況を理解してくれる人がほしい、と思います。
宗教的なことを話せる友人は、なかなか見つけるのが難しいです。自分のカードを、「どこまで話してOKか?」を相手の反応を見ながら切っていきますが、信仰・宗教に関するものは、最後のカード、切り札です。
場合によっては、そのカードを見せた途端に絶縁になるかもしれませんので、相手を見て、カードを出すか、出さないまま浅い付き合いを続けるか、を考えるようになると思います。それは「知恵」の部分です。
>>うまくいかず、自分は一人でやっていける段階にはない、ということもよく分かりました。
信仰の仲間といえる人が欲しいのです。
やっぱり仲間は欲しいですよね。私は、妻と同様に「幸福の科学」の会員なので、相方&仲間って感じでしょうか?あけっぴろげに宗教的な話はしますし、妻の霊能力で、霊界の方からの会話を通じて、私の欠点などを婉曲的に指摘してもらったりとか(絶対に妻にはわかるはずない昔のことを指摘されたりする・・)。
夫婦の片方だけが会員の場合には、難しい状況になることが多いようです。
伝統的な仏教が魂の存在を否定し、唯物論のようになったり、キリスト教が転生輪廻を否定したり、スピリチュアルなことを否定したりしますが、「幸福の科学」は明確に、あの世の世界を認めていますし、転生輪廻は当たり前のことだし、モーゼの天からのマナもキリストの奇跡も「実際にあったこと」として「奇跡」を認めています。単なる人間の道徳・倫理を教える団体ではありません。
そういう教えの宗教団体ですので、質問者さんと話の合う人がわりといるのではないか?なんて感じます。
>>自分は、神への情熱は、すごいあるんです。
人は良心にしたがって生きるものだと子供の頃から思ってました。
でも、この社会ではそうでもない人が多い、と知ってすごいショックでした。
ふふ、質問者さんは、ほんとにいい人なんですね。でも、現実の社会は、「生き馬の目を抜く」ようなところです。今、話題の結婚詐欺(そして、たぶん連続殺人)犯のような人々が沢山います。周りの人がすべて良心にしたがって生きると思っていたら、鴨ねぎ扱いにされますよ。信仰と同時に「世間知」も必要ですよ。
もちろん、仕事能力もね。
>>なので、困ったことになるのは、いつも、実社会との折り合いです。
これは、距離のとり方ですね。ちょっとしたことなら、社会的慣習というか常識に従えばいいと思いますよ。でも、それがちょっとどころじゃない違法なことなら、断固拒否すればいいと思います。そのボーダラインをどうするか?は、それこそ知恵の使いどころじゃあないでしょうか?うまいジョークのひとつや、軽い嘘でも言えれば、自分の思う方向にもっていけるのでは?
松下幸之助氏とか、P・F・ドラッカー氏の著作などを含めて、書店にあるいろんな本を読まれれば、実社会との折り合いがつきやすくなると思います。
lv4uさん、親身に回答してくださってありがとうございます。
回答を見る限り、lv4uさんは安心して話せる感じの方に思えました。
ご夫婦で共有できる価値観があっていいですね。
自分は独身です。こんなに自分の信じるものに強いこだわりを抱いていては、誰かと結婚するなんて無理なんじゃないだろうか、とあきらめモードです。
ボーダーラインというか、距離のとり方、おっしゃる「世間知」が本当に必要です。
私は、自分がバカがつくほど正直なところがあるので、他人がウソを言っても信じてしまうことが多いです。
それで大金をだましとられたようなことはありませんが、恋愛ではうわべの優しさや言葉にコロッとだまされて痛い目にあってます。
職場でも、真面目に働いて損をするようなタイプでした。仕事そのものは人一倍がんばるのですが、思い当たる理由もなく嫌ってくる人にキツイ仕事をまわされたり、人の失敗で代わりにしかられたりすることがありました。
他の人も自分と同じという幼稚な価値観がずーっとあります。
人を見る目がホントに必要だと感じさせられました。
信仰の仲間が欲しいのは、信仰のことを話すだけでなく、安全な「巣」のような、帰る場所が欲しいのと、世渡りの部分で見習える人、心から相談できる人が欲しいからです。
>松下幸之助氏とか、P・F・ドラッカー氏
調べてみます。
私の読む本は、脱俗者のような人の書いた本が多いことに気づきました。思想について語られている部分がほとんどで、世の中でどんな困難にあい、どう乗り越えたか、という、自分に必要な部分の話をもっと読みたい気がします。
世の中にありながら信じるものをそこそこつらぬいた人の話を読むのがよいのかもしれない、と思いました。
No.1
- 回答日時:
現代の宗教教団は、仏教もキリスト教も、神や仏を神秘的で恐れ敬うような不可思議な存在である、という捉え方でなく人間の心の「善」なる世界へ人々を導こうとしている、と捉えてよいかと思います。
信仰心とはどんなものなのでしょう。
神秘の世界に心引かれる。
不運から逃れたいという願い。
よりよい人生を送りたい。
宗教に興味を持つ動機は人それぞれではないでしょうか。
kanakyu-さんは、何か心に満ち足りないものを感じて、信仰を通して心の安定を望んでいるように思います。
よく神や仏と、我々大衆(キリスト教では‘民’)との関係を、親と子の関係で表わしまが、例えると、
幼子(おさなご)は親の手から離れると不安な気持ちになります。
人間の「心」も神や仏の「心」から離れてこの地上に生まれてしまいました。
だから、幼子が親を求めるように、我々も神や仏の心を求めるのではないでしょうか。
そして我々が神、仏に求めるのは「愛」であり「慈悲」なのだと思います。
教団は乗り物、川の流れ。
川の本流に乗って身を任せば、大海にたどり着けるのではないでしょうか。
私は、徒歩で歩いています。自身の好ましいほうの心「良心(やさしさとかの感情)」を、勇気と自身を持って信じています。
独り言(心は使うほどに育つもの。好ましい心も好ましくない心も)
ご回答ありがとうございます。
私は人との縁が薄く、また生命への執着も薄い人間です。
一人で神を求めると、どんどん、地に足がつかなくなり、
神の愛のためにこの世のことがおろそかになってしまう、
そんな自制のきかない人間です。
子供の頃から、宗教、哲学、キリストへの興味がありましたが、
どうしても実社会との折り合いのつけどころがわからない人間でした。
キリスト教会に入って初めて、他の人とともに信仰を歩むことによって、それが解決されました。
しばらくの間でしたが、とても安定していました。
しかし、ある程度以上のところにきた段階で、受け入れがたい教義や、クリスチャンの受け入れがたい習慣(自分の言葉を使わず、聖書は○○と言っている、と言う、など)などが見えてきて、いくらか幻滅を感じてしまった次第です。
すいません、補足のようになってしまいましたが。
yy8yy8azさんは、おひとりで堂々と歩んでおられるのですね。
正直、自分もそれができたら・・と思いました。ダメでした。
信念をつくりあげ、そのように生きることができても、
実社会との折り合いでいつもダメです。
人を見る目がなかったのが、一番よくなかった、と思います。
他の人は、自分とは違うんだと、まだよくわかっていませんでした。
自分をだましたり、利用したりする人を、見分けることができず、
表面的な言葉にだまされて、自分がおかしいのかと、悩みました。
自分は、まだまだ未熟なのと、生来の地に足のつかない気質のため、信仰の仲間が、すくなくとも今の段階では欲しいところです。
現在もキリスト教会に通っているのは、あるていどの教義は受け入れられるからと、霊的な集まりに顔を出すことで自分を保てるから、そんな感じになってしまってます。
自分は、神への情熱は、すごいあるんです。
人は良心にしたがって生きるものだと子供の頃から思ってました。
でも、この社会ではそうでもない人が多い、と知ってすごいショックでした。
そのため自分は宇宙人みたいに感じて育ちました。
なので、困ったことになるのは、いつも、実社会との折り合いです。
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