中学生で地獄変を読み、よく判らないまま、凄まじい衝動を感じました。
数年後に性行為を体験し、当時の衝動の意味が理解出来ました。
ちなみに、私は女性です。(恥!)
でも、作品中、何処にも性的な場面はありませんよねえ。。。
一カ所、殿がちょっかい出しているのを、暗に描いてはいますが。
エロティックだと思う方、はその理由、
思われない方、もそうは思わない旨、回答頂けないでしょうか?
やっぱり、性行為って、軽く「生と死の狭間の体験」なのかなあ、
それが、燃え盛る牛車(と良秀の娘)と重なるのかなあ、と考えております。
よろしくお願いします。
No.1
- 回答日時:
《中学生で地獄変を読み、よく判らないまま、凄まじい衝動を感じ》たこと。
数年後に《性行為を体験し、当時の衝動の意味が理解出来》たこと。
そして現在、《やっぱり、性行為って、軽く「生と死の狭間の体験」なのかなあ、それが、燃え盛る牛車(と良秀の娘)と重なるのかなあ、と考えております。》
という、あなたの感受性や、意識や思念の変化のなかに、充分にその回答が含まれているように思います。
エロティックです。
それは、作者が、自分自身を含めた、人の生を描いたからです。
生が、エロティックでない筈はありません。
ただし、「生」や「性」を直接的に語ることは、憚られる傾向がありますので、表現する場所や時期については、注意が必要です。
親たちや、学校の先生、職場の上司たちは、きっとあなたの「生」や「性」についての言動を喜ばないでしょう。本質的であればあるほど嫌がるでしょう。
☆ ☆ ☆
芥川龍之介は、「地獄変」の一年後くらいに、今度は堀河の大殿様の息子を主人公にした「邪宗門」という作品を、同じ大阪毎日新聞に書いています。
「地獄変」を語っていた同じ話者が再登場して、その時代風俗を描いています。
芥川龍之介の意識の変遷と、「凄まじい衝動」「衝動の意味が理解」「生と死の狭間の体験」という、あなたの意識の変遷とつながるものがあるかも知れません。
また、三島由紀夫の「憂国」は、ちょうど現在のあなたが「凄まじい衝動」を感じる作品かも知れません。
「かも知れません」が2題も続いて申し訳ありませんが、あなたがここで90年も昔の短編小説に対して質問をしているように、尾を引く作品であることには、違いないようです。
回答ありがとうございます。
>生が、エロティックでない筈はありません。
そうですね。
きっと、日頃気にせず気付かず通り過ぎている「生の実感」をまさに「生々しく」引き出すのが「性(行為)」なのでしょうね。
>本質的であればあるほど嫌がるでしょう。
ふふっ、、、さすがに性についてはしゃべりませんでしたけれど、生については何かと小賢しい質問で先生たちを困らせていた元生徒です。苦笑
でも、結構素敵な返答をしてくれる方が多くて、幸せな学生時代でした。
今は夫がおりますので、夫にしゃべくる事にしています。
夫は「こんなヤツだったっけ。。。?」と困惑気味ですが。。。汗
芥川の「邪宗門」は手元にあったので、ささっと読んでみました。
さすがに、地獄変のように直接的な?刺激は感じ取れませんでした。
でも、未完故、妄想が膨らみます。爆
三島の「憂国」。。。
三島さんもその手のエロエロ?作品が有りそうですね、
って、そう言うおつもりで推薦下さった訳ではないでしょうに。。。
申し訳ありません。。。
(一体私は何を読み取っているのでしょうね。。。)
ありがとうございました!
No.2
- 回答日時:
いや、感服しました。
私も同じ年代に読みましたが、そこまで想いがいたりませんでした。「芸術のためなら・・」と、教科書に書かれている程度しか、認識していませんでした。あなたの文章を拝見して、「あつ」と悲鳴をあげて、自身の甘さ、迂闊さに、思い切り頭を叩きましたね。そうだ、良秀の行為は、ドナチァン・アルフォンス・フランソワ(サド侯爵)が理想とした「リベルタン」そのものではないかと。「伝統への敵意・・信仰および宗教的行為を拒否」し、「目的はただひたすら快楽」である、と。実は、事件の質こそ違え、十数年前にある地方で起きた事件も、同じ延長線上にあると、私は思っています。ここでは詳しくいえませんが・・。
しかしあなたの意見によって、アラカン(還暦)の歳になって初めて、芥川の目指したところを思い知らされました。ありがとう!
回答くださり、感謝申し上げます。
感服とは、、、身に余る褒め言葉で恐縮です。
ありがとうございます。
>ドナチァン・アルフォンス・フランソワ(サド侯爵)
やっぱりやっぱり、、、「サディズム」ですよね?
はああーーーこれは私の嗜好性が反応したのかしら。。。
何だか、、、うーーん、、、
>「芸術のためなら・・」
確かにそれも有るのでしょうけれど、
良秀は娘の乗る牛車に火をかけられる瞬間、身を捨てて止めに出ようとしました。
しかし、時既に遅しで、牛車は燃え上がり、娘は身をよじって悶えた。
その苦しさを我が身に感じ、同様に悶えつつも、その「苦痛」に良秀は恍惚とします。(えっ?違うかな。。。)
「芸術のため」と言う「犠牲」の感覚ではない、と読んだのです。
ただただ、純粋に文字通り「命燃ゆる」美しさ、なのだと思うのです。
残酷、は確かにそうなのですが、、、
そんな倫理を超越して「美しい」のです。。。
やっぱり、私はおかしいかな、、、
暴走してしまいました、お恥ずかしい。。。
No.3
- 回答日時:
こんばんは。
例によって、牽強付会のこじつけとなることをお許しください。
>中学生で地獄変を読み、よく判らないまま、凄まじい衝動を感じました。
私の場合、高2の夏休みの宿題として、大嫌いな読書感想文を書くように強請され、芥川の短篇から選ぶなら、より長めのものを選んだ方が教師の覚えもめでたいはずという思惑から、たまたま「地獄変」を読んだのですが、その当時の三倍以上の齢を重ねたオヤジになった今でも、正直言ってよく分からない物語だと感じております。
たとえば、あの「良秀」とあだ名された猿の、いかにも意味ありげな振る舞いにしても。
その他の、たとえば読者をして多義的な解釈に誘おうとする、手の込んだ仕掛については、いかにも「藪の中」の作者らしいやり方だとまだ納得できるにせよ。
>エロティックだと思う方、はその理由、
>思われない方、もそうは思わない旨、回答頂けないでしょうか?
エロカテ御用達の私ですが、全然「エロティック」だとは思いませんでした。
でも、女性であるyukkinn6さんが「燃え盛る牛車(と良秀の娘)」の側にわが身を置き、もって「エロティック」な感情に襲われたとなると、それなりに納得できますが。
思うに、われわれが何かのモノ・コトに反応し、エロティシズムなり、美的感動や恍惚感なりを覚えるのは、普段はわが身を守っている世俗的、表層的な価値体系(たとえば衣裳、科学、法律、道徳等)が、同じくわが身の深層に棲息する、善悪を超えた、一種凶暴な生命のエネルギーによって剥奪されたり、破壊されたりしたときではないでしょうか。
ところが、牛車に良秀の娘を乗せ、これを炎上させること命じたのは、あくまでも大殿の指示によるものであり、しかも大殿にその筋の嗜好癖があったわけではなく、その真意はと言えば、単に耽美の鬼たる良秀の鼻っ柱をへし折ってやろうという程度のものでしかないですよね。(手籠めにし損なった娘への腹いせもあった?)
さらには、確かに良秀は地獄絵図さながらに燃え盛る牛車に恍惚として眺め入ったにせよ、それはあくまでも画師の鬼才が覚醒しただけのことであって、彼自身が能動的に持ち前のサディスティックな嗜好欲を充たそうと働きかけたわけではないですよね。
ということで、牛車炎上という状況設定にも、大殿と良秀の娘との間にも、良秀と娘との間にも、サディストとマゾヒストとのあ・うんの呼吸のような憎悪愛(反発、馴れ合い等を含む)で結ばれた者同士の関係が認められない以上、ここにエロティシズムを見出すのは難しいような気がします。
kadowaki様、丁寧な回答ありがとうございます。
そうかあ、、、エロティックでないとのご感想なのですね。
その後に続くエロティシズム、サディズムに対する冷静で的を射たご指摘で、
先の方に褒められ少々高くしていた鼻っ柱を、見事に
ペシッ、ペシッ、ペシペシッ、ペシッ、と数回に渡って完璧に折られました。
私の読解の穴(それも大穴?)の多さにしょぼん。。。
なんてまあ、含む物の多い物語なのでしょう。。。
>女性であるyukkinn6さんが「燃え盛る牛車(と良秀の娘)」の側にわが身を置き、
>もって「エロティック」な感情に襲われたとなると
まったくもって、その通りかも知れません。
そして、その視点から考えると、今度は「自身の女性性への嫌悪」と言う厄介な問題が現れてくれるのです。。。
>サディストとマゾヒストとのあ・うんの呼吸のような憎悪愛(反発、馴れ合い等を含む)で結ばれた者同士の関係が認められない以上、ここにエロティシズムを見出すのは難しい
サディズムやマゾヒズムではなく、単なる己の女性性への憎悪かな、とも。
只、、、
あの残酷な地獄絵図は、登場人物とは違う「傍観者の視点」としてのサディズムは成り立たないかしら?とは、諦め悪く考えております。^^
あ、でもマゾヒストと対でないと、サディズムは成り立たないのかしら。。。
あーー難しいです。。。
サディズム単体では、サディズムではないのでしょうか。。。?
もう一つ気になるのが、大殿が良秀の娘を手篭めに仕損なった事件。
その事件での、娘の隠れていた艶かしさの描写が無ければ、
燃え盛る牛車の情景に其処迄はエロティックを感じなかった、と私は感じております。
つまり、あの事件は
大殿の牛車(と娘)を火にかけると言う決断の為の布石である、と同時に、
燃える牛車と娘の妖婉さを際立たせる為の布石である、とも考えられないかな、と思うのです。
No.4
- 回答日時:
こんばんは。
ご期待を裏切るような回答をいたしてしまい、申し訳ございませんでした。
>その視点から考えると、今度は「自身の女性性への嫌悪」と言う厄介な問題が現れてくれるのです。。。
でも、どうなんでしょうか。
ここを、ご主人に加勢して、ご自分の「女性性」を暴いたり、それに攻撃を加えたりするところから「エロティック」な興奮や、マゾヒスティックな快感を覚えるというところに結びつけるのでは、あまりにも恣意的解釈がすぎるでしょうか。
と言うのも、確かフロイトが何かの本で、マゾヒズムとは自己に対して加虐的、攻撃的である点でサディズムと同じであるという趣旨のことを書いていたような気がしますから。
>あの残酷な地獄絵図は、登場人物とは違う「傍観者の視点」としてのサディズムは成り立たないかしら?とは、諦め悪く考えております。^^
>サディズム単体では、サディズムではないのでしょうか。。。?
そうですね、「傍観者の視点」からサディズムなり、マゾヒズムなりが成立するにしても、対立的な力関係にある二者が併存していることが前提条件だと思います。
この場合、二者間の思惑が必ずしも呼応し合っていなくても、一方が加虐・被虐のいずれかの立場に置かれてさえいれば、サディズムなり、マゾヒズムなりの状況が成立するのではないでしょうか。
>その事件での、娘の隠れていた艶かしさの描写が無ければ、
>燃え盛る牛車の情景に其処迄はエロティックを感じなかった、と私は感じております。
なるほど、この箇所が布石になっていたということですね。
ただ、これにしても、あくまでも、ちょっと食わせ者として性格設定されている《語り手》の観察を介してのことだけに、それをどう受け止めるかとなると、微妙なところがありますよね。
>つまり、あの事件は大殿の牛車(と娘)を火にかけると言う決断の為の布石である、と同時に、燃える牛車と娘の妖婉さを際立たせる為の布石である、とも考えられないかな、と思うのです。
もちろん、該当箇所のテクストを解釈する際、われわれ読者にしても、自分では把握しきれないほど多くの諸条件に規定されているはずでして、私自身も自分がテクストから作り出すイメージの源泉や拠り所を全て解明することなどできるはずがないと思っております。
で、私には、全編通しての語り手が、大殿に仕える、身分の卑しい俗物であると同時に、ちょっと曲者的な性格を賦与されている点に作者のどのような思惑が反映しているのかということの方が気になってしようがないというわけです。
もしかして、ここにも芥川一流の韜晦癖が出ているのではないのか、と。
この回答への補足
現在七つの回答を頂いております。ありがとうございます。
いずれも濃く深い内容で、疑問点/論点も続々と増え続けております(苦笑
その疑問点をお手伝い頂けたら、と思いまして、こちらに補足致します。
kadowaki様の補足欄をお借りしておりますが、
他の方も突っ込みいれてください。^^
1)#5の方の回答にも「罪」の言葉が出て来ます。
人間の性愛は「罪(悪感)」に呼応するものではないか?
罪悪感の強さに比例して、その背徳感から性愛は強まる傾向にある、とすると、牛車炎上に際して大殿の心持ち、止められなかった良秀の親としての思い等が、読み手にエロスを生じ(感じ?)させた、とはならないだろうか?
2)「美」について。
性愛の無い美(=良秀の視点)と性愛の美(=私の視点)は、何処で分かれるのか?
3)サディズムが「性愛」のひとつであると言う視点から。
やはり「射精」に結び付いて行く衝動の有無は不可欠?
(この作品自体はサディズム傾向には無い、と言う論拠に)
4)ちなみに、男性の射精に対応する女性の欲?って何なのでしょう?
(そろそろ別カテに変更されないか、心配です。。。汗)
5)サディズムの理解について。
レイプ(=マゾの相対が無い加虐?)はサディズムの延長線上にあるものか?
(この疑問を単体で立ててしまうと苦悩される方がおられるかと思い、此処で尋ねさせてください)
何だか混沌の様を呈して来ています。。。汗
助力頂けたら嬉しいです。
再びの丁寧な回答に感謝申し上げます。
どうぞ、謝らないでくださいね、
私ひとりの思考では得られない貴重な視点を頂いておりますので^^
>ここを、ご主人に加勢して、。。。。
そうですね、
此の点に付いてはプラスとマイナス、両極端の思考が混在しておりますので、
それぞれを個別に追究して行くのが良いかと考えております。
まあ、己の加虐?思考を利用して快感に持って行くか?
底辺に女性性への憎悪が有るなら有るで、そちらへの対処を探る、という事です。
でもどうやら、良秀の視点をサディズムに結びつけるには、根拠が不足していると考えています。
彼の興奮/陶酔/恍惚をサディズムと読むには、性愛のまさに「性(欲)」が見えて来ないからです。
「その事件での、娘の隠れていた艶かしさの描写」
これを私は「布石」と書きましたが、これはやはり「私(の妄想?)に対しての布石」かな、と。
読み手の私の、「物語とは離れた所での妄想」の呼び起こしの切っ掛けであって、それを牛車炎上の情景をサディズムの顕現と意味付けるには弱過ぎると考えるに至りました。
良秀をサディストと意味付けるには、対象(この場合は娘)に対する「性欲」(具体的には「射精欲」に繋がって行くもの)が作品からは見えて来ませんものね。
それにしても、そう考えてみると、
己の「何も無い所から性愛(エロス)を引っ張り出す妄想癖」にちょっと、、、ちょっと困る、、、と。苦笑
でもそれも「美」と言うものの多目的?多面性?の為せる技なのでしょう。
「読み手」として、私がこの作品から受け取ったエロスは、やはりちゃんと「エロス」なのだ!と思っております。^^
kadowaki様のおっしゃる
>全編通しての語り手が、大殿に仕える、身分の卑しい俗物であると同時に、ちょっと曲者的な性格を賦与されている点
こちらについては、初めて読んだ時から「見事に世間、と言うものを体現している?」と感じております。
読み手に好きも嫌いも決めさせない、見事な迄に掴めない人物ですね。
あまりにも掴めないが為に、こちらについての追究は避けていたかな。。。
またの機会に深めて行きたい課題です。
No.5
- 回答日時:
『地獄変』の題材そのものは『今昔』だったか『宇治拾遺』だったかの日本古典の物語集に典拠していたのではなかったかと思いますが、内容は完全に近代の小説です。
この「近代の小説」とはわれわれがふつうに言いあらわしている「小説」のことにほかならなくて、それは近代のヨーロッパが生み出し発展させてきた文芸上の一ジャンルのこと。
ここを検討するのは今回のご質問の趣旨とかけはなれているので喜んで省略させてもらいますが、要は小説あるいは文芸、芸術と呼ばれているものは、ふつうわれわれが抱いているような良風美俗、道徳的なもの、なにかしら人の心を高めてくれるようなもの、そうしたものばかりを目的とするものではありません。
ミュージアムという特別仕立ての建築物に麗々しく並べて称賛の対象とする美術工芸品、しわぶきひとつするのもはばかられるような演奏会場においてありがたく謹聴する音楽ばかりが芸術ではないということです。
「芸術」という言葉から発する後光はほとんど現代の神話となってあまねく四海を照らしてはいますが、少し疑ってみたほうがいい。
芸術の、その半面は善なるもの。けれども片面は猛毒です。ヤヌスの二面性をもったものが芸術であり、その二面を束ねるものがたぶん「美」と呼ばれるものだと私は思っています。新奇なる美。「美は痙攣である」と言った文学者もいます。
近年、俗に純文学と称されてきたものの後退が著しいと聞いていますが、これは現代世界の現実のほうがはるかに毒性がきついから。言葉が作りだす毒の有効性が衰えた証しである、言葉は力を失ったと捉えることが可能です。
本題です。
『地獄変』は一般には芸術至上主義をテーマにしたものという解釈と思います。それは無理のない、ごく自然な受けとめ方と私も思います。けれども、それだけではこの短編に仕掛けられた毒性が消えてしまう。
すでにあがっている回答を読ませてもらうにつけ、人によってさまざまな受けとり方があるのだなとの思い新たですが、私はエロティックであることのほうを先に感じてしまう。
タナトス(死)のまぎわにあるエロスは、やはり究極の美の一つではないか。
もちろん、すぐ付け加えて申さねばなりませんが、それはあくまで想像の世界では、ということ。
現実に行われれば単なる犯罪であり、酸鼻で残忍なだけの人倫に悖る光景です。
そうではなくて、
それを読み、それを想像したとき、その想像の光景にみずから驚く。場合によってはエロスも美も感ずる。
それを文学のもたらす毒の一つと、いま私は名づけてみるのでした。
結論。
>芥川の地獄変をエロティックだと思うのは、おかしい?
いいえ、全くそうは思いません。賛同します。むしろ直観力に優れてらっしゃると思います。
遠藤周作に『月光のドミナ』という短編があります。以下、まったくの記憶で書きます。
ある晩、穏やかに浪の打ちよせる渚を一人歩いていると、
月光の照らしだす沖合にふと人影が浮きあがり、立ちあがって主人公の男のほうへやってくる様子。
次第に大きくなる人影は、よく見ると全裸の女性で、目鼻立ちのくっきりした西洋の顔、腰まであるブロンドの髪。
その若い女が瞋恚のほむらの燃え立つ両目で主人公をねめつけながら近づいてくる。
そして目の前に立ちふさがったかとおもうと、いきなり平手打ちをくらわせるのです。
主人公は罪の深さへ沈淪していくように渚の上へ倒れてゆく。
はじめてこのくだりを読んだとき、はっとし、次にぞぞっときました。
一応お断りしておいたほうがいいのでそうしますが、私はマゾヒストではないし、そんな実体験も皆無です。
けれども、この小説のこの光景は十分に衝撃的で夢のように美しいと思います。
自分の率直な感想を率直に述べてみました。他意はありません。
丁寧に論じてくださり、感謝申し上げます。
この地獄変が「芸術至上主義の小説」と纏められるのが、私は腑に落ちないのです。
何とも論拠に乏しい「腑に落ちない感」なのですが、
頂きました回答を拝見して、そもそも「芸術」というものをどう捉えるか?が全く持って理解していない、と言うか、自分の中に「足場のある言葉」で無い事が分かりました。
ちょっとwikipediaを覗いてみました。
(まあ、wiki自体の信憑性も?ではありますが。。。)
芸術=
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、
精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
こうなると、
「芸術とは「全ての表現活動」である」となるのかしら、と思いました。
芸術至上主義(=芸術の為の芸術)=
芸術それ自身の価値は(「真の」芸術である限りにおいて)
いかなる教訓的・道徳的・実用的な機能とも切り離されたものである (と言う考え方)
地獄変を「芸術至上主義の小説」と纏めるには、
その「芸術」に含まれる「毒性」。。。その「毒性に関する議論」を経て、
その毒性に注目して書き上げられたのが地獄変です、となれば、
「芸術至上主義の小説」と言う評価も張り子のトラのような不協和音を生じないと言う気がしました。
>タナトス(死)のまぎわにあるエロスは、やはり究極の美の一つではないか。
はい。
これぞ芸術(=美意識?)の持つ毒の中の毒、なのでしょう。。。
>現実に行われれば単なる犯罪であり、酸鼻で残忍なだけの人倫に悖る光景です。
そう、ですね。。。
しかし、良秀は恍惚としました。
これは「現実ではない」と捉えるべきでしょうか。。。?
この質問を立ててから、サディズムについて調べていました。
サディズムを現実行為として行った人物は歴史上かなりの数、実在しているようですね。
勿論、牛車炎上の情景は私自身も「架空であって良かった」と言う安堵感に基づいての「エロティックだ」と言う感想である事は否めません。
>文学のもたらす毒の一つ
物語は「架空」か?「現実」か?については、また別の議論になってしまいますね。。。
何だか冗長で纏まり無い返信になってしまいました。
zephyrus様の奥深い回答に、拙い頭で付いて行こうと試みたのですが、
あまり上手く行きませんでした。。。苦笑
ありがとうございました!
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
問題を整理しましょう。
どこに視点、重点を置いているか、そこに錯覚があるように思われます。作品全体に置くのか(きわめて良識的)、良秀の心情にそのものに思いを致すのか。質問者の文章を拝見して、作品より、絵師・良秀に力点があると思われたので、サドを持ち出したのです。私は前回の投稿で「ある事件」と書きましたが、常識ということを基準にすれば、まさしくおぞましい事件ではありました。ところが、仮にXさんとしましょう。そのXさんがおぞましい行為の途中に「射精」したと言われています。
事件は作品、Xさんの心情はまた別。お名前は忘れましたが、質問者が「エロチック」といったのは、まさしくXさんそのものに言い及びたかったんだ、と私は理解しています。教条主義は、死すべし!
magura様、再びの回答ありがとうございます。
>どこに視点、重点を置いているか、
簡潔に重要な点を付いてくださり、ハッと致しました。
>作品全体に置くのか(きわめて良識的)、
>良秀の心情にそのものに思いを致すのか。
此処に第三の視点。。。「読み手の(勝手な?)感性で物語を書き換える」と言うのはダメでしょうか。(苦笑
私が「エロティック」と感じた視点は、良秀の視点と同じではないと思います。
良秀は牛車と娘の炎上で恍惚としましたが、それは決して「射精に繋がって行く恍惚」では無いと感じるからです。
我が子の身体に性を感じる事は有っても(親の性的虐待?)、
我が子の悶死に性的な美を感じ取る人間って、、、居るのでしょうか。
(でも、こう思うのは私が「凡人の母親」だからかも知れませんね。。。
「我が子」を越えて「美」を感じ取る事こそが、「芸術至上主義」なのかも知れませんし。。。)
こんな私の考えから、
エロスを受け止めた私の視点は、良秀の視点に一番近くはあるけれども、決して重なっている物では無い、と思います。
言うなれば、「良秀の肩越しに見ている」と言うような。。。
視点の分類?としては、
1)作品全体に 。。。「芸術至上主義」と言う解釈。
2)良秀の視点 。。。「美(の毒性)」の追究?
3)良秀の肩越しに 。。。エロティックだ。
4)その他諸々
となるかしら。。。と思います。
いかがでしょうか。。。?
No.7
- 回答日時:
幽霊会員として秘かに「参考になったボタン」を押す側に徹するはずだったのですが…(ごめんなさい、笑)
>中学生で地獄変を読み、よく判らないまま、凄まじい衝動を感じました。
>数年後に性行為を体験し、当時の衝動の意味が理解出来ました。
この「感性」は紛れもなくyukkinn66ちゃんのオリジナルで得難いものだから、堂々と胸を張って下さい。
なかなか言葉で言うほどには実際の性体験にて真のエロスの衝動を理解するなど容易いことではない気がしますので。
「これがエロスよ!」とあなたが言えば、誰も口出しできないはずですから^^
ですから「芥川の地獄変をエロティックだと思うのは、おかしい?」と意見を募るだけでなく、もっと「ここがこのような描写だから自分はエロティックに思う」ときちんと究めて持ち前の文章能力を生かした方がよろしいかと思います。
あなたならもっと丁寧に論理的に、皆さんに説明できると確信していますから。
ただ一方で、小説家芥川の意図したものを出来るだけ客観的に捉えようとする姿勢は決して外せないものだとも思います。
これこそ専門家の方々ですら探究し尽くせず、ハマれば底なし沼に自ら歓んで陥っていくような感覚に囚われていくのかもしれませんけどね。
>エロティックだと思う方、はその理由
「地獄変」は芥川が近代に復刻させた華麗で色鮮やかな「王朝絵巻物」に他なりません。
http://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/
実際、「鳥獣人物戯画」のように「擬人化した動物たち」が描かれていたり、中には魑魅魍魎とした「もののけ」が描かれているものもあります。
私にはくわせ者な「語り手」自身が、ともすると「そのような曖昧な存在」に思えてくるのです。
どこかこの世の者ではないような、そんなニュアンスを漂わしているようでもあり。
また、良秀の悪夢の戯言も例の猿も、まるで誰かの生霊が憑依しているような印象をも受けます。
絵巻物だとこれらが具現化出来るのかもしれません。
「エロティック」と感じる小説には、個人的に艶やかな色が脳裏にぱあっと広がるのです。
「地獄変」ならやはり描写で言えば「良秀の娘の真っ赤に染まった頬の色」「燃え盛る灼熱の火焔の色」「身悶える娘のなびく黒髪」、そして「鎖」からですかね。
ちなみに「憂国」は「薄墨色」「紫」「セピア」「黒」で、何故かピジョン・ブラッドはさほど浮かんできません。
さらに絵巻物を逆に遡って観ていくと…決定的な設定の必然性を要する箇所とそうでない箇所が見えてくるかもしれませんね。
このような見当はずれも甚だしく邪道ついでに申し上げますと、世間一般で言われるところの「芸術至上主義」をこの作品にあてはめる解釈が私には良くわからないのです。
何かちょっと不協和音を感じます。
私には「芸術の何たるか」も芥川や良秀の心情など推し測れない部分があまりに多すぎるのです。
ど素人の私にとって「芸術至上主義」という言葉は眩しすぎます。
だから逆に、テクストを「絵巻物」に昇華して、最終的にはクルクルと巻き畳んでしまいたくなるのかも。
少なくとも「アンナ」よりはあなたと共感できる部分が多い気がします。
ですが恐らくあれ以上に辛い落第点がつく拙文で恐縮です(笑)
回答ありがとうございます。
お元気そうで何よりです。^^
ふふっ、、、引っ張り出しちゃった訳ですね。
「色彩」と言う、この物語に不可欠の要素のご指摘ありがとうございます。
牛車に絡み付いて立ち上る炎、
炎の隙間に垣間見える娘の喉元の白さ、女郎の装いのあでやかさ、
良秀の描く不動明王は「よじり不動」と褒め讃えられている、と言う
原本の宇治拾遺物語を昨夜、読んでみました。
こちらにも、「見れば、(炎)すでに我が家に移りて、煙・炎くゆりけるまで、、、」と、極彩色の描写があります。
ご紹介頂いた絵巻物データ、覗いて参りました。
「炎」というのは、特別なのでしょうか、、、
それとも、彩色に使われる顔料が年月を経ての劣化が、他の色よりも少ないのでしょうか、、、
何よりも「炎」の鮮やかさに呑まれます。
この地獄変に「炎」が無ければ、エロティックと言う感想は無かっただろうとさえ思えます。
何よりも身近で生活に不可欠で有りながら、大きな危険を秘めている「炎」
人間の生活にとけ込んでいるように見えて、
利用され尽くしているように見えて、
実は、そんな思惑とは相容れず、勝手に明々と赤々と燃え盛っている存在。
地獄変に限らず、物語の中に炎が登場すると、
それだけで「人の手に余る」というような謙虚さ?が読み手には求められているような気持ちになります。
炎、と言うのも、この物語の重要な「登場人物」かも知れません。。。
芸術至上主義については、#9の返信欄で書かせて頂きたいです。
>もっと「ここがこのような描写だから自分はエロティックに思う」ときちんと究めて
焚き付けてくださり、ありがとうございます^^
得るものの多い質疑になっております。
No.8
- 回答日時:
こんにちは。
>1)人間の性愛は「罪(悪感)」に呼応するものではないか?
はい、「罪(悪感)」のない「人間の性愛」なんて、大昔に流行った、宣伝文句の「クリープを入れないコーヒーなんて」と同じような意味で、全く味気ないでしょうね。
と言うか、万が一、セックスから「罪(悪感)」が消滅しようものなら、男は女に対して性的好奇心なんて覚えなくなるのではないでしょうか。
これも、夫側セックスレスの主要因の一つと言えるかもしれませんよ。
>罪悪感の強さに比例して、その背徳感から性愛は強まる傾向にある、とすると、牛車炎上に際して大殿の心持ち、止められなかった良秀の親としての思い等が、読み手にエロスを生じ(感じ?)させた、とはならないだろうか?
う~ん、確かに「罪悪感」、「背徳感」はエロティシズムの必須要件ですが、だとしても、欲望の持ち主(主体)が自らの性行動を束縛、制約してくる「罪悪感」、「背徳感」に叛逆し、これに違反したとき、はじめてエロティックな感情が生じるのではないでしょうか。
なお、男性が「性愛」に対して抱く「罪(悪感)」の淵源をたどっていくと、最終的には、女性が男性の性欲(性行動)に暴力性から身を守るべく、男性に対して自らを性的禁忌の対象であることをアピールするという性的振る舞いに帰着するのではないかと私は考えております。
そして、雄々しい男の欲求が女の欲求に働き掛け、ようやく覚醒した女の欲求が男の欲求に反応し、相互に交感、共鳴、共振し合えるようになったとき、はじめて男の性欲の「罪悪」が浄化されるのではないでしょうか。
思うに、こういう「性愛」の奥底に潜む秘儀性、逆説性、二律背反性については、安易に愛の延長線上にセックスを捉えたがる現代人よりも、性を「罪悪」視していた昔の男女の方がはるかに容易に悟り得たのかもしれませんね。
>2)性愛の無い美(=良秀の視点)と性愛の美(=私の視点)は、何処で分かれるのか?
「性愛の無い美」とは、たとえば、良秀が炎上する牛車・上臈の光景を凝視したとき、それと同時に良秀の抱懐していた理想美の観念が対象に投影され、多少の屈折を経ながら反射して良秀のもとに返ってきたものだと説明できるのではないでしょうか。
一方、「性愛の美」とは、むしろ「性愛の官能(興奮)」と言うべきであって、これを感じているとき、自らと対象とが同一化、融合化しているはずでして、このとき対象との間にみじんも遠近法的な距離感を感じてはいないはずです。
>3)やはり「射精」に結び付いて行く衝動の有無は不可欠?
>(この作品自体はサディズム傾向には無い、と言う論拠に)
いや、サディズムをテーマにした絵画や小説にしても、サディズムは作品制作上の単なる素材、題材でしかない以上、これによって「射精」の衝動など起こりえないと思います。
もっとも、こうい絵や小説をあたかも春画やポルノ小説として受け止める男がいるのも確かでして、ちょうど西洋名作の裸体画をポルノ視し、性的に興奮し、「射精」衝動に駆られたとしても、誰もこれを妨げることはできないはずです。
>4)ちなみに、男性の射精に対応する女性の欲?って何なのでしょう?
この点については、私の方が喉から手が出るほどに知りたいところです。
>5)レイプ(=マゾの相対が無い加虐?)はサディズムの延長線上にあるものか?
はい、理論的にはこう考えるしかないと思います。
岸田秀氏は、『ものぐさ精神分析』だったかと思いますが、「レイプされそうになったら、女性は抵抗するのでなく、『ハイ、どうぞ』と言えばいい」という趣旨のことを述べており、言い得て妙だと感心させられました。
理論上は、「ハイ、どうぞ」と言われると同時に、男性のサディスティックな衝動は急速に萎縮せざるをえないからです。
この回答への補足
またしても丁寧な回答をお寄せ下さり、ありがとうございます。
えっ、と、、、
前回の#4で頂きましたサディズムに関する考察で、
>「傍観者の視点」からサディズムなり、マゾヒズムなりが成立するにしても、
>対立的な力関係にある二者が併存していることが前提条件
と頂きました。
という事は、この二者が見つからない限り、牛車炎上に関してサディズムと言う感想は論拠を失う、と言う事かな、と。
いえ、感想に論拠も何も無い、とは思いますが、やはり「そう感じた理由」が自分で気になります。。。
私は「読み手として」、
「苦悶する娘に我が身を重ねて」被虐的なエロスを、
「良秀の肩越し(良秀と限りなく近い視線で独自に)に」加虐的なエロスを、
感じたのかな。。。
こんなの「アリ」なのかなあ。。。
これで、「対立的な関係の二者の併存」は成り立つのでしょうか。。。?
(是が非でもサディズムを成立させたいらしいです、私は。。。苦笑)
さて、今回頂いた回答に移ります。
性愛と罪悪感の呼応、についてです。
>欲望の持ち主(主体)が「罪悪感」、「背徳感」に叛逆し、
>これに違反したとき、はじめてエロティックな感情が生じるのではないでしょうか。
この解釈は、
「作品としてサディズムを表しているのではない」とおっしゃりたいのですよね?
質問表題の「芥川の地獄変をエロティックだと思う」主体は、きっと「私自身」だと思います。
a)欲望の持ち主たる「私」(あーー恥ずかしい。。。汗)が、
b)「娘の隠れていた艶かしさの描写」と言う「布石」や、
c)衣装や炎の極彩色と言う「刺激」に依って、
d)「罪悪感や倫理観、背徳感」に(脳内と言えど)叛逆/違反し、
e)その結果、エロティックな感情(感想)が生じた。。。
これで、この作品のエロスの説明は筋が通りますでしょうか。。。?
ひたすらに「妄想」の話で恐縮です。
2)二種類の「美」について。
性愛の無い美。。。己の理想美の投影と対象による反射。距離感有り。
性愛の美(=性愛の官能/興奮)。。。自己と対象の同一化/融合化。距離無し。
これであっていますよね。。。
3)について。
>いや、サディズムをテーマにした絵画や小説にしても、
>サディズムは作品制作上の単なる素材、題材でしかない以上、
>これによって「射精」の衝動など起こりえないと思います。
この部分が分かり辛かったのです。汗
要は、
どんな「素材/題材」であれ
(作者の意図がエロスであろうとそうでなかろうと)、
読み手の内面に「素材/題材対応のアンテナ」が無ければ、
射精衝動に代表される「性愛の美」と言う解釈(=性的興奮)は生じない、
と言う事でよろしいでしょうか?
No.9
- 回答日時:
こんにちは。
No.5のお礼欄を拝見して、「芸術の毒性」に対する明晰な説明が大変参考になりました。本当にありがとうございます。
でも…まだ良くわからないのです。
中年おばちゃんの愚鈍って、本当に悲劇です(笑)
>「芸術とは「全ての表現活動」である」となるのかしら、と思いました。
では仰るところの「全ての表現活動」の原動力である欲望、具体的には良秀の壮絶なる欲求とは、突き詰めれば一体何だったのでしょう。
良秀は完全なる自己満足として独房の中でその絵画の完成形を隠し保持することなど、到底飽き足らなかったはず。
「世に認められたい」「我が名を轟かせたい」「大殿以下に我が実力を認められたい」と痛切に願う我欲も確実に存在し大きく占めていたに違いありません。
では、この「我欲」の正体とは。
いま一度、芸術を「表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」と捉えた上で、そしてこの「芸術にかかわる我欲」と「人間が抱く他の我欲」との間にいかほどの差があり得るのか、とひねくれた私は思ってしまうのです。
どうにも、つまり良秀の芸術に賭す激烈な欲望でさえも、本質的には他の欲望とさほど大差がないとしか思えない。
体よく「芸術至上主義」と評したところで、所詮は「人間の欲望は他者の欲望に過ぎない」のではないか、と。
つまり、他者の称賛や承認を希求したいと渇望する欲求とは、いかなる人間の抱く欲望にも通底している本質的なるもの、根幹ではないか、と考えに至るわけでして。
とすると、不思議と語り手が幻想的なる「もののけ」にも思えてくるし、摩訶不思議な人間の本質について何を今更、などと暗に述べているような錯覚をもおぼえるのです。
あながち、「芸術」の名の下にもっともらしくこの作品を「芸術至上主義」と一般的に定義づけることで達観、納得せしめようとする意図も怪しく思えてきたりして。
でも本当のところは、作家芥川の心境も良秀の法悦の境地も全く推し測る余地のない自らのボンクラさゆえに、「芸術至上主義」なる美しい言葉に一人寂しく噛みついているだけ、とよーくわかっているのですけどね(笑)
この回答への補足
こんばんは。
芸術至上主義について、です。
この言葉に「堅苦しいだけで中身の存在を感じにくい」と感じていたら、、、
kadowaki様が、すっぱりと>実質的な意味などない、と言い切ってくださり、少し楽になりました。^^
いえ、、、国語教師と言うと、私が何かとしつこい質問やどぎつい感想文の提出で迷惑を掛けた方々がお揃いでして、その方々が教えてくれた解釈なので、それだけでも身の有るものにしなければいけないような、、、そんな足枷がありました。
でも、「まあいいっか。。。」と言う逃げ場が出来て嬉しい。。。苦笑
>具体的には良秀の壮絶なる欲求とは、突き詰めれば一体何
>完全なる自己満足として独房の中でその絵画の完成形を隠し保持。。。(1)
>「世に認められたい」「我が名を轟かせたい」「大殿以下に我が実力を認められたい」と痛切に願う我欲。。。(2)
冒頭辺りで良秀の俗物的な?風貌/行動の描写がありました。
俗物的というよりも、粗悪/粗野、に近いかも知れません。
でも、彼の描く絵は素晴らしい。。。。
この主人公である良秀の人物像でさえ、容易には掴みにくい物語です。
何度か良秀の人物像に焦点を当てて読んでみて、
人生経験未熟な私ですけれど、私なりに思い描く良秀は、
「恐ろしく俗物であると同時に、恐ろしい程理想主義の気高い人物」です。
気高い、と安易に表現するのは憚られますが、
己の欲する「美」を具象化する事に掛けては妥協せず、自身にも甘んずるは無い、と思われます。
これは一つの「気高さ」だと思います。
其処に、
「それだけでは飽き足らず、功名心/自己顕示欲と言った辺りの我欲」が加わる。
(1)自己満足=「美」の追究=理想主義=気高さ
(2)我欲=功名心=自己顕示欲
この二つは、彼の中で重心が絶えずシーソーのように揺れ、
いたちごっこのように互いを相乗効果で煽り立てている。。。そんな風に感じます。
そして、自己満足の理想主義だけでは成し遂げられない出世や世間の評価と言ったものを、俗物的な我欲の冷静さで手に入れている。。。
私の勝手な想像ですが。。。汗
ちょっと「私もこう在りたい、かな。。」とも。。。
いや、外見はある程度「すっきり」していたいですけれど。
だから、
この二つは「同等に大きく彼の心を占めていた」。。。
なので、「芸術至上主義」と彼の俗物さは「共存している」と思うのです。
到底相容れない二つなのですが、
何となく超人じみた良秀なら、いとも簡単に身の内に「二匹の猛獣」を飼っていてもおかしくないように思います。
(これも私の勝手な想像です)
「芸術至上主義の小説」と言う、身が有るのか?無いのか?分からない解釈ですが、
これは「良秀の気高さ/自己満足」の面に向けられた解釈であって、
「彼の我欲」は(この解釈に限り)花を添える要素に過ぎない?と、
これまた勝手なこじつけですが、いかがでしょうか。。。?
あーー、、、でも、何かと理想主義に無闇に憧れてしまう私ですから、
かなり「盲目的な想像」になっている気もします。。。
難しいです。
再びの回答、ありがとうございます。
長くなったので補足欄に書き込みました。
何だかひたすらに「勝手気侭な妄想」。。。?汗
折角頂いた、含蓄ある回答を汚している気もして申し訳ないです。。。
No.10
- 回答日時:
こんばんは。
芸術や性愛をめぐって、各回答者の重心の置き所の違いもあってなのでしょうが、いろんな問題が派生し始めたのかなと思っております。
そこで、私の興味・関心を刺激してきた問題に限定してですが、勝手なコメントをさせていただくことをお許し願い上げます。
>芸術=
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。
芸術の原義については、人間が生き残ろうとするために自然界(環境)に働きかけ、必要な道具を作り上げたり、自然界を支配したり、理解したりしようとする人間の一営為として私は考えた方がより包括的なのではないかなという気がします。
たとえば、採集・狩猟・漁撈時代ですと、食料を効率よく獲得するための道具を制作することが芸術制作に該当したり、農業時代ですと、大地を耕すための農機具を制作することも、この農機具で大地に働きかけることも、立派な芸術制作だと思います。
たとえば、私のような百姓からすれば、代かきを終えた水田の泥土に指で苗を植えていくいく作業なんて、ほとんど大地の子宮に受精卵を埋め込むのと同じような作業ではないか、としばしば思わずにはいられません。
その意味で、芸術制作と生殖行為には通底するところがあるような気もします。
>芸術至上主義(=芸術の為の芸術)=
芸術それ自身の価値は(「真の」芸術である限りにおいて)いかなる教訓的・道徳的・実用的な機能とも切り離されたものである(と言う考え方)
私は「芸術至上主義」という言葉にはあまり実質的な意味などないと思います。
大工にとっては木材を加工し、それを家に仕上げること以外に彼のアイデンティティも存在理由もないように、芸術家にとってはあらゆる手を尽くして優れた芸術作品を生み出すこと、宗教家にとってはあらゆる教訓や道徳を活用して衆生を救済すること以外に自らのアイデンティティや存在理由など見出しようがないはずですから。
>地獄変に限らず、物語の中に炎が登場すると、それだけで「人の手に余る」というような謙虚さ?が読み手には求められているような気持ちになります。
これには私も同感でして、それに付けてすぐに連想されたのは、芥川の「奉教人の死」、川端の「雪国」、三島の「金閣寺」、「暁の寺」でして、いずれの火事のシーンにしても、プロット展開の重要な転換点を示すなど、確かに作中で重要な役割を持たされていると感じました。
>私は「読み手として」、「苦悶する娘に我が身を重ねて」被虐的なエロスを、「良秀の肩越し(良秀と限りなく近い視線で独自に)に」加虐的なエロスを、感じたのかな。。。
作中人物にすぐに自分自身を重ねるのは私の得意技でしたが、良秀には、これは私が凡人すぎるせいか、あまり共感できませんでした。
>要は、どんな「素材/題材」であれ(作者の意図がエロスであろうとそうでなかろうと)、
読み手の内面に「素材/題材対応のアンテナ」が無ければ、射精衝動に代表される「性愛の美」と言う解釈(=性的興奮)は生じない、と言う事でよろしいでしょうか?
う~ん、たとえば「チャタレイ夫人の恋人」を例にしますと、たとえ「作者の意図」がキリスト教的道徳や近代個人主義やヒューマニズムによって歪曲されたセックスの大切な価値なり、真義なりを訴えるところにあったにせよ、昭和25年前後の性に関する時代思潮からすれば、少なからぬ読者が作中の露骨な性描写に作者の真意や文脈を無視して性的に興奮したり、射精欲を覚えたとしても、それはいたしかたがないだろうということを申し上げたかったのです。
要は、読者が「素材/題材対応のアンテナ」だけでこの小説を読むか、性的な「素材/題材」よりも、小説全体の出来やテーマ、その拠って立つ思想等の方に「アンテナ」を働かせるかの違いということになるのではないでしょうか。
丁寧にお付き合い下さり、本当にありがとうございます。
今回の質疑では、kadowaki様にはお詫び申し上げねばなりません。
「エロス/性的視点」と言う突発的且つ偏った視点にこだわる事無く、
まさに
>小説全体の出来やテーマ、その拠って立つ思想等
と言う色眼鏡?無しの読み方/アンテナを何度も指し示して頂きながら、
毎度性的視点に舞い戻る。。。汗
きっと折角の心遣いを無下にされて、苦く思っておいでではないかしら、と心苦しく思っております。
でも、今回こうして牛車炎上の光景に、どうしてこうもエロスを感じるのか?と言う長年の疑問を質問としてお手伝い頂きまして、ようやく謎が解けつつあります。
この謎解きには、kadowaki様の性愛/芸術/美というものに関する厳しく深い視線とご教示が大きく手助け下さっております。
この謎が解け、地獄変そのものに向き合って(エロスの視点は向き合っている、とは言い難く。。。汗)読み解く時、必ず頂いた鍵が必要になると確信しております。
今回の質疑での無下な扱いを、どうかお許し下さい。。。
芸術の原義。。。
>食料を効率よく獲得するための道具を制作すること
>大地を耕すための農機具を制作すること
>この農機具で大地に働きかけること
>大工にとっては木材を加工し、それを家に仕上げること
>以外に彼(ら)のアイデンティティも存在理由もない
この限りなく大きな視点で芸術と言う物を捉える考え方が「すとんと腑に落ち」ました。^^
まさに「命の視点」の高潔さ。。。
私も我が身内に培って行きたいものです。。。
>作中人物にすぐに自分自身を重ねるのは私の得意技でしたが、
恥ずかしながら、私が重ねているのは「良秀の視線」だけであって、
対象物をどう見るか?という「視点」は全く持って重なって等いない、と断言出来ます。
すごくすごく雑念邪念がてんこ盛りの、我が侭放題の視点で良秀の肩越しに眺めている、それだけなのです。
こう書くと、
私はまるっきりこの作品を作品として読んでいない、、、と思えます。
一つの素材をそれだけ取り出して、勝手気ままに料理しているようなものです。
付け合わせ/盛り合わせ等、丸っきり無視して。。。苦笑
素材とアンテナ、、、につきましては、まだ正直よく判りません。
何処でどう、このような読み方が生まれてしまったのかな。。。
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