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優れた才能を目の当たりにし
自分の才能の限界を知り
絶望したことはありますか?

どんな時ですか?

A 回答 (3件)

才能という分類が適当か否か、ま、そこに拘るのではなく「お勉強の出来る」一群と、逆立ちしても遠く及ばない我がチーム。

という比較なら散々味わいました。

生まれ変わっても、あんなに正確に素早く百点を取る・・神業としか思えない人達とその親御さん、の様子は恐怖としか表現出来ないものでした。

色々評論すると、出来ない奴の僻みと言われそう、だからここは「鶏頭たるも牛後たるべからず」の言葉を知っていたから、我は凡庸の道をポコポコ歩いて来たのだ。

負け惜しみを一つだけ挙げれば、あの誰でも判る様な「道を踏み外した」方達の気の毒な様、ここで彼らを貶しては男が廃る、と妻のテレビに向ける毒舌は聞こえぬ振り、頬が緩まない様ににする技術は長年の鍛錬で備わったので、ムニャムニャとしか口は動きません。
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いろんなこと、特に自分が好きな事で自分のレベルをはるかに上回る人がいるのはしょっちゅうです。


どんなことでも大抵の場合は自分より上の人がいるものです。
自分自身の能力レベルがどれほど高くても傲慢にならないでおくことこそその人の持ちうる最高のクオリティだと思います。
絶望はした事は無いですし、絶望する必要は全くないと思います。がっかりは何度もしましたけど。笑
それぞれ与えられたものに忠実であり、それを喜んで用いることができたら、それが1番いいんじゃないでしょうか。
自分の評価は「比較級」でなくていいと思います。
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絶望はしたことはありませんが、「とてもかなわない」と思ったときがありますね。



若いときから山に登っていて、山を題材にした小説を書きたいなんてだいそれたことを考えていました。
そのときにみた小説が井上靖の「氷壁」です。感動しました。
実際に起きたナイロンザイル切断事件をモデルに、穂高連峰の素晴らしさ、友情と恋愛の確執、
山を舞台にした小説でこれ以上の素晴らしい本には出会えていません。
私がいくら書いても、この作品の百分の一の感動さえ得られないということを痛感しました。

仕事に関して、私はある分野ではナンバーワンといわれるぐらいの能力を持っていると自負していました。
ところが10年以上後輩の人が、やすやすと私の能力を凌駕したのです。
それだけではなく、職場の多くの分野において他の人を寄せ付けない力をみせたんですよ。
謙虚な人で先輩を立ててくれる人でしたが、とてもかなわない、本当に「できる人」っているんだと思いました。

「優れた才能を目の当たりにし、自分の才能の限界を知り」というのはあり得ることです。
でも「絶望した」なんて思うことはうぬぼれていたことに他なりませんよ。
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