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キリスト教(プロテスタント)に興味があります。でもまだ初心者なので「何事も紙様に感謝する」こと以外に、毎日できる習慣のようなものをとりいれていきたいです。

ちなみに日曜日には仕事があるため、日曜礼拝に出られないのが残念です。。。

聖書を読む・・・というのもあるとおもうのですが、そのほかに具体的に、日常でどうやって意識していけばいいか、教えてください。

よく十字架のペンダントというのがありますが、あれはプロテスタントでは、してもいいのでしょうか?
する場合は、特にどんなものでもいいのでしょうか?(極端な例ですが100円ショップでも十字架のペンダントはありますし、あるいは高級ジュエリーブランドでもあります。でも、本当に神様を意識しての十字架をつける方は、どこかでもっと特別な宗教グッズといいますか、そうしたものを取り扱っている場所で買っておられるのでしょうか?)

眠る前に、何か神様のことを考えるとしたら、どのように、何を考えればいいのでしょうか?

文章が下手で申し訳ありません。。。
教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (15件中1~10件)

キリスト教でも仏教でも同じです、人間の心には元々『神』が宿っています。

何かをするという場合『必ず心の中では、肯定する心と否定する心』が二つになって争いを始めています。

この場合『初一念』が神に相当します、そうして『嫌だな!』という『二念』が働きます。この初一念のままで行動できた場合を『神の御心のままに』生きたといいます。

人間の心は『神』と『悪魔』が同居しています。否定して、しないようにしてしまう心が『我』です。我のままに生きた時『地獄が待っています』

神とは『無意識の中に封印された形で』存在しています。人間の意識は『無意識の時の自分』を意識出来ない心のシステムになっています。その形を『不可知』といいますが、その神と会うと云う事は『自分の意識の根底で、意識と無意識が生じる刹那、二つの意識が同居している事』を示しています。

人間は誰でも毎日何百回も『神と対話しています』只不可知のために、『知らないと思っているだけです』出会った感想を『禅語録』の中から拾ってみます。

『今更お前は誰かと聞く必要など無かった。』と云う事です。健常者という場合その交替制が順調に行っている事を意味しています。

その交替制が崩れた場合『罪悪感』に苛まれます。つまり『違和感を抱く』という意味ですが、その違和感を何処に抱くかで症状が分かれます。

神=命を働かせている意識と、身体機能として争う場合『自律神経失調症』に決定します。

神=命を働かせている意識と、行動面として争う場合、強迫行為や神経症となっています。

神=命を働かせている意識と、感情面や心の問題として争う場合『心を病む』事になります。

全てが心の矛盾をその人の個性によって、何処かに感じている事を意味します。
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一つ実行的で良い方法があります。

それは「主の御名を呼び求める」ことです。これはとても聖書的な実行です。聖書の箇所と解説を記載します。参考にしてみてください。

使徒行伝9章13-14節 しかし、アナニヤは答えた、「主よ、.... そして、彼はここでも祭司長たちから権限を受けて、あなたの御名を*1呼び求めるすべての者を縛ろうとしているのです」。
使徒行伝9章14節解説*1
初期のころ、主の御名を呼び求めることが、主に従う者たちのしるしであったことを示しています(Iコリント1:2)。この呼び求めることは、人に聞こえるものであったに違いありません。ですから、それはしるしとなったのです。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=44_9_ …

ローマ10章8節 それでは何と言っていますか? 「*1言葉はあなたに近い.あなたの口の中に、またあなたの心の中にある」.これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉です.
ローマ10章8節解説*1
ここの「言葉」と「キリスト」が、交互に使われているのは(6―7節)、この言葉がキリストであることを示しています。キリストは、天から下ってきて受肉し、ハデスから上ってきて復活されました。こうして、彼は生ける言、その霊となり(エペソ6:17)、わたしたちの口の中、心の中にあるようになられました。それは、空気や息のように、わたしたちの中に取り入れることができます。彼は近く、便利です。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_10 …

ローマ10章9節 すなわち、あなたが自分の*1口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神は彼を死人の中から復活させたと信じるなら、あなたは救われます.
ローマ10章9節解説*1
キリストは、わたしたちが彼にあずかることを必要とされます。わたしたちは、彼を入れる器として造られたのですから、心で信じて彼を受け入れ、また絶えず口で彼を呼び求めて彼を取り入れ、彼の豊富が、わたしたちのむなしい器を満たし続ける必要があります(9:21―23)。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_10 …

ローマ 10章12節 ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません.同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は*1豊かです.
ローマ10章12節解説*1
これは、神がキリストにあってわたしたちを選び、贖い、義とし、聖別し、同形化し、栄光化されるのは、わたしたちがキリストにあって、彼の計り知れない豊富を享受するためであることを見せています(エペソ3:8)。これを享受する秘訣は、彼の御名を呼び求めることです。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_10 …

ローマ 10章13節
なぜなら、「*1主の御名を呼び求める者はすべて*2救われる」からです。
ローマ10章13節解説*1
主の御名を呼び求めるのは、わたしたちが救われる秘訣であるだけでなく、主の豊富を享受する秘訣でもあります。人類の第三代目のエノス(参照:旧約聖書、創世記4章26節直訳)に始まり、新約の信者たちに至るまで、神に選ばれ、贖われた人たちは、この秘訣によって、キリストの贖い、救い、彼の豊富すべてを享受しました(参照,使徒2:21のノート1)。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_10 …

ローマ10章13節解説*2
ここの救われるとは、主の豊富の享受へもたらされることです。主はユダヤ人にもギリシャ人にも豊かです。主の御名を呼び求めるすべての人は、この豊富な主を享受します。その結果、彼らは彼で満たされ、彼を表現します。
http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_10 …

参考URL:http://www.recoveryversion.jp/
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難しい事考えないで~~~


感謝する事
 今日朝起きてご飯を食べれた事・・・
身の回りを良く探してごらん~たくさんあるから~
寒いけど健康だよね~

>日曜礼拝に出られないのが残念です。。。
近くの教会に水曜日 木曜日に祈祷会とか賛美集会というのもあるはず
探してみてね~

>よく十字架のペンダントというのがありますが、あれはプロテスタントでは、してもいいのでしょうか?
してもいいよ~。
カトリックの方は教会で販売してるものを使ってますね~
もし近くにカトリック教会あるなら相談してみてください。
カトリックは昼間ならいつでもお祈りできると言ってますよ~
神父さん次第ですが、「一緒に祈ってください」とたのんでもいいよ~

クリスマス礼拝あると思うので参加してね~
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こんにちは!


神様に興味をおもちなんですね^^

>「何事も神様に感謝する」
最初からこんな気持ちを持ってらっしゃるなんて!と驚きました。
その気持ちがとっても大切だと思います*

夜寝る前に神様の事を想像したりしているのでしょうか?
では、もうちょっと神様に心を開いて、祈ってみてはどうでしょうか?
祈るといっても、何にも難しい事はありません。
毎晩神様に、Thank You ,Sorry ,Pleaseの3つのことをお祈りしてみませんか。
「神様、今日はこんなことがあって、とっても嬉しかった!ありがとう。」
「神様、今日はこんなひどい事を言ってしまいました。ごめんなさい。」
「神様、明日はもっと素直になれますように。そばで見ていて下さい。」
祈りにルールはありません。祈っている事を他の誰かに言う必要も、
自分を取りつく繕う必要もありません。まずはこの3つで十分です!
イエス様に素直な気持ちを打ちあけてみてください。
神様は、クリスチャン、ノンクリスチャンどちらの祈りも、等しく全て聞いていて下さいます。 
神様は何よりもhshs2さんが直接話しかけて(祈って)くれるのを心待ちにしていると思いますよ**

私はプロテスタントですが、正直、十字架を身につけるのはファッション感覚です。
気に入ったデザインのものだから付けるという感じです。
“クリスチャンだから”ということは特にありません。
「十字架を付けているから私は神様から離れない(守られている)!」
「偶像になりそうだから付けない!」
「クリスチャンらしく見せたい*」
こういう気持ちを感じるようなら、付けないほうがいいのかな…。と思います。

信仰は一方的なものではなく、イエス様とのコミュニケーションです。
無理をする必要はありません。不安になる必要もありません。
周りの人と比べる必要もありません。
神様を求める気持ちをたいせつにして下さいね**
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こんにちは。

十字架のネックレスをぶらさげています。

しかし、わたしもカトリック(といっても最近通い始めたばかり)なので、プロテスタントの方がどうしているのかの部分の回答はできないのですが、どんなのを下げていてどこで購入したかと、お祈りのことだけお答えさせていただきますね。

わたしがネックレスとして下げている小さな十字架はたしか300円位でした。いっしょにメダイも下げていますがこちらも同じく300円位のものです。
いずれも東京・四ッ谷にあるカトリック系の聖品を扱っているサンパウロというお店で購入しました。
しばらくはそのまま下げていましたが、教会に行ったときに神父様に聖別していただきました。

寝る前は、寝る前のお祈りの言葉を言うか、もしくはロザリオのお祈りをしています。でも眠くてたえられないときは、十字を切って「主よ、今日もありがとうございました。…では、オヤスミナサイ」だけです。。。
お祈りの言葉はやはりサンパウロで買った「祈りの手帳」という200円の小さな冊子にのっている言葉か、聖イグナチオ教会の売店で買った英語のお祈りの小冊子にのっている言葉を使わせてもらっています。あとは聖書でイエス様が教えてくださったお祈りとかですね(天におられるわたしたちの父よ…の文章です)

お店のURLも書いておきますね。

■サンパウロ
http://www.sanpaolo-shop.com/home

■ドン・ボスコ
http://www.donboscosha.com/

■女子パウロ会
http://shop-pauline.jp/

わたしも教会に通い始めて1ヶ月位の初心者です。
お互いに洗礼が受けられるようになるといいですね。
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追加として


それをみるために自然と神様を意識する自分に気づいたので、そうした方法もあるのかと考えておりました。
はい大丈夫ですよ。気にしないで。アクセサリーに向けて祈ってるのではないですからね。それは偶像崇拝ですね。
信仰というのは色んな形がありかまいませんよ。
日曜日教会に行かなければならない。牧師に相談し許可を得なければならないと言うのも場合によってはいけない話しになってしまうし私たちも教会を見てキリストの事を考えてしまうなら同じ事ですからね。
あなたの信仰を大切にしてください。(カトリックのほうがいいかな?そんな感じですね)
後大切な事は聖書を読みいいなあと思うことを行う事も忘れずにね。
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まず教会は日曜日だけじゃないですね。

カトリックのミサは毎日
プロテスタントでも水曜か木曜に礼拝の日があります。
後はキリスト教に関しての本を読むこと、ビデオや映画も手段です。

http://www.pba-net.com/
http://www.febcjp.com/というのもありますね

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/syoten.htm
このような専門の本屋で買われてますよ。
東京ならhttp://ochanomizu.cc/という集会もあります。
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ちょっと昔、プロテスタントのボランティア団体と、仕事で、係わり持った事が有るけど、誰一人、十字架は、<見える部分での話だけど>、身に着けていなかったし、たまに、礼拝しているのを見たが、その部屋には、小さな十字架のみが飾られていて、他は無しだった。



偶像崇拝が、禁止されているし、見かけに拘るのは、駄目なんだと、聞きましたよ。
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 こんにちは。



 自分の生活態度を確立すること。これは 思想にもつながります。
 そこでは 社会とのかかわり方を 自分に応じてしっかりと捉えておくこと。
 この思想にもとづくいくつかの方針を 連れ合いやその間の子どもたちとともに 実行に移していけたら いいでしょうね。
 試練もあることでしょうが 間違いに気づくのでない限り 飽くまで 生活態度の充実につとめること。

 この或る意味で巡礼の旅路をいく過程で 《かれ》には会えるでしょう。かれがやって来るでしょう。

 この道を行くには つらいときもあります。そのときに こころをふるい起こすことのできる偶像があれば それはそれとして 持っていてください。

 これだけ思っているこころに 何も音沙汰がないというのは ないでしょう。と思います。
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十字架をさげることは偶像崇拝に当たる という批判に対して、カトリック側は、恋人の写真をふところに入れ、見るたびに恋人を思い出すようなものだ と答えたそうです。



神様のことを思う頻度を高めるために、十字架を下げるというのは、信仰がおろそかになりやすい人とっての失念防止対策としては、よい道具だと思えます。


ホルス(紀元前3000年。
今から5千年前)は12月25日に処女イシスから生まれたとエジプトの壁画に書いてある。
彼の誕生の再に東に星が現れ、3人の王がその星を辿り誕生した救世主に贈り物を捧げた。
12歳で天才教師と呼ばれ、30歳でアナプに洗礼を受け牧師活動を始めた。
ホルスは12人の使徒と共に旅をし、病を癒したり、水に上を歩いたりなど奇跡を行った。
ホルスは別な名前でも呼ばれた。「真実」「光」「祝福された神の子」「良い羊飼い」「神の子羊」など。
チュフォンに裏切られたホルスは十字架にかけられ、3日間埋葬された後復活した。


この内容で別バージョンだと、ホルスでははなくアティス(紀元前1200年頃)。
ミスラ(紀元1200年頃)ミスラの祭日は日曜日。
クリシナ(紀元前900年)
ディオニソス(紀元前500年頃)
イエス 紀元4年頃。

みなさん 12月25日が誕生日で、病を癒し、水の上を歩き、十字架にかけられ、3日間埋葬の後に復活したという話。


それは一体なんの象徴なのか?
何故12月25日でなければならないのか。
何故3日間埋葬なのか
何故その後の復活したのか。
何故十字架にかかったという話なのか?

他でもいいのにどうして?

さあ 十字架に質問してみましょう。


ちなみにですね。
キリスト教はもともと魚をシンボルとしていたんです。
十字架は異教のシンボルだからと4世紀あたりのキリスト教聖職者はやめろと言ってた。
なのに何故ミスラたち異教の宗教シンボルを、キリスト教のシンボルに変えて、魚をシンボルとしなくなったのか。

十字架に問いかければ教えてくれる、、、、ことは無いですが、十字架を見るたびに、この謎々を思い出してみてください。


十字架は1億する十字架だろうと、100円ショップの十字架だろうと、想起する引き金になるのであれば、どっちでもいいと思います。
1億の方が「盗られていないだろうか」と常に気にするのであれば、1億する十字架の方が想起率が高くなるので、効果は高くなるかも。



(12月25日生まれ。)て
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