アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「作品は監督のものだ!」と、何度か見聞きしてます。

この「監督」、立場はどうなんでしょうか?
「製作総指揮」に 名の通った人(たとえば『スピルバーグ』だとか)が存在してるとイキナリ薄れてしまうような気がします。

「監督」や「総指揮」、「プロデューサ」の関係を端的に表していただけると幸いです。

それぞれ、本来の役割は何ですか?
原作や脚本とかにイチャモンをつけ、自分なりの解釈で撮ることができるのはダレなんでしょう?
世の「映画評論家」が重きを置いてるのは、どの立場の人でしょうか?

A 回答 (5件)

国や地域、あるいは作品によっても違います。



ハリウッドではもっとも偉いのはプロデューサー、もしくは製作総指揮にあたるエグゼクティブプロデューサーになります。
ハリウッドでは、最終的にどのカットを使いどのカットを切ってしまうかというファイナルカット権というのがありまして、ほとんどの監督はこの権利を持っていません。
この権利を行使できる大物はスピルバーグとか、シドニールメットとか、十数人だと思います。
そんなことから監督ながらプロデューサーとしてタイトルに名を連ねる人もけっこう居ます。プロデューサーということだと、この権利が持てるからです。
ハリウッドのプロデューサーは監督が撮ったカットを気に入らず、撮り直すように命令することまであります。

これがニューヨークやヨーロッパだと違ってきます。単に”偉い人”というとお金を握るプロデューサーですが、NYや欧州では作家性を重んじる傾向があるので、作品の出来不出来に責任を持つ人、ということで監督の権限が大きく、この考え方だとプロデューサーよりも監督の方が偉い、とも言えます。日本も映画の場合にはこの傾向が強いです。テレビはそうでもありませんが。

世の「映画評論家」が重きを置いてるのはやはり監督ですが、芸術性に秀でた有名なプロデューサーやカメラマンというのもやはり居まして、場合によっては監督よりもプロデューサーやカメラマンに評論家の目がいくこともあります。

なぜカメラマン? というのは”撮影現場の仕切”をするのに監督よりもカメラマンの腕がものを言うことがよくあるからです。

上記のような例ではプロデューサーではアナトール・ドーマンという方が特に有名で、かかわった作品のほぼすべてが世界的な映画賞を受賞しています。イタリア人監督から日本人監督まで国籍を問わずいろんな国の監督と仕事をした大プロデューサーです。

カメラマンだとヴィットリオ・ストラーロなどか有名です。監督がOKでも平気で「オレはNGだ」ともう一回撮り直しをさせるカメラマンです。
それだけあってすごい画を撮るのですが、うるさいので監督によってはあまり一緒にやりたくないようです。

こういった方たちが名を連ねていると、”ちゃんとした評論家”(最近はどうしようもない名ばかり評論家も多いので)は、監督に加えスタッフにも言及せざるおえないと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

とても詳しい、解りやすい回答、ありがとうございます。

「総指揮」や「プロデューサ」が、監督以上にシャシャリ出てると、なんか違和感を持ってたモノです。

とてもスッキリしました。

特に、「カメラマン」。
こんなの(失礼!)、監督の要求どうりに撮るのが「シゴト」でしょ!
なんて思ってたのですが、もうビックリです!

お礼日時:2009/12/19 22:05

プロデューサーになると思います。

プロデューサーの役割は映画の企画立案から、監督などスタッフの人選や資金調達などを行います。
会社の構成で例えると、プロデューサーは大株主になると思います。大株主はたくさんの資金を出していますし、社長を解任したり出来ます。監督は社長になり、製作総指揮は会長になると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

これまた解りやすいたとえで、なるほど~です。

企画・立案から関わるということは、「作品」のデキ映えを 既に想定しているということですか・・・。
そのデキ映えに沿い得るチカラのある「監督」を当てる・・・。

「監督」も歯車の一つということですね。

お礼日時:2009/12/19 21:52

>世の「映画評論家」が重きを置いてるのは、どの立場の人でしょうか?



やっぱり監督でしょうね。でも権力のあるプロデューサーは映画そのもののカラーをも支配してしまう場合があります。特に映画黄金期のスタジオシステムが機能していた頃の映画では、例えば20世紀FOXのダリル・F・ザナックとか、東宝の藤本真澄とか、映画評論の場でも語られることが多いです。現在ですとジェリー・ブラッカイマーなんかも作品への影響力が高いプロデューサーだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり、監督は評価される存在なんですね。
でも、プロデューサも あなどれない存在のヒトがいる・・・と。
深いものです。

D・F・ザナックと聞いて、「ジョーズ」の製作のヒト?と反射的に思ってしまいましたが、「ジョーズ」は その息子さんだったのですね。
この映画は私にとって、ものすごくインパクトあるものでした。
中学生になったばかりの頃で、「映画館で観た 初めての映画」です。
映画そのものは、祭りに「移動映画」がやって来て、観たことはありましたが、「映画館」で鑑賞したのは、「ジョーズ」が初めてです。
「パンフレット」というのも初めて買い、擦り切れるほど何度も読み返したものです。
そこに、「製作 ○○・ザナック」とあったのを覚えていました。

作品への影響力とは、監督にもモノ申せる人なんですかね?

お礼日時:2009/12/19 21:23

私の知り合いの監督・プロデューサーを例にすると、まず現場では間違いなく監督です。


でも、映画を作るにはお金が必要です。
そのお金厚めをするのがプロデューサーの役目です。
最も、ほかにもいろいろ仕事はあるので、一つの作品にだいたい2~5人のプロデューサーがいます。
知り合いのプロデューサーが言うには、「撮影に入るまではプロデューサー、撮影が始まったら俺は暇なんだよ。」といってます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

具体的な仕事内容がちょっと判り、うれしく思います。

プロデューサは1人だけではない・・・ということが驚きです!
(映画パンフレットを よく見てないので・・・お恥かしい限りです。)

監督は「現場監督」でしたか!

お礼日時:2009/12/19 21:08

製作総指揮(エグゼクティブ・プロデューサー)>製作(プロデューサー)>監督(ディレクター)




・製作総指揮(エグゼクティブ・プロデューサー)
製作を取りまとめる人。

・製作(プロデューサー)
制作予算、宣伝、キャスト・スタッフなど人の管理を仕切る人。

・監督(ディレクター)
撮影そのものを取り仕切る人。


ただ、上下関係は厳密なものではない。
いわゆる"雇われ監督"の場合は上記の通り。

自由にやりたい(自分で金を集められる)監督は、監督と製作を兼ねることもあるし。
製作総指揮といっても名前だけ。ということもある。


>原作や脚本とかにイチャモンをつけ、自分なりの解釈で撮ることができるのはダレなんでしょう?

力と金のある監督。

>世の「映画評論家」が重きを置いてるのは、どの立場の人でしょうか?

基本的に監督しか評価しません。
ま、もちろん俳優も評価しますけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても解りやすく教えていただき、感謝いたします。

「監督」といえば、その映画のあらゆることに目配りするヒトかと思ってました。
ですので、「製作総指揮」とか、「プロデューサ」の名が オモテにド~ンと出てると、
「ナニをしたの?」という気がしてました。

なのに、評論家は監督しか評価しないのはナゼなんでしょうね?
「映画そのもの(映像とか脚本)」を仕切ったからでしょうか?

お礼日時:2009/12/19 21:02

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!