プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は、
「なぜ大人になったら会社で働いてお金を稼がなければならないのか」
子供のころから昔から思っていました。

私には、会社で働いている結構な数の人が、自分の時間を犠牲にして働いているように見えます。
自分の時間を犠牲にして、一日8時間ほぼ毎日、老人になるまで続けることは、自分ではどうも納得ができません。

私が察するに
「みんな働いているし、(自分の人生の中で本当にやりたいことなんてどうでもよくて)
つらい事を受け入れ、それが自分を成長させ、競争社会でお金をたくさん稼ぐことこそが幸せなのだ」
そう信じて、皆さん働いているのではないのかと思っています。
お金持ちは本当に幸せなのでしょうか。

本当のところ皆さんは、なぜ働いているのか知りたいのでぜひ教えてください。

A 回答 (33件中21~30件)

ざっと回答とお礼などを拝見させていただきましたが、yossy1111様は「労働」と「お金を稼ぐ」ことがごっちゃになっていますね。



ものすごく単純にyossy1111様が無人島に住んでいたらどうでしょう。
果物がたくさんなってるので、食料には困りませんし、常夏の国ですから衣服だって要りません。
しかし実際には、果物を取る「労働」が必要ですし、水を運んできていつでも飲めるように、雨露をしのぐ工夫も「労働」して維持しなければなりません。
つまり人間は生きる以上、労働すること、働くことをなくすことはできないわけです。

現代社会に戻ってみると、実際に自給自足のために労働している人はほとんどいません。ほとんどの人は「給料をもらう」こと前提に労働し、もらった給料を衣食住などサービスにお金を払ってサービスしてもらっているわけです。

じつはこれこそが、「自分の自由になる時間」の創出につながっているといえます。
テント生活でもいいですから、なんのサービスも機械もなく、3日ぐらい生活してみれば、生活のための労働だけで1日が終了し、自分の時間などもてないことが分かると思います。

みんながそれぞれ自分の与えられた仕事を(社会で)分担しながら労働することによって、高度な社会インフラ(鉄道・道路・電話など)が整備され、時間を節約する機会やサービス(洗濯機やコンビニなど)が成り立っているわけです。
ですからむしろ「このような社会で働いているからこそ、自分の時間というものを作ることが出来るのだ」といえると思います。

もちろん、労働が自己目的化し、サービス残業などで夜遅くまで働かされている人もたくさんいます。それは社会的な制度の欠陥でもありますが、そもそもその人がそのような選択をした、という自己責任の部分もあるわけで、それ嫌なら社会人になる前に、一生懸命に何をお金を稼ぐ手段にするか考えるべきです。

私はお金もちとはいえませんが、会社を経営しており、人を使っている立場です。しかし(零細企業ですので)誰よりも私が一番長い時間仕事をしています。しかし、これは私自身の選択によるものですので「自分の時間を犠牲にしている」とは考えておりません(働いた分儲からないかなとは思います(笑))

労働することは必ずしも自分の時間を犠牲にすることではありません。むしろ皆がいろいろな仕事を分担することで、自分の時間を作り出せているのだ、ということも合わせて考えてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

>みんながそれぞれ自分の与えられた仕事を(社会で)分担しながら労働することによって、高度な社会インフラ(鉄道・道路・電話など)が整備され、時間を節約する機会やサービス(洗濯機やコンビニなど)が成り立っているわけです。
ですからむしろ「このような社会で働いているからこそ、自分の時間というものを作ることが出来るのだ」といえると思います。

確かにそのとおりですね。
しかし、私は、社会に役に立った貢献度によって、お金が分配されているとは思っていません。
労働者と資本家でみると、資本家のほうがはるかに儲かる仕組みは、おかしいと考えています。
たとえば、会社で働いている方は、今年年収400万円だとして、よほど死に物狂いでがんばっても来年600万になればいいほうでしょう。
お金(生活)のために働いている人は、それでどうやってモチベーションを維持できているのか不思議です。

そういう、おかしな仕組みの中で、生活のため、つまりお金のために会社で働くのは馬鹿らしいと思ってしまいます。

お礼日時:2010/02/08 06:50

人間の数を減らしつつ産業ロボを増やしてゆけば


皆そのうち働かなくても生きてけるようになります

俺って誇れるコト何か残したっけ? てな走馬灯が
最期の意識になっても良ければ特に問題は無い筈
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

お礼日時:2010/02/10 08:43

No21です。

お礼ありがとうございます。

>しかし、私は、社会に役に立った貢献度によって、お金が分配されているとは思っていません。
労働者と資本家でみると、資本家のほうがはるかに儲かる仕組みは、おかしいと考えています。

これについて、また別の視点を提示したいと思います。
まず労働者と資本家はお金を得るまたは設けるための条件が同一でありません。労働者は原則的に労働資本(つまり自分の体や能力)により、雇用されて賃金を得ます。これは雇用保険や税の控除などを考えると、非常に低リスクなお金の取得方法であるといえます。
資本家の場合は、何かに資本を投じて利益で回収するというお金の取得の方法になります。これは事業に失敗しても、原則的には誰も助けてくれず、借金が残るという非常にリスクの高い作業を行っているといえます。
ですので、単純に「資本家がより儲けている」というのは事実であっても、法律や福祉政策に守られている労働者と同じレベルで考えるのは間違いです。

また重要な点として、資本家が事業を起こさなければ労働者は働く場所を得ることが出来ません。
この点をまったく無視して、「資本家が儲かる」のはおかしい、というのは非常に問題があるといえます。

ただし、上記のようなことを考え国の仕組みを変えようとした動きがありました。それは共産主義というものです。
詳しく説明すると、行数を超えるので割愛しますが、共産主義とは資本家を無くしすべての労働者で労働と富を分配することを目的とした資本配分の方法である、といえます。
これを実行したのがソビエト連邦・中華人民共和国(中国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)・キューバ共和国などです。
しかしソ連は崩壊し資本主義のロシアに変わりましたし、中国は共産主義の政治体制でも、経済は市場原理に任せた資本主義に実施変わっています。北朝鮮の国民が置かれている状況はご存知のとおりでしょう。
つまり、すべての労働者で労働と富を分配する、というのは非現実的である、ということであり、競争が無ければ人間は堕落する、ということでもあります。
その一例にトラバントという自動車があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/トラバント
この車が出来た1950年代はとくに性能的に劣っているわけではなかったのですが、この車はソビエトが崩壊する1980年代までほぼ同じ形で生産がされました。またソ連を含む東欧で生産されていたため、1970年代のオイルショックによる燃費向上も、その後の排ガス規制による排ガス規制も行われず、西欧の自動車の発展と比べると古色蒼然としたものがありました。
これはつまり、競争によって誰かが責任を持って改良する、ということが行われなかったからです。改良が行われればエンジンが複雑になったり、エアバッグが必要になったりして、労働者からすれば、「覚えなければならないこと」が増え、労働強化につながると考えられたから、出来なかったという部分もかなり大きな理由になります。

私は単純にお金持ちになることが幸せであるとは思いません。しかし共産主義のような体制だと、自分のことしか考えない労働者には天国ですが、なにか新しいことを生み出そうとする人にとっては地獄でしかありません。
資本主義というのは、欠点も多いですが、自分の才能を伸ばすことができる、という大きな利点をもっています。
しかも一回の労働者(サラリーマン)であっても、たとえばプリウスのような革新的な自動車を作ることが出来たり、町工場でも「痛くない注射針」の発明や、H2ロケットに使うフェアリングなど、誇りをもった仕事をすることもできます。
看護師のように、人の生死にかかわり、人生の最後を幸せにするのが仕事のやりがいだという方もいるでしょう。

なにを目的に働くかは、人それぞれです。仕事自体は(自分以外の)誰かが与えてくれなければ出来ないものでもありますから、つらいことがたくさんあるのは当たり前です。
それでも、自分の才能を生かした仕事を選べるこの国は、とてもいい国だと思います。

昔は奴隷という制度がありました。奴隷は「自分で自分の運命を決められない」から奴隷(誰かに隷属した者)なのです。現代の人々は会社に隷属させられている、と考える人が多いですが、自分の運命は自分で決められる(決めてきた)ことを忘れてはなりません。

社会に貢献することを喜びに、仕事に励む人もいます。子供を育てなくてはならないから、嫌な仕事でもがんばっている人もいます。
どこにモチベーションを置くかは人それぞれですが、
「みんな働いているし、(自分の人生の中で本当にやりたいことなんてどうでもよくて)つらい事を受け入れ、それが自分を成長させ、競争社会でお金をたくさん稼ぐことこそが幸せなのだ」
と考える人はそれほど多くはないと思います。
本当にやりたいことがあり、やる勇気があるなら、それをやればいいのです。
その代わり自己責任ですから、勇気を持てず一歩を踏み出せない人もたくさんいて、しかたなくお金のために仕事をする人ももちろんいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

>これは雇用保険や税の控除などを考えると、非常に低リスクなお金の取得方法であるといえます。

別に事業で失敗していくら借金をしたって、自己破産をすればいいわけで、まず死ぬことはないですし、だとしたら全く問題ないと思います。
お金のために自分の人生の大半をつかってしまうことのほうが、幸せを掴むという点でよほどリスクがあります。
それに、もし、お金を目的に働くのであれば、事業を起こしたほうがいいです。
自分自身の価値に絶対的な自信があれば、リスクと思う必要もないはずです。


私は、ほとんどの人が、お金のために働いていると見ています。
しかし、これは別におかしな話ではなく、労働者は、労働を提供して、お金を得る契約をしているわけですから、当たり前のことですよね。
逆に、「私はお金のために働いてない、善意で働いている」といっている人のほうが、おかしな話です。

そして、これは、契約なので、自分の価値は、自分で決めるべきです。
おそらく、会社が提示した給料を何も考えずこんなもんだ受け入れている人がほとんどではないでしょうか。
そういう自分の価値を自分で決められない人たちが他人の価値を定め、採用をし、給料、昇給を決めるのです。
そういう意味でも、私は会社で働くことが納得できませんでした。

>自分の運命は自分で決められる(決めてきた)ことを忘れてはなりません。

私は子供のころから、親や先生に、会社で働いてお金を稼いで生活をして、社会的地位を確立しなければいけないと教えられてきました。
会社で働いてお金を稼ぐこと以外の、広い世界があることを教えてもらえませんでした。
実際に会社で働いている皆さんもそうではないでしょうか。
本当に自分の生き方を自分で選択しているのか、私には疑問です。

お礼日時:2010/02/08 22:45

>みなさんは、なぜ働くのか教えてください。



人生を楽しく豊かにすごすため。


>私には、会社で働いている結構な数の人が、自分の時間を犠牲にして働いているように見えます。
>自分の時間を犠牲にして、一日8時間ほぼ毎日、老人になるまで続けることは、自分ではどうも納得ができません。

人間は拘束されなければ幸せということではない。
人は他人に認められることで幸せを感じる。
やりたいことに参加できることに満足を感じる。
より大きなことをできることに満足を感じる。
自分に任せてもらえることに満足を感じる。

上のような満足は仕事から解放されただけでは達成できない。無職で稼ぎが無ければ、やりたいこともできない。また、社会的に働きもせずに特に何もしないような人間を世間は凄い人とは認めてくれない。
海外旅行に行きたい。おいしいものを食べたい。ファッションにこだわりたい。コンサートに行きたい。楽しくデートしたい。好きなものをコレクションしたい・・・
仕事から解放されても実現しない。
時間はあっても金が無い。これでは幸せにはなれない。



>それに、もし、お金を目的に働くのであれば、事業を起こしたほうがいいです。
>自分自身の価値に絶対的な自信があれば、リスクと思う必要もないはずです。

絶対的な自信がある人限定。
100億円の資産がある人は利子だけで食べていけるから生活費のために働く必要は無いと同じ。一般論としては何の参考にもならない。


そして、どこかの組織や社会に属して働くことで得られる幸せもある。会社の同僚や上司、顧客や取引先の相手に認められることで得る喜びもある。チームである新製品を開発したという成果が達成感になることもある。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

私は、会社で働くことは、幸せになれないと思っているのではなく、会社で働いている人のほとんどがあまり幸せだと感じられていないのではないでしょうか。
おそらく、ほとんどの人が、会社で働いて安定した生活を送る以外の選択肢を考えたことがなく、心の底で、納得のできない人生を歩んでいるのではないでしょういか。

>上のような満足は仕事から解放されただけでは達成できない。無職で稼ぎが無ければ、やりたいこともできない。また、社会的に働きもせずに特に何もしないような人間を世間は凄い人とは認めてくれない。
海外旅行に行きたい。おいしいものを食べたい。ファッションにこだわりたい。コンサートに行きたい。楽しくデートしたい。好きなものをコレクションしたい・・・
仕事から解放されても実現しない。
時間はあっても金が無い。これでは幸せにはなれない。

回答者様は、たくさんお金を稼いで、社会的地位を上げることが幸せだということでしょうか。
もしそうだとしたら、そのような欲望にとらわれ、本当にやりたいことができない人生に疑問を感じます。
それに、そのような価値観は、社会、学校の教育、親、テレビなどで、昔から教えられていたからそう思っているだけじゃないでしょうか。

>絶対的な自信がある人限定。
100億円の資産がある人は利子だけで食べていけるから生活費のために働く必要は無いと同じ。一般論としては何の参考にもならない。

自信があるかないかは、外部の環境の問題ではなく、
自分でそう思えるか、思えないかの違いではないでしょうか。

お礼日時:2010/02/10 08:36

働く理由は「お金」+「やりがい」です。



マズローの欲求段階説というのがあります。
人間の行動を引き起こす欲求は次の五つの階層を持つとした。
1)生理的欲求(飢え、空腹、睡眠など生命の維持に関する欲求)
2)安全の欲求(戦争、天災、病気から逃れたい、衣服や住居など生命に
関するものを安定的に維持したい)
3)社会的欲求(愛と帰属の欲求ともいう。集団に所属し仲間からの愛情を求める)
4)自尊欲求(承認の欲求ともいう。承認、尊敬、独立などを求める欲求)
5)自己実現欲求(自分がなすべきことをなすために自己の成長や発展を求める欲求)

これらは順に満たされると次の欲求を感じるようになるとしてます。
つまり1の欲求が満たされて初めて2の欲求を感じるというものです。

これは仕事の場合も当てはまるのではと思います。
1の欲求として、空腹を満たすために生命維持のために働く。それが
満たされると、2の欲求として良い服を来たい、最低限度の生活を維持したい
ために働く。それが満たされると3の欲求というように段階的に働く動機は
高まっていきます。

お金のためだけに働くなら、すでに一生分稼いでいるビルゲイツやらイチローやらは
仕事しないんじゅないですかね?
だから繰り返しになりますが、働く理由は「お金」+「やりがい」だと思いますよ。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

私は、一般論ではなくて、実際に会社で働いている人はどのような動機で働いているか質問をさせていただきました。

マズローの欲求段階説についてですが、
別に社会的な地位はどうでもよくて、フリーターをやりながらミュージシャンを目指している方、お笑い芸人を目指している方など、たくさんおられるかと思います。
おそらくそういう人たちは、3) と 4) を飛び越えて 5)の欲求をかなえようとしていると思います。
1)~ 4)があまり満たされていなくても、5) を目指せるのではないでしょうか。
逆に、お金をどんだけ稼いでも、1)~3)の欲求がない人もいると思います。
ビルゲイツやイチローは、最初は、1)~3)や、お金を目的に行動して、徐々に5)の欲求に変わっていったのでしょうか。
そうではなく、彼らは、子供のころから、5)の欲求を満たそうとした結果最高の結果を残せたのではないかと私は思っています。

お礼日時:2010/02/12 01:02

>回答者様は、たくさんお金を稼いで、社会的地位を上げることが幸せだということでしょうか。



どうしてそう曲解するかな?
やりたいことをするには金が必要だから稼ぐ。同時に「社会的に認められること」も幸せ。認められることと地位は別。先の方の回答にあるようなマズローやハーツバーグの話。

>自信があるかないかは、外部の環境の問題ではなく、
>自分でそう思えるか、思えないかの違いではないでしょうか。

意味不明。自分の書いた内容を理解していない。

「お金を目的に働くのであれば、事業を起こしたほうがいい」と書いたのがyossy1111さん。自分が自信があると思っても、サラリーマン時代より稼げないなら、事業を起こさない方がいい。お金を目的に考えた時には、自分に自信があるかどうかは関係ない。
絶対的に稼げる確信がある人は起業した方がいいに決まっているが、そうでなく自分でそう思っているだけの人は事業を興した方がいいかは分からない。
例えば、S&P500企業のCEOクラスだと雇われCEOでも年収は10億円程度。彼らの中には自分に自信がある人もいるだろうが起業した方が稼げるとは限らない。お金を目的に考えるなら年収10億円を数年間もらい、退職金でさらに数10億もらってやめた方がいいかもしれない。

この回答への補足

>同時に「社会的に認められること」も幸せ。

あと、社会的に認められることとはないんでしょうか?
いまの社会だと、はたらかずにニートしている人よりたくさんお金を稼いで、税金を納めてたほうが社会的に認められるし
戦争中の日本であれば、天皇陛下のために死ぬのが社会的に認められる行為だっただろうし、
北朝鮮では、将軍様のために命をささげるのがよい行いとされるでしょう。

社会的に認められる行為とは、国や時代、宗教によって変化しますし、もちろん絶対に正しい行いや、社会的に認められる行いをしていれば絶対に幸せになれるなんていえないはずです。

確かに、社会的によしとされる行いを続けていれば、自分の生き方を考えなくていいし、責任も取らなくていいので非常に楽な生き方なのですが、私はそういう生き方は死ぬときに後悔するような気がしてできません。

補足日時:2010/02/12 01:05
    • good
    • 1
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

私は、一般論ではなくて、実際に会社で働いている人はどのような動機で働いているか質問をさせていただきました。
私が察するに、みなさん子供のころから親、や先生、テレビから、安定した会社に入って安心した生活を送ることが幸せなのだと教えられていたからそれにしたがっているだけで、本当に自分が考えた結果、働いているか怪しいです。

>やりたいことをするには金が必要だから稼ぐ。

回答者さまが、お金を使ってやりたいこととは何でしょうか。
私はそこが知りたいのです。

>同時に「社会的に認められること」も幸せ。認められることと地位は別。先の方の回答にあるようなマズローやハーツバーグの話。

社会的に認められるというのは、何か見返りを求めているということですよね。
その見返りが、誰かにほめられることや、お金であったり、社会的地位なのではないでしょうか。

>「お金を目的に働くのであれば、事業を起こしたほうがいい」と書いたのがyossy1111さん。自分が自信があると思っても、サラリーマン時代より稼げないなら、事業を起こさない方がいい。お金を目的に考えた時には、自分に自信があるかどうかは関係ない。

おそらくみなさんが勤めている会社で、高校の結果を出して最高の役職を得たとしても年収、億まで給料をもらえる会社は、ほとんどないのではないでしょうか。

私は今現在、一般に働いているサラリーマンよりも高い収入を得ています。
私の実感ですが、会社で働くことにこだわらなければサラリーマンの収入以上稼ぐのは、とても簡単です。
もしそれが難しいと思うのであれば、回答者様は、何か会社で働くこと以外に、もっと効率よくお金が稼げるようなことを考え行動したことはありますか。
試してもいないのに、ただ難しいと思っているだけではないでしょうか。
それに、お金を目的に会社で働いている人は、たかが生涯年収3億円のために毎日朝から晩まで働いていて、どうやってモチベーションを維持できているのか、私は不思議です。

お礼日時:2010/02/12 00:48

>私が察するに、みなさん子供のころから親、や先生、テレビから、


>安定した会社に入って安心した生活を送ることが幸せなのだと教えら
>れていたからそれにしたがっているだけで、本当に自分が考えた結果、
>働いているか怪しいです。

人のことを言う前に、自分の生き方が、自分の育ってきた環境によって身に付いたものであって、自分で考えたつもりでも本当に自分で考えたものではないんじゃないかな?



>私は今現在、一般に働いているサラリーマンよりも高い収入を得ています。

この表現が怪しい。ある程度成功している人が、自分のやり方は正しいというのはよくありがちな"勘違い"の典型例。

まさか、一般のサラリーマンというのが、その学校や親のいう価値観の世界で勝てなかった人たちを指している?
その価値観のメジャーで勝てなかった組は幸せでなくても当然の話。最高でも億以上いく会社なんてほとんどないというように年収数千万クラスは大したことないと言っているも同然の話からすると少なくとも一般論ではなく、実際にその価値観に従って働いているサラリーマンたちだろう。

自営だと福利厚生等を含めてサラリーマンの倍以上稼いで対等というのが通説。yossy1111さんが言う、いわゆる一流企業という企業に勤めてそこで出世することをよいとするサラリーマンだと、30歳で800万以上、40歳で1300万以上、50歳で1500万円以上くらいが水準。この倍以上稼いでいる?


>回答者さまが、お金を使ってやりたいこととは何でしょうか。
>私はそこが知りたいのです。

たくさんある。
子どもに衣食住、教育などでお金がないことで不自由をさせたくない。
趣味のスポーツの費用。
ボランティア活動の資金。
趣味の旅行の費用。
好きなコンサートの費用。
好きなミュージカルの費用。
自らのビジネスの資金。
日々の生活。
自分が大けがや病気になっても家族や自分の生活が困らない



>あと、社会的に認められることとはないんでしょうか?
>確かに、社会的によしとされる行いを続けていれば、自分の
>生き方を考えなくていいし、責任も取らなくていいので非常に
>楽な生き方なのですが、私はそういう生き方は死ぬときに後悔
>するような気がしてできません。

どういう発想をすると「社会的に良いこと」になるのか不思議。
マズローの第3、第4。



>マズローの欲求段階説についてですが、
>別に社会的な地位はどうでもよくて、フリーターをやりながら
>ミュージシャンを目指している方、お笑い芸人を目指している方など、
>たくさんおられるかと思います。
>おそらくそういう人たちは、3) と 4) を飛び越えて 5)の
>欲求をかなえようとしていると思います。

誤り。
ほとんどのミュージシャンやお笑い芸人の目的は観客に笑ったり音楽を聴いてもらうこと。それが3や4。
例えばバンド仲間やお笑い学校の同期や相方などにお前もやるじゃんと認めれてもらえるのが3の段階。客などに認めてもらえるのが4。
フリーターのミュージシャンやお笑い芸人が客に聞いてもらうことを考えずに自分の部屋にこもって究極の音楽とは究極のネタとはということを考えていることはほとんどない。彼らが欲しいのは社会的な認知。その先には自分の冠番組などを持って自分のやりたいような番組を作ることなど。その先に至高の芸や音楽の追及に至るのが一般的。


いろいろ書くのはいいけど、もう少し書いてあることを理解しよう。

この回答への補足

返答ありがとうございます!

>人のことを言う前に、自分の生き方が、自分の育ってきた環境によって身に付いたものであって、自分で考えたつもりでも本当に自分で考えたものではないんじゃないかな?

私は、20代前半から、散々親に反対される生き方をしてきました。
そして、親や自分の身の回りの人から、自分で達成しようとしている夢を散々妨害されました。
なので、誰から言われたことや、環境によって判断しているとは思っていません。
自分では常に最高の決断をして、最高の幸せをつかんでいると確信しているので、自分を犠牲にすることなくいつも幸せを感じて生きています。

>自営だと福利厚生等を含めてサラリーマンの倍以上稼いで対等というのが通説。yossy1111さんが言う、いわゆる一流企業という企業に勤めてそこで出世することをよいとするサラリーマンだと、30歳で800万以上、40歳で1300万以上、50歳で1500万円以上くらいが水準。この倍以上稼いでいる?

これは、私の価値観なのですが、生活をするために生きるのではなく、自分のやりたいこと自分の夢を達成するために生きたいと考えています。
そのために自分の煩悩をどうやってコントロールするかが課題でした。

私事でたいへん恐縮なのですが
私は、会社で実際に働いていました。そのときに、一生お金や、生活のために人生の大半をつかうのは、いやだと思って会社は辞めました。
しかし、私は本当におろかな人間で、煩悩をなくすことはできませんでした。
でしたら、できるだけ早い期間に煩悩をコントロールできるだけのお金を得ようとしました。
そして、5年間で、サラリーマンの生涯年収並みの資産を形成しました。
それで自分の煩悩は満足なので、お金に左右されない本当の夢を達成する生き方をしています。
そんなおろかな私ですが、それでも、
本当は自分の煩悩のために働いているのにもかかわらず、誰かから与えられた社会貢献や自己実現のために働いているのだと自分を騙して、一生働き続けている人がもしいるのであれば、
そういう人生を送る人よりはだいぶましだと思います。

>ほとんどのミュージシャンやお笑い芸人の目的は観客に笑ったり音楽を聴いてもらうこと。それが3や4。

回答者様はすべての人間には、マズローの欲求段階が当てはまるという認識でしょうか?
それとも、マズローの欲求段階が、大体の人間には、当てはまって、そういう法則性があるいう認識でしょうか?
私の認識としては、大体の人間には、当てはまるが(私の歩んだ人生もマズローの欲求段階に当てはまってますね)、すべての人間には、当てはまらないという認識です。

補足日時:2010/02/14 23:48
    • good
    • 2

>私は、20代前半から、散々親に反対される生き方をしてきました。


>そして、親や自分の身の回りの人から、自分で達成しようとしている夢を散々妨害されました。
>なので、誰から言われたことや、環境によって判断しているとは思っていません。

つまり、環境によって判断していることでよい?
親に反対され、周囲から夢を妨害されるという環境があったから生まれた判断。そもそもそのような判断ができるようになったのも幼少期からの何らかの環境の影響あったからではないだろうか?例えば、幼少期から日々の自身の生存が脅かされていなかったからこそ夢を持つことができたのではないか?1日1ドル以下でいつ反政府ゲリラが襲ってくるか分からずに教育というものが存在しない環境でも同じような判断をしたというのか?
そういう環境でも同一の判断を持てたというのであれば、環境に依存していないということになるが、そうでなければ環境依存には変わりない。

サラリーマンが描いている夢が誰かから与えられた社会貢献や自己実現のために働いているということであれば、yossy1111さんの描いている夢もその環境に影響されたものに過ぎないとも言える。
お金に左右されない夢という価値観が現代日本という環境に囚われた考え方。


>自分では常に最高の決断をして、最高の幸せをつかんでいると確信しているので、

本来なら愚かな判断だったが、運が良かったうえに幸せが掴めたかもしれない。たくさん借金してFXで最高レバレッジで取引する人は愚か。しかし、それで当てた人が1年で数億円を稼げるようように、最高の幸せな結果が、決断の正しさを証明しない。確信というのは主観的な判断で客観的には何の当てにもならない。




>回答者様はすべての人間には、マズローの欲求段階が当てはまるという認識でしょうか?

いいえ。ほとんどの人。


>私の認識としては、大体の人間には、当てはまるが(私の歩んだ人生もマズローの欲求段階に
>当てはまってますね)、すべての人間には、当てはまらないという認識です。

それならフリーターでミュージシャンやお笑い芸人を目指す人には当てはまらないという発言の真意は?彼らは当てはまらない人種という認識?
私は、彼らのほとんどにもマズローの考え方は当てはまるという考え。
yossy1111さんはどういう理解で「たくさんいるフリーターをやりながらミュージシャンを目指している方、お笑い芸人を目指している方は3) と 4) を飛び越えて 5)の欲求をかなえようとしていると思います。」といいつつ、「大体の人間には、当てはまるが(私の歩んだ人生もマズローの欲求段階に当てはまってますね)、すべての人間には、当てはまらないという認識」と言うのか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

>つまり、環境によって判断していることでよい?

たしかに、環境に左右されずに生きていくのはたいへん難しいことですね。
生命の危機があるくらいの環境で、環境に左右されない判断をするのは、私は無理です。
しかし、日本で生活している以上生命の危険が及ぶことはまずないのではないでしょうか。

私はこうありたい未来に向かって、いまを生きています。
親に反対される ということが、要因で、行動をおこしているのではありません。
親が納得しない、世間体が気になる、社会的地位が得られないということが理由で、安易にタブーを作り出している人がたくさんいるのではないでしょうか?
そういう生き方は、たいへん不自由に思ってしまうのです。
環境に左右されない行動をするのは、難しいのですが、私はタブーを作らずにこうありたい未来に向かって判断するように心がけています。


>本来なら愚かな判断だったが、運が良かったうえに幸せが掴めたかもしれない。

回答者さまは、大金を掴むには、大きなギャンブルをしない限り無理だと決め付けているのではないでしょうか。
私が行った方法は、ギャンブル的な手法ではなく、百発百中成功する方法です。
世の中の勝ち組は、このようなおいしい話が、たくさん転がっているという事実は、隠したいことなので、
なかなか理解しにくいことでしょう。

>それならフリーターでミュージシャンやお笑い芸人を目指す人には当てはまらないという発言の真意は?彼らは当てはまらない人種という認識?

本当にお金や社会的な地位の向上を目指したいのであれば、普通に大きい会社に就職して、社長を目指したほうがよくないですか?
なので、会社勤めをしている人よりかは、5)の欲求が多いと思いますが、確かめようがないですし、私は学者ではないのでそのような研究も行っておりません。
確信はもてないことでしたので、そういう意味では、間違っていました。

私が言いたかったことは、どのような欲求があるかは、本人の価値観や心の持ちよう、本人しだいということです。
なので、マズローの欲求段階があるから、自分がお金を稼いでいることは、仕方のないことなのだ と思い
別の生き方があることを考えないのは不自由な発想だと思います。

お礼日時:2010/02/16 23:29

>環境に左右されない行動をするのは、難しいのですが、私はタブーを作らずに


>こうありたい未来に向かって判断するように心がけています。

自己矛盾。
「こうありたいという未来に向かって生きる」ということは裏返すと「こうありたくない」というタブーなことを作っている。
例えば「金のために生きるのはよくない」というようなタブー。
タブーを作らないという考えそのものが生き方のひとつのルールであり、制約。


>回答者さまは、大金を掴むには、大きなギャンブルをしない限り無理だと決め付けているのではないでしょうか。

いいえ。
結果から判断の正しさは証明できないというだけの話。大金をつかんだ人はたくさんいるが彼らの判断が正しかったかは証明できない。
ビル・ゲイツの判断は正しかったのか?ウォーレン・バフェットの判断は正しかったのか?それは分からない。


>私が行った方法は、ギャンブル的な手法ではなく、百発百中成功する方法です

そんな手法はない。成功確率が比較的高い手法はあっても百発百中は人類を超越した存在でない限りありえない。



>本当にお金や社会的な地位の向上を目指したいのであれば、普通に
>大きい会社に就職して、社長を目指したほうがよくないですか?

今までの人の回答を読んでいる?誰がお金や社会的地位の話をした?社会的欲求や自尊欲求の話。

それにしても、ずいぶんタブーが多い。「こうだったらこうした方がいいはずだ」と考えが凝り固まっている。タブーをなくして考えているとは感じられない。
(そもそもその頂点の理解が間違っているが)山頂に登るルートは一つとは限らない。「こうだったらこうした方がいいはずだ」という決めつけは自身が否定している「つらい事を受け入れ、それが自分を成長させ、競争社会でお金をたくさん稼ぐことこそが幸せなのだ」という決めつけをして生きている人と何ら変わりない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

>「こうありたいという未来に向かって生きる」ということは裏返すと「こうありたくない」というタブーなことを作っている。

私は、やりたいことしかやらない人生を送っています。(こうありたいという未来に向かって生きると同じ意味です。)
回答者様の意見では、私がやりたくないことはすべてタブーになってしまいますね。
本来、タブーとはそういう意味なのでしょうか。

wikipediaで調べてみると

>タブー(Taboo)とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという形で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。

何をしてはならない、何をすべき がタブーであり、何をしたくないは、タブーとは言わないようです。

>そんな手法はない。成功確率が比較的高い手法はあっても百発百中は人類を超越した存在でない限りありえない。

"百発百中"という言葉自体の否定でしょうか?
"百発百中"とは、厳密に100%という意味なのでしょうか?

百発百中という言葉を使わないで、もっとわかりやすく説明すると、99.99%成功します。
おそらく、会社員が毎日給料をもらえる確率と変わらない程度の成功率です。

>今までの人の回答を読んでいる?誰がお金や社会的地位の話をした?社会的欲求や自尊欲求の話。

ただの言葉の揚げ足取りじゃないですか
お金や社会的地位が得られずに、社会的欲求や、自尊欲求は得られるのでしょうか?
それこそ、ホームレスの生活になると思うのですが、それでそれらの欲求が満たされるとは、とても思いませんが。

お礼日時:2010/02/18 04:10

>何をしてはならない、何をすべき がタブーであり、


>何をしたくないは、タブーとは言わないようです。

補足すると、何をしたくないから「何をやらない」というニュアンス。

「親や社会の価値観を疑わずに信じて生きてはいけない」
「本当にお金や社会的な地位の向上を目指したいのであれば、
普通に大きい会社に就職して、社長を目指したほうがよい」

何はしてはならない、○○するにはこうした方がいい、というタブーがたくさん散りばめられている。


>百発百中という言葉を使わないで、もっとわかりやすく説明すると、99.99%成功します。
>おそらく、会社員が毎日給料をもらえる確率と変わらない程度の成功率です。

まったく話が違うし、分かりにくい。
主観的判断の99.99%には意味がない。経営者の判断でも「この商品は絶対にヒットする。99%間違いない」という人はたくさんいる。しかし、その自分自身の見積もりは実際に99%の確率であることを保証しない。自信過剰の研究で100%自信があると言った時にそれが信用できないことは示されている。


>ただの言葉の揚げ足取りじゃないですか
>お金や社会的地位が得られずに、社会的欲求や、自尊欲求は得られるのでしょうか?

揚げ足取りでもない。マズローの定義に基づいて話をしていることは了解?彼らの定義ではお金や社会的欲求を分けている。だから別としている。
NPO法人でボランティアなどで働いている人は、高額な報酬や高い地位を得ていないが、自尊欲求などを満たしている人も多い。彼らはお金や社会的地位の向上を目指さずして社会的欲求と自尊欲求を満たしている。






「百発百中成功する方法」
「わかりやすく説明すると、99.99%成功します」
「普通に大きい会社に就職して、社長を目指したほうがよくないですか?」

親に否定されて生きてきたせいだろうか。
他にもたくさんあるが、経験が足りない子どもの発想。親や社会に認められて彼らと交わって育つと多様な価値観や考え方を学ぶので安易に「○○するにはこれしかない」のような短絡的な結論や「これは絶対正しい」のような一つの見方しかできないような思考にはなりにくい。
しかし、自分だけで考えてしまったので、このような外部の知識や感性を取り入れることができないために極めて思考の範囲が狭い。
現代の偉大な学者たちも過去の賢人たちの知恵を基礎の科学を発展させている。どんな天才でも一からすべて自力で知識を構築していたら中学生にも劣る。だから先人の知恵に学べなかった中世の天才哲学者たちも今の日本の小学生より算数ができない。

自分ではタブーがないつもりで、自由に考えているつもりかもしれないが、周りから文章を読むと釈迦の手の上で自由だと叫んでいる孫悟空のように感じる。


最後にささげたいのは以下の言葉。

「別の生き方があることを考えないのは不自由な発想だと思います。」
    • good
    • 2
この回答へのお礼

返答ありがとうございます!

私は、"幸せになるには絶対に~しなければいけない" といっているのではありません。
どういう価値観を信じるのは自由だと思いますが、そういう価値観しか世界に存在していないと思い込み
ほかに選択肢が見えないまま生きてしまうのは、大きな問題だと思います。

"偉くなってお金があることが、幸だ" この価値観しか見えていない人がたくさんいるのではないでしょうか?
勝ち組、負け組などの言葉が流行ったり、不景気になれば、まるで不幸になったような気分になるし、3億円当たったら人生ばら色と思って宝くじをかう人が大勢いる。
ニートやフリータよりも、会社員である自分のほうが偉いし収入がある。だからこいつらより幸せだ と心の中で思っている人もいるだろうし
安定した職業につかずに、大好きな音楽をやりたいと自分の子供が言ったら、それを応援する親はどのくらいいるか。
はっきりと、お金=幸せ だと言う人は少ないにしても、心の奥底では、お金を得ることが幸せだとそういう価値観しか見えていない人が大勢いるのではないでしょうか。
もし違うというのなら、回答者様も、無職になって、借金が10億円もあったら、とても不幸な気分になりませんか?
そういう世の中に私はすごい疑問を感じます。


>子どもに衣食住、教育などでお金がないことで不自由をさせたくない。
>趣味のスポーツの費用。
>ボランティア活動の資金。
>趣味の旅行の費用。
>好きなコンサートの費用。
>好きなミュージカルの費用。
>自らのビジネスの資金。
>日々の生活。
>自分が大けがや病気になっても家族や自分の生活が困らない

回答者様は、ボランティア活動以外(どのくらいの費用かは知りませんが)は、すべて自分か自分の家族のためにお金を稼いでいるということになりますね。
回答者様がどういう価値観でどういう生き方をするのかは自由だと思いますが
人生の中でもっとほかにやりたいことを考えたことはありますか?

私は、お金よりもほかにやりたいことがあったので、朝から晩まで何十年も、お金のために働くのはやめようと決断しました。

お礼日時:2010/02/19 00:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!