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白無垢を花嫁が着るようになったのはどれくらい前からでしょうか?
時代とかわかる方いらっしゃいますか?

それから白無垢のついて詳しい方白無垢について教えてください
Wikiには載って無いみたいでした

A 回答 (4件)

白無垢を着始めたのは室町時代の武家社会からなのは


いろんな本にも書かれていて、まず間違いないみたいです。
ただ、「白」が花嫁の色、という観念はもう少し前、平安時代の
末期頃から貴族社会に既に出てきていたようで、当時の有職故実の本に
記述があります。
(それを参考に再現された図)
公家姫君婚儀の装い(風俗博物館ホームページより)
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_n …

白無垢が庶民の間に広まったのは、推測ですが
高度成長期からではないでしょうか。

戦前、また戦後まもなくという時代、
白無垢を着たのはかなり裕福な家の人か
華族といった特権階級の家の人のようです。
江戸時代や戦前の庶民の花嫁(裕福な家も含まれますが)は、
黒紋付きの
裾引きまたはおはしょりの振袖(ときに留袖)に
角隠し、というスタイルがほとんど。その振袖
は、白い振袖や紅い振袖(裾模様は統一されていることが
多い)と三枚重ねで着られることも多かったようです。

上流階級への憧れや、当時普及しだしたウェディングドレス人気
ともあいまって、白無垢や色打掛が大衆化したのだと思います。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございますm(__)m

高度経済成長期と言うことは随分最近なのですね。

確かに回答を読ませていただきましても私も庶民が着るにはなかなか難しかったように思いました

URLまでありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2010/04/15 10:48

白はけがれが無いとの意ですが、婚着としては嫁入り先の家風によく染まるように、との意もありました。


婿入り婚の平安時代は兎も角として、武家社会のしきたりになったのは、当然です。
白無垢と言っても完全な白無垢ではありませんでした。
北条氏康の娘が吉良家へ嫁入りした時の記録が残されていますが、白を基体の装束です。
江戸時代後期の白無垢の婚礼装束についても、
白練帽子、紅裏白綸子の内掛、白間着、白帯、白足袋、白箱迫(はこせこ)とあります。
裏地の紅がちらちら見えるようにしてあります。
祝い事なので紅を付けると言います。
経帷子(かたびら)や坊さんの白衣との違いをつけたようです。

完全な白無垢になったのは前答のように近年でしょう。

余談ですが「濃き単」などの濃き色とは濃い紅色の事です。   現在の色より青味ですが。   
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民俗学的には,花嫁の白無垢は「死に装束」であり,結婚が「死と再生の儀式」なのだという解釈があります。

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室町時代からです。



元は礼法からのようで、礼法家の伊勢守貞著の『娵入記(よめいりき:室町時代中葉の武家嫁入の故実を記した書)』の「よめ入の條々」に、「衣裳は上着に幸菱(さいわいびし)、白き小袖、打ち掛けたるべく候」とあります。

このときには(室町中葉)、礼式として新婦の婚礼衣裳は,打掛や着物を白で統一したものと決まっていたようです、ただし、庶民にその礼法が普及していたかは定かではありません(まずないと思いますけど)。

有職故実書『貞丈雑記(江戸時代の有職故実書、伊勢貞丈という人の、宝暦13年(西暦1763年)以降の雑録)』には,「婚礼に白を用いるのは,婚礼は人倫の大本であり,白色は五色の大本」だからと書かれています。

白は新婦の身の清浄を表しているとのことで、穢れのない姿で神に誓うという意味があるそうです。

「色直し」ですが、もとは室町時代の婚礼時に新婦が2日間白無垢で過ごし、夫婦の盃である「式三献」の儀式を終えた後の3日目にやっと綿帽子を取り、色物の着物に着替えるというのを簡略化したものです。

白無垢の何について知りたいのか不明なのでこんなところです。

この回答への補足

凄く詳しい回答をありがとうございますm(__)m

庶民は大体どれくらいから結婚式に着始めたか

どれくらいの時代に庶民にも普及したのか解りますでしょうか?

補足日時:2010/04/14 17:44
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