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顔を隠してでないと本音をしゃべれない人類は不幸か?

一般社会では本音をしゃべることはあまりないと思う。
よくいえば社交辞令、悪くいえばおべんちゃらで話をしている場合が多い。
しかし、ネットの世界は違う。
無責任で卑怯な行為かもしれないが、思ったこともズバズバ言えるし、
最悪の場合はそこから逃げればいい。
誹謗中傷をする人は、実は普段はまじめで、おとなしい人が多い。
と、いうケースもある事だろう。

では日常生活では本音を言えない人間が、ネットの世界では本音が
いえるようになった。というのは好ましい事なのか、それともあまり
好ましくない事なのか?
そして、顔を隠してでないと本音をしゃべれない人類は不幸なのか?

A 回答 (10件)

 No.3です。



 《誹謗中傷をおこなう》ことは 本音ではないと述べました。本音と建前をわきまえる段階に到っていないから わめきののしるに過ぎないと。

 そうではなく ではふつうに本音が言えるかどうかの問題についてです。それは面と向かって話をする場合とそうでない場合とでは どう違うのか?
 
 まづすでにわたしは
 ☆☆ (回答No.3) ただし 面と向かって本音を語るというのは 一般の場合にも 互いに信頼関係が出来てからというふうに条件づけられているとも考えます。
 ☆ と述べています。その上でですが こうです。

 ○ 顔の見えないネットのような場ではなく 面と向かって話をしている場合には ぎゃくに言って すでにその相手やかかわりのある当事者であるならば 本音と建前とは 分かっているということです。
 ○ つまり 一つひとつの話題や課題についていちいち言葉にして言わなくても 誰もが暗黙のうちに了解していると見るべきです。それが ふつうであるでしょう。
 ○ したがって このように誰もが当事者それぞれの側の本音について分かっているのなら 一般に口に出して言う必要はありません。ネット上でなら なおさらでしょう。
 ○ それでも口に出して言う場合とは それでは どういうことか? 一般的にですがその中でも極端な例を出せば それは 捨て身で物言いを述べるということでしょう。
 ○ その場合には一般に 哲学を必要としているはずです。もしくは哲学は この捨て身で物言いを述べる場合をみづからも捨て身で守るというのも 少なくありません。


 このような一般論を超えて ではさらに 物言いを述べたい・どうしても言わねばならないと感じるというのにその本音が言えないというときには どうか? すなわち
 ★ では日常生活では本音を言えない人間が、ネットの世界では本音が / いえるようになった。というのは好ましい事なのか
 ☆ という切り口での問いに対しては どうか?
 単純に 試運転として捉えればよいのでは? 試運転ですから 問題はそのあとに来るでしょう。そしてその場合は 上に述べた一般論の中で扱われます。
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この回答へのお礼

はい。

本音と建前は、言われた相手も承知しているという事ですね。
確かにあからさまな建前は、そうでしょうね。
逆に気づきにくい建前もあるかもしれませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 12:06

 訂正:



× せいぜいネットで意見を言うのとどめておくのは賢明なことです。

○ せいぜいネットで意見を言うのにとどめておくのは賢明なことです。

この回答への補足

みなさん、まことにありがとうございました。
お礼をかけなかった方ゴメンナサイ><
またよろしくお願いいたします。

補足日時:2010/05/06 21:27
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 それから、普段から本音を言う(本音で振舞うと)と私のように普段から他人と格闘をすることになり、不幸とは言わないまでもあまり社会的にはよろしくないことになるので、せいぜいネットで意見を言うのとどめておくのは賢明なことです。



 最初からみんなが本音で振舞えば、そもそも最初から困ることもないのでしょうけどね...
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あ、あの~、いきなり『人類』は無いような・・・(汗)



 せめて“類”を取って“人(方)”に、された方が・・・。

『使いよう』でしょう。(多分


 不幸なのは『使われて“しまう”方々』でしょう。

これは、クルマ、といったものでも同じではないでしょうか?

 
 上手に使えば、これほど便利なものは無い。

しかし、使われてしまったら、それは“不幸”でしょう。

(程々に。無くても別に、困らない。ただ、相手がハッキリ分かっていると、本領を発揮するような気がします。あと、英語ができると、更に威力発揮か?)
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この回答へのお礼

はい。

最初は「人類」ではなく「人」にしていたのですね。
しかし、「人」にすれば特定の人間をバカにしたり
批判したりするように感じられる恐れがあるため、
やめたのですね。少しの配慮が大事ですね。はい。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 22:56

ベルギーの娯楽番組で、スタッフが一般人に悪戯をして、その反応を隠しカメラで取って皆に見せると言うのがありました。

その中で、犯罪すれすれの悪戯をすることもありました。例えば、スーパーマーケットの車付きのカゴに初老の婦人が自分の買う物を入れている側から、隣の男がそのカゴの中の物を自分のカゴに移してしまう悪戯をしていたのです。そのことに気が付いた婦人は、その男性にハンドバックなどで殴り掛かりっていました。それが悪戯だと分かってからも、彼女はその男性に殴り掛かっていました。ところが、その同じ悪戯を男性にしてみると、反応は全然違いました。被害者の男性はその男を始めじろじろ見ていたのですが、そのうちに笑い出しました。そして、笑いながらもう止めろと言っていました。

さて、この違いは何処から来ると質問者さんは思いますか。その答えは、男性と女性の自分の身の危険に対する考え方の違いから来るのだと思います。女性は、たとえ相手の男性にハンドバックで殴り掛かろうとも、その男性がその女性に暴力で仕返しすることがないと言う暗黙の了解があります。一方、もし被害者の男性が、この男に同じことをしたら、場合によっては血を見る格闘になってしまいます。そこで、男性はその場を笑って何とか穏便に済まそうとしているのだと思います。

動物の世界でも、肉食動物同士では、相手が死ぬまで戦いません。ところが、草食動物は雌の争奪戦でしばしば相手が死ぬまで戦います。肉食動物は自分の力を認識しているので、徹底した戦いを避けようとしているようです。

さて、実社会で自分の本音を言ってしまったら、これと同じように死闘が始まってしまいます。ところが、ネットでは上の例の初老の婦人のように、どんなに卑劣なやり方をした所で、自分の身の安全は保障されております。その結果、力のないものでも草食動物のように、相手が死ぬまで戦う気になるのしょう。

結論は、自分の身の安全が保障されているから、何処までも辛辣になれるのだと思います。したがって、これは動物としての自然な振る舞いであって、人類の幸とか不幸と言うレベルの問題ではないと思います。
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この回答へのお礼

はい。

なるほど。
これは僕にでもわかる良い例えですね。
それと、僕の質問の問いかけかたは、いろいろ考えましたが
適当なものが思いつかず、ニュアンスだけわかってもらおうと
しましたが、やはり少し不適切でしたね。
好ましいとか、不幸とかではなく社会生活そのものでしょうからね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 11:50

 人と実際に対面した時にも思ったことを何でも言える厚かましい人間が主張ばかりする社会ではなく、控えめな人も意見を言う事ができるようになったという意味においてはインターネットを始めとした情報技術の発達は良いことです。

普段控えめな人の小さき声、主張にも(にこそ)真実が現れていると考えられます。

 しかし、戸籍名も仮の名前であり、容姿も仮の姿であると言う事もできるでしょう。
 IDネームも仮のものではあるが、何らかの思い入れがあってつけたものであり、書く文章も意思とわが生命を投じたものであれば、文章そのものもわが分身(の一部)でもあります。

 それにしても相変わらず質問が一面的ですね。
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この回答へのお礼

はい。
僕は哲学の知識がまったくなく、一般的な問題しかできない。と
いうか疑問に持たないのです。
ここは「脳は物質だから必然がなんとか」という感じの質問が
多いのですが、質問の意味自体がわからん!怒

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 12:23

日常生活では本音を言えない人間が、ネットの世界では本音がいえるようになった。

というのは好ましい事だとおもいますよ。

まず、発言できるという事自体、自己表現ができること。
それから、自分の言ったことがたとえネット上であれ人口に膾炙すれば嬉しい。
もし、批判の嵐にあったとしても、それが的を得ていれば納得するしかない。でも実生活に被害はない。

だから、このOKwaveを初めとしたネットのアクセスが激増し、ROMから発信する側に回る人も増えている。

本質的に良いことは、メディアがマスメディアだけである世界、またメディアが権力構造の配下にある世界においては、無視または排除されてしまうであろう少数意見に力を与えていることですね。

実社会では誰からも相手にされない変人奇人でも、ネットでは一票の発言権がある。
素晴らしいことです。

もっと言うと、実社会では、肩書きや地位や知名度などで発言時間が与えられるわけですが、ネットでは、俺はマスコミ認定のコメンテイターだぞって言ったとしても、「だからなにさ?」で終わる。

テレビとかのマスメディア権力の支配とは異なる実力社会ですよね。

人類は少しずつ幸福になっていますよ。
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この回答へのお礼

はい。
なるほど。そうですね。
発言する機会がない人に、発言の機会が与えられますね。
そして自分の意見を一応表明できますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 11:36

 こんにちは。



 ★ 誹謗中傷をする
 ☆ ことは 《本音を語る》こととは別だと思いますよ。
 No.2のご回答と重なる部分もあるのですが おそらく基本的には別の内容になるとも考えます。

 タテマエとホンネとの区別など知らずに いやいやながらも 権限の上の者の指示や命令に従っているだけの場合に その重石が取れると ひとをののしったりするというのは まだ人間になっていないというに過ぎません。
 奴隷だと言わないとしても 自分はロボットか何か機械のような者とでも思っているのではないでしょうか?
 ★ 誹謗中傷をする人は、実は普段はまじめで、おとなしい人が多い。 / と、いうケースもある事だろう。
 ☆ 現象としてそういう場合があることでしょうが そんなことを言うのなら  ロボットも《まじめで おとなしい》ですよ。
 ですから もし
 ★ 顔を隠してでないと本音をしゃべれない人類は不幸なのか?
 ☆ の《本音》が《誹謗中傷》を内容とするのでしたら それは 《幸不幸》の次元にまでまだ成っていないと言わねばならないでしょう。だって ロボットは おのれが幸せかどうかを考えるでしょうか?

 《本音》が ほかの内容を意味する場合は おおむね質問のご趣旨が 《不幸だ》のほうに傾いていると思うのですが それが 妥当なことのように思います。
 ただし 面と向かって本音を語るというのは 一般の場合にも 互いに信頼関係が出来てからというふうに条件づけられているとも考えます。
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この回答へのお礼

はい。こんにちは。

>★ 誹謗中傷をする
 ☆ ことは 《本音を語る》こととは別だと思いますよ。

はい。そうかもしれませんが、心と真逆の事でもないと思います。
誹謗中傷する人が人間ができてない。といえばそのとおりでしょう。
僕は誹謗中傷する人は、子供かあるいは大人になりきってない人だと
思っています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 12:42

十分社会性の発達したコミュニティにおいては、対面であっても


「本音」は言わないものである。
単にネットで「思ったことを言うようになった」のではなく、詰め
込み教育や家庭教育の劣化、拝金主義の蔓延による自己チュー化に
よって、社会性が低下し、一方で“コミュニケーション能力の低下
による対面コミュニケーションの阻害”、もう一方で“ネット上
での短絡的感情のタレ流し(幼児的虚栄心)”に及んでいるのであり、
「本音をしゃべれないから不幸」なのではなく、自己チュー化が
問題なのだ。
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この回答へのお礼

はい。
なるほど自己中心的な考えが問題なのですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 11:29

不幸だと思います。


ですけど、他人の誹謗中傷を言うことができる余裕がまだあまっているのですから、「幸せ」というようにもとれます。
人は顔が他人から見えないと攻撃的になりやすいそうです。
なのでネットでは言いたい放題、うそつき放題だから、誹謗中傷を言う人もいますね。
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この回答へのお礼

はい。
誹謗中傷など確かに好ましくない状況もありますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 12:32

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