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竜馬の手紙について教えてください。
竜馬が出した手紙は数多く残っていますが、受け取った手紙は残っているのでしょうか。
暗殺される怖れのあるなかで、手紙から居場所を特定されるかも知れないにも拘わらず、手紙のやりとりをしたということは、安全な手紙の輸送手段があったのでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

手紙の輸送については、江戸時代は飛脚制度が完備しており、飛脚が文書も運びました。


各地に飛脚屋(飛脚問屋)がありました。

例えば竜馬と高知の手紙のやり取りは、
竜馬が京都にいた時は、京都の飛脚屋に手紙を高知の飛脚屋に届けるよう頼みます。
高知の知人は定期的に飛脚屋へ行き、竜馬からの手紙が来ていれば受け取ります。
竜馬もときどき飛脚屋へ行き自分宛の手紙が来ていれば、受け取ります。
飛脚屋は書類の秘密保持は厳格ですが、飛脚屋へ出入りする人の監視はあるでしょうから、本人が受け取りに行けたかどうか判りません。    常識的には代わりの人に頼むでしょう。
長期間留守にする時は京都の飛脚屋に、行き先の飛脚屋に転送するよう頼むこともできます。
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この回答へのお礼

やはり、飛脚ですか。
土佐にいる身内へ出す無難な内容の手紙は、飛脚に頼めばよいと思います。
暗殺された慶応3年に書かれた手紙は、身内宛てのものはごく僅かで、ほとんどが「同士」に宛てたものです。
桂小五郎、渡辺弥久馬(土佐藩家老)、陸奥宗光宛に限らずほとんどの書状の内容は、物騒なものばかりで、しかも早く知らせねばならないものが多いです。
「竜馬」と署名しているところから、安心して確実に書状を送る手段があったのではないかと考えたのですが、やはり飛脚を仕立てる他なかったのでしょうか。
ちょっとだけ自問自答しています。
ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/10 21:41

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