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中世の欧米の歴史で質問です。
(1)封建制や荘園制を支配していたのは、どういう身分の人間なのでしょうか?
(2)都市が出来初めた最初はどういう身分が支配していたのでしょうか?
(3)また、どのように都市が発達し、またそれに伴い封建制や荘園制が崩壊したその具体的過程を
教えてください。

宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

まず、質問が間違っていますよ!



欧米とするのは誤りです。
コロンブス以前のアメリカとヨーロッパの歴史を同じ視点で論じることはできませんよ。

というこで中世のヨーロッパです。

1)
・封建制
王が諸侯を支配した制度。
諸侯とはまあ、貴族ですね。
王が諸侯の土地の領有を認めるかわりに臣下の契約を結んだ。
王は諸侯の土地を守るかわりに税や兵力の提供を受けた。
また、諸侯は同じように自分の領地で騎士と臣下の契約を結んだ。

・荘園制
諸侯が支配した土地
農奴と呼ばれる農民を支配した。
農奴は労働と生産物、金銭を徴収された。
その他、花嫁の処女も領主に捧げなければならなかった。
(モーツアルトで有名な『フィガロの結婚』はこの花嫁の処女の話です)
教会も荘園の中にあった。
教会も別に農奴から税を徴収した。

2)
都市はイタリアとドイツで興った。
これは、両地域が神聖ローマ帝国に属していたからです。
英仏のように封建制から王の権力の強化という移行が神聖ローマ帝国では行われなかった。
これは、ヨーロッパを統一したカール大帝のあとを継ぐもの、つまり皇帝という称号を与えられたがためにカール大帝の夢を追いかけて足元を地道に固めることができなかった。
実力と名前がかけ離れていたのです。
したがって神聖ローマ帝国では国内はばらばらであった。
そこで興ったのが都市国家です。
イタリアと北ドイツ、つまり海運による貿易で発展した都市は資金が豊富にあった。
当然、諸侯はこれを支配下に置きたい。
しかし、商人たちは自由に商売をしたい。
それで神聖ローマ帝国皇帝に自治を求め、認められた。
諸侯の干渉を防ぐために都市は自ら軍事力を持つに至った。
これが都市国家です。
支配者は名目上、神聖ローマ帝国皇帝ですが、実質は有力商人です。

3)
この点については、今までで明らかなように、英仏と独伊で全く違う様相ということになりますよね。
都市は発達して都市国家となりましたが、諸侯が盛り返してやがて諸侯の国家に組み込まれて行きます。
詳しくはわかりませんが、商人よりも農民を抑えていた方が強かったということではないでしょうか。
やはり、ぜいたく品は我慢できても食べ物は我慢できませんから。
したがって都市によって、封建制も荘園制も崩壊しなかったといのが正しいのではないでしょうか。
銀行家あがりのメディチ家だって結局トスカーナ公国の君主となったわけですから。

すいません、3)は信用しないでください。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました!
その他、花嫁の処女も領主に捧げなければならなかった。
っていうのが初めて知りました。はぁ。凄いですね。。。。

都市の生成プロセスなども本当に詳しくありがとうございます。
勉強になります。
荘園制も封建制も、大変ですね。
結局、貨幣経済で農民も自由になり諸侯は没落して、
君主が中央集権を図りだして、絶対王政になりますね。
色々学べますね。。。

本当にありがとうございました!

お礼日時:2010/07/07 00:05

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