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尊皇攘夷と尊王攘夷の違いは何か、ということがよく分かりません。
攘夷の意味は分かるのですが、尊皇と尊王はどういう違いなのでしょうか。
ニュアンスが違うことはなんとなく分かるのですが...。
わかり易く説明していただけると嬉しいです。
よろしくおねがします。

A 回答 (5件)

「尊王攘夷」というのはもともと中国の歴史の上で用いられた言葉です。

これに対して「尊皇攘夷」は幕末の日本で使われた言葉です。

つまり、中国で周(紀元前11世紀~前256年)の時代には、封建制度といって周王室を中心に各地に公や侯などが国を建てており、これら諸侯と周王とは血縁関係で結ばれて(いることになって)いました。時代が下って春秋時代(前770年~前403年)になると西方からの異民族(これを簡単に夷と呼びます)の攻撃により、周は都を東に移します。こうして周王室の力が衰えたことから諸侯は「尊王攘夷」を唱えて他の諸侯と同盟を結び、その盟主となることで形式上は周王室を尊びながら事実上は天下を支配する覇者になろうとして争います。これが「尊王攘夷」という言葉のおこりです。

さて、次に時代は下って宋(969年~1279年、北宋は1127年まで)の時代になると中国の北方に金という女直族の国が起こり、宋を圧迫して中国の北部を占領します(1127年)。これにより宋は南方に移転して南宋(1127年~1279年)となりますがこの時代に朱子が朱子学を起こして「大義名分論」などを唱えます。つまり中国の正統政権は宋であると強く主張したわけです。そしてこの朱子学は日本では徳川幕府によって正統学問とされ、水戸藩の徳川光圀(黄門様として有名な人です)が推進した「大日本史」の編纂事業によりこの主張は「尊皇論」となります。

こうした下地があって、幕末になりアメリカなど諸外国がやってくると欧米人を夷荻ととらえた人々は水戸学の影響もあって、日本では王ではなくて天皇が存在するということから「尊王攘夷論」をもとにした「尊皇攘夷論」を唱えることになります。

つまり、「尊王」と「尊皇」の違いは中国と日本の違いや時代の違いを示しているのですが、インターネットで検索しても判るように両者の違いを意識していない人、あるいは中国の「尊王攘夷論」を知らない人たちが無差別に使うことから混同されてしまっています。(また、#2の方の言うように幕末時の人々は漢字の字義にさほどこだわらず両方の言葉を使っていたという側面もあります。)
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この回答へのお礼

「尊王攘夷」が中国からとはまさか思いませんでした。
ということは、日本は「尊皇攘夷」という事なんですよね。
詳しい説明ありがとうございます。よく分かりました。

お礼日時:2004/05/21 23:13

もともと「王」と「皇」は違う意味です。


「皇」は中国の皇帝だけが使用できる文字で、「王」は中国の皇帝から与えられる位です。
遣隋使のときも手紙の差出人の「天」や「皇」の字が問題となり「皇帝」の煬帝は怒っています。
(「天」も皇帝が支配している範囲を表します。
つまり「天下」は本来皇帝の支配下という意味です)
明治維新後日本の天皇から朝鮮へ手紙を送ったとき、それまでは「日本国王」、「大君」等の名で出していたのが「天皇」と変わったため、礼儀を知らない手紙だということで読まれもしませんでした。
ちなみに朝鮮は中国を宗主国としているため「王」の位を中国から与えられていました。

天皇は「王」ではないので本来は「皇」の字でなければなりませんが、人に通じれば字は気にしない時代なので意味は同じでしょう。
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この回答へのお礼

>「皇」は中国の皇帝だけが使用できる文字で、「王」は中国の皇帝から与えられる位
初めて知りました...なるほど。
本来は「皇」だけれど、結局のところ意味は同じなんですね。よく分かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/05/21 23:20

天皇の呼称が「天皇」に統一されたのはそんなに古いことではありません。

例えば、日清戦争・日露戦争の開戦の詔勅は「大日本帝国皇帝」の名で発布されています。
尊王(皇)とは、徳川将軍とは別の古来のミカド(天皇、皇帝、国王、天子などの呼称があった)を尊ぶという意味であって、「王」と「皇」の表記の差異に特別な意味はありません。
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この回答へのお礼

ふむふむ。表記の差異に特別な意味は無いのですか…。
どちらの漢字が使われていても意味は同じということになりますね。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/05/21 23:16

 歴史についてはそこそこいろんな本を読んでおりますが、素人の意見です。



 まず、厳密には尊王と尊皇とではちがうのでしょうが、それほど気にしていたわけではないだろうと思います。
 具体的には、尊王とは「王様をたっとぶ」わけで、イギリス国王でもオランダ国王でも、王は王。
 対して尊皇といえば、基本的にはすめらみことの天皇をたっとぶことになり、日本の天皇家に対して用いられるのが通例です。

 幕末の頃、はじめは「尊王攘夷」が志士たちの題目で、「ソンノーソンノー!」と言っていたのが、それでは
「王であれば誰でもいいのか、そんなことはない。天子様こそが王である。他の王様なんぞとは差別化しなくちゃなるまい」
 と、「王」の字の使用をやめて、「皇」の字をつかうようになったのではないでしょうか。


 しかし、たぶんそんなことは考えてなかったと思いますよ。
 日本人は漢字の使用にはかなりいい加減だったので、当て字でも何でも、バンバンつかっていました。
 坂本龍馬を、「坂本良馬」と書いていたり、
 沖田総司を、「沖田総二」と書いていたり、
 そんな例はほかにもいくらでもある。

 あまり目くじらたてて厳密に漢字をあてていたとも思えません。
 人によって、尊王とも尊皇とも書いただろうし、
 同じ人でもどっちでもつかっていただろうと思います。

 
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この回答へのお礼

なるほど、よく考えればその時代はあまり漢字を厳密に使ってはいませんでしたね。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/05/21 23:09

こんなページがありました



参考URL:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/sonn …
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