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攘夷と開国
開国を推し進めた幕府を弱腰として尊皇攘夷の機運が高まり倒幕へと突き進みました。
でも結局開国するんだったら幕府の考え方が正しかったってことですか?

A 回答 (4件)

考え方、そのモノは正しかった


のです。

正しい、というよりも、それしか
方法が無かった。

ただ、腰抜け幕府では
列強の植民地にされていたかもしれない
ということはあります。

薩長だから、独立を保てた。


高杉晋作等が上海で、奴隷化されている
中国人を目にして
危機感を抱き、それが明治維新に繋がった
わけです。

武士を捨て、官僚化した幕府では
植民地にされていた可能性は
大いにあると思います。
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この回答へのお礼

そうですね
そうなると、、
攘夷を声高に叫んでテロに走った志士たちは現実を理解できなかった井の中の蛙だった訳ですね

お礼日時:2023/08/19 14:00

そういうことはよくあることで、現在の日本でもそうでしたね。


あれだけTPP反対と怪気炎あげていた御仁が、総理大臣になったら手のひら返し。そしてあんなにネットで「TPPは亡国だ!」と騒いでいた連中もコロっと「TPPが成立されたのは外交での勝利だ!」と手のひら返しの評価。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2023/08/20 11:50

実はそうですねw



攘夷つっても吉田松陰のような極右の、外国は全部打ちのめせっていう攘夷はすぐに返り討ちにあって、皆がこれじゃダメだと気づいたんです。で、あげた拳は下せないので、倒幕とか尊王とかって流れになりました。
ただ日本国内的に本来ならば、天皇の命により開かれている幕府が正で倒幕側は反逆者なのですが、尊王に乗じた天皇が倒幕側に寝返るミラクルが起きて逆転します。このころになると元攘夷は考えをコロっと変えて開国に変えています。つまり倒幕開国か存幕開国かの違いになっていたのです。それで幕府側は(庶武士の意見など無視して)開国を見据えて国内の争いを避け、さらに倒幕を肩透かしにする大政奉還を行います。
この後、新政府内で徳川家が支配権を持つ目論見だったのですが、結果的には倒幕側の長州と薩摩に支配された新政府になった、という流れです。
たぶん。
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この回答へのお礼

吉田松陰も長生きしていたら驚いたでしょうね。塾生達の変わりように。
現実離れした理想論はいつの時代もありますね。

お礼日時:2023/08/18 21:48

全体の流れは「開国」にあったんです。



ただその途中で「尊皇攘夷」とか「公武合体」とか
僅かな思想の違いを出して主導権を握ろとする掛け声が出てきて
それを後世の研究者が「……派」などと区別したんです。

今のようにSNSみたいな手段があれば
みんな見ている方向は同じということが分かったんですが
当時は口伝えや文書でしか考え方が伝わらなかったから
あんな大騒動になったんです。

言ってみれば考え方の違いじゃなくて主導権争い。
今の政治と同じです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
言い合いしている両陣営の主張が大差ないこと、ありますね。挙句言葉尻の揚げ足取り合戦したりとか。

お礼日時:2023/08/18 21:45

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