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世界史の~王国と~朝の違いを教えてください。あと神聖ローマ帝国のような~帝国になるのは皇帝がいるという認識で正しいですか?

A 回答 (5件)

王と皇帝の違いは外国語の君主称号をなんと訳すかというかです。


中華文明圏と西洋の皇帝は明らかに違います。
中華文明圏は「天に二日無く地に二王無し」の言葉どおりに王は世界で一人でした。しかし、戦国時代に諸国の君主が王を称したことから王が陳腐化し、天下統一した秦王政は新たに皇帝という称号を王の上に作ったのです。これにより、皇帝は世界でただ一人で、その下に王がいるという原則が確立しました。
欧州で、「皇帝」はローマ帝国皇帝とその後継者を指します。東西ローマ帝国滅亡後、それを受け継いだのが神聖ローマ帝国皇帝とロシア皇帝です。欧州で皇帝と王は称号の違いだけで権限は並列するものでした。この秩序を壊したのがナポレオン。自ら皇帝になり、神聖ローマ帝国を解散させてオーストリア皇帝を誕生させることでローマ帝国皇帝の後継者という意味を陳腐化させ、欧州内の大国君主も皇帝を称するようになったのです。

王朝というのは、国号は同じでも王家が交代した場合の区切りです。古代エジプトみたいに全く別の家系が継ぐ場合と、王家の本宗家が途絶えて庶子家が継いだ場合があります。フランス王家はボナパルト家を除くと全てカペー家とその男系庶子家ですが、王朝交代とみなします。
日本の場合、どんな遠い傍系が継いでも「万世一系」とみなし、国により認識の差があります。
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王国と王朝の違いは他の方の説明の通りですが、帝国と皇帝の説明には補足が必要です。



まず「帝国」は様々な統治法をもつ国家をさらに統一して支配する権力をもつ皇帝の支配下を言いますが、これは元々中国の考え方です。

始皇帝がなぜ「初めての皇帝」と呼ばれたかというと「巨大な権限で、各王国の王を任命し、それぞれの王国同士が争わないように調整した」からです。もちろん言うことを聞かない王が居れば、別の王を立てることもしたし、戦争で王を殺すこともしたわけです。

これが転じて「様々な民族国家を一人の為政者が治める統治方法」を帝国と呼んだわけで、近代の帝国は「植民地支配」がセットでした。

で、皇帝は「様々な国の王の上に立つ統治者」ではあるものの、これは結果であってそれが理由で「皇帝」になるわけではありません。
 なぜなら世界でもっとも大きな帝国だったイギリス帝国の統治者はイギリス国王で、イギリス国王は皇帝では無かったからです。

この点、ナポレオンが教皇を無視して戴冠し「皇帝」と呼ばれたことと、隣の巨大な帝国主義国家の統治者であるイギリス国王が皇帝と呼ばれなかったことを日本人は案外気にしていません。

では皇帝とはなにか?というと「政治権力・軍事統率権・宗教権威」の三つを一人で保持した人のことを言うのです。

ナポレオンは、フランス革命後に頭角を現し軍事統率権を得て、さらに政治権力も握ります。政治権力を握ったので戴冠して王になろうとしたわけですが、冠を授けてくれる教皇を無視して自分で冠を被り《自分で即位の宣言》をしたから皇帝と呼ばれたのです。

始皇帝が初めての皇帝になったのは、それまでの中国では王に即位するときに儒者の許可を必要としていたものを「先祖に許しを得て即位する」というやり方を作って「政治権力・軍事統率権・宗教権威」を自分ひとりで保持したからです。

だから始皇帝が焚書坑儒を徹底したのはある意味当然でした。

ローマ皇帝は共和制だったローマで護民官(VETOを持つ政治権力者)・執政官(軍事指揮権)・最高司祭(共和国時代のローマは選挙で選び終身だった)をひとりで保持したアウグストスがのちに「インペラトール」と呼ばれたことに始まります

中国の皇帝とはやり方が違いますが「政治権力・軍事統率権・宗教権威」を一人で握っていたのは同じなのです。ちなみに日本の天皇も「政治権力(朝廷会議や国会を開ける)・軍事統率権(征夷大将軍の任命など)・最高司祭(大嘗祭や新嘗祭)」をひとりで保持しているからエンペラーとよばれるわけですし、現在の社会で「政治権力・軍事統率権・宗教権威」を一人で保持しているのは日本の天皇だけです。

神聖ローマ帝国はこの辺りがあやふやで「宗教権力者は教皇・その教皇を人間界で保護するのが軍事力を持つ皇帝」とされていました。
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この回答へのお礼

とても分かりやすく説明してくれてありがとうございました!

お礼日時:2024/01/31 08:26

「帝国」というのは「複数の民族を支配する国家」というくらいの意味. そこに政体は関係ないので, 「民主制であるような帝国」というものも存在しえる... というか, いわゆる「皇帝」が出てくる前の古代ローマはまさに「民主制を採用した帝国」といえる.



「~朝」という表現はヨーロッパではややこしく, 王位が傍系に移ったときに変化することがある. これは「家」の概念によるところで, 既に「家」を立てている傍系に王統が移ることで「新しい『家』=新しい王朝」とみなすことによる. 実例としてはフランス王国で
カペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝→オルレアン朝
と移っている (途中細かいのもあるが省略) が, 最後のオルレアン朝にいたるまでカペー朝の初代王であるユーグ・カペーの男系子孫で王位が受け継がれている.

逆に日本の天皇家だと, 日本で意識することはほとんどないけどヨーロッパ流の「王朝」の考え方ではいくつもの「王朝」にわけることができる. 今の皇統は閑院朝 (の最後の生き残り), だね. なお将来的には「秋篠朝」になるかもしれない.
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この回答へのお礼

なるほど。詳しくありがとうございます!

お礼日時:2024/01/31 08:27

王(キング)は一国の領主、皇帝(エンペラー)はキング・オブ・キングで、複数の国の支配者です。


ローマ帝国には皇帝と言う職位はありませんでした、後世の歴史家が
中国王朝の皇帝の呼び名をパクッテ使用したのです。

ローマー帝国は執政官、護民官、政務官と職位が分かれていました、
ガリア討伐などの時に、討伐軍の大将に独裁官(臨時職)を与えました。
臨時職の独裁官は源頼朝が得た征夷大将軍将軍と似ていて、大きな権限
が有りました。
ガイウス・ユリウス・カエサル(英名:ジュリアス・シーザー)は
独裁官の権限を利用して元老院の上位に立とうしましたが、暗殺
されたのは、御存知の事でしょう。

初代皇帝と呼ばれているインペラトル・カエサル・アウグストゥスは
執政官、護民官、政務官の三つの職位を独占して、独裁政務を行いました。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございました!

お礼日時:2024/01/30 19:07

王国は、国王が主権者となっている国で、特に血統の継続性は問われない。


~朝は、同じ王国の中でも親子兄弟など血統の継続性が続いている期間のことを云う。

皇帝は、基本的に最低2か国以上の主権者のことを意味する。
元々は共和制ローマの執政官の権限を強化し終身制にすることを提唱し、自らがその終身執政官になろうとして元老院派に暗殺されたカエサルの名を、皇帝の称号のひとつにした。代表的なものとして、ドイツ語のカイザー、ロシア語のツァーリなどの皇帝号は、ラテン語のカエサルを語源としている。
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この回答へのお礼

すごく詳しくありがとうございました!

お礼日時:2024/01/30 17:53

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