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法律による線引き
・成人式で早生まれの人が酒を飲めなくてシラける
・同じ学年で身体的成長・責任能力は同等なのに20歳になった奴だけ飲酒・喫煙可能
・同じ中一で責任能力・身体的成長は同等なのに誕生日がきたやつだけヘルメットなしで自転車を運転可能
・同じ中二で責任能力・精神的成長は同等なのに殺人事件の容疑者になっても誕生日が来た者だけ逮捕。誕生日がきていない者は補導(実際の例もある)
・同じ中三で責任能力・精神的成長は同等なのに誕生日がきたやつだけ15禁の映画が見られる
・同じ学年で責任能力・精神的成長は同等なのに誕生日がきて18歳の奴だけだけ夜間外出が可能
・同じ学年で責任能力・精神的成長は同等なのに事件を起こしても誕生日が来てなくてまだ19歳の者は未成年扱い
・同じ学年で責任能力・精神的成長は同等なのに義務教育終了から同じ期間社会経験を積んできたのに20歳になった奴だけ自らの意見を国政に反映が可能
・同じ学年で身体的成長・責任能力・精神的成長は同等なのに18歳になった者だけ自動車運転免許が取得可能(就職する場合不利になる)

「同等」というのは個人差を超えない範囲という意味でとらえていただけるとありがたい。
個人それぞれを比較し、線引きはできなくとも、精神的成長・責任能力の面からみても、学年の方がより合理的で平等的だ。
同じ学年の中で誕生日が遅い人は遅く生まれたといっても 同じ扱いを学校で受け育ち、同じ時期に自立する権利を有する。
つまり、同じ時期に義務教育を受け、社会に出ている。
学年というのは個々に義務教育で能力を与えてきた地位であるならば、その後の平等は保証すべきだ。
すべての線引きを「○歳を迎えた最初の4月1日」という形で決めていただきたい!
誕生日が学年内で遅く迎える人々が精神的・身体的成長的な面で同等なのに有する権利が少ないことに対して憤りを感じているのは事実だ。

A 回答 (4件)

悪のみ減るなら実地


悪くない罪なら廃止

それ以外は法律自体が
窃盗で議員による犯罪
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 下らないとは思わない。

面白いと思います。
 能力とは本来「実質的」に判断すべきものです。民法では意思能力や事理弁識能力と言ったものがこれに該ります。でも、誰がどのようにどんな基準で判断するかという問題を生じます。正確を期そうとすれば一人一人に対して全ての日本人(在日外国人も含むか?)に判断してもらうことになりますが、これは不可能です。
 そこで代替するものとして「形式的」判断という手法が生じます。この中で最も人為が入らず自然科学的に経過していくのが年齢です。特に選挙関係では衆議院議員・参議院議員の被選挙権が明確に年齢で示されているので、年齢になじみやすいと言えます。また、民事法でも取引行為の相手方が安心して取引できるようにするために年齢という客観的ものさしで判断できるように行為能力のうち未成年制度というものが定められています(この未成年は民法上のもので他の法制度での未成年はまた別に定められています。例えば刑事未成年は14歳未満)。

 これに対して、学年というのは明治時代に士官学校に合わせて定められたもので、臣民に「富国強兵」の目的のために全国一律・画一の教育を施すために設けられたものです。また、成人式は太平洋戦争敗戦後に落ち込んだ若い人を励ますために始まったもので、先の民法などの成人制度とは目的を異にしています。この学年というのは何らかの理由(精神的成熟の理由ばかりではない)で遅れた人もいれば、かつての飛び級のようにやたら早い人もいます。つまり人為が介在しています。

 人為が介在するということは、理不尽な力で悪影響を受ける可能性が高いということです。この点で年齢という形式的基準は魅力的です。この年齢については、数えと満があり得ますが、どちらにするかは結局政策です。国民主権なら国会の議決です。そこで満年齢によると決めているだけです。でも、一度決めてそれが永続すれば、こちらの方を便利に感じる人が多いのは事実です。

 私は、満年齢を形式的判断基準の起訴とする今の制度に合理的な魅力を感じます。
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くだらないことに不満を持つ人もあるものですね。



学年というのは一つの擬制であり、何らかの資格とか能力や成長の証ではありません。

一つ例を示すと、ご存じだと思いますが、義務教育においても「留年」という制度はありますね。あなたの説だと、例えば大きな病気をして出席日数が足りないなどの理由で義務教育を10年かけ修了した人は、選挙権も21歳を迎えた後の最初の4月1日に得られなければならない、ということになるはずです。これは公平なことでしょうか? 病気をしたとはいえ、その間息をしているだけではなく精神的成長をしてきているはずなのに。

いわゆる学年で保証されるのは、「同じ学年に属していた人は、同じ内容の教育を受けている」という程度のことに過ぎず、その人の精神性や人間性などは何も示していません。一方で選挙権の行使や飲酒などは、一定の資格があれば可能なものではなく、ましてや精神の発達段階や教育程度などに関係なく、ある条件さえ満たせば国民すべて等しく行って構わない性質のものであり、その線引きはかつては納税額や性別でしたが現在はより平等な年齢ということになっているに過ぎません。その線引きを学年にすべきだ、というならそれも一つの考え方ですが、上述のように留年せざるを得なかった人に対しては「平等」な結果にならないということは十分認識した上であらためてお考えください。質の異なる二つのものを同列に考えると大変おかしな話になるという典型ですね。
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全ての条件の羅列に「同じ学年で」とある。



「同じ学年」との条件では「抽出するサンプルの幅が狭すぎる」
質問者サマの考えの範囲が「同じ学年」でしか括られていない。

視野を広げて社会をご覧下さい。
「同じ年齢」と括れば「狭い考え」から脱却出来ると思いますよ。
そもそも「同じ学年」だからと言って、「責任能力・身体的成長・精神的成長は同等」は一緒では無いですからね(笑

質問者様より身体的成長・精神的成長をしてるヤツもいますし、責任能力に於いても「親の財力」でも違って来たりします。
または逆も有りですが・・・・

前質問(QNo.6027291)でも御不満がお有りの様ですが、それこそ被選挙権を得たら「国政」に出て「学年による平等」の法案でも出せば良いのですよ。
>>すべての線引きを「○歳を迎えた最初の4月1日」という形で決めていただきたい!
とのマニュフェストを掲げるのも一案ですね。
でもこれだと3/30生と4/2生だと約一年の差が出てきますが?
これこそ2日違いの誕生日が一年近い差になるという「不平等」を招きますね。

前質問でも回答しましたが、「年齢による区別」をすれば生まれてからの日数が平等なので問題有りません。

まぁ前質問も今回も「学校の中での年齢(月齢)差」にしか主眼が置かれてませんね。
世の中は広いです。一室40人程度の世界じゃありませんよ。
それと高3で18才だとしても「夜間外出が自由」って訳じゃないですよ。
在学中は「学校の取りきめ」に従う場合が殆どだからです。
例えば「運転免許を取得しても在学中は運転はダメ」とかね。
運転免許を早く取得出来ても70歳になれば「高齢者講習」が待ち受けてますよ。
質問者様の案からすれば69才と2日で免許返上の機会が訪れる事になりますが?

最後に前質問での補足に「少しは誕生日が遅い人のことを考えてくださいよ。弱い立場のことも考えられる人間であってください。義務教育終了こそ自分で決める進度のスタートなのですからね」
誕生日が遅い事でのデメリットしか聞こえて来ませんが、メリットは無いのでしょうか?
先の回答にも有る通り「介護保険料」の納付開始が「同じ学年だから39才と二日」でも払いますか?
59歳と二日で「会社を辞めてくれ」と言われたいですか?
誕生日が遅いと「弱い立場」なのですか?
なぜ弱いと考えるのは「学年」と言う狭い範囲でしか考えていないからです。
厳しい事を言いますが質問者様はまだまだ「井の中の蛙」ですよ。
同じ学年なのに弱い立場と思う時点で精神的・身体的成長で劣っていますね。
あ、だから「弱い立場」と逃げるのか・・・

会社には同期入社でも5月生まれより仕事の出来る3月生まれ何て例はゴマンと有ります。
同じ会社内にあって義務教育終了20年後に社長に昇格した人は、義務教育終了30年後に係長になった人より役職は下ですか?

先の回答でも述べましたが「社会に於いては機会の均等はあるが結果の均等はあり得ない」って事です。
それを無くするようにせよってのは難しいでしょうね。
社会に出てみると判りますよ。
如何に競争社会である事が。

そんな熾烈な競争の中では「同い年だから一緒に歩もう」なんて甘チャンは「間違いなく脱落」します。

質問者様もあと3~7年後にはイヤと言うほど判りますよ。
「四月一日を横並びに決めてしまう」コトがね。

世の中の動きや制約が○○から何日後とかで決まっているのは、万人に対して「経過する日数が同じ」だからですよ。
そして義務教育はその「経過する日数」の一部でしかないのですよ。
4月1日が起点となるのは各人の年齢(月齢)に合わせて教育を行えないので「年度」で区切っているに過ぎません。

この回答への補足

「経過する日数」の一部で区切るのであれば、義務教育終了時から均等に分けるのが公平ではないんですか。
義務教育は絶対ですから、その後の進度はすべて年度で決まるものですから、正直言って、生まれた年よりも、進度に応じて決めるべきではないんですか。
完全な機会の公平ではなくとも、それに極力近いものを目指していくものではないんですか。
成長が同じことはわかっていませんが、個人差は小学校低学年を超えればもう超えませんし、精神的な成長はこちらあのほうが傾向的に比例すると思います。
逆に2日の違いが、1年の違いになるといっていますが、当たり前のはずですよ。自分で選んだ進度を選択して期間が短いわけですから。
義務教育を終了してからが自分の進度の選択ですよ。
もう一度言いますが、義務教育終了して、歩む進度は年度単位であるため、年度単位で制定するのが社会的な地位の観点から見てももっとも公平であるということです。
年度単位で最も重要なそして義務である義務教育を制定したのであれば、その後の進度それに準じて進行するものであり、その後の年度内の地位の平等は保持すべきではないですか。
現実問題として、不利になったり、不平間を持っている方が多数いるわけです。
義務教育の地位の存在は大きく、成人式の同窓会であったとしても、公平な立場ですよね。
成人式で19歳の未成年が飲酒をできないのは本当にかわいそうでなりませんし、本当の怒りを覚えます。
誕生日が遅い人(41の叔父)に聞いても正直、今までなかったそうです。
同級生ができるのに自分ができないことに対して本当に怒れてきたそうです。
私は何も、今の法に矛盾しているといっているのではなくそうしてほしいという意見の主張をしているだけです。



現実問題として、不利になったり、不平間を持っている方が多数いるわけです。
この人々は実際言い屋に思っているわけです。
変えてやろうとは思わないんですか。

変えたところであなたたちにはデメリットはないはずです。

補足日時:2010/07/10 01:10
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