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★戦艦大和

戦艦大和は、建造費(現在換算約2.5兆円)と人的損害2700名余に比べて
戦果は護衛空母ガンビアベイに一発当たったとか当らなかったとか、
駆逐艦ジョンストンを撃沈したとかしないとか怪しげなものが2件程度しかありません。

ということを考えると、源田実が言うように、戦艦大和は世界三大バカ建造物の一つ(万里の長城、ピラミッド、戦艦大和)というのにもうなずける気がするのですが
戦後、戦艦大和はアニメになったり映画になったりと戦後の人々の心をひきつけているようです。

戦艦大和の何が人々の心を惹きつけているのでしょうか。

A 回答 (9件)

その船が活躍するかどうかだなんて、そりゃ運です。

だから、戦果で建造費を割って、割に合ったかどうかなんて計算をするのはナンセンスですよ。それをいったら戦争そのものが不毛な行為なんですから。

戦艦大和が日本人の心を惹きつけるのは「世界一の大きさと主砲を持つ艦であった」ということと「大和」という名前にあると思います。悲劇的な最後も英雄物語の最後にふさわしいですね。ただ、英雄物語と違うのは、英雄物語には欠かせない「超人的な活躍」がないことです。その点においては、欧米で人気の戦艦はビスマルクです。敵戦艦を生存者わずか3人しか残らぬほどに一撃で葬り去るなんて、全盛時のピーター・アーツのようです。

海軍というところはちょっと特殊なところがありまして、それはフリート・イズ・ビーイング、艦隊現存主義ともいうのですが、軍艦は「使わないで置いておくことにも意味がある」というところがあるのです。それはどういうことかというと、敵が強力な戦艦を持っていると分かると、そうおいそれと敵の方に攻めていくわけにはいきませんよね。敵戦艦にとっ捕まったらエライ目に遭いかねません。それに、敵戦艦があると思うと、味方の輸送船などにも護衛をつけてやらないとアカンとなったり、それに対抗するためにこっちも戦艦を手元に置いておかなければならないということになります。
しかし、ひとたび海戦となると、数に劣勢な方はほとんど必ずといっていいほど敗北し、そして大抵それによって戦争の帰趨や帝国の寿命にも影響してしまうのです。例えば、日露戦争では数も充分ではなかったウラジオストック艦隊の通商破壊戦に日本は散々苦しみました。ウラジオ艦隊に対抗しなければならなかったのですが、旅順艦隊もいたし、なによりバルチック艦隊に対抗するために日本艦隊主力は割かれていたので、ウラジオ艦隊は存分に暴れたのです。しかし、ご存知日本海海戦でバルチック艦隊が完膚なきまでに叩きのめされると、もうウラジオ艦隊は出撃できなくなります。今や日本主力艦隊がウラジオ艦隊も海の藻屑にしてくれんと存分に暴れられるようになったからです。

ナチス・ドイツ海軍は、戦艦ビスマルクが沈められると姉妹艦ティルピッツを北海の奥深くに置いて出撃させようとしませんでした。しかし、ビスマルク級の恐ろしさが身に沁みている英国海軍は執拗なまでにティルピッツに空襲をかけました。それは、ティルピッツが北海を通る対ソ連への輸送船団を襲い掛かるのではないかと恐れたからです。その意味では、英国海軍を引きつけたという点において、ティルピッツが出撃しなかったことにもある意味はあったといえます。

戦艦大和も、日本海軍としては切り札だと思っていましたから、変なところで焦って使って沈ませでもしたら大変だと手元に置き続けたのです。源田氏は海軍軍人ながら航空至上主義者でもあったので多少さっぴいて考える必要はあろうかと思います。実際問題、レイテ海戦では米軍は栗田艦隊に対し執拗な航空攻撃をくり返しながら「謎の反転」をするまで栗田艦隊の動きを食い止めることはできなかったのですから(しかも武蔵を失った程度で、大和を始め艦隊主力は脱出に成功しています)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:24

建造費に関しては私の記憶では三菱重工が大和と同型の武蔵の建造を1億円で受注したとの記述を見た記憶


があります。勿論三菱が受注したのは船体のみで主砲、副砲、は海軍工庁からの支給されたものを搭載したようですがそれらが当時の金額でいくらになるかの記載はなかったと思います。昭和10年頃の物価と現在の物価を比較するのに公務員の上級職の給料で比較すると当時100円の給料の人が現在100万円の給料を取っていることから物価が当時に比べて一万倍になっているとみてもよいとすると三菱は戦艦建造を現在価格で1兆円で受注したことになります。これほど高価な建造物を海軍の首脳人はそのものがすでに時代遅れになっていることにきずきながらその効果的な使い方の模索もせず、ミッドウエイ海戦では空母を第一線
に配置して空爆の目標になり戦艦はそのため無傷で帰還しています。もしこの配置を逆にして戦艦を第一線
にもっていき空母を第二戦に配置していたなら戦艦は数発の魚雷でも持ちこたえられたはずだか結果は逆に
日本の勝利になっていたとの見方もあるようです。ガダルカナルの攻防戦でも大和、武蔵を出動させず温存させています。海軍はあらゆることに秘密主義でミッドウエイ海戦での敗北を国民にはかくしその大本営発表は{和が方の損害若干あり}であった、しかし国民は皆口ぐちにこれは相当大きな損害を被ったとなとうわさしていた、まさか空母赤城以下4隻も沈められたとは予想できなかった。この戦争は山本五十六の発案の真珠湾攻撃で始まったがアメリカは20世紀まで奴隷を使っていた国であることを考慮すれば戦争の概念が日本とアメリカでは全く違っていた、日本では戦争とは戦闘員同士の戦いであり非戦闘員は殺りくの対象外との認識であったがアメリカの戦争は相手国の国民すべてが殺りくの対象にされたことである。山本五十六はアメリカでの駐在武官をつとめながらアメリカ国民の思想も理解せずその国を相手に開戦をいどみ作戦にはあらゆるところで失敗していてもその敗戦を隠ぺいしているそのような首脳をもったのが日本の失敗の始まりであると私は考えている。戦艦大和が戦後人々をひきつける要因はその全体像の美しさにあると見ています、艦橋、主砲、副砲の配置は他のいかなる戦艦に比較しても優れているとおもいます。それほどの優れた軍艦をもちながら国民には知らせず秘密にしていたことが国民の郷愁を呼び覚ますのではないだろうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:20

兵器とか戦争ではあまりわかりませんが、造船等の重工業力で見てみましょう


戦前の日本のことを独裁国家の悪い国のように思っている人がおおいようですが、鉄鉱石から製鉄して、設計の頭脳がある人材が多数いて、現場では造船能力があり、あれだけの大きさの船を軍艦として動かすだけ力のある動力機関を作る、その他あらゆる工業製品の最高の粋をあつめた船です
当時にこれだけの造船能力が有る国は欧米の白人国以外では日本以外にあったでしょうか
戦争には負けたが、大和をつくる能力はあったこれがこれが惹きつける一つではないですか
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:21

ロマン



質問者が、ハーグ陸戦条約を全うに理解していなかったように、戦跡とは関係なく、感傷や思い込みでイメージが出来上がる。

 そう・・世の中のことは、案外、思い込みで出来上がってる。
バファリンの半分は頭痛に効果がない成分でできているかもしれない・・
がんばれ>質問者
(自分の間違いを認める大人になれれば、発展するぞw)
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この回答へのお礼

お前もがんばれよ

お礼日時:2010/08/07 18:22

 戦艦大和が計画された頃は大艦巨砲主義で、海戦の主役は戦艦であって大きな砲がある方が勝つと思われていました。


 完成した時には既に航空機の時代になり、主役ではありませんでした。本来の目的である戦艦同士の砲撃戦に参加する事も無く最後は航空機により撃沈された悲劇が引きつけると思います。
 時代は常に変わりますが、流れに乗らず古い考えに固執してはいけないという教訓もあると思います。

 戦艦大和はそれまでの戦艦と比べてデザイン的にもまとまっていると思います。それもあるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:22

戦果だけあげても分からないと思いますよ。



もし海戦で大活躍していたら、納得するでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:23

米軍は大和をよくよく調査し、大和を越える戦艦の研究に着手します。



米国人は合理的であり、良い部分は良く見習い、悪い部分を排除しました。


米軍ならこう言います。
運用方法さえ最適であれば、大和は十分にその能力を発揮出来ませんでしたか?

源田は自分が悪いのでは無い。大和その物がガラクタだったから負けのだ。
こう言います。

ピラミッド、万里の長城
当時の大和国民は精神論で造れたのでしょうか?

源田が「精神論でお互いに乗り越えようじゃないか。」
で強制した32型はガダルカナルまで飛べたでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:23

一つは大きさ、もう一つは連合艦隊の旗艦であったということでしょう。


極秘に建造され、秘密のベールの包まれていた神秘性も人々の心を惹きつける要因になっていると思います。
そして絶対に沈まないと言われた巨艦が、米軍の猛攻撃によって大爆発を起こし兵員とともに海に沈みました。
誰しもが日本の敗戦を確信したのが戦艦大和の沈没だったのです。
戦争の被害を語るものは他にもあります。しかし、当時の男たちにとって、あの大和が沈んだという事実ほど、むなしさを感じさせるものはなかったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/08/07 18:25

こんばんわ。

使徒さん
やはり最後ではないでしょうか?
片道の燃料しか積まずに、すでに制空権もない戦場に出かけていったので。。。
無事にたどりついても最後は座礁して砲台にする予定だったとの話しもあります。
戦艦としては最大最強といわれながら、時代の流れにそぐわなかったことと、当時の状況として燃料等の関係で戦闘よりか象徴として扱われ、最後は特攻みたいな感じで出航。
運がよければ目的地にたどりつくという状況のなか、たどりついたとしても、そこで戦艦としては終わりという悲しい運命に惹かれてると思います。
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