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江戸時代の足軽身分のものは半農半士だったのでしょうか?それとも武士としての待遇だったのでしょうか?

A 回答 (3件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸時代の足軽身分のものは半農半士だったのでしょうか?それとも武士としての待遇だったのでしょうか?

回答から先に述べますと「武士階級」でした。

(1)戦国時代の足軽は「卒」(そつ)と呼ばれ、馬には乗れない徒歩で戦場を駆け巡りました。

(2)しかし、秀吉の時代に「刀狩り令」が出されてからは、それまで、半農半卒であったものが、農業をとるか、卒となるかの選択を迫られました。当然、二手に分かれたことは言うまでもありません。そして、卒は武士階級としては、最下位に位置づけられました。

(3)江戸時代になってからも、足軽は武士階級の一番下位に位置しました。しかし、実際には、足軽の下には、中間、小者という最下位の身分も作られました。

(4)足軽は、下級ではあっても、士分でしたので、帯刀を許されていました。ちなみに、中間が腰に差していたのは「木刀」でした。小者は何も身に付けることはできませんでした。そして、小者が主人のお供をする時は「裸足」(はだし)でした。

(5)また、足軽以下は下駄を履くことは禁止されており、常に草履でした。

(6)家禄というものはなく、給金制度で、大方の大名などに仕える足軽は、年間5両2人扶持の安い給料だったため、内職などに精を出し家計を助けました。そして、足軽長屋に住んでいました。
<扶持の計算方法>
男扶持では1日5合の計算。
女扶持では1日3合の計算。
ですが、足軽は男扶持で計算されました。
5合×360日=1,800合。
1升=10合。
1,800合=180升。
1斗=10升。
180升=18斗。
米俵1俵=4斗。
18斗=4.5俵
従って、年間5両と米俵4.5俵を与えられたことになります。

(7)中には、内職が本業のようになり、職人肌になる者もいました。

(8)米沢藩の上杉鷹山などの時代には、下級武士が藩の財政危機を打開するため、新田開発などに従事しましたが、鷹山は、この者たちの藩を思う心に打たれて、士分を捨てることは許可しませんでした。

(9)米沢藩のように、農業をした者もいますが、江戸や大阪府内では土地を持つことは許されず、江戸や大阪府内の足軽はもっぱら内職で食いつないでいました。

(10)地方の大名の足軽では、農業をしていた者もいました。しかし、一応は立派な「武士」でした。
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この回答へのお礼

わかりやすく細かいご説明ありがとうございます。参考にします。

お礼日時:2010/08/04 14:46

>江戸時代の足軽身分のものは半農半士だったのでしょうか?



江戸時代だと、底辺に属する武士扱いでした。
半農半士身分だと、有名なところでは「土佐藩の下士」ですね。
兵農分離が進んでいなかった旧長宗我部家臣が、この状態です。
普段は農業を行い、いざ合戦となれば武具を持って参戦。
山内家入城後、多くは帰農しますが一部は山内家家臣になります。
が、上士(山内家と一緒に土佐に入城した家臣)になる事は出来ず下士となります。
まぁ、武士とは名ばかりです。
江戸時代を通じて、下士身分(下士株)は売買の対象でしたからね。
(才谷屋)先祖が下士株を購入していたので、坂本家も武士扱いだったのです。
(本家筋の才谷屋が豪商だったので、坂本家は上士扱いだったとの説もあります)
先祖が下士株を購入していなければ、坂本竜馬は存在しません。
ただの、泣き虫寝小便小僧で終わっています。(笑)

例外的に、こんな変わった事例もあります。
伊予小松藩では、「農家の次男三男坊を、1年契約で足軽採用」しています。
1万石の小藩ですから、今の日本と同じで「慢性的な財政悪化・借金財政」だったのです。
ポンコツ与党は「増税する事で財政健全化を図る」様ですが、小松藩では「経費削減(贅沢禁止)、家臣の人員削減(解雇)」で乗り切っています。
安易に、年貢を上げる!事はしなかったのです。
某国のポンコツ選挙管理内閣首相も、藩主の爪の垢を飲んで欲しいもんですね。(笑)
藩としては、人件費削減が出来る。農家としては食い扶持が減る。一石二鳥ですね。
1年契約で足軽になった百姓は、契約期間中に限り「武士扱い」です。
武士扱いでも、農繁期には実家を手伝う事が許されていました。
この意味では、半農半士と言えますね。(笑)
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戦国時代の足軽はほとんどは召し放たれました。

(失職)
藩(幕府)に残れたものもいますが、ほとんどのものは武家奉公人扱いで、士分とは呼べません。
これらのものは家禄を得ているのではなく、奉公の代償として給金を得るのですから、半農とは呼べないでしょう。

なかには下士や郷士と呼ばれる待遇で、士分を得ています。
これらのものは基本的には士分なので禄が与えられます。
ただそれでは足りないので、農業も営んでいたわけです。

ご想像の半農半士といった形態のものは、下級ながらてっきとした士分で、農業は(身分上は)あくまで副業と考えるべきかと思います。
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