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戦後すぐに起きた東宝争議についてお聞きします。

(1)この原因はなんだったんでしょうか?
(2)そのとき東宝の社員監督だった黒澤明と山本薩夫の両監督の態度は何か知られていますか?
(3)株式会社新東宝(後の新東宝株式会社)はこの東宝争議とどういう関係があるのでしょうか?

Wikipediaを見ても良く分からないので、分かりやすく知りたいのですが----。

A 回答 (3件)

後に「こなかったのは軍艦だけ」砧撮影所にピケを張ってロックアウトした労組に対し


当時のGHQが送った軍隊を称して云われた名句

ウィキの「東宝争議」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AE%9D% …
で かなりくわしく書かれてあると思いましたが・・・

26年ほど前「乱」という映画で黒澤組のスタッフだった頃のことですが。

クランクインして一月ほど、ほぼ毎日撮影終了後は監督室で酒盛りがありまして・・・
当然監督やスタッフがいる中で、
何かの弾みで東宝争議の頃の武勇伝がご開帳されたこともあります。

当時 黒澤監督やキャメラマンだった中井朝一さん達は
どうやら撮影所にこもっておられたようです。

話の内容としてはかなりお酒を召してからの話でしたので、労働争議に関わる
論理的な話にはふれませんでした。

山本薩夫監督も晩年新日本映画制作の「ああ野麦峠」「ああ野麦峠新緑編」を東宝撮影所出撮影しています。

懐かしかったので余り詳しくもないのに書かせていただきました。
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この回答へのお礼

黒澤と山本の両監督については良くわかりました。

後は他の質問の回答を待ちたいです。有難うございました。

お礼日時:2010/08/08 19:07

(1)GHQ=アメリカ合衆国、指導による


  アカ=共産主義者の、排除。
  このため、東宝は、縁故採用が多くなった。
(2)両者共に無関心、では。
  山本薩夫監督は、一般的には、共産主義者のように
  いわれているが、個人的にはそうは思えないし、
  その後の作品群を見ても、リッパに、商業映画を貫いている。
(3)十人の旗の会
  長谷川一夫、大河内傳次郎など、ストで、映画製作ができないことで
  俳優たちがいやけをさして東宝専属から脱退。
  新東宝で映画製作を開始したが、興行網の弱体から、製作のみで
  公開は、東宝系劇場で行われる。しかし、争議が終了したため
  多くは、古巣の東宝にもどり、大蔵貢が出るまで、苦境にたたされた。
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この回答へのお礼

有難うございました。参考にします。

山本薩夫は商業主義も忘れていませんが、「不毛地帯」など左翼的な要素の映画も多いように私は思いますが。

お礼日時:2010/08/10 19:32

遠因は、日本において言論の自由がみとめられ、GHQと共産党の「蜜月」状態による、社会に対する共産主義勢力の浸透、といえるでしょう。

当時ソ連は日本に対する赤化工作を激烈に行っていました。

直接的には、東宝の会社当局が、組合員を200名以上回顧したことからです。

黒澤明は大映など、他社で映画をとっています。羅生門がこの時期の代表作です。また、新東宝(後述)と映画芸術協会で野良犬もとっています。この野良犬は、配給が東宝です。

新東宝は、この争議を嫌った(当局、組合とも距離をもった)メンバーが設立した会社で、まず最初は『新東宝映画製作所』として存在しました。争議で製作の止まった東宝作品を完成させたものをながしたのを皮切りに、自主製作もはじめます。独自の配給網を当初はほとんど持っていない会社で、争議中の東宝も「製作は新東宝、配給は東宝」という考えをもち、東宝の配給網を利用して作品をながしました。持ちつ持たれつです。

が、争議が落ちついた東宝は自主製作を再開し、当然ですが自社の配給網でながし始めます。この事態に対抗して会社は1948年『株式会社新東宝』となり東宝からほぼ独立、自主配給をはじめます。ただ、やはり元の体力がないため採算がとれない時期が続きます。
1955年に興行界(ぶっちゃけ、その筋のひとたち)に影響力のある大蔵貢が社長になり、一応会社も安定。「安く、早く、おもしろく」「テスト一回、はい本番」をスローガンに、戦後邦画に無視できない足跡を残しました。

東宝争議は日本史における労働争議のなかでも突出した事件であり(当時は、映画会社というものが今のテレビ局みたいに、社会的地位があったと思ってください)、独立プロの発生、新東宝の誕生、だけにとどまらない、社会的・芸術的影響も日本に与えました。

東宝争議は、奇怪なことですがフィルムを組合側が管理していたのに、その様子が撮影されませんでした。確か大島渚監督が、この事を強く批判したことがあります。
おそらく、争議後に本来は会社の資産であるフィルムについて、使用することによりおき得たトラブル(弁償、裁判など)を、組合が恐れたのでしょう。
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この回答へのお礼

有難うございます。非常に良くわかりました。

お礼日時:2010/08/11 19:43

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