【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

【平安貴族】牛車の下簾とはなんに使うものなのでしょうか?用途についてです。ネットで検索すれば何なのかは分かりますが、なんのためにあるのでしょうか?
ただのかざりとか、位を表すとかだけなのでしょうか?

「【平安貴族】牛車の下簾とはなんに使うもの」の質問画像

A 回答 (5件)

「簾」ではなくて「下簾」ですよね?



「下簾」は、ただのかざりとか、位を表すとかだけ…とは言い難いですね。

また、「この『車』の場合にはこの『簾』を使う。この『簾』の場合はこの『下簾』を使う」というカンジの決まりごとがありましたから、「下簾」によって身分や位を表わす…ということはないです。

「下簾」は、「簾」の内側に取り付けられましたが、「簾」は「竹」が材料です(「蘇芳簾」は赤色に染めた竹。「青簾」は染めていないそのままの竹)。
それを糸で編んで、縁をつけてあるだけなので「メッシュ」になっています。

「目隠し」「人目を遮る」だけが目的ならば、「メッシュ」の「簾」でも、十分とは言えないまでも事足りたと思います。
結構細かく編んであるんですよ。
でも、「メッシュ」だと「風通しがいい」んですよね。

ですが、牛車の「屋形」は、オールシーズンタイプなんです。
ですから、「メッシュ」の「簾」だけでは、季節によっては「涼しすぎ」たりするんですよね。
はい、「下簾」には、「風よけ」「寒さ対策」の意味もありました。

インターネットで調べられたのでしたら、「出衣(いだしぎぬ)」、「出車(いだしぐるま)」という言葉が引っ掛かってきませんでしたか?

「下簾」は、この「出衣」「出車」とも関係があるんです。

女性が牛車に乗る場合、これを「女車(おんなぐるま)」と言ったのですが、「簾」の下から衣などを出すこと(出衣、出車をしていること)で、「女車」と判別していたんですよ。
「屋形」から衣を出す前に、まず「下簾」を「簾」から外へ出し、それから衣(袖とか裾)を出します。

ですから、「車に女性が乗っていることを表す」目的でも使われたということです。
尤も、男性が、「お忍び」で出掛ける際、「女車」に「見せかけるため」にも用いられたようです。

「下簾」というと、私は『源氏物語』の「葵」の巻を連想してしまいます。

弘徽殿大后所生の女三の宮が、新たに賀茂の斎院に選ばれ、その御禊の日のお話です。
特別の宣旨により、光源氏も馬に乗って、供奉の列に加わっています。
その晴れ姿を見物に出かけた、葵の上と六条御息所の、いわゆる「車争い」の場面です。

げに 常よりも好みととのへたる車どもの 我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも さらぬ顔なれど ほほ笑みつつ後目にとどめたまふもあり

という文章もあります。
この「下簾」は、「出衣の下簾」です。

ちなみに、賀茂祭の当日は、光源氏は若紫と車に同乗して祭り見物に出かけますが、その時については

人と相ひ乗りて 簾をだに上げたまはぬを 心やましう思ふ人多かり

という描写があります。こちらは「簾」ですね。

この回答への補足

長々とありがとうございます。どうにも、身につまされます。わたしも親切な回答を心がけなければなりません。

>ですから、「車に女性が乗っていることを表す」目的でも使われたということです。
調べると、下簾は、女房の車と納言以上の車に用いられた、ようで、女房の車と高位の車とを混同したり、そんなことあったのだろうか、などと考えます。

しかし、ほぼ疑問は氷解しました。細かく本当にすいません。

補足日時:2010/08/17 00:38
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 牛のくそ除けが、もとの目的かも知れませんね。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。昔のことで、やはりはっきりしたことは分からないようでもあるようです。

補足日時:2010/09/03 22:27
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#2です。


ご丁寧なお礼をありがとうございます。

添付は、風俗博物館の写真ですね。

私は源氏物語が大好きなこともあって(短大での専門は、源氏物語(国文学)ではなく、歴史(摂関政治)でしたけれど。ゼミの担当教授の専門が服飾史でした。源氏物語は、生涯の研究材料なので、その「周囲」「背景」を勉強したかったこともあり、敢えて歴史を専攻したんです)、何度か行きましたよ。
私が行った時には、この展示はありませんでしたが、風俗博物館の展示は半年ごとに変わりますので。

大きい人形はちょっと不気味ですが、御殿の再現は本当に見事ですよね。
毎回、写真を撮りまくってきます(笑)&絵はがきも購入しています。
そう言えば、今年の12月から1年半ほど休館になるので、もう1度行っておかなければ!!
風俗博物館のウェブサイトもいろいろと参考になりますね。

添付の写真の車は、網代車の一種で八葉車と言われたものです。
この車は、当初、八つの葉の装飾文様(=八曜紋ともいう)をつけていたので、八葉車と言われましたが、後にこの文様は、個人や家を表す文様に変わっていきました(それが現在でも使われている「家紋」に繋がっているのは、既に調べられていると思います)。
八葉車には、描かれた文様の大きさによって、「大八葉車」と「小八葉車」がありましたが、女房が使ったのは「小八葉車」で、この車は、少納言あたりの中流貴族も使いました。
添付の写真は、「物見」が、「切物見」ではなく、「長物見」のように見受けられますし、文様の大きさからも、「大八葉車」だと思われます。
…となると、乗っている女性は、もう少し身分の高い家の女性でしょうか。

> 下簾は、女房の車と納言以上の車に用いられた、ようで、女房の車と高位の車とを混同したり、そんなことあったのだろうか、などと考えます。
平安時代の「高位」は三位相当以上ですから、納言は高位ではありませんよ。
納言の中で一番下である少納言の官位は、従五位下相当ですから。
従五位下は、女房でも「命婦」クラスと同等ですね。
女房って、そんなに低い「位」ではなかったんですよ。
家政婦とかじゃないですから(紫式部は、内命婦の「資格」で、宮仕えをしていたのではないかとされています。本人が五位以上の女性を内命婦といいます。ですから、紫式部は五位以上の位をもらっていたのではないか…ということです)。

女性のなかでも、「女房」が用いたのが「小八葉車」なので、位的には男女とも「ほぼ同格」で使われたということになります。
男性ならば納言以上、女性ならば命婦以上に該当する人、その家柄の人ならば乗れた車ですし、人数もそれなりに居ましたから、使っている人は結構いたと思います。
牛車自体の「作り」には、男女による区別がありませんし、平安時代において、女房の外出って、そんなに珍しいことではなかったので、「牛車に乗っているのが誰なのか」は、「出衣」がなければ、男性か女性かすら分からなかったかもしれないと思います。

写真の牛車は「青簾」ですね。
「染めていないそのままの竹」を「縹色(薄い藍色)の糸」で編んであります。
「青簾」は、八葉車にも用いられましたから、有職故実にもかなっています。
さらに、「青簾」には「青裾濃(=裾・下の方へいくほど青色が濃くなる染色方法)」の「下簾」を用いていましたから、これも有職故実にかなっています。
ただ、「青裾濃」の「青」色が、写真で見る限りでは、ちょっと「青」ではないような印象を受けました(青簾を編んでいる糸と同じような縹色)。

ところで、葵祭りの際に勅使が乗る牛車には、「下簾をかけないことになっている」というのはご存知ですか?
勅使=天皇の使者で、天皇の代理です。
ですから、高位の人が乗る場合であっても、下簾をかけないこともあるんですよ。

この回答への補足

>平安時代の「高位」は三位相当以上ですから、納言は高位ではありませんよ。

間違いの訂正までわざわざありがとうございました。

>ただ、「青裾濃」の「青」色が、写真で見る限りでは、ちょっと「青」ではないような印象を受けました(青簾を編んでいる糸と同じような縹色)。

ついでに、写真のおかしい点までご指摘、恐縮です。

こんなQAサイトの回答欄に、詳しい専門的なお話を、まことに痛み入ります。
ありがとうございました。

補足日時:2010/08/18 10:21
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bungetsuです。



どうやら、装飾の一種であり、身分の象徴だったようにも思えますね。

雨眉車(あままゆのくるま)
摂政・関白が直衣姿の折に使う上の唐車の簡略版。簾は青く下簾の帳も青裾濃。

檳榔毛車(びろうげのくるま)
檳榔(シュロに似た亜熱帯植物)を細かく裂いて屋根を葺いた車。参議までの上級貴族・賀茂祭の使いや入内する女房が使った。蘇芳簾で下簾は赤裾濃。

その他としては、

糸毛車(いとげのくるま)
詳細不明。皇后や皇太子は「青糸毛」、更衣・典侍・尚侍などの上臈・小上臈・中臈の女房たちは「紫糸毛」に乗ったという。

半蔀車(はじとみぐるま)
檜を網代に組んで降り口の周りの部分に使い、覗き窓を開閉可能の半蔀にしたもの。大臣や大将がプライベートに使用する。

網代車(あじろぐるま)
半蔀車の網代を白く塗って地味にしたような車。大臣・納言・大将の普段使い、侍従・中将・小将・四位・五位も使った。

八葉車(はちようのくるま)
網代を萌黄色(黄緑)に塗り、九曜星(八葉/大きな円の周りに小さな円を八つ書いたもの)の模様を書いたもの。二種類あり模様の大小で区別する。普段使い全般。

この回答への補足

さきのご回答に補足した後で、なにか、この下簾というもの、なぜこんなに細長いのだろうかと思っていました。別に質問たてようかなどとも。

装飾のようにも見えてきました。

二度もありがとうございます。
本の解説かのような詳しいご回答で、大変恐縮です。

補足日時:2010/08/18 10:24
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

すでにネットで調べられたということですので、一言で言います。

部屋(屋内)で使用する場合は、部屋の間仕切り的な役割をしています。
牛車などの時は、高貴な人は人前にやたらに顔を見せないのが仕来りで、つまり、外の世界と牛車の中との「区切り」を意味しました。
外からは中が見えないが、内からは外が見える・・・現代の自動車でのウインドフィルムのようなものです。

この回答への補足

この下簾というもの、なにかいやに細長く見えたので、いったいなんなのだろうと、なぞの物体に見えたのですが、よくみれば、細長い布といって縦に長いですが、牛車の出入り口を覆えるだけの幅もあるもので、簾でした。

専門家様を煩わせるわけにもまいらないところです。本当にありがとうございます。



すこし分かりにくい可能性を考えて、画像を添付いたしました。どこかのサイトのものです。

補足日時:2010/08/17 00:39
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