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「裁く者」、「裁かれる者」、そして生命(いのち)の大切さ!
先日、「耳かき店員殺人事件」の被告人に対して「無期懲役」の判決が下された。被害者の家族からすれば「死刑」を強く望んだ事は言うまでも無い。数年前、名古屋でネットで知り合った男達によって、何の面識も無い若い女性が殺害された。加害者の一人は自首という事になり「無期懲役」他の加害者は「死刑」を宣告された。被害者の母親(創価学会員)は、加害者に一人の「無期懲役」が納得がいかないとして、街頭署名をする姿がテレビで紹介されたが、被害者の感情からすれば当然の行動である。と私は思う反面、本来の「人の命(いのち)」という観点からすれば、「死刑」はちょと違う、と言う違和感を感じた。人はこの世に縁があって生まれて来た、縁の無い人は交通事故や病気で早く死に至る。そして今、殺人を犯す者、殺害される者、この二つの命のルーツを辿れば、今生で巡り合うと言う因縁があったように思う。両者は「殺人者」と「被害者」となったが、お互いが正しい生命観があればこういう悲劇が起きなかったと思う。人はいくらでもやり直せます。加害者については長い年月がかかっても「命(いのち)とは」また「生死観」について教え込めば正しく生きていく事が出来ます。被害者は結果的には「死」を迎えたが、アメリカ社会のように「目には目を」は間違っています。そうでは無く「永遠の生命観」に立てば被害者家族として、「死刑」にして殺して!との考えは自ずと無くなり、もっと違った生き方が出来るはずです。

A 回答 (7件)

ベストアンサーと御礼、どうもありがとうございます。



命(私は魂と呼びます)の永遠性に気がついていれば、「目には目を、歯には歯を」、というハムラビ法典的な処罰法では、結局永遠に争いの元を断つことはできないという事が理解できるはずです。

誰かが、怒りを絶ちきり昇華させて、相手を赦し、争いをたつことをしなければならないのです。その誰かがもっと増えれば、世界は平和と共存を実現できるかもしれません。


たとえば交通事故を貰えばたいした怪我でもないのに、相手の保険でお金をふんだくることばかり考えているようでは、ダメです。それは、自分は被害者に見えて、実は加害者として業を負うことになります。

例えもっと大きな被害を被ったとしても、一時の損得勘定や激情にまかせた行動で、相手を陥れることばかりを願うことは、次は自分自身が大きな業を負い、下手すると加害者になる可能性があることを示しているのです。

「人を呪わば穴二つ」といいます。自分用の穴は確実に準備されます。それこそ、来世にかもしれません。そして、穴を準備するのは、過去生で自分が裁いた人間かもしれないのです。

そういった形で、裁いた人間が裁かれる、ハムラビ法典的思想は永遠に続いてしまいます。これではいつまでたっても争いは絶えることはありません。

争いをたつには、相手を赦すこと、これにつきます。

他人を赦すことは、自らにまとわりつく業を無くしていくことに相当します。

業が少なくなればなるほどに、軽やかに、生きることができます。

生の本質とは、魂の修行にあります。そのためには、「赦す」という行為はどうしても避けてはとおれないものです。

そして、死刑は、ハムラビ法典的刑罰そのものであり、加害者にあがないの機会を与えず、被害者側に赦しの機会を奪う、魂の成長の機会を奪う対処の仕方です。

これが、世界中で戦争やいさかいが絶えない根本的理由です。

人間は、およそ文明というものをもってから、全く進歩していません。

イスラエルでは、根本的には同じ神の名のもと争い、数千年もの長きにわたり復讐に復讐を繰り返しています。

審判の時は刻々近づいています。時は待ってはくれません。
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人の命は尊いという貴方の考えは、正しいと思います。


しかし、その尊い命を軽んじて絶命させたという事は、加害者は命を尊いと思っていないから殺人を平気で犯せるのです。
法律的に表現すれば、生きる権利を侵したという事でしょう。
他人の権利を侵した加害者からは、犯した犯罪と同じ権利を奪い取ってもよいのではないでしょうか。
つまり殺人犯からは、生きる権利を奪ってよいと思います。
勿論、それに至った経緯を考慮する必要性はあると思います。
被害者から執拗にいじめを受けていただとかは、十分に考慮できる事項だと思います。
しかし、身勝手な思い込みや逆恨みなどは、考慮するに値しないでしょう。
今回の件は、これに当たると思います。
当然、死刑されるべきです。
ですが、それでは生ぬるい。
死刑判決を与え、しかし何時執行されるか分からない恐怖で震える位、死刑執行を延期してやりましょう。
簡単に死んで償えると思わせてはいけません。
それ位してもよい位の重罪であると、私は思います。
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>人はいくらでもやり直せます。



これは間違っていますよ。
人を殺したという事実は残っています。
殺された人はやり直すことが出来ません。
世の中には取り返しの付かないことが山のようにあります。
「覆水盆に帰らず」昔から言われていることです。

自分が死刑になりたくなければ、死刑になるようなことをしなければよい。
ただそれだけのことです。
やってから反省してもすでに遅い。行動の前にそれをしたらどうなるのか、ちゃんと想像力を働かせないといけないだけです。

世の中には取り返しのつかないことが多くありという事実を忘れていませんか?
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殺人者に生死観を教えるのでは無く、道徳教育の段階で教えるのがベスト。



よって、殺人者には・・・【死】を持って【罪】を償う=公平=目には目では無い。
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いくらか散見される「正しい・・・」。


それって、誰が判断したの?
それ、誰が正しいって言ってるの?

あなたの言う、「正しい生命観」
これを、世界中の人々が実践したら、人口爆発は加速する。
たちまち、全員飢餓状態。
飢餓状態は何を生む?


そもそもが、無理のある理想論にすぎない。
それも、平和で裕福な日本に育った人間の。

自分はぬくぬくした環境にありながら、
地獄の苦しみを味わう人々に対して、
安易に批判し、ないし「正しい」道を押しつけようとする。

だから、当事者の心には響かない。
要するに、「きれいごと」ってこと。



あるいは、あなたの考えは正しいのかもしれない。

だけど、あなたには、重大な事実が欠落している。
人間は、「正しい」ことをできるとは限らないということ。
何が「正しい」か分かっていても、それを踏み外してしまうのが人間なんだ。
人間って感情の生き物であり、本能の生き物でもある。
全てを理性でカバーしきることなんてできやしない。

そして、そんな風に道を踏み外す人間を許せるか、好きでいられるか、
そこが、人情であり、人間力でもある。

総じて、理想主義者の方々は、
そのあたりが、極めて希薄だという印象を受ける。
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簡単に言うなれば



「輪廻転生」と「因果応報」の思想に基づいていますね?

殺し殺される方々には、前世にそれなりの因縁がある。

そして因縁を断ち切るには、目には目をではなく、右の頬を左の頬を差し出せ、的な感覚
つまり、憎悪の感情は滅し昇華しなさいということですね?

そのとおりだと思います。

無期刑にしても、もっと彼らの罪を効果的にあがなわせる方法を考えることも肝要か存じます。

それ以前に、肉体と魂に関する知恵があることを世間に認知させることが必要だと思います。

これは、かなり困難なことです。

にもかかわらず、このようなご意見を述べられる方がいらっしゃるとは、驚きました。
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この回答へのお礼

有難う御座います。世間の批判は重々承知でございましたが、貴方様のご感想を私の中での「ベストアンサー」に致したく思います。もっと違う観点から書きたかったのですが、宗教批判、中傷と捉えられる事が嫌で、何か訳の分からない事を書いたようで、反省しています。結局は「宿命論」になってしまうのでしょうが、今、ここで言うならば「生命は永遠である」。この事を申し上げたい。ご意見を下さった方々大変に有難う御座いました。

お礼日時:2010/11/04 16:51

 で、質問は、なんですか?



>アメリカ社会のように「目には目を」は間違っています。

 ↑間違っていますよ~
アメリカは 州によって死刑を行っていません
終身刑だったり 懲役数百年といった
実質「終身刑」が多いようですよ

「アメリカ合衆国における死刑」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …
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