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半年以上前のことですが、夫の遠い親戚の方が癌で亡くなりました。
生前は2~3度お会いし(といっても挨拶をかわした程度)ですが、亡くなったかたのご両親が、本人が若くして亡くなったため「たくさんの方にきていただきたい」と希望され、私もお通夜に行くことになりました。

お通夜で「顔を見ていってください」と言われたのですが、私にははじめての経験でした。
それ以来、かなり精神的にまいってしまいました。
夜眠る時やふとした瞬間に亡くなった方のお顔を思い出してしまい、重苦しい気分になってしまいます。
今も思い出す回数は減りましたが、ずっと続いています・・・

前置きが長くなりましたが、これから先お通夜やお葬式に呼ばれることもあるかとおもいます。
「顔を見ていってください」と遺族の方に言われたら、遠慮させていただいてもいいものなんでしょうか?
もちろん失礼なことだとはわかっているのですが・・・
生前はおつきあいもほとんどなかったのにこんなに長く苦しむことになるなら、正直言って見なければよかったとおもっています。
遠いとはいえ、夫にとっては親戚なので気をわるくする可能性もあり、相談できずにずっと悩んでいました。

お通夜やお葬式で亡くなったかたのお顔を見ることを遠慮させていただくのはいかがなものでしょうか?
やはり非常識なことでしょうか?

A 回答 (6件)

こんにちは。



難しい事ですよね・・・。

非常識かどうか解りません。
身内の方によっては「どうして拒むのだろう?」と
不審に思われる方も中にはおられるかもしれませんね。
私個人的には構わないと思うのですが・・・。

もしも『顔を見てやってください』と言われたら『申し訳無いのですが見ると余計に悲しくなるので・・・』と言うのはどうでしょうか。
ただ『遠慮します』と言うと悪く思う方もおられるでしょうし、「そうしたいけど、できない」と言う事を解ってもらえれば非常識にはならないと思うんです。

それに親族の方は「断られた。なんて非常識な」とまで考えが回らない気がします。
その時は悲しみにくれているでしょうし。

ただどうして、苦しいのでしょう。〈責めてるんじゃないですよ。)
『まだ若いのに』や自分に置き換えてしまっているのでしょうか。
『人の死』を見る事で絶望的な気持ちになってしまうのでしょうか。
その事を旦那様には話したほうが良いと思いますよ。
今も辛い思いされてるんでしょう?
話す事で少しは楽になれるかもしれませんよ。

亡くなった方のお顔を見ることは悲しみ以上に、
喪失感というか言い表せない気持ちがするのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

orenzi-pekoさん、こんばんは。
答えにくい質問に回答していただき、ありがとうございます。

>『申し訳無いのですが見ると余計に悲しくなるので・・・』

とてもいい回答をいただきました。
今度またおなじような状況であれば、使わせていただきますね。

>ただどうして、苦しいのでしょう

たとえばお皿を洗っている時、お風呂に入っている時やベッドの中で、もう忘れたいのにお顔を思い出してしまうのです。
初めてお顔を見たときの、思わず自分の顔を手で覆ってしまいたくなるような驚きと戸惑い、ただ涙だけが自然と流れ落ちた、当時のなんともいえない気持ちも一緒に蘇ってくるのです。

さらに、忘れたいのになかなか忘れられないことが、いったいいつまで続くのか・・・という思い。

こんな不謹慎なことを考えてしまう私の、亡くなった方への罪悪感。

そして私の心を亡くなった方に見透かされているのでは・・・という恐怖。

お顔を思い出すたびにこのような重苦しい気分になってしまうんです。

>その事を旦那様には話したほうが良いと思いますよ

そうですね。
一度話し合ってみようと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/25 21:46

 質問者の方はお若いかたですね。


 初めて亡くなって方の顔を見ることで、存命中とは余りにも違いすぎると、大きなショックですね。
 お若い内は、精神的なダメージでしょうが葬儀も回数を重ねると慣れが入り、そんなに深刻になる事も無くなります。
 葬儀に出ることで、慣れもでてきます。
 慣れる事で、心も成長します。
 深刻にならなくても、誰でも一度や二度は経験します。
 通る道です。
 

この回答への補足

こちらの補足をお借りします。

>回答してくださった皆様

今回質問させていただき、有益な回答をいただくことができました。
ポイントは直接回答くださったorenzi-peko様と新たな視点を教えてくださったnew2様に差し上げたいと思います。
ポイント差し上げられなかった皆様、申し訳ありません。
またよろしくお願いいたします。

心のこもった回答、どうもありがとうございました。

補足日時:2003/08/26 15:17
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この回答へのお礼

totorokunさん、こんにちは。
答えにくい質問に回答していただき、ありがとうございます。

>お若い内は、精神的なダメージでしょうが葬儀も回数を重ねると慣れが入り、そんなに深刻になる事も無くなります

経験者の方からのアドバイス、参考になります。
#4の回答者様も慣れると書かれてますが、だんだんと慣れるものなのでしょうか。
今の私にはまだよくわかりません・・・
ただ、そうおっしゃっていただけると、気分的に楽になりますね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/26 14:59

>お通夜で「顔を見ていってください・・



滅多な事で遺族は通夜の弔問者に声を掛けません。
しかし、遺族は故人とその弔問者の関係(親密度)が
分かりません。
遺族から見れば「最後に故人の顔を見たい」と
望んでいるであろうと言う思いから出す言葉です。

その逆が遺族が言い出さないのに弔問者のほうから
それを切り出すのはタブーとされています。
寝顔を見てもらっていい場合とそうでない場合が
あるからです。時には見てもらいたくない状態の
ときもありますから・・。

>お通夜やお葬式で亡くなったかたのお顔を見ることを遠慮させていただくのはいかがなものでしょうか?
やはり非常識なことでしょうか?

#4さんのおっしゃるように
「故人との別れが辛くなる」の言葉で
で切り抜けられます。


>夜眠る時やふとした瞬間に亡くなった方のお顔を思い出してしまい、重苦しい気分になってしまいます。

この重苦しい気分って何でしょうね。
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この回答へのお礼

kiyottiさん、こんにちは。
答えにくい質問に回答していただき、ありがとうございます。

>遺族から見れば「最後に故人の顔を見たい」と
>望んでいるであろうと言う思いから出す言葉です

きっといい意味で声をかけてくださったんだと思います。
大変悲しんでおられたので、私も何も言えずにお顔を見させていただいたんです。

>#4さんのおっしゃるように
>「故人との別れが辛くなる」の言葉で
>で切り抜けられます。

そう書いていただけて、安心しました。

>この重苦しい気分って何でしょうね

#1さんのお礼にも書かせていただいたきましたので、よろしければご覧下さい。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/26 14:49

本家6代目、42歳の男です。



初めての経験、その気持ち分かります。
今では空気みたいなものですがね。
それだけ経験豊富になっちゃんたんでしょうね。(笑)

>お通夜やお葬式で亡くなったかたのお顔を見ることを遠慮させていただくのはいかがなものでしょうか?
やはり非常識なことでしょうか?<

遺族側の希望があれば、縁の濃い薄いに関わらず、お顔を見るのがベターでしょうね。
でもね、どうしても遠慮したい時は、#1の方が言われているように、『申し訳無いのですが見ると余計に悲しくなるので・・・』は、角が立たない言い方ですね。

血が濃い場合は、確かに失礼と感じますが、そうでもない場合は、分かってくれると思いますがね。

この回答への補足

ごめんなさい。
お礼は遅くなるかもしれませんが、かならず書きますのでしばらくお待ちくださいね。

補足日時:2003/08/25 22:39
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この回答へのお礼

dreamplazaさん、こんにちは。
答えにくい質問に回答していただき、ありがとうございます。

亡くなった方の顔を初めて見たときは動揺されるかたがかなりいらっしゃるようですね。
自分だけではないと思うと少し気が楽になりました。

>でもね、どうしても遠慮したい時は、#1の方が言われているように、『申し訳無いのですが見ると余計に悲しくなるので・・・』は、角が立たない言い方ですね

このような場合の言い方というものは大変気を使うものですね。

>血が濃い場合は、確かに失礼と感じますが、そうでもない場合は、分かってくれると思いますがね

暖かいお言葉、ありがとうございます。
dreamplazaさんにそう言っていただけて安心しました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/26 14:35

 まず、まえもって、その親戚の方は決して悪意があったというわけではなく、むしろ善意として行ったということをご了解ください。



 たしかに遺体を目の当たりにするということはあまり気味のいいこととは言い難いです。しかし、通夜・告別式に出席するということは「最後の挨拶」を言いに来たというもので、遺体と対面するということは、その最後の別れを言いたいために参列してきた人に対する最大の敬意(つまり直接別れの挨拶をする機会を与える)ということです。もちろん、相手は死んでいますので、別れの挨拶は聞こえないのですが、むしろ相手を通じて自分の気持ちに対する別れの挨拶をするためにも、遺体と対面するというのはとても大切な儀式というものです。
 そうお考えになって、通夜・告別式に参列されてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

new2さん、こんばんは。
答えにくい質問に回答していただき、ありがとうございます。

>その親戚の方は決して悪意があったというわけではなく、むしろ善意として行った

はい。
遠慮させていただければそうしたかった、という気持ちはありますが、悪意があったとはまったく思っていません。

>直接別れの挨拶をする機会を与える

簡潔に説明していただき、大変よくわかりました。
自分の近しい間柄であれば、そのように考えられるかもしれないな、と思いました。
ただ今回のように、ほとんど交流が無く生前のお顔さえもはっきり思い出せないような間柄であれば、やはりお顔を見るのは遠慮させていただくかもしれません。
もっと年齢も経験も重ねていけば、私自身の考えも変わってくるかもしれませんが・・・

しかし、大変ためになることを教えていただきました。
決して忘れません。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/25 22:37

私も叔父が亡くなった時、はじめて人間の死というものをまのあたりにし、死に顔を見るだけでなく火葬場でお骨を拾ったショックから数カ月寝込んだ経験があります。


しかし、生きていくうえで人間の死というものは避けられないできごとです。この先、遠い親戚のみならず自分の親や最愛の人を見送らなくてはならない時も
やがてはやってくるのです。やみくもに拒絶反応を示すのではなく、親戚の方の死をきっかけとして一度ら自分なりに死あるいは生について考えてみられてはどうでしょう。
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この回答へのお礼

mammothさん、こんばんは。
答えにくい質問に回答していただき、ありがとうございます。

mammothさんもおなじような経験をされているのですね。

>やみくもに拒絶反応を示すのではなく、親戚の方の死をきっかけとして一度ら自分なりに死あるいは生について考えてみられてはどうでしょう

心の準備も無く人の世の無常を身近に体感してしまい、最初は戸惑いました。
しかし、今のこの重苦しい気持ちは、#1のかたのお礼にも書かせていただきましたが、死に対する拒絶ではない気がします・・・

ただ、混乱して自分の気持ちがわからなくなる時があるので、今一度死や生についてあらためて考えてみようと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/08/25 22:12

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