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戦後、日本軍は60万人もの兵士がシベリアに抑留され、強制重労働に従事させられました。
一方でドイツ軍は200万人もの兵士がシベリアに抑留されたそうです。
ドイツ人の抑留生活はどうだったでしょうか?
予想では日本人よりも憎まれていたので、より悲惨だったと思いますが。
何人くらいが生還できたのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

回答者の方々が既におっしゃっているようにかなり悲惨でした



スターリングラードでの捕虜9万の内生きて西独に生還できたのは数千人にすぎません

ソ連の捕虜になったドイツ兵は日本兵よりはるかに長期に抑留され
捕虜ドイツ兵の大部分はスターリン死後の1953-54年になってようやく釈放されました

ソ連軍はドイツの軍人だけでなく鉄道職員など非軍人の軍属も捕虜として算入しています

ドイツの捕虜で最も悲惨な目にあったのは国防軍婦人補助員や非軍人の看護婦です
ここで書くのもおぞましいですが
戦前のスターリン時代に無実の罪で投獄されフルシチョフ時代に釈放された外国人女性の手記によると
複数のドイツ人看護婦が棒に両手を広げるように横並びに数珠繋ぎされ下半身を裸にされて
その後方に多数のソ連兵の列を作り次々レイプするとか

他の婦人補助員では軍用犬にレイプさせたり、局部に熱いタールを流されたりの拷問をされていたそうです

あと特徴的なのは捕虜ドイツ兵に対する洗脳です
日本兵は短期抑留でしたので高級将校などは洗脳されませんでしたが
旧ドイツ国防軍の将官の中には洗脳されて戦後ドイツ国家人民軍(東独軍)の将官になる者も少なからずいました
代表どころでは
ヴィンツェンツ・ミュラー(ドイツ陸軍第56歩兵師団長、44年6月ベラルーシで捕虜)
アルノ・フォン・レンスキー(ドイツ陸軍第24戦車師団長、43年2月スターリングラードで捕虜)
オットー・コルフェス(ドイツ陸軍第295歩兵師団長、スターリングラードで捕虜)
特にミュラーはドイツ国家人民軍参謀総長にまで昇進しています


ホイジンガーを除けば旧ドイツ国防軍将官が冷遇された西独連邦軍とは対照的です


長文失礼致しました
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「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」という本があります。


パウル・カレルとギュンター・ベデカーの共著で、フジ出版から発行されましたが、2007年に学研M文庫からも再版されました。
この本によるとソ連の捕虜となったドイツ人は350万人で、そのうち100万人以上がソ連で亡くなったそうです。
その殆どが飢えで亡くなったそうです。
配給されるのは少ない酷い食事で、さらに異常にきつい労働と達成不能なノルマを強制され、悲惨な生活だったようです。
西ドイツ政府捕虜史委員会の報告には、捕虜だった人からの話として、次のような話も記されているそうです。
「ここでの暮らしぶりは想像を絶するものでした。森で死んだ戦友の遺体を食べました。飢餓はそれほどまでに苦しかったのです」
物凄く酷い暮らしだったようです。
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全体的な数字は知りませんが、激戦地で有名なスターリングラードで降伏した10万人のドイツ軍将兵のうち生きてドイツへ帰国できたのはたった5000人だったそうです。

5%です。相当過酷な労役をさせられたのでしょう。というか、最初から死ぬまで働かすつもりだったのでしょう。考えてみれば日本軍は何にもしてないけどドイツ軍は侵略して何と2千万人のロシア人を殺しましたから仕方ないちゃ仕方ないかもしれません。
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