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今、旦那に離婚を迫られています。

私は、子供が教会付属の幼稚園に通ったのをきっかけに関り始め6年目です。教会はプロテスタントでエホバとかもろみのなんとか、といったものではないのは確かです。ただ純粋に神様を信じている人達といったイメージです。
疑問を持ちつつ聖書を勉強していくなか、私は押しつけられたのではなく自分でもっと勉強していきたいという思いと、神様というのを信じたいという気持ちが大きくなり、今までお世話になった牧師の前で「神様を信じます」というお祈りをしました。気持ちはクリスチャンです。
でも、そのお祈りをしたからといって、教会全員が私がクリスチャンになったのは知りませんし(大げさなものではない)、献金に家のお金を使おうとか、家族の時間を減らしてまでどうこうするつもりはサラサラありません。献金も、したとしても私のアルバイトのお金からお財布に入っている小銭少し程度です。それはこれからも代わりありません。
教会の人達も、ごく普通でこれまで6年間関って来て安心出来るところだと確信があります。
そして、何よりこれからの人生、ただ純粋に神様を信じることをしたかったのです。

つい最近、旦那に「私はクリスチャンになったよ。神様を信じて生きていきたい」と告げたら大反対されました。
まず、自分に内緒で儀式みたいなことをしたことと、自分は1つの宗教にのめり込む考えは嫌いだと言ってあっただろうということと、自分の頑張りに対してお前の考えはこれからずっと「あなたありがとう、ではなく神様ありがとうなんだろ」だということ、結婚してこれまで20年間オレの考えだけだったのに、これから「GOD」が入ってくるのは許せない等等。
そして最近は、「冷静に考えたら、もしかしたら牧師(男性)に嫉妬していたのかもしれない。おまえを取られてしまう危機感を感じた」といいます。

自分でも、何人もの人に自分の考えが可笑しいのか、縛り付けていないか、様々な宗教の人に何人にも相談したが、今更家に戻れない状況だといいます。
私は旦那のこと今までだってこれからだって大好きだと言いました。
子供3人とも、戻って来て欲しいと泣いています。

旦那の意見は、離婚の危機まで来ているのに聖書をとる君の考えがおかしいといいます。つまり、洗脳されていると。

私が神様を信じたい気持ちは1つも受け入れてくれません。押し付けることはないと言っても、私が家庭を捨ててまでのめり込まない自身があるといっても、信じてくれないのです。
神様ではなく怒りの矛先が牧師であったら旦那の誤解ですのに。

皆様のご意見が聞きたいです。私はなにか重大な悪い事をしているのでしょうか。

私たちについて、どう思いますか。

どんな意見でも聞かせてください。

A 回答 (29件中1~10件)

 そもそも宗教とは何だろうかと考えられたことはありますでしょうか。

世界中にそれこそ何百、いや何千と宗教なるものがあると思います。
 また、それぞれが我が宗教こそ他の宗教より優れていると自負していることでしょう。
 それぞれの立場で信ずるものを信じればいいのですが、私の宗教観は「宗教とは人の生き方を律するもの。」というものです。
 この世に生を受け、幼稚園から小・中・高・大学等を経て、就職し、結婚し、子供が産まれ、子供を育て、親の介護をし、そしていつかは自分も死を迎える。
 そういう長い人生の中で、お宮参り、七五三、厄払い、結婚式等々を経て最後はお葬式に至るまで、人生の中でいろいろ宗教に関わる行事を経験することとなります。
 人として、人の親として、人の子としてこれらのことをきちんとやるために宗教なるものがあると思っています。
 逆説的にいえば、宗教に頼ることなくこれらのことにきちんと自身で対処できる人は、宗教に頼る必要はないということです。
 しかしながら、すべての人がと言っていいと思いますが人は弱いものであり、従って何らかの宗教に自分の処し方を求めるのだと思います。
 すなわち、人生の中で自分が弱くなる時にいかなる宗教でもあるいは宗教でなくても自分の律し方の準拠となるものを見いだし、的確に処し方を律されればいいのだと思います。
 宗教以外のものとは自分自身でも、ご主人でも、尊敬する人でも、人でなくても、いずれでも良いと思います。
 なお、日本人は多神教とよくいわれ神道も仏教もキリスト教も受け入れており、反面欧米等は一神教といわれ一つの神を大事にし、毎日あるいは日曜日礼拝をしますが、それと同様に家族を非常に大事にします、いや実生活では家族が最も大事とよく言いますし、そのように行動していると思います。
 どうぞあなたもご家族であるご主人をもっとも大事にしてください。
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レスはありませんが、コメントします。



ここまでたくさんの回答が寄せられているのに放置していること自体が、あなたの人となり、宗教観を示しています。

あなたが入信したキリスト教では、誠実ということを大切にしていないのでしょうか??
そしてそれぞれの意見に対して、きちんとあなたの考え方を述べられないのは、あなたの中で考え方が定まっていないからでは?
そして、定まっていなくても、それを、それぞれの回答者に向き合うことで定めていこうという気持ちがないからでは?つまり、信仰をより確かなものにしようという意欲がないからでは?

私は、神を否定しませんし、宗教によっては、まぁ、それほ否定もしません。

しかし、「針の先には何人の天使がたっていられるか?」といったバカバカしい宗教問答をやるようなことは、私にはありえないですよね。
その宗教で大切にしている言葉をあちこちから引用して、屁理屈をこね回して、詭弁で相手を打ち負かすことに血道をあげるわけですから、その方向で勝負すれば、一般人が勝てるわけはないですけれどね。
そういったことの萌芽は、最も大切なものと問われても二つ答えるようなところにも現れていますけれどね。途中で誰かが改変した可能性も否定はできないですしね。

真実は、そこにはあるのでしょうか。

宗教の中で大切にされている言葉の中の「神は~」とか「主は~」とかを都合良く並べ立てることは可能ですが、そんなこと、その宗教にとっても不本意ではないのか?と思ってしまいます。私は、宗教や神を愚弄するつもりは全くありませんが、それらの言葉を、例えば「麻原は~」に置き換えても、ちゃんと文脈は通じてしまいます。それでも、入信しますか?
つまり、神や宗教を語る場合、上っ面の詭弁ではなく、本当に大切なものを見抜き、愛や誠実さ等を大切にするということから考えなければならないということです。

その宗教に入信するかどうかを論ずるのに、その宗教での大切な言葉、枠組みでしか語りえず、一般的な言葉や考え方と乖離したものでしかあなたが答えられないのなら、視野狭窄というか、既に病膏肓に入るといおう感じですね。


勿論、あなたが、様々な宗教や宗派の教祖、開祖と同じように、求道も道に旅立ちたいのなら、全てを捨てて旅立つことも、アリだと思います。しかしそれなら、個々人の幸せなどにとらわれず、自分にとっては遙かに大きいものと考えられる真理を探求していくでしょうから、こんなところで質問するとは思えませんが。

さて、この質問は、このまま放置か、回答者のレスを待たずに締め切りか、それとも、回答者達と逃げずに向き合う=自分の心、信仰と向き合うか、そのどれでしょうか。もし釣りではなかったのなら、あなたが試されているということですね。遠くより拝見させていただきます。
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「旦那の意見は、離婚の危機まで来ているのに聖書をとる君の考えがおかしいといいます」


問題はズバリここなんですよ。

仕事にしろ趣味にしろ信仰にしろ、パートナーの嫌がる事をしてまで何ゆえの家族なのか?って事。
つまりは現実生活破壊してまで手に入れる事なのかって事。

「なんであなたは分かってくれないのよ~」って叫んだって、そうする妻の行為が嫌ならば
ましてや相手が離婚まで考えるほど嫌な事をする意味あるかですよ。

勿論あなたなりの信仰はあなたの自由。
でもそのパートナーがそれを嫌悪してる。
「離婚か?信仰か?どっちか選べ!」と言われてるような夫婦が今後、上手く行く訳ないです。

例えば、あなたが嫌悪する人間を、夫が家に連れてくるようなものです。
お互い嫌悪することは、やんないのが愛情です。

正しいとか自由とか分かってくれよとか関係ないんです。
嫌う温度差それぞれ大きく違う訳だからネ。

私の友人は昔からクリスチャンだけど夫は全く関知せず上手くやってます。
何故なら「神様を信じる」なんてわざわざその友人は夫に公言もせず、普通に自然にさりげなく教会に行ったりしてるからです。
「自分の心に干渉させない」と日常の生活が自立してるから、夫も家族も何も言いませんって言うか
言わせません。

信仰ってわざわざ「神様信じてる」とか「教祖信じてる」とか言うもんでもないし。
あなたのその態度と言動が、夫から見たらただただ鬱陶しいだけなんだと思います。

「私はなにか重大な悪い事をしているのでしょうか」
悪い「事」をしてるんじゃなく、あなた自身に説得力がなく曖昧な感じがします。

夫があなたのしてる事に嫌悪を感じてるのが事実なだけです。
もしも夫が「じゃ離婚だな」というと、その「神様」の為に離婚しますか?って話です。
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いろいろ否定的な意見が多いのですが気を落とすことはまったくありません。



あなたは、「信仰」の第一歩を踏み出したのです。
このまますんなりとあなたの考えるような教会ライフを始め、送るより
もしあなたがこの気持ちを持ち続けるなら、よほど豊かな実りを得られると思います。

箴言第8章17節
「わたしは、わたしを愛する者を愛する。わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。」

最初から完全に、パウロやペテロのような信仰を持つ必要はないのです。
最初は、幼子がその母を求めるように、教理や疑問点をとりあえず脇において
信仰を始めてもいいのです。

ここにいる皆さんが、全員あなたの信仰を「幼稚」と断言しても私はあえて
言います。
あなたは人生の中でもっとも大切な一歩を踏み出したのです。あなたは誰にも非難される
筋合いはありません。

聖書にはイエスが、もっとも大切なことは何かを人に聞かれる場面がありますそこで
イエスはこう答えます。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
   あなたの神である主を愛しなさい。
   また、隣人を自分と同じように愛しなさい。」
            (マタイによる福音書第22章)

ここで順番についてよく考えて欲しいのです。
イエスは、最初に「主を愛せ」
と言ったのです。
神と、あなたの関係が正しければ、自然と、あなたと他の人との関係が正しくなるのです。
神が中心なのです。

もうひとつ大切なことがあります。イエスは「もっとも大切なこと」を聞かれたのに、二つ、
神を愛することと人を愛することを挙げたのです。
これは「神を愛すること」はイコール「人を愛すること」と言うことを示しています。
つまりこの二つは別のようでいて同じことなのです。ただし神が順番としては先に挙げられ
ています。

あなたはすでにこの回答を読む気さえしていないでしょう。目を通してくれる可能性は低い
かもしれません。

あなたが目を通してくれることを祈ります。
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再度、失礼します。


質問文を拝読すればする程、あまりにも浅くてあやふやな信仰心だということに気づいて下さい。

揚げ足を取ることになってしまいますが。。。

エホバやもろみ、などではないことは‘確かなんです’
‘純粋に神様を信じてる人ばかりの中での活動です’
‘教会の人達もごく普通です’
‘儀式みたいな’ことをしたこと。
‘気持はクリスチャンです’
怒りの矛先が‘神様ではなく牧師だったら誤解です’

以上、これだけでもいかに貴女が勉強不足であるか? 宗派に関係なくキリスト教とはなんぞや?を
全く理解していないことに気づいて下さい。

確たる根拠もないまま、6年間‘関わっただけ’でいきなり「私はクリスチャンになった」と
ご主人が納得できるだけの材料もなく言いのけたことに、成人するまでずっと悩んだり迷ったりした末に
洗礼を受けることを決心した私には、冒とくとさえ思えてしまいます。

私は聖書を読むことすると同時に、浄土真宗のお経も唱えられるくらいまで祖母に連れられて檀家になってる
お寺にも通いました。
それこそごく普通に生活してます。祖母や父亡き後、母親が定期的にお寺にお布施をしているのと同じく
教会に行かずも私は私で教会へ定期的に寄付をしてます。

気が向いたら足が向くのは教会で、だからと言って毎週通ったりや家庭で大っぴらに聖書を開いたりもしません。
同じキリスト教でも、カソリックと違いプロテスタントは食事前のお祈りは欠かせないものだけれど心の中で唱えるだけです。
聖書を読んでお祈りを捧げて落ち着く時間は自室のマリア像の前で十分です。

子供達が混乱しないよう家庭内で宗教観は出さないようにしながらも、小さい頃からキリスト教色を全面に出していない
絵本などを読んであげてたりな程度でした。

実家にはお仏壇もありますし父のための祭壇もあります。
お仏壇に向かって亡き祖父母だけでなくご先祖様のために両手を合わせて感謝のお祈りをします。
父親に向かっては、父親が好んでいた聖書の一節を心の中で唱えます。十字は切らないので一礼するだけです。

突き詰めれば邪道なことなのかもしれませんが、お寺でお坊さんの説法を拝聞することも教会で牧師と対話をすることも
私に取ってはどちらもすんなりと心で受け止めることができます。

一概に‘キリスト教徒’の方がみんなこぞって寄り集まって、勉強会をしたりしていくうちに‘神こそ全て’に
なっていってしまってる、履き違えた宗教観を持ってしまう方々もたくさん見ました。
貴女のように広い意味で妄信的になり‘神様を信じていきたい’と声高になり、慣れ親しんではいないご主人が
どう感じるかをも慮ることもできない方、純粋にキリスト教を掘り下げてはいないと見なしてしまいます。
キリスト教は日本や他国の仏教徒に比べると、単に信仰心を持ち合わせるだけでなく元は同じでも様々に
枝分かれしており、それこそキリスト教徒同士なのに宗教戦争にまで発展してしまってる現状の矛盾さを鑑みたことはおありでしょうか?

聖書についての‘勉強会’こと日本においては、本質的なことが抜けたままでの理解をすることが多々あるということも
実際に見聞きしてます。

そうやって中途半端な理解しかしていないのに徒党を組んで「神を信じる」「安易な聖書の勉強によってのめりこんでいく」
自分に都合よく解釈できるということは一部の方々に取っては否めないと強く感じてます。
貴女は、こっちの部類に入ってることに気づくべきです。

私は洗礼を受けた時点で‘完全なるキリスト教徒’なのでしょう。新約聖書も旧約聖書も完全に頭に入ってます。マタイ列伝何章と言われれば聖書のどの部分にあるのかは空で出るようにまでなってます。
父の考え方は、聖書の勉強をすることだけではキリスト教徒とは言えない。
果たして神は全能なのか? その他キリスト教について何も疑うことなく盲信すべきことではないとの考え方でした。

日本人に一番馴染みやすく生活の一部になっていいる仏教的思想は大方の日本人に刷り込みをされているから
敢えて‘お経の勉強会’などほとんど必要もないのは、仏教徒でなくても仏教的な思想が根付いてるからでしょう。

私はたまたまキリスト教と仏教的なことが身近にあったから混乱しないようにどちらも受け入れるよう、両者を理解するべくを心がけていただけです。父親が偏らないよう導いてくれたことが大きかったです。

貴女の文章から抜粋した稚拙で無知さを丸出しの言葉は全く本質的な部分から離れていて‘どんな神様’を信じていても
大切な家族だけでなく他人にも程度を知られてしまうだけ。本物の信仰心とは声高にみんなに知らしめることではありません。

薄っぺらで上っ面の信仰心もどき。宗教とはそんなものではありませんよ!!!
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 神様がいるものなのか、いないものなのか、いると仮定するものなのか、それぞれ意見は分かれますし、どれにも一理あります。

そして様々な宗教もあり、その中にも宗派があります。それぞれ言い分があり、それぞれに一理あります。だが、しかし一点だけ見失ってはいけないことがあります。それを間違えた宗教は狂信者の集団を生むだけです。残念ながらあなたもそれを見失っている。それは確かなことです。

 それは、「宗教とは人を幸せに導くもの」という大前提です。人の不幸を軽くして、幸せに導くこと・・・これが最大の存在意義です。振り返ってあなたとあなたの周囲はどうですか?宗教に否定的な家族の悲しみがあなたにわかりますか?そしてあなたご自身も幸せとは言い難い。何かを間違えたからこそ、全員が不幸なこういう現状になったのは確実ですよ。何を間違えたのか知りたかったら、以前の状況に一回立ち返るべきです。

 まず第一に
>つい最近、旦那に「私はクリスチャンになったよ。神様を信じて生きていきたい」と告げたら大反対されました。

 家族に一言の相談もなく独断でこれは間違いです。大多数の回答者から批判されてなお、自分が正しいと思うのでしたら、今更他人の意見をこのような掲示板で求める必要もないのではありませんか?

 「あなたが純粋な気持ちで問題のない宗教を信じる、だからそれを理解しない人が間違っている」そう考えますか?それならばあなたは狂信者の類と何も変わりません。
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質問文から察するに貴女は洗脳はされていないし純粋にその宗教感に賛同できて信仰心を持ったのでしょう。



貴女は悪いことはしていないと思います。ただ、最初に打ち明けた段階でご主人はいい顔をしなかったより
嫌悪感を示した。
その時点で、それ以上ご主人の理解を得ようとしたりなさるべきではなかったと思います。

日本は宗教については信仰の自由が許されています。他人に害を及ばさない限り、また押しつけたりしなければよいだけのこと。

純粋な信仰心を持っていればわざわざ他人(夫も含めて)にあからさまに言う必要もなくご主人が反対なさったのなら
家庭内でも貴女が信仰している宗教色を出さずにいられたはずです。
色々と言い訳されていらっしゃいますが貴女は知らず知らずに自分が信仰してる宗教色を家庭内で顕著にしてしまっていたはずです。

宗教の自由、誰にも侵す権利はない。また現代の日本人の宗教観念は薄れていってるので一つの宗教を
強く信仰することに違和感を抱くことが多いことを視野に入れてみることも必要だったのではないでしょうか?

語弊があるかもしれませんが、宗教観念は薄れているからクリスチャンでもないのに結婚式などで平気で
カソリック式で愛を誓ったりする。
先祖代々の‘お墓’を大切にすることが当然だったりもする。冠婚葬祭のほとんどは形式は変われど基本的には
仏教の教えにのっとって行なわれることが多い。
彼岸には先祖を敬ってのお墓参り。大半の家では先祖代々伝わる仏教の宗派による葬式が執り行われることに誰も異論は唱えない。

そういう大方の日本人は、声高に「私は宗教を押しつけてはいない‘だけど私の信仰心を受け入れてほしいだけ’」などとは
思いもしないし、そんなことにこだわることもないでしょう。

例えば、私の父方はプロテスタント教会に属しています。けれどそれをことさら大袈裟にすることもなく
単にお仏壇がない、食事の前には聖書の一部を唱えることが慣習になってる、日曜日には教会に行く、そんな程度です。

私個人的に思うことは、宗教観というのは幼少児からの刷り込みであったりするということ。
そして宗教の自由があるからこそ、時と場合によっては他の宗教を受け入れることもできたりする。
様々な宗教のしきたりにのっとっての葬儀などでは、お相手に合わせることも自然にしてしまえる。

貴女の場合は、大人になってキリスト系に出会ってそこで強い信仰心を抱いたからとコトを大袈裟にして
しまったようですね。
自分ではそうではないつもりでも、特に近しい存在のご主人には妄信的になっているように映ったのでしょう。
キリストの神様を信じて聖書を読んで心が落ち着くのであれば、それだけで十分ではないですか?
文面からは、とてもとても強く‘自分の信仰心を認めてほしい’意識が先走ってます。

その信仰心をご自身の心の中に秘めておく、隠すわけではなくてご自身の信仰心を敢えて大っぴらにする必要はないのでは?
貴女の言動は、ご主人でなくても「ちょっとね・・・」となります。

クリスチャンになったということは、洗礼まで受けてしまったのでしょうか?
献金、仏教で言うところの‘お布施’と似たようなことと私は捉えていますのでこれまた敢えて「私のバイト内でしてるんだから!」などと
アピールすることでなく、ご自身の気持ちでなさればよいだけのことでしょう。

とても失礼なことを申し上げてしまいますが、貴女が信仰する宗教が‘家庭不和’を引き起こすわけではないです。
今の状態は宗教のせいでなく付け焼刃的に宗教にのめり込んでしまった‘貴女自身’の振舞いによってでしょう。

今一度冷静になってご自身を省みること。キリスト教にも様々な宗派があり、カソリック・ローマンカソリック英国教会、等々。
キリスト教徒になるということはこれらについても当然造詣を深めては、いないようですね。
貴女の場合はどちらかというと、大勢が拒絶したくなるような‘新興宗教的思想’が入ってます。

迷うことなく純粋に信仰心を持っていれば、自分は間違ってるかなど様々な宗教を信仰する人に聞いて回ること自体が
エセの信仰心だということに気づくべきでしょう。
わざわざ‘エホバ’や‘もろみ’なども言葉を持ち出して私は違う! と強調してる時点で貴女は本来の
キリスト教徒ではありません。
牧師の言葉を鵜呑みにし、つい最近出会った宗教の上っ面だけで信仰してしまったように見受けます。
私は父の影響で幼少児から聖書に慣れ親しんでおり旧約聖書もほぼ暗記できるようになっています。
片や母方の浄土真宗の成り立ちやしきたり?なども祖母によってきちんと教わりました。

神様を信じることは貴女の自由。けど貴女は謙虚さを忘れてご主人の気持ちが離れるようなことをした
上っ面だけのエセ信者です。
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>押し付けることはないと言っても、私が家庭を捨ててまでのめり込まない自身があるといっても、信じてくれないのです。



嘘っぱちじゃないですか。
「1つの宗教にのめり込む考えは嫌いだ」ってご主人に押し付けがましく「クリスチャンになった。だから理解して」
って詰め寄った。「子供3人戻ってきて欲しいと泣いてます」って時点で家族を振り回してることに気づかないのですか?
勝手に洗礼を浴びたのも家族に対する「裏切り」ですよね。

言い方は悪いですけど「浮気」と一緒ですよ。牧師がどうとか関係ないです。
ご主人から「俺浮気して他の女を抱いたんだ(洗礼された)その女に本気かもしれないね(クリスチャンになったんだ)」って告白されるのと一緒ですよ。
あなたはそう言われたらどう思いますか?
それくらいの嫌悪感がご主人にはあるんでしょうから、離婚を切り出されてもしょうがないと思います。

まあ、信仰心が深いあまり家庭を壊すことになるなんて本末転倒。何が神様だ。って思いますけどね。
いくらエホバとかに関係なくても他人の人生をぶち壊すのならエホバと同等ですね。
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文面からですが、もしかして貴方は家を出ている状況でしょうか??


それは貴方の意思でしょうか? それとも御主人に追い出されたのでしょうか?

今の別居状況?に直接的な理由はわかりませんが、少なくとも貴方が言われる
「家庭を捨ててまでのめり込まない自信がある」は違ってますよね。
「今だってこれからだって大好きな御主人」なので相談もなしに、なぜ入信したの?
   夫婦関係に問題があっての入信でしょうか??入信の相談しなかったのは??
   悩みは誰でもありますし、心の支えは人間には必要です。信仰もその一つでしょう。
   でも話す相手、相談すべき相手は既婚の貴方にとっては先ずは御主人ではないですか?

「子供が戻ってと泣いている」のに、何故戻らないの?信仰以前の話だと思います。
   聖書のほうが大事なのと御主人に思われても仕方が無いのかもしれませんね。


貴女の信仰に対して、とやかく言える人は家族でもできません。自由ですから。
でもそれは、心の中で信仰すれば良い事ですよね?
相談もなしに、儀式して入信、事後承諾みたいに「今日から神を信じて生きます」
なんて急に言われた御主人の気持ちを貴方は考えた事ありますか?

信仰は自由と思っていますが、私自信想像して思う事は、内緒のうちに儀式、入信
した貴方の行為は、ちょっと如何と思います。加えてそれに固持している貴方の考え。
一度リセットして、何故その様な考えを持ったのか、御主人の話せば済む事でしょ?
難しい事ではないと思いますよ。
言葉足らず、意思の疎通足らず、なのだと思います。
 
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私は仏教ですと言って反対する人は殆どいないと思いますが、何故クリスチャンなんでしょうか。

キリスト教は正解で一番排他的な宗教です。他の宗教を認めない。でも信心は自由です。でも貴女の入りは入れ込みですね。だからご主人が嫌がるのでしょう。何も言わず常に神と共にいれば良いだけではないのですか。何故わざわざ言わなければいけないのでしょうか。私の妻はクリスチャンで外国人ですが、貴女ほど入れ込んではいません。普通です。日本人が普通に檀家が仏教で普段は意識などしていないのと何ら変わりません。朝晩普通に神に感謝し、お祈りし、時には教会に行く。年に数回程度です。それが生活に普通に入っています。貴女は、少々入れ込み気味で、リキミが感じられます。これで離婚などしたら、神は本当にいるのでしょうかね?貴女がご主人を取るか神を取るかの選択です。
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