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どこでどのようにするのが正解というのはないと思いますが、教えて下さい。
こんな宮参りにびっくりした。というのも知りたいです。

うちは、1人目の時は旦那家族が是非ともこちらでしたいということでしたので、
旦那実家近くの神社で祈祷してもらい、記念写真。
その後、旦那実家で食事会でした。

旦那実家では、冠婚葬祭の際のお世話係の家がそれぞれ決まっていて、
宮参りの時も赤ちゃんを抱く人は、旦那の親ではなくてお世話係の家の人なんです。
もちろん、祈祷中は子供ずっと泣いてました。
また、祈祷してくれる人も講習を受けた村の人です。
して貰ってなんですが、なんだか、私としてはありがたみにかけるというか。
よくある事なんでしょうか?

その時の服装も、私の親はスーツでしたが義理親はいつもと変わらすでした。
神社にあがらせて貰って祈祷後少し休憩となったのですが、
義理妹が出してくれたお茶菓子にがっついてました。
食べきれなかった菓子は神社から旦那実家へ帰る車の中で義理母の口へ押し込んでました。

その後の食事会でも、
私の親が座った席のガラスコップが割れていた事。
義理祖父が「酒あるか?」と聞いて、あると返答した義理父の行動。
何本かある残り少なくなったお銚子内のお酒をお客さんの目の前で、一本の器へ注いでました。
お祝い用の焼き鯛は、お客様に取分けた後はテーブルの上に置かれていて
食べたい人はどうぞの状態だったのですが、
旦那と義理妹が鯛のお皿を畳の上に置いて、それも足と足の間に挟んで(座敷で足をVの字に開いた状態)
かわるがわる食べていました。家族、親戚誰ひとりとして注意する人はいないんですよね。

田舎ではよくある光景なのでしょうか?
私はあり得ないというか…恥ずかしい通り越して呆れてしまいましたが。
コップが割れていた事も、いつどのタイミングで割れたのかは分かりませんが
片づける時も気付かないものなのでしょうか?
お銚子のお酒を一本にするのも、台所とか見えない所でしませんか?
皆が帰ってから家族で改めて食べるのだったら、お客の前でがっつかなくてもと思うのですが。

旦那実家について神社に行くまでもかなり待たされたのですが、
通された居間の引出しは中途半端に開いて服が挟まってました。

完母で子供もまだ小さかったので、授乳の間隔も短く、祈祷後車中で授乳したり、
誰の為の宮参りなんだろうと疑問に思いました。

A 回答 (3件)

人それぞれなので、別に構わないと言えば構わないと思います。


また、地域によっては子供は村の子供として考える所もあり、その場合は家族よりも社会の一員と言う立場から村長などが立会人になることもあるでしょうね。
詳しくは聞いていませんが、結婚披露宴並みに大掛かりな初参りをする地域もあるそうです。
ただ、割れたコップに関しては演技を重んじれば善いとも言えないので、ごく稀と思いますよ。

我が家は他人が入る事を好まず、子供の友人も招くのは限られていたので、普段使いのコップは割れてももったいなく思わないように、祖父母が残していたワンカップ酒の器でした。
しかし父の葬儀の折、オバが勝手に無断で捨ててしまい、以来十数年というものガラスコップがありません。
ワンカップ酒の器は割れにくいように肉厚で縁も厚くしているので唇に優しく好きだったのですけどね。

我が家では、私(主人側)の母が子を抱き、私の産着を着させ、妻の紐を使って絞めます。
おくるみは私のもの、小物は妻のものを持ち寄ります。さらに新しいものを一つ付け加えます。
中には近い親戚から一つずつ集めて揃える地域もあるようです。
本来は妻と私の母が中央に並び、横に私と父、妻側に義父母が並ぶのですが、義父母が遠方で遠慮したので妻側に私、母側に父が並んで昇殿参拝をしました。
食事は自宅で普通に取りました。

神職が神社本庁の神職と言うのは軍が強くなり“国家神道”になってからの風習です。
今では神社庁も一民間宗教法人に過ぎず、それも第二次大戦後に設立されたものです
明治時代に出雲大社をはじめ幾つもの神道が分離し、独自の神官養成を始めました。(出雲は神社本庁に所属しましたが、幾つもの古社との間に問題を起こしています)
今でも地方の神社では村が管理している神社や住民有志が管理している神社が多数あります。
このような場所ではどこかの神道で研修を受けた一般の人が神主を務めます。

古くは村長や役員が交代で神職を務めました。
神社本庁の文献でも、神道における厄年は役年と解釈します。これは「村の役員が交代で神職を務めた時代、大人になって役員を務める年になると言動を慎み、健康に留意した生活にならねばならぬところから、この役回りになる最初の年に清め祓いを受けた事から役年に御祓いを受けるようになった」と理解されています。
つまり、ご主人の郷里は古来の風習を色濃く残している原風景の地域という事になりますね。
これは非常識ではなく、本来の姿だと思います。

ご馳走は家族以外の参列者に対して振舞われるもので、村社会に「今後ともよろしく」という意味があります。
昔は家族のものどもは指をくわえながら食事をしているのを襖の陰から眺めていました。
参列者が帰ると残り物を分け合って食べるのが楽しみだったんです。
大人も家族はそれまで接待で遠慮していたものが、酒を集めて飲み交わす事が楽しみでした。
これもやはり原風景だと思ったほうがいいでしょうね。

まるで昭和史として記録に残したい風景だと思いますよ。
貴女は一瞬にして昭和の初期~中期にタイムスリップしたのではないでしょうか?

初参りの神社についても諸説あります。
元来は氏神様にお参りするつまり氏子登録するのです。
これも氏神を氏の神と解釈すれば父親側の出身の神社という事になります。
しかし近年になって国を超えて人が動くようになったため、また明治政府では氏子登録を以って戸籍としようとした為に現住所地の氏神を初参りの神社とし、住んでいる場所の神社を氏神とするようになったようです。
従って、住居地の神社でも故郷の神社でもどちらでも構わない事になっています。

僅か30年ほど前までは、電車の中でも街中でも、子供に乳をやる母親の風景は普通にありました。
子供は微笑ましくそれを眺め、好色そうに眺めるほうが咎められる時代でした。
子供が複数居れば、昔なら親戚の者が祈祷中の子供の面倒を見たものです。
私の親戚のときも従兄弟が本殿の外で幼い子を抱いて子守しながら式を眺めていました。
子が泣き出すと境内をあやしながら一回りして、また戻るという次第です。

初宮参りはあくまでも氏子として登録する、神様に報告するための行事です。
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うちはほぼ一般的な感じだったんじゃないかなあと思います



お世話係の家ってのがよく判りませんが
全然関係ない人って事ですよね
それは変わってると思います
風習は地域により違うのでしょうから、仕方ないと思います
郷に入りては郷に従えです
ケンミンショーとか見てても、子供を布団でグルグル巻きにしちゃうとかってのも
やっててビックリした覚えがあります
日本も広いんですね

まあ田舎なら、ざっくばらんだったりって事はあるんじゃないでしょうか?;
土地柄かもしれないし、そういう家なのかも。

引き出しが開いてて服が挟まってたとかは、ちょっと異常に気にしすぎな気がしましたけど。
授乳も、車中だったのが不満だったのですか?疑問です
授乳はどのお母さんも苦労することですよ

誰のため?そりゃ子供の為に決まってます
堅苦しくて面倒なものなのに、あなたの子供の為に集まって祝ってくれてるんですよ
コップも、割れてたの気付いた人がスッと取り替えれば済む話なのになあと感じました。
そんなに後でウジウジ悩む事かなあ

あまりもう気にしないでね
親がちゃんと祈りを込めれれば、それでいいんですよ
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1歳男児の母親です。



私も完母でした。
夫実家では、生後1ヶ月でお宮参りする習慣がありましたが、
夏真っ盛り&完母という理由でお断りしました。
息子が一番かわいいですからね。

実際にお宮参りをしたのは、首も座った4ヶ月のころ。
義理両親、夫、私、息子、そして私の母が来ました。
お宮参りの時は、赤ちゃんを母親が抱っこしてはいけないしきたりがあるそうで、
鳥居をくぐってからは、私の母が息子を抱いていました。
(これは、私の希望。ずっと里帰りしてたので、私の母が抱いた方が泣かないと思って)
祝詞を受けている間、大泣きした時が1度あり、その時は私が抱きました。
しきたりかなんだか知らないけど、やっぱり息子がかわいいし、
息子を守るのは自分だと思ったので…

私の実家もすごい田舎です。
なので、近所の人たちもみんな家族の一部なんです。
だからそういう甘えた行動に出てしまうのかもしれませね…。
そういう意味では少し夫実家さんに共感できるかも。

私は、夫実家がたとえ何を言おうとも、
息子のことに関しては、自分の思う通りにことを進めています。
質問者様も、旦那様をうまぁ~く転がして
自分の思う通りの育児ができるようにしてみてはいかがでしょうか。
子どもを守れるのは、私たち母親しかいない!
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