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江戸幕府は儒教道徳の浸透による封建的身分秩序強化に努めたり、御手伝普請・日光社参などで、封建的主従関係の強化をはかったりしたと学びました。

一体どのような背景から何を目的にこのような政策を採ったのですか?

A 回答 (4件)

徳川幕府のコンセプトは「日本を二度と戦国時代に戻さない」ということでした。

徳川家康は日本の歴史を深く分析して過去の政権の過ちを繰り返さないために学者を抱えて研究させたのです。徳川幕府の基本的な政治方針は全て「日本を二度と戦国時代に戻さない」ためのものなのです。将軍家が断絶した鎌倉幕府の失敗を繰り返さないために御三家の制度を設けました。大内氏の勝手な海外交易を容認し経済力をつけさせてしまった室町幕府の失敗を繰り返さないために、海外交易を厳しく限定し密貿易を取り締まりました。徳川幕府は戦国時代に没落した今川氏などの名家を高家旗本として取り立てて厚遇しました。それは彼らがお家再興の悲願で蜂起するのを防ぐためでした。戦国時代の芽をすべて摘み取ったのです。封建的身分秩序強化も封建的主従関係の強化もその為です。戦国時代は下克上の風潮が招いたものでした。守護が守護代に乗っ取られ、国人や商人が戦国大名にのしあがったりした。それは室町時代の封建制度が中途半端で未完成だったからだと徳川幕府は判断したのです。封建的身分秩序強化も封建的主従関係の強化もどちらも人々にそれぞれの分をわきまえさせて「あわよくばのしあがりたい」という野望を持たせないための政策です。徳川幕府の絶対命題はあらゆる社会階層において下克上を起させないことでした。家督争い、大名間の争い、どんな争いでも、芽のうちにつみとってしまったのです。
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この回答へのお礼

みなさんありがとうございました!

確かに、考えてみれば江戸幕府は鎌倉室町の欠点を補う政策を採っているように思えます!盲点でした。というか、たんに私の勉強不足でした。

お答えいただいた回答を参考に、もう一度勉強してみます。

お礼日時:2011/09/18 11:29

身分秩序の固定化は信長の影響では?

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何しろ、国家、社会はまず秩序を維持する必要があります。


最悪の政治でも、無秩序よりはマシ、というぐらいです。
それには身分制度が便利だったからです。

当時は、生産も少なく、交通通信教育も今ほど発達
していませんでした。こんな状態では民主制は無理です。
そういう社会で秩序を保つのに身分制度は便利だったのです。

封建制ですが、
他の制度としては、中国のように中央集権的な体制も
考えられるところです。
しかし、それだと地方の独自性、活力が失われ、
日本に遅れをとる原因の一つになりました。

現在発達している欧州にしろ、封建制をきちんと経験した
国が近代化に成功している、と指摘する人もいるぐらいです。

当時の人は、そういう事を考えて封建制を取った訳では
無いでしょうが、日本人は独裁を嫌う伝統があります。
だから、天皇を置き、将軍を置き、老中を置き、江戸奉行所を
わざわざ南北に分けたりしてきました。
大藩の領主は決して、老中になることは出来ませんでした。

そういう独裁嫌いが中央集権ではなく、封建制度に結びついたの
ではないか、と考えています。
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幕府の長期存続の為でしょ

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