
今現在10月16日(日)13:25分。江戸時代、一日に十里(約40km)歩けるのが大人の条件と聞いて天気の良い日曜日なので、午前中30km程歩いてみました。(すでに人生最長距離ですが、夕方残り10kmも歩こうかと思っています。) 痛い足を引きずりながら、気になった事があります。 それは江戸時代の旅行代金の支払い方法です。例えば「奥の細道」の旅行中、「松尾芭蕉」は旅籠代やかご代をどうやって払ったんでしょうか?150日分の路銀を全て持って江戸から出発したんでしょうか?(相当の料になるし危険でもあると思いますが。) 江戸じゃ有名人だったのかもしれませんが、東北や北陸じゃ知られているとも思えません。江戸から送金する方法があったんでしょうか?時代劇に出てくる両替商ってそういった商売なんですか?
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>庶民の伊勢前参りや善光寺参りは、やはり送金方法が判りません。
お伊勢参りなどの、有名神社・仏閣への参拝は、御師という存在のおかげでより容易です。
有名な伊勢御師は、全国各地へ派遣され、当地での伊勢講の世話を行うと共に、お伊勢参りに向かう者たちを自身の宿坊に宿泊させました。
実際に有った極端な例だと、仕事をするのが嫌になった人が、思いつきで身一つでお伊勢参りに行っても、ちゃんと果たせてしまうほどインフラが整っていたそうです。
(なお、初期のお伊勢参りは、途中の街道沿いの富豪などが参拝者に対して、自分の身代わりということで施行をするのが普通でした。不信心者の中には、それを貰うことを目的に旅行をする者まで…。)
御師達は、旅行途中の宿泊のみならず、伊勢に着いた時には伊勢神宮への参拝の準備のみならず、伊勢の観光地案内を行い、宿屋では盛装した御師によって豪華な食器に載った伊勢や松坂の山海の珍味などの豪勢な料理や歌舞でもてなし、農民が住んでいる所では使ったことがないような絹の布団に寝かせる、など、参拝者を飽きさせないもてなしを行い、帰るときには、お土産斡旋もやったそうです。
まあ、現代の旅行会社も顔前けなサービスだったようです。
(そこまでしてくれるのは、勿論継続した村単位等での御布施の御陰なのですが…。)
これに伴い、手ほどきである旅行ガイドブックや旅行記に相当する本も発売され人気を得ました。
とうぜん、誰も彼も行きたく成るのは当然で、お伊勢参りが極端に流行った年(おかげ年とも言う)には、数百万人もの参拝者が出たそうです。
(当時の10人に1人くらいが参拝したことになる…。←ちょっと信じがたいのですがが、そういう記録が残っている…。)
これに伴い伊勢神宮は、初穂料として収められた稲穂を元に品種改良を行なったり、訪れた者達に最新の農業技術の伝播等を行うなど、ただの宗教的行事以上の影響を農村に対して発揮したそうです。
No.3
- 回答日時:
大坂の商人、天王寺屋五兵衛が寛永5年(1628)頃から預金の受け入れおよび手形の取り扱いを開始したとされています。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_34.htm
おくのほそ道の出発が1689年ですから、仙台の伊達家などの大藩であれば、両替商のサービスを受けれた可能性が高いのではないかと思うのですが…。
特に江戸時代は、参勤交代という制度が有った関係で、全国各地の藩が江戸に在住している藩主の家族や江戸在勤の藩士の生活費を送金する必要性に迫られていました。
また、1639年に加賀藩による西回り航路の確立、1671年に幕府による東回り航路の確立など、芭蕉が旅をした頃には、日本全国を舞台とした大規模な交易が行われていました。
(交易が行われていたという事は、当然売買損益の送・受領の問題が発生する。)
なお、芭蕉の奥の細道では、少なくとも金沢で地元の名士達の歓待と数度の句会を開いた事が記録として残っています。
田舎では、芭蕉の知名度が無かったなんて事は無いと思います。
(参勤交代という制度のお陰で、江戸での風聞は、1~2年程度で全国各地に広がってしまいます。これを目的としたのでは無いでしょうけど、結果的に日本独特の日本人としての一体感(適切ではないかも知れませんがナショナリズム[愛国心])形成の一助になったのかも。)
回答ありがとうございます。芭蕉は地方でも有名でしたか、勉強になります。しかし庶民の伊勢前参りや善光寺参りは、やはり送金方法が判りません。
No.2
- 回答日時:
江戸時代には日本では既に為替と呼ばれるシステムがありました。
だから大阪で年貢米を商人に売って、その代金を江戸の藩邸で引き出すこともできました。為替システムを説明するほどの知識は私には無いのだけど、ゆうちょ銀行(郵便局)の郵便為替をイメージすれば良いのだと思います。両替商などの商人に手数料は取られるけど、それでも大金を持ち歩く危険を思えばなにほどのこともない。徳川幕府が諸大名に街道の整備を命じて、宿場町を整備したことによって、そういうシステムが可能になったわけです。
ただし、松尾芭蕉が為替を使ったかどうかは分かりません。また宿屋に泊まったとも考えられません。というのは随分のんびりした日程なのです。松尾芭蕉は全国に門人・後援者・心酔者がいたと思うのです。
「先生、もしお近くにお寄りの際は是非お立ち寄りください。名所旧跡を案内させてもらいます。宿も食事も全部こちらで手配しますから。」といった申し出が相次いでいたのではないかと。だからこそ、松尾芭蕉も出立を決断できたのではないかと。
旅の先々で、地元の人々と句会や講評会なども開いていたのではなかろうかと。
いったらいったで「先生、お名残おしゅうございます。もっとゆっくりしていってください。」なんてこともあったでしょう。
地方の有力者にとっては、松尾芭蕉ほどの文化人が立ち寄ってくれるなんて機会は滅多なことではないのです。
17世紀初期はまだ為替システムもどれほど発達していたか疑問だし、元禄時代はそうした大衆文化が開花しはじめた時期です。
以上のことは史料で裏付けられることではないけど、私はそう考えているという話です。
回答ありがとうございます、為替ですか・・・。為替だとしたら身分確認の方法なり、証文のような何かがあったのでしょうね。又、全国の両替商にそれが行き渡っていた事になります。それは凄い事ですね。
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