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情報伝達が発達していなかった時代は誰がどのように歴史に残るような出来事を記録していたのでしょうか。 例えば日本書紀のようなものは誰が記載してどのように保管されていたとか・・・・。
どなたか分かる方はいらっしゃいまでしょうか。

A 回答 (3件)

 企業勤務と大学で歴史学研究に携わっている者です。


日本の古代史学で扱われる史料にも何通りかに分類されます。
(1)所謂「史書」
(2)法典
(3)古文書
(4)民間(寺社等)に伝承する記録の類
(5)民間の文学作品(日本霊異記等)

 これらのうち(1)は「正史」と「稗史(もしくは野史)」に区分されます。
御指摘の『書紀』は8世紀初頭、奈良時代に編纂されたいわゆる「公式史書」にあたります。この意味で政治権力にとって都合の良い記述が為されている点を割り引いて、この史料を読む注意が必要です。この点は今現在の政府からのメッセージとなんら変わりありません。原本は既に散逸し、現存するモノは全て写本となり様々な流布本の系統があります。原本を写す作業の中で何らかの手が加えられた可能性すらあります。それも政治権力にとって「自らの権力の正当性」を誇示する目的ですから、都合の良くない事など記録からの抹消などの改竄行為も想像に難くはありません。
 こうした点を補完し古代社会の側面を記すモノが(2)~(5)にある史料です。歴史学にとって最も基本的な研究姿勢として「同じ事実を最低限2つ以上の史料から検証する」ことが求められます。Aという史料に書かれてあることとB及びCという史料に書かれていることが正反対ならば、「ではなぜAにはこのように記載されているのか」と史料の信憑性そのものにメスを入れることが必要となります。
 中世の鎌倉・室町時代にこうした記紀に関する注釈書がさまざま編纂されてもいます。それは例の「建武新政」なるアナクロニズムと武家政権の再構築との間での相克にも起因します。このため権門としての公家側の権力並びに権威の維持を必要とする背景からこの様な手だてで一種の「お墨付き」的な色彩を伴いこうした注釈書が編纂されたともされています。具体的な書名としては『釈日本紀』『帝王編年紀』など幾つかの書物があります。
 一方(2)の「法典」ですが、こちらは律令が編纂されて以後に官選の注釈書である『令義解』の他に民間の注釈資料を集めた『令集解』があり後者の記載に見られる『朱記』『穴記』などの解釈書が世に流布していた事がわかります。
 (3)は律令に対する実際の運用や施行細則としての格式、在地からの訴えである解や法令の回答や通達としての官符などがあり、こうした部分から拾い出すこともできます。
 (4)寺社に伝わる「縁起」や「資財帳」などがあり、(3)と(4)は『南京遺文』『寧良遺文』『平安遺文』をはじめ『東大寺要略』や各寺院でも研究は進められていてこれらの史料集から知る事が可能です。
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「歴史記述」というのは、ある「人物」がなんらかの「意図」をもって、過去の「記録」や「伝承」を調べて、その結果をまとめることを言います。



>例えば日本書紀のようなものは誰が記載してどのように保管されていたとか・・・・。

例として『日本書紀』を出されているので、上記をもう少しかみ砕いて説明してみます。
『日本書紀』というのは、諸説ありますがおおよそ奈良時代に成立されたと言われています。
なぜ、はっきりと「奈良時代に成立したんだ!」と言えないかは、色々と理由がありますが、一番大きな理由は「原本」が存在しないからです。(今確認できる最古の物は、平安初期の写本)

よって、「『日本書紀』偽書説」を唱える人もいます。
そして、この「偽書」であるかないかは、大きな問題をはらんでいます。
何故なら、『日本書紀』とは日本最古の「正史」を記した書だからです。
「正史」というのは、為政者が自分たちが国権やその他権力を握るために「編纂」させた「歴史」です。
つまり、自分がその国の主であるのは過去にこういう経緯で任されるようになったからだと、「歴史」に支配の正統性を求めているのです。
件の『日本書紀』も、天皇支配の正統性を示すために編纂されたものです。
※身近な問題として、竹島や尖閣諸島の所有権なんかも歴史に求めてますね。

このように、「歴史記述」という行為には、なんらかの「意図」が隠されています。
そして、「歴史記述」を行う者は、その信頼性を高めるために「史料(資料ではない)」に当たります。
この「史料」は、当時の官公庁の記録文書、私人の手紙、文学、芸術作品、碑文、伝承、民話etc,,,と、有形無形を問わず現在残っているモノを駆使して目的を達せようとします。
この「目的」は、正史のような既得権の正統性を主張するモノから、其れを反証するモノ、只の筆者の学術的興味関心、(時代小説などの)娯楽提供のためなどなど、様々です。
しかし、すべてに言えることは「歴史記述=真実を記すこと」では無いということです。(たとえ、本人がそう信じていたとしても、その行為そのものが不可能)

まとめると、「歴史記述というのは、誰かが何らかの目的をもって、現存する様々なら史料を利用して記述し、広く一般に知らしめる行為」と言えるかと思います。
元々、「歴史」を表す英語の「ヒストリー(history)」と物語を著す「ストーリー(story)」は、同じギリシア語の「ヒストリアエ」でその意味は調べ学び記述するという一連の行為を表す語でした。
つまり、しょせん「歴史」というのは誰かが作り上げた物語なわけです。

と、話が脱線してきたので、閑話休題。

>情報伝達が発達していなかった時代は誰がどのように歴史に残るような出来事を記録していたのでしょうか。

という疑問への答えは二つです。

一つは、正史として編纂したり、権力者側によって都合よく作成・保存されてきたモノ。
その性質上、政治的色彩が強く誇張・偽造・事実の無視などなどが多く、扱いには最新の注意が必要です。

もう一つは、政府の資料(税金の記録、土地所有の記録など政治に必要なモノ)や公的な書簡から私的な手紙まで、或いは落書きのようなモノなど、残す側には別の意図があって、たまたま現在まで残ったモノです。

そして、「歴史学」だけでなく「歴史」を利用するモノは、上記の二つを都合よく使って自分の目的を達しようとします。
それが、後の世に残れば、それも史料になります。
極端な話、このサイトで行われている多くのQ&Aも史料となる日が来るかもしれません。

ではでは、参考になれば幸いです。

追記・手前みそではありますが以前「歴史(学)の性質」について回答を寄せた質問と回答へのリンクを張っておきます。併せて参考になれば幸いです。

世界史の信憑性
http://okwave.jp/qa/q3631077.html

歴史学について
http://okwave.jp/qa/q3142213.html
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記憶です。

紙も鉛筆も文字も暦も何にもありません。人の頭の中に記憶して保管していたのです。寿命が尽きる前に弟子に記憶の内容を全部口で伝えます。その繰り返しで何代にも渡って語り継いできたのです。それを文書化したものが古事記であり日本書紀です。地方でも同様に口承で伝えられてきた歴史があり、それは常陸国風土記などの各国の風土記なのです。それらは朝廷が編纂を命じた公式のものです。非公式の民間レベルの口承は桃太郎や花咲爺さんなどの民話・御伽噺・昔話と呼ばれる話として現代にも伝わっています。
ちなみにアイヌは朝廷が無かったので非公式レベルのアイヌ民話を残しました。アイヌは文字を持たなかったのですが、口承で歴史を伝えてきたのは和人と同じでした。アイヌが忘れないうちに紙に残そうと考えたのが、民俗学者の金田一京助でありました。
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