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>「創価を好く理解しないのは、かわいそうなひと」 その人は創価に敵することで、いつか行き詰まる、そんな思想が物心がつくころにすでにわたしのなかにはありました。

この書き込みをした人は息子で、母親が信者です。
発言自体は、信者でない父親に向けられていたようです。
父親は別に創価学会に敵していたわけではないようですが、創価学会に属していないというだけで母親に非難されていたようです。

これが、
「創価に属することで、いつか幸福になれる」
だったら、本人が幸福でいられれば証明されます。
その前に、「何らかの信仰を持つことでいつか幸福になれる」
このことは(カルトなどの有害なものを除き)、
現代でも充分真理として通用するので、声を大にして言う必要がありません。

しかし、
「創価に敵する(属していない)ことで、いつか行き詰る」
これは世間の常識ではありません。
常識に相反すること信じ続けるのは労力の要ることです。
日本人が皆創価学会の会員ではない以上、
常に脅かされることになります。
そしてこれが「真理」であるためには、
「創価に属していない人間が行き詰る」実例を必要とします。

創価に属していないという理由で行き詰る人間は、この世にいません。
ですから、創価学会の方々は、
「創価に属していない人間を行き詰らせようとしている」
ということになってしまいます。

だから私は創価学会の方が、
「創価に敵することで、いつか行き詰る」というような思想を持っているとは思っていません。

もしそうだとすると、ネットで噂されている一般人への嫌がらせ行為の数々は、実際に創価学会の方々の仕業ということになってしまいます。

創価学会がこのような排他的な教えを本当に行っているのでしょうか?

A 回答 (6件)

創価学会 壮年部の者です。



>創価学会がこのような排他的な教えを本当に行っているのでしょうか?

正確に表すと「創価に敵することで、いつか行き詰る」
という事ではなくて、元々は釈尊の説かれた法華経に
ある法華誹謗に対する業因を現す教えがあります。

本来、仏教というものは、衆生(人間)が仏に成る為
に行う仏道修行を示したものです。また、同時にその
教えを他人に対しても広め、衆生救済を目的としてい
ます。
仏、釈尊は法華経の中で、法を広める功徳を説くとと
もに、法華経を誹謗したり、法華経を広める者を迫害
したりする罰(罪)も説いています。
これは何も現在だけの事ではなく、過去世においても
積み重なっているものです。
身、口、意の業といって、身を持って行動で迫害した
り、悪口を言って罵ったり、それらの根本の意を持って
陥れようとすれば、報いとして悪業を負うというもの
です。ネットでアリもしない悪のイメージを植えつける
ような誹謗記事を書いている輩は、悪業を負うというもの
です。そこには、間違いなく『悪意』が有るわけですから。

さて、そこで「創価に属していない人間を行き詰らせよう
としている」という事ですが、先にも書きましたが創価学会
に所属していても、また、いなくても、人間の尊さは変わり
ませんし、全ての人が創価学会員になってしまったら、法を
広める事ができなくなりますので、それはそれで問題ですよね。
まぁ、実際には、そうなる事はありませんが。

次に、『行き詰まる』という事ですが、創価学会員であろうと
なかろうと、自分ではどうする事も出来ないような出来事に
めぐり合う事も人生にはあると思います。
仏教では、そういった悩みの根本原因を自身の宿命にあると説
いています。私たち創価学会は、そうした自身の宿命を転換する
為に、題目を唱え、学会の活動をしています。

※仏教については、長くなりますので、また機会がありましたら
述べたいと思います。
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この回答へのお礼

>創価学会に所属していても、また、いなくても、人間の尊さは変わりません

新興宗教というものはただでさえ批判の対象となりやすいですし、
またそれを受け入れていくべきだと思います。
特に創価学会の場合は、政治政党の運営など理解に苦しむことを行っているわけです。
ネットでの誹謗記事が不当なものだというなら、
メディアでの報道規制を解除するべきだと思います。

お礼日時:2011/10/27 12:25

矢野絢也元委員長の「黒い手帳」裁判って、真相は如何なものでしょうか?



日本占領計画の真相?

排他的な教えを行っているから、そう言う裁判が起こされるのでしょう。
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この回答へのお礼

矢野絢也元委員長の「黒い手帳」はぜひ読んでみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/27 12:28

「創価に属することで、いつか幸福になれる」というのは「極楽」、


「創価に敵する(属していない)ことで、いつか行き詰る」は「地獄」。
だから、「創価学会に入っている事は良いことだ」という理屈でしょう。
そして「学会を批判することは地獄へ堕ちることだ」ということにもなります。
宗教ってほとんどそんなものでしょう。

ただし、
「創価に属していない人間を行き詰らせようとしている」は無いと思います。
集団ストーカーを受けているという人もいますが、投稿内容を良く読めば被害妄想であることはすぐ解ります。
被害妄想は昔から有りましたが、内容が時代とともに変わってきています。
周囲からいじめを受けたり笑いものにされている、というのは変わりませんが、
盗聴器が話題になれば「自分も盗聴されている」
ネットが広まれば「PCから情報を盗まれている」
携帯電話が一般化していれば「携帯電話で行動を監視されている」
集団ストーカーという情報が目にはいると「自分はストーカーされている」
といった具合に、「自分がおかしいんじゃない、被害者なんだ」
という風に考えてしまうのが被害妄想ということでしょう。
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この回答へのお礼

「集団ストーカー」という言葉を目にすることがありますが、あれは確かに被害妄想だと思います。
その理由ですが、

『ストーカー規正法の定義によれば、ストーカーとは同一の者に対し、つきまといなどを反復してすることを指し、「つきまといなど」とは、「恋愛感情その他の好意」や「それが満たされなかったことに対する怨恨」により、相手やその関係者に以下のいずれかの行為をすることをさす~』

ストーカーの原因は「恋愛感情その他の好意」であると断定されています。
つまり「集団ストーカー被害者」とは、
「大勢の異性に恋愛感情を持たれ、執拗に付きまとわれてしまう人」
ということになってしまいます。

このような人は一部の有名人に限られます。しかし、芸能人はそれを「パパラッチ」として認識します。
よって「集団ストーカー被害者は妄想だ」と(言ってよいと)思います。

しかしながら、「組織による迫害行為」というとそれは現在も存続していると思います。
そしてそれが「盗聴器」「PC」「携帯電話」などを利用するのは必然です。

>宗教ってほとんどそんなものでしょう。

そうですよね。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/23 12:58

宗教は多かれ少なかれ、入れば極楽、入らねば


地獄、みたいな言い方をしているように思えますが。
キリスト教もそうですね。

知り合いに学会の信者がいますが、
入れば極楽、とは言いますが、入らねば地獄
とは言っていないようです。
ただ、それに近いことは時々洩らします。

後、将来日本人は全員が学会の信者になる
という教えは行われているようです。


尚、学会は仏教です。
仏教では死ねば、誰でも仏になりますから
一神教とは言えないのではないでしょうか。

仏様も観音様も、その多色々いますから
あれは多神教ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし」

という日蓮大聖人の教えを引き継いでいるようです。

「どこまでもしぶとくいくんだ、なんでもいいから言い返すんだ。怖がったりひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ! 反逆者にはこの野郎、馬鹿野郎でいいんだ!」(埼玉指導・池田名誉会長より)

うんやっぱりそのようだ。

お礼日時:2011/10/23 07:10

ネットのような無記名のものではなく


書店等で探してみてください

反創価学会の書籍を出すことさえ
出版社も著者も勇気がいるという事実を
知ってください

わたし個人では排他的な行為の経験はありませんが
集団もしくは上層部の行為に恐怖を感じます

会員や会員に近い人ほど知らないというのも
怖いですね

オウムで洗脳された人達のことはご存知ですね
質問者さまのような考えです
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この回答へのお礼

不燃物のゴミ法主、日顕カルト、拝金日顕、畜生日顕、ガキ日顕、ダニの山友、ハエの竹入、インチキ日顕、ケモノ山友、愚劣日顕、蛇の目日顕、惨敗人生、クズ日顕、不当法主、閉ざされ日顕、エセ法主、欲ボケ脱魂老人、毒マムシ法主、狂乱法主、無能日顕、ケダモノ邪法主、暗黒死刑囚、汚辱の日顕、狂乱法主、ニセモノ日顕、ひび割れ日顕、馬鹿日顕、奪命日顕、老いぼれ野犬、ゼイタク日顕、ゴロゴロ地獄日顕、欲ボケ日顕、自爆日顕、ふさがり日顕、閉死にかけた毒蛇、地獄のダラダラ蛇、もののけ日顕、地獄へ直滑降、徘徊ゲス法主、、、、、

これは、、、!?

お礼日時:2011/10/23 02:46

 そういう人もいるかもしれませんが、



>創価に属していないという理由で行き詰る人間は、この世にいません。
>ですから、創価学会の方々は、
「>創価に属していない人間を行き詰らせようとしている」
>ということになってしまいます。

 この論理構成は成り立たないと思います。「創価に属していない」かつ「行き詰まった」人間ならわざわざ探さずともたくさんいるのですから。因果関係など証明できなくても「行き詰まったのは創価に属していないからだ」というのは容易。

 そんなはずはないといっても「では因果関係がないのを証明してみろ」といわれても無理なのですから。
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この回答へのお礼

指摘のとおり論理とはいえないかもしれません。

言いたかったのは、

(会員数250万人と仮定すると、創価学会員2人に対して、創価学会でない人間は98人ですので)、
「創価に敵する(入会を拒否する)人間は、いつか行き詰る」・・・(1)
という(創価学会員にとっての)真理は、(圧倒的にマイノリティーであり)、日常生活において容易に覆され、とても不安定である。

創価学会員と敵対したり、勧誘を断ったことが原因で行き詰る人間は、存在しない。
一神教において真理は一つでなければならない。
(1)が真であるためには、
「誰かが、その人間を行き詰らせる必要がある」ということになりませんでしょうか?

お礼日時:2011/10/23 05:34

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