海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

今朝なぜかふと「適当」と「いい加減」が何故本来の意味とは相反する意味で使われているのか?と疑問に思ったのですが、日本語はそれこそ「いい加減」で「適当」に独学で修得している割合が多いように思います。それを修正するのが学校教育での「国語」だと私は思うのですが、その基礎を教える小学校教師の国語力というのはどの程度なのですか?批判などの意味ではなく純粋な疑問です。

たとえば「うろ覚え」を「うる覚え」であると誤用する人がいたり、誤植だったのかもしれませんが「しつこい」を「ひつこい」と書かれた漫画を以前読んで困惑した事もあります。私も気づかずに間違った日本語を正しいと思い込んで使っている事がたくさんあるのかもしれません。

少なくとも私自身に関して言えば、義務教育の間に学んだ「国語」だけで基本的に必要な「国語力」がついたのか疑問に思います。学生時代国語の授業は真面目に取り組んだと思うのですが、私の学習能力が足りなかったのか、充分な教育がされなかったのかどちらなんでしょう。

中学生になれば、やれ漢文だ古文だと「国語」の分野でも学ぶ事が増えてしまいます。日本語を学ぶ為の「国語」の授業が充分に足りていないから、そういった間違いが修正される事なく大人になるのでしょうか?「日本語の基礎」がどの程度であるのかという事に関しても漠然としているのですが、義務教育の間で学ぶ国語で日本語の基礎は身に付きますか?

時代によって日本語は変化していくものだとは思います。たとえば上記の「うろ覚え」を「うる覚え」と誤用する人が大多数であれば、もうそれは「うる覚え」が正しい日本語に取って代わってしまうかもしれませんね。今使われている言葉もいずれは「古文」になるのでしょう。でも出来れば正しい日本語を使いたいなと思います。長文ですみませんが、お時間ある方お答えいただけますか。

A 回答 (2件)

「基礎」は身に付くと思いますよ。



ただ、言語には「センス」が求められる部分があります。
簡単に言ってしまうと、言語センスがある人は、「うる覚え」なんて言う「うろ覚え」は余りしません。

このセンスの部分を教育で伝えることは、難しいでしょう。
例えばイチロー選手から野球の指導を受けても、彼のセンスを身に付けられるワケではありません。
感性とか感覚は、教育や指導で伝えるのは、非常に難しいです。

言語知識は学校教育で与えるべきもので、その基礎を与えるコトは可能ですが、言語感覚を養うのは、その先の話しです。
イチロー選手が体育の授業で天才的なバッティングを身に付けたワケじゃないのと同じです。

違う喩え方をしますと、我々でも外国語を学べば、コミュニケーションは出来ますが、その言語独特・微妙な「機微(ニュアンス)」の様なモノは、なかなか身に付きません。

シェークスピアなどは、そのままの訳文を読んでも意味は判りますが、それでは多くの日本人には、完全にはシェークスピアが意図した面白さは伝わらないでしょ?
しかし英語の機微が判る訳者によって、日本人に伝わる機微に書き換えられた場合、はじめて日本人にもシェークスピアが「面白い!」となります。

有名な「to be or not to be」でも、沢山の訳し方がありますからね。
「これを訳しなさい」と言うのが、基礎部分であり、これは教育出来ます。
しかし今や「生きるべきか死ぬべきか?」が定着しましたが、恐らくこれが、シェークスピアの意図に最も近くて、日本人の機微にも受入れられる名訳なんでしょうね。
シェークスピアは言うまでもありませんが、この訳者の言語感覚も、非常に優れています。
こういう「優れた感覚」は、感動を与える様な器楽演奏とか絵画などと同じで、才能なども要します。

言語には「感覚」という要素がある点はご理解戴けたと思いますが、特に日本語は、このセンスが重要な言語です。
日本語は、各国言語の中でも、学ぶのが難しい部類の言語とされており、理由はいろいろ有るのですが、代表的なのは、右左脳を使う言語である点などが挙げられるかと思います。

逆に言うと日本語は、概ねの言語で使用する言語脳(左脳)だけでは無く、芸術脳(右脳)をも使うことが要求されると言うコトです。
日本語を完璧に使いこなすには、感性(センス)の領域も必要です。

「コミュニケーション出来れば良い」と考えれば、「うる覚え」「ひつこい」などでも、取敢えず意味・意思は伝わりますけどね。
そう言う考え方だと、万人に感動を与えたり、より多くの人と共感したりは難しいと思いますよ。
格調高い名文に「うる覚え」と書いてりゃ、その瞬間に興醒めですから。

ただ、江戸っ子のセリフを、敢えて「ひつこい」と表記すれば、ソレはソレで書き手のセンスにもなりますね。
それを「間違い」と断じてしまっては、面白味が有りませんが、そういう感性の人だっているでしょう。

この辺りが、日本語の難しさであり、機微や面白さでもあるのではないでしょうか?
これらは「学ぶ」だけでは無く、「磨く」ものかと思います。
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この回答へのお礼

すごくわかりやすく丁寧に教えて頂き有難うございます!なんだかよくわからない感じでもやもやしていたものがスッキリと晴れるぐらいに私の中で辻褄が合ったように思います。

「センス」なるほど。

同じ授業を受けているであろう人達でも、国語力に違いがあるのもセンスの違いなのですね。翻訳もニュアンスの例えとして大変わかりやすかったです。全く違う台詞を日本人向けにしている事が多くて、字幕と吹き替えでも全然違いますしね。

子供の頃大好きだったアメリカのコメディドラマを、大人になって懐かしくなり、翻訳ではなく字幕の物で探して観てみましたら、子供の頃の吹き替えとあまりに違う英語の内容に驚きました。しかし吹き替えで全く違和感なく観れたのは、日本人に機微が伝わるよう訳したものだったからなのでしょうね。

私が読んだ漫画の「ひつこい」はアメリカが舞台で外国人の台詞としてでしたので江戸っ子の台詞ではありえませんが、作者の方言なのか誤植なのかどっちなの???と困惑したのです。方言も、知らない人からするとおかしな日本語の使い方をしているように感じてしまうものもありますし。本当に難しいです。

生まれついてのセンスもあるのかもしれませんけれど、センスは読書などで磨く事ができるかもしれませんね。授業で学ぶ事が無理なのも合点がいきました。

漫画家はわかりませんけど、物書きを仕事にしている人が「うる覚え」と書いていたらそれだけで説得力がなくなるように思うのも、今まであまり本を読んでいないように思うからかもしれません。

センスを磨くためにもっと読書しようかな。有難うございました。

お礼日時:2011/12/07 22:51

無限にある日本の単語を全部覚えられますか?



正しい日本語とは何でしょう。

小生は日本語で普段生活をしていますが不自由をしたことはありません。

喧嘩言葉から丁寧語まで全部学校で教えて正しく使おうと言う考えには賛成しますが
不可能です。

言葉なんて意思の疎通ができればよいのだと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

そうですね、私たちが日常で使う言葉なんてほんの一部に過ぎないのかもしれません。確かに日本語を全部というのは無理ですね。

丁寧語とか謙譲語など学校で時間を割いて習ったと思うのですが、あまり身についておりません。それだけ難しいという事なのかそれともやはり私の読解力や学習能力がないだけなのか…。でもブログなどで丁寧な敬語を使おうとしているのはわかるけれどそれは変だよ!?と思うような記事やコメントを目にする事も多いので、私だけに限った事ではなく多くの人がちゃんと使えていないのかもしれないと思ったりもします。

人の間違いに気づいても、それを指摘すれば揚げ足を取ったと思われたり恥をかかせるだけかもしれないので言いませんが、間違ったまま使っていて本人(自分の場合も含め)が恥をかきませんか?

たとえ親しい人で間違いを指摘をしてみても、どちらも正しいと思い込んでいますからお互いに自分が正しいと言い合うだけで終わったり。その後調べてやっぱり自分が正しかったんだ!と相手に言うのもなんか違う気もするし…。

でも、おっしゃるように意思の疎通が出来れば良いのかもしれません。意味が通じれば困りませんから。理想でしかないのかもしれませんね。

お礼日時:2011/12/07 08:56

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